○ あおられてスピード上げて引き離す 実は怖くて逃げてる姿
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2010年 7月 28日(水)第124号
猛暑お見舞い申し上げます。m(_ _)m
全国至る所ほんとに連日の猛暑と熱帯夜でぐったりのようです。
私は結構夏に強くて(さすがに夜はエアコンを付けますが)朝から昼はじとーっと汗かきながら「この我慢の感覚がいいんだよなあ(^.^)」などとつぶやきつつ、作業に励んでおります。みなさんはいかがでしょうか。
さて今号ですが、当初は「ワールドカップ日本サッカー観戦記」と題して発行するつもりでした。サムライ日本は海外のワールドカップで初めて一次リーグを突破。惜しくもベスト8を逃しましたが、本番直前の不甲斐なさから一転大活躍でした。
いろいろ考察してみるととても面白い面が多々見えたので、ぜひメルマガに取り上げたいと思いました。
しかし、試合が終わるたびに書いていた観戦記は全部で4試合分、そこに「サッカーは狩猟民族が強い」とか「農耕民族日本には守りに守る戦法が合っている」などと考察していったら、メルマガ4号分くらいになってしまいました(^_^;)。
今までなんとか短くしようと悪戦苦闘したのですが、相変わらず短くするのが苦手です(^.^)。そんなわけで今号掲載はあきらめ、最近体験した別の話題にいたしました。
先日友人B氏が運転する助手席に座って移動中、後ろの車からあおられる事態が発生しました。そのとき友人がとった運転ぶりと、その他もろもろについて考察してみました(^_^)。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ あおられてスピード上げて引き離す 実は怖くて逃げてる姿
ちなみに友人B氏の運転は普段とても紳士的です。スピードはあまり出さないし、横断歩道の前ではしっかり止まるし、右折車や脇道車にも道を譲る――かなりいい運転者だと思います。
ただ唯一ひっかかるのが完全にナビに頼っていることで、なかなか道を覚えられません(^.^)。
7月のある日B氏に私の家まで送ってもらうとき、こんなことがありました。
しばらく片側二車線の幹線道路を走行した後、近道をするため左に曲がる交差点に近づきました。
そのまま進んでも私の家に着くのですが、左折して片側一車線の脇道に入ると、田舎道なので比較的空いているからです(^_^)。
交差点前には陸橋があり、陸橋の手前で車線変更禁止となります。陸橋を渡り左の車の進入路を過ぎると車線変更禁止は解除されますが、すぐまた交差点用の車線変更禁止となります。だから、陸橋前に左車線に入っておきたいところです。
B氏は何度もその道を通ったことがあるので、当然そのようにしました。
ところが、左ウィンカーを出してもなかなか左車線に入ろうとしません。
1秒、2秒、3秒……まだ入りません(^.^)。
本来ウィンカーを出して3秒後に入るのがルールですが、私も含めて最近3秒まで待つ車なんてめったにお目にかかりません。ひどいと移りながらウィンカーがつきます。
3秒も待つとは珍しいなと思ってB氏を見ると、ちょっと困ったような表情で、さらにスピードを上げます。どうも左車線を走っている車がスピードを落としてくれないようです。よくあることではあります。
そのとき目の前には車線変更禁止ラインが迫っていました。別にここで無理して車線変更しなくても、陸橋を渡ったところでまた左に移ることができます。
しかし、B氏はそこで無理して割り込みました。彼は左車線に移りながら、クラクションを「プッ」と鳴らしました。お礼のつもりでしょう。
こうした場合、後ろの車へ感謝の気持ちを表すには、ハザードランプを1回か2回点灯する――それが最近の流儀です。私はそのやり方を知らないのだろうかと思いましたが、口にしませんでした。
その後B氏はさらにスピードを上げます。我々の前を行く車とはちょっと離れていたのですが、どんどん近づきます。
