「ニート更正プロジェクト」


○ ニートとは心の病と踏ん切って 旅に出ようよ 野菜をつくろう



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2010年 6月 18日(金)第 123号


 ニートが社会問題となっています。ニートの息子を抱えて人知れず苦しんでいる親御さん、家族の方もいらっしゃるでしょう。
 先日「ネトゲ廃人」なる言葉を始めて知りました。働きもせず、インターネットでひたすらゲームに耽っている若者のことだそうです。ネトゲ廃人もニートの一つでしょうか。

 さて、以下は御影流ニート更正私案です(^_^)。三つの方法を提示しました。

 効果の程はわかりません。「やってみたらうまくいかなかったぞ」と責められても困ります。
 私のもう一つのメルマガ「ほぞ噛み競馬予想」では、予想をしたとき「なお、以下の予想を買うことで金銭的被害をこうむっても、当局は一切関知しません。自己責任で購入してください」と逃げをうっています。そのおかげか、これまで「お前の予想は当たらなかったぞ」と苦情を言われたことは一度もありません(^.^)。
 それと同じことをここでも言っておきたいと思います。
「なお、このニート更正プロジェクトを実行してうまくいかなかったとしても、御影は一切関知しません。あくまで自己責任で実行してください」と(^_^;)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ ニートとは心の病と踏ん切って 旅に出ようよ 野菜をつくろう


 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)


 【 ニート更正プロジェクト 】

 ◎ ニートは心の病気 ◎

 ニートについてテレビを見たり、少数だがニートご本人と関わった経験からすると、彼らは周囲から誤解されているのでは、と感じる。それは鬱病の初期症状とやや似ている。働かなかったり、何もやる気が起きず、家でだらだらぐずぐずしていると「怠けている」と見られがちなのだ。

 だが、私の知る限り、彼らは過去にひどい挫折体験をしていることが多い
 もちろん人は大なり小なり挫折や失敗、いやな体験、恥ずかしい体験を繰り返して大きくなる。だから、詳しく話を聞いてみると「なんだそれくらいのこと」と言いたくなるときがある。
 だが、彼らは人並以上に傷つきやすい。挫折体験も人並以上に深く傷つき、ついには「表に出て人と一緒に活動したくない」と思い詰めてしまった――それがニートのような気がする。

 ならば、ニートも心の問題であることをまず理解するべきではないかと思う。
 たとえば、病気になって治療を受け、体が弱ったり骨折したり、足腰が立たなくなったら、まず何から始めるか。当然リハビリ活動だろう。ニートに必要なのは、いきなり「働け」と言うのではなく、リハビリ的な活動ではないだろうか。

 ニートを立ち直らせる案はいくつかある。
 基本的に彼らには対人恐怖症の傾向があるようだ。だから、外に出られない。また、いま述べたようにとても傷つきやすい。だから、なんとか仕事を見つけて働き始めたとしても、ちょっとしたミスや失敗で叱られるとそれだけで傷つく。そもそもいやいや始めた仕事だから「こんな思いをしてまでやりたくない」と思ってしまう。

 また、バイトにしても正規にしても派遣にしても、その仕事は当人をどうしても必要としているわけではない。いわば歯車の一つでしかない労働だ。
 多くの人は生きる糧を得るため、それも仕方ないと割り切って働いている。だが、ニートたちは働くことに生きがいを求めている(別にニートでなくてもそうだろうが)。自分が本当に生きがいをもって働ける職業を探し求めているのだ――と語ることが多い。
 だが、自分が本当にしたいことが何か、まだ決められないでぐずぐずしている。それもまたニートの特徴だろう。

 私が推察するに、実のところ何をしたいか決めるのは怖いし、めんどくさいのだと思う。
 なぜなら、やりたいことを一つに決めてしまうと、
「どうしてそれに向かって動き出さないの」と周囲から言われてしまうからだ。