助手席に座る私の感じではそのうち1、2メートルくらいに近づいたように見えました。そしてそのままぴたりと張り付いて走ります。私はちょっと恐怖を覚えました。
そのとき私の不安というか視線を感じたのでしょう、B氏は「後ろのやつがあおるんだ」と言いました。
後ろを見ると確かにB氏がスピードを上げたのに、ぴったり後に付いてくるようです。
これもままあることで、割り込まれて不愉快になった輩(やから)が腹いせにあおってくるのです(--;)。
この状態は交差点直前まで続きました。
結局交差点の信号が赤になり、B氏は徐々にスピードを落として停止。その後左折したので、このちょっとした車間闘争(?)は終わりとなりました。
もちろん事故は起きませんでした(^_^)。
これはB氏の運転でしたが、私も同じような状況に陥ったことは何度もあります。
特に運転し始めの頃は対抗するように、後ろのあおり車を離してやろうとびゅーんとスピードを上げたものです(そんな過激な車に乗っていました(^_^;)。
しかし、最近では年食ったせいか、そのような状況になると「そんなに怒るなよ」とつぶやいてまずブレーキポンピングを何度もかけます。そして(一車線の場合は)譲れる場所があれば、左端に停車して後続車を先に行かせ、この闘いを避けるようになりました。
というのは、あおってくる車の相手をしていると、こちらが危険な目に遭うからです。
この場合で言うと、B氏は後ろからあおられるのがいやで、あるいは離そうと思ったのか、スピードをどんどん上げました。そのうち前の車とぴったり1メートルくらいに近づいたので、私はかなり危険を感じました。
もし前の車が急ブレーキでもかけたら、対応できるだろうかと心配でした。彼は普段あおらないような穏やかな人なので、よけい怖さを感じました。
そして思いました。なぜB氏はあおられたとき、さらにスピードを上げたのだろうかと。これは自分が今まで同じことをしていた――それに対する自問でもありました。
これまで私は「後ろの車があおってきたから、それに対抗しようと、突き放そうと思って自分もスピードを上げる」と思っていました。おそらくB氏もそうでしょう。
しかし、それは違うことに気づきました。
B氏はあおられてスピードを上げたとき、私の不安な視線を感じて「後ろのやつがあおるから」と言いました。そのときの彼は軽いパニックに陥っていたようです。
というのは、B氏がスピードを上げたことで、みるみるうちに前の車に近づき、ぴったりくっつついて走る――つまり結果的に前の車をあおっていたことに、彼は全く気づいていなかったからです。私たちの前の車の運転手は突然あおってきた後続車に(気づいたなら)恐怖を感じたと思います。
そして、もし前車が急ブレーキでもかけてB氏の対応が間に合わず、がつんと衝突でもしたら、最悪なのは無関係な前車であり、B氏と私でしょう。
事故が起こった後、警察から「どうしてそんなにあおったんだ」と問われたなら、B氏は「後ろにあおられたから」と答えるのでしょうか。警察は「おまえはアホか」と言うに決まっています。
そして衝突の原因をつくった、後ろの車はさっと事故をすり抜け「ざまあみろ」とつぶやきながら立ち去るのではないか、と思います。
つまり、どう考えても、後ろからあおられたとき、こちらもスピードを上げるのは間違っていると言わざるを得ません。
そして「あおられたとき、なぜスピードを上げたんだろう」と考えてみると、それは「怖いから逃げているのではないか」と思い当たりました。
後ろの車は我々を追っかけ、B氏は必死に逃げている――ぶつけられるのが怖くて逃げている――それが真の姿なんだと思いました。
ちょっとしたパニックに陥ったのは怖かったからではないか。逃げることに必死だから、自らスピードを上げていること、結果的に前の車をあおっていること、とても危険な状況になりつつあることに気づかなかったのだと思います。
ではこのときあおってくる後ろの車と、真に対抗するやり方とはどうすることなのでしょうか。