 だが、動き出せば、失敗して挫折を味わう可能性が高い。それもまた怖い。だから、決めないでぐずぐずしている。「何をやりたいかわからないんだ」と言っている方が気楽だ。

 その結果、甘えられる家族、特に母親に頼り切る。羊水のようなふところに浸って甘い眠りをむさぼる。父親は傍観している――そのような図式だ。

 私はニートを外に出すべきだと感じている。

 家に閉じこもるのではなく、外に出て人と付き合うこと。人と関係を持つこと。それなくして偶然は起こらない。
「これだったのか。私が求めていたのはこれだったのか」と感じられる何かに出会えない。
 部屋にこもって本を読んでも、自分が最もしたいことを見つけるのは、かなり難しい。ネトゲに耽っても、自分を変える何ものも発見できないだろう。

 だが、外に出て人と交わり活動していけば、求めるものに出会える可能性がぐんと高くなる
 とにかく外に出ることだ。

 ○ プロジェクトその1――ボランティア活動 ○

 外に出ると言っても、金がかかることは難しい。求められるのはリハビリ的な活動だ。
 ニートはお金と関係ないところで、人と関わり、失った自信を取り戻していくことが必要だと思う。

 たとえば、国内ならボランティアだ。
 いま都市でも田舎でも何かと困っている一人暮らしの高齢者がたくさんいる。あるいは、障害者、貧困、精神障害で苦しんでいる人たちも少なくない。そのような人たちのボランティア活動に参加するのだ。

 もちろんこれだって簡単な活動ではない。ミスを犯せば、主宰している人やスタッフから叱責が飛ぶ。「甘い気持ちでやってもらっては困る」と言われる。傷ついていやになってやめたくなることもあるだろう。

 だが、大切なことはお金がかかっていない点だ。いやになったらやめればいい。それだけのことだ。
 そして、そこがボランティア活動のいいところだ。

 たぶん主催者は「そんな軽い気持ちで来てもらっては困る」と言うだろう。しかし、いやになった人がいやいやボランティア活動を続けられることはもっと困る。だから、いやになったら、やめた方がいい。それがボランティアだ。

 だが、少し我慢して活動を続ければ、自分が《かけがえのない存在として頼りにされている》と知ることができる。
 たとえば一人暮らしの高齢者も、車イスの人もボランティアをとても頼りにするし、その活動にとても感謝する。「こんな自分なのに頼りにされている。あてにされている」と感じることができる。その思いはきっと自信を取り戻すのに役立つはずだ。

 もちろんこの現場でもニートはミスや失敗を犯す。相手から文句を受け、批判され傷つくことがあるだろう。
 だが、それでいやになったらやめればいい。それだけのことだ。「このボランティアは自分と合わなかった」そう思って別のボランティア活動に飛び込めばいい。
 ボランティアの種類は一つだけではない。日常的な活動以外に地震・災害、冬には北国で屋根の雪下ろしだってある。災害地に行って被災者と関わることはきっといい体験になるはずだ。
 そのうちきっと何かが見つかる。自分が探し求めていた何かに気が付くと思う。

 ▲ プロジェクトその2――貧しい国への海外旅行 ▲

 ボランティアなんて難しいよ――と二の足を踏むようなら次の策がある。

 それは(親にとっては金がかかるけれど)海外へ旅をすることだ。特に発展途上国と言われる貧しい国々を旅すること。アフリカや東南アジア――特にカンボジアがお勧めだ。

 現地に行って日々の暮らしに汲々とする人々を見れば、きっと何かを感じる。そこでは学校に行けない子供達がいる。地雷で足を失った人たちがいる。「ワンダラー、ワンダラー」と恵みを乞うて生きている。彼らを間近に見れば、自分に問われている何かを感ずることができる。

 国外ではニートの過去に何があったか、誰も知らない、誰も問わない。異国を一人歩き回ると、自分が日本で暮らす生活が、部屋に閉じこもっている毎日がいかにつまらないものだったか、それを痛感するはずだ。劇的に変わる可能性がある。

 バックパッカーがいいけれど、一人は怖いから初めはツアーでいい。英語ができなくても構わない。片言英語が使えれば充分だ。
 そして、現地ではその片言英語を使って人々と言葉を交わすこと。これが大切だ。身振り手振りでなんとか通じることを実感できる。その結果「やっぱり英語が必要だ。もっと会話をしたい」と思ったら、帰国して学べばいい。

 海外旅行の魅力にとらわれると、帰国後旅行費用を稼ぐために働こうという気持ちになるかもしれない。するとバイト先でちょっと傷ついたからと言って、もうへこたれない。もう一度海外へ行きたいと思い、それが働くことの目的になるからだ。それはニートを耐えられる人間に変える

 親にとっては「働きもしない我が子に海外旅行費用を出すなんてとんでもない」と思うかもしれない。
 だが、現にニートなら、この先十年ニートであり続ける可能性が高い。いや、二十年ニートかもしれない。
 その間親は部屋に閉じこもる我が子のために生活費を出し続ける。

 さらに普通なら親が先に死ぬ。その後一人残されたニートは社会的に自立できないままだ。
 かわいそうに、彼は一個の人間として認められないまま生きていかねばならない

 親の年金に頼るしかないニートの息子は年老いた親が死んでも葬式を出してくれない。冗談ではなくすでに事件になっている。ニート問題はそこまでいくことも考えねばならないだろう。

 ならば、最後の投資と思って息子に海外旅行をプレゼントする。
 行き先として欧米の金持ち国はダメ。絶対貧しい国に行くこと。だから、お金を息子にぽんと渡すのではなく、最初はきちんとセッティングしてやる必要があるかもしれない。

 △ プロジェクトその3――野菜をつくる △

 ボランティアはいや、海外にも行きたくない――そうつぶやくニートもいるだろう。
 部屋に閉じこもるとは基本的に鬱病と同じだから、何か活動的なことをする意欲が湧かないことも多い。

 ならば、お勧めは畑仕事だ。自宅に庭があるなら、思い切って畑に変えてしまう。庭がないなら、近くで畑を借りる。最近は町や市でも公の農園を作り、趣味の菜園を斡旋している。そこで野菜を作ってみる。

 最初はタテヨコ数メートルくらいの狭い畑がいい。ちょっと耕して種とか苗を植えたらそれで終わり。もちろん雨が降らないときは水やりが必要だし、草むしりや追肥もまめにやった方がいい。
 しかし、そんなことやらなくても構わない。日本では「ほったらかし農法」で野菜が育つからだ。
 木も草も生えない荒れ地でない限り、放っておいても雑草と一緒に野菜が育つ。

 そもそも雑草は誰も水をやらない、誰も草むしりをやってくれない。それでも勝手に雑草は育つ。
 ということは野菜だってそれと同じ。草ぼうぼうの中でも野菜は実って夏や秋に収穫できる。それが「ほったらかし農法」だ。もちろん肥料とか土作りなど、手入れをすればもっとよく実る。

 畑仕事の良い点は土と関わることだ。自然が相手であり、人間は全く関係ない
 そして、やったことの成果が――成功も失敗も含めて、全て自分だけに返ってくる。ここがある意味不甲斐なさを感じるところであり、逆に面白いところでもある。

 何しろうまくいかなくても、誰からも責められない。やせ細った大根やキュウリでも食べることができる。ミニトマトなどプチプチ割れたのばかりできあがる。でも、食べられる。

 私は過去数年実家で苗からキュウリとミニトマトを植えた。一度も失敗したことがない。たとえばキュウリなどほったらかしていると、巨大に育つ。ミニトマトなど放っておいてもたらふくできる。食卓に出せば、家族から喜んでもらえる。

 何より、野菜が実ったとき、一つ物事を成し遂げた喜びを感じることができる。
 傷つきやすいニートは物事に熱中してそれを成し遂げる喜びを感じたことがない。
 いや、さすがにそれは言いすぎだ。彼らだってかつては物事に熱中する喜びを感じたことがあっただろう。
 だが、大きな失敗、小さな失敗やミスを積み重ねて何度も何度もつまずいた。恥ずかしさと挫折の辛さ。そうした経験を積み重ねた結果、彼は「もう失敗したくない、二度と傷つきたくない」と思っている。だから、何かをやることに一歩を踏み出せないでいるのだ……と私は思う。

 その点野菜作りは気が楽である。自分たちで食べるくらいで、別に農業をやるわけではない。うまく育たなかったひなびた野菜でも充分食べられる。たくさん育ったプチトマトを隣近所に持っていけば、みんなとても喜んでくれる。ものをやり遂げる喜び、人に感謝される嬉しさが湧いてくる。