私は思いました。あおられてスピードを上げることが対抗するやり方ではなく、逆にどんどんスピードを落とすことではないかと。もしもぶつかって事故を起こすなら、後ろのあおってきた奴からぶつかられるべきだと(^.^)。
ぶつかったら彼は言うのでしょうか。「強引な割り込みをされて腹が立ったのであおった」と。警察は「おまえはアホか」と言うでしょう。
しかも、B氏は左折ウィンカーを出してからきっちり3秒以上待っていました。決して強引な割り込みではなかったのです。
あおってきた車に対抗するには逆にどんどんスピードを落とすこと――それが真の戦う姿ではないかと思いました。
実際のところ、こちらがスピードを落とせば、あおり車はじれて(二車線なら)さっさと追い抜いていくでしょう。それで終わりです。
その道が相変わらず車線変更禁止区間で、もし後ろに覆面パトでもいたら、じれて追い抜いた車がつかまるだけです。「ざまあみろ」とつぶやくのはこっちでしょう(^.^)。
もちろんそんなにひどいスピード低下はできません。しかし、少なくともあおりに対抗してスピードを上げるのは「百害あって一利なし」と思いました。
○ あおられてスピード上げて引き離す 実は怖くて逃げてる姿
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記: 短く書くつもりだったのに、やっぱり長い文章になって恐縮です(^_^;)。
主旨からそれるので、上記に取り入れませんでしたが、この件は最後にもう一つ、面白いというか奇妙な出来事がありました。そこで蛇足のもう一言を(^_^)。
我が家へ行くにはその交差点を左折するのが近道です。しかし、陸橋前で車線変更できず、交差点でも左折できずにそのまま直進しても、なんの問題もありません。幹線道路を進めばいいのです。
実は結果論ですが、無理に車線変更して左折して近道路線に入ったのに、その先でひどい渋滞にかち合ったのです。以後の道は片側一車線で、たまたま祭りの山車がとろとろ動いており、渋滞になったのでした。
だから、交差点を左折せずに幹線道路を進んでいれば、もっと早く私の家に到着しただろうと思いました。
このような話をすると、誰もが「そんなことは結果論であってそのときそんな未来はわからない」と言うでしょう。
しかし、あそこで無理をしない人と、無理をする人に分かれます。
そして無理をした人は危険な目に遭い、さらに渋滞という不快な出来事に遭遇しました。
もし無理をせず「左折できなかったから、幹線道路を行くか」と柔軟な考え方ができれば、あおられることはなかったし、結果的にいい目を見るかもしれない――そのように言うことができます。
もちろん幹線道路を進んだら、そちらも大渋滞だった可能性はあります。しかし、仮にどちらも渋滞があったとしても、陸橋前で無理をしなければ、あおられる不快や危険は回避することができたのです。
思うのはなぜあそこでB氏が「どうしても左折しよう」と思ったかです。幹線道路の先を知らないか、あるいはひたすらナビに頼っていることがその強引なやり方の裏側にあるような気がします。
ナビに頼り過ぎると「他の道がある」とか「無理せず別の道を行けばいい」という発想が出ないような気がするのです。そもそもナビが絶対でないことはよく知られていることです。
また、陸橋の前で左車線に入れようとしなかった輩(やから)は確かにいじわるな奴です。
しかし(大きな流れや視線で見るなら)、彼は「こちらには入らない方がいいよ。交差点でも左に曲がらない方がいいよ」と教えてくれている「いやな奴」なのかもしれません。
これはとても妙な表現です。共感する人はまずいないでしょう。しかし、私はほんとにそんなことを考えます(^_^)。「いやな奴がいやな邪魔をするなら、そちらには行かない方がいいよ、と教えてくれているのかもしれない」などと思ってみるのは、結構面白いと思うのですが(^.^)。
以上です。
なお、来月号は猛暑により夏休みといたします。
9月涼しくなったら、またお目にかかりましょう(^_^)。(御影祐)
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