 となれば、普通はもっとうまく作ろうと考える。土作りを工夫すれば野菜が大きく立派に育つ。そのためにはどうすればいいか、人に聞いたり、自分で勉強したりする。トマトは水をやりすぎると破裂してしまう。それも人から聞いて学ぶ。やろうというエネルギーがきっと湧いてくる。

 そして十年後、二十年後を考えるなら、仮にこの先「やっぱり人と一緒の活動、仕事はできない」となっても、野菜を作ることができれば、過疎の田舎に行き、一人野菜を作って生きていくことができる

 いま田舎はどこも人が激減している。高齢化が著しく、限界集落がわんさかある。
 そこにやって来る人はニートであろうが、なんであろうが、自力で畑仕事をやって生きていけるなら、一人前の人間だ。過疎地では耕作放棄地がたくさんある。空き家を格安で分けてくれるところもある。

 もちろん農業にしなければ、金銭収入はないだろう。でも、そのうち野菜作りがうまくなれば、農業としてやっていける可能性がある。野菜でうまくいけば、お米を作ってみようと思うかもしれない。
 なにしろ過疎の地では五十代でも若者である。四十代は青二才だ。
 その地で彼はきっと頼りにされ、村にとって必要な人材となるだろう。

 … 失敗してもともと …

 以上がニート復活のための私案である。
 この中のどれか一つでもいい「失敗してもともと」の軽い気持ちで挑戦してみてはどうだろうか。

 繰り返しになるけれど、決して金をからませてはいけない、成果を求めてもいけない。それはニートを抱える親御さんに特に言いたい。これらはみなリハビリのための活動である。傷つき弱った体をリハビリで徐々に動かすように、傷ついた心を少しずつ回復させるリためのハビリ活動なのだ。

 また、ニートご本人に言いたいこともある。とにかく何が何でも外に出ることだ。
 大切なのは外に出て自然と触れあい、(親以外の)人と関わることだ。偶然の出会いは部屋に閉じこもってもまず起こらない。外に出ることで「たまたま」が起きる。
 そして自分を導いてくれるような偶然の出会いにぶつかれば最高だ。偶然の出会いとは物事との出会い、人との出会いだ。ぜひ「おやあ?」と思うような偶然に出会って本人だけが感じる答えをつかんでほしい。

 最後に「ボランティアはいや。外国にも行きたくない。畑仕事もやりたくない」となれば、本当に鬱病かもしれない
 ならば「ニートだから」とほっとかないで、精神科か心療内科へ行った方がいい。ニートは心の病気ととらえ、医師と相談する方法がある。

 この場合、最も重要で難しいことは本人がそれを心の病気と思えるかどうかだ。
 病院にかかれば、医師はクスリを処方するかも知れない。だが、クスリに頼ることはあまりお勧めできない。
 私は10年前から通風のクスリを飲んでいるけれど、一度クスリを飲み始めると、医師はなかなか「やめてみましょうか」と言ってくれないからだ。

 できたら、まずは気楽にできることから初めてみてほしい。
 人生を再び生き始める、新たに人として歩き始める一歩を、まずは踏み出してほしいと思う。


 ○ ボランティア 野菜作りか旅に出る ニート更正三つの進路(^_^)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:最近テレビでも、地方に行って畑仕事をやる芸能人や女優さんが紹介されています。あれは各種テレビドラマと同じでうまくまとめられています。簡単そうと思って始めたら、えらい違うことに気づくでしょう。大きなことを始めようとせず、まずはプランターでいい、超簡単な小規模ほったらかし農法がお勧めです(^_^)。以前メルマガでも書きました。
 参考→ 「ほったらかし農法」(2008年メルマガ101号)

 もう一つうれしいようなつらいような話題。サッカーワールドカップ日本対カメルーン戦、日本が1対0で勝ちました。終盤怒濤の猛攻を耐え抜きましたね。
 我がふるさと大分の中津江村では日韓ワールドカップでカメルーンがキャンプを張った縁で、じいちゃんばあちゃんたちは今回もカメルーンを応援したとか。彼らの気持ちをおしはかるとちょっとつらいものがあります。また、日本が勝ったお陰で第3戦対デンマーク戦を深夜起きて見なければならなくなりました。翌日仕事がある人は大変でしょう。
 えっ? オランダ戦で勝てばいい? いくらカミカゼの国でもさすがにそれはつらすぎます(^.^)。(御影祐)




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