「東日本大震災について」


○ 大津波 全て失い 悲しみに ひたる自分を 許してほしい



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2011年 3月 31日(木)第 131号


 東北関東大震災・大津波により被災された方々に心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。m(_ _)m

 ああも圧倒的な自然の力を見せつけられると、自分の家族を失い、自分の家が押し流されたような心の痛みを覚えます。自分に何ができるか、メルマガに何を書くか。言葉はなく、ただただ哀悼と立ち直りを「祈るしかない」のかもしれません。

 私が住む東京町田市も震度5弱の揺れがありました。私はそのときパソコンの前に座っていました。初めて体験する激しい横揺れでした。
 しかも、その揺れは1分か2分近く続いてなかなかおさまりません。その後起こった数回の余震も同じように激しい揺れでした。

 買ったばかりの薄型テレビが倒れそうになり、棚とか台の上の小物が落ち、本棚から本が何冊か落下しました。しかし、家がつぶれるかもしれないといった恐怖は感じませんでした。耐震措置はしていませんでしたが、幸い本棚も食器棚も倒れることはありませんでした。

 そして、その日から数日間テレビで流される津波と破壊の映像を見続けました。一面ガレキと化した港町を見ました。雪が降り、零度以下の避難所で毛布一枚で過ごす避難所の様子を見ました。懸命に救助活動をする消防や自衛隊、各国救助隊。福島原発をめぐる修復作業もいまだ続いています。

 この間、狂短歌メルマガに何を書くかずっと考えていました。
 取り上げる話題は東北大震災・大津波しかありません。しかし、対象があまりに巨大すぎて筆が進みません。
 書いても陳腐な表現しかできず、恒例のお見舞いや激励の言葉しか浮かびませんでした。

 新聞のコラムやブログなどではみなさん上手に書いていらっしゃいます。「祈りや愛」が書かれ「きっと立ち直れる」「みんなで乗り越えよう」「がんばろう」「ネバーギブアップ」と書かれています。
 私も書いてみました。しかし「自分が伝えたい思いはこれではない」と思ってまとまりませんでした。

 それでもこの間狂短歌をいくつか作り、それに関連したエッセーも書きました。


 ○ 大津波 根こそぎ家が流される なぜ今それを見せつけられる?


 あの大地震と大津波は千年に一度クラスの震災ではないでしょうか。私たちはどんなに長生きしてもせいぜい百年程度です。それなのに、なぜ今あれを見なければならないのか、見せつけられるのか。
 生き延びたおじいちゃん、おばあちゃんの中には「こんなもの見ないで逝ってしまいたかった」と思った人がたくさんいらっしゃるでしょう。
 でも、自然はそんな人間の気持ちにお構いなしです。突然やって来て根こそぎ押し流してしまいます。

 折しも私は前号メルマガで鳥インフルによって大量刹処分される健康な鶏や白鳥のことを取り上げ、
「昔のおばあちゃんなら『あんな殺生をやっとったら、そのうち人間全体に罰が当たるぞ』とつぶやくような気がする」と書いたばかりです。

 もちろん東北大震災と大津波が、その天罰だなどと言う気はないし、誰も思わないでしょう。
 仮に天罰だとしても、それは人間全体に降りかかるわけではないから、余計悲しいものがあります。その流れで言うなら、大津波にあった方々は日本全体、人間全体の犠牲になったと言えるのかもしれません。


 ○ 千年に一度の地震と大津波 思いが見える こころが見える


 公共広告機構のテレビCM「こころは見えないけれど……こころづかいは見える。思いは見えないけれど……思いやりは誰にでも見える」は素晴らしい詩と映像だと思いました。
 しかし、被災者への支援の遅れを見るにつけ、思いやりや心づかいが見えず、逆にこころや思いがくっきりと見える――逆パターンも言えるのではと思いました。

 大津波によって家々が目の前を音立ててつぶされ流されていく。呆然としてただ見ることしかできない。その様子をビデオに撮影した人たち……彼らの思いが見える、こころが見える。高台に立ってただ眺めるしかなかった人たちの思いと心が感じ取れる。

 津波が来たとき役所の災害本部から「津波が来ます! 津波が来ます!」と放送し続けた女性。災害本部は津波にさらわれ、彼女は行方不明となった。別のところでは地震で津波警報のサイレンが鳴らず、鉄塔に登って半鐘を叩き続けた消防署員。
 高台に避難した人たちは津波放送を聞いている。打ち鳴らされる半鐘を聞いている。どす黒い津波が町を押しつぶすと放送と半鐘の音が消えた……津波放送をし続けた人の思いが見える。半鐘を叩き続けた人の心が見える。
 放送の声、半鐘の音が消えたとき、聞いていた人たちのこころが感じ取れる。

 世界の有名人たちがメッセージや義援金を発信・発送している。
「祈り」や「愛」が語られ「あなたたちは一人ではない」と書かれる。
 世界の思いが見える、こころが見える。祈りが見える。

 その一方で……
 世界二位か三位の金持ち国日本に起こった大震災。生産力・経済力低下が予想され「買える」要素はほとんどないはず。なのに、震災直後円が買われて円高ドル安になった。
 なぜと思ったら「いずれ日本で円が必要になる、円を買え、円はもっと高くなる、もうかる!」かららしい。

 FXで儲かった人、機関投資家、個人投資家の方々に聞いてみたい。
 あなたはいくら義援金を送ったのだろう。1万円か10万円か100万円か。
 だが、その一方でドルを売って円を買う。それは火事場泥棒と同じ、義援金振り込め詐欺と同じ、と言ったらあなたは怒るだろうか。
 だが、円高になればなるほど、日本が受け取る義援金の額は減る。
 世界から祈りが、善意が、義援金が日本に寄せられている。その多くはドル。1ドル80円なら百万ドルが円になるときは八千万円。1ドル100円なら百万ドルは1億円。二千万円の差ができる。

 日本の投資家たち、世界の投資家たちよ。ドルを買ってくれ
 みんながドルを買えばドルが上がって円が下がる。1ドル100円になれば1000万ドルは10億円。1億ドルは20億円の差となって被災地に届く。世界の善意がもっといきる。被災地により多くのお金が届く。

 投資家が右手で義援金を寄付して左手で円を買うなら……いやしい思いが見える、さもしいこころが見える。自分勝手な思いやりが見える、本末転倒の心づかいが見える。

 ――など、いろいろな思いや心が見える気がしました。


 それから第二被災地とも言える東京首都圏のパニックぶりも話題になりました。
 食糧やガソリン、飲料水ボトルの買い占め・買いだめ。つまりはパニック。


 ○ パニックにならぬ秘訣はただ一つ いかに動くか決めておくこと


 元気のいい大人が食糧を買いだめすれば、買いだめできないお年寄りが大変。
 水道水の放射能汚染で大人は大丈夫だが、乳幼児には控えよう――と言っているのに、ペットボトルの買いだめに走る大人たち。乳幼児を抱えた母親や保育所が困っている。
 ガソリンも生活用品もパニックが買いだめ買い占めの行動に駆り立てる。そのときになって不安や恐怖にかられて行動すれば、必ずみんなと同じ行動をとる。それを防ぐには普段から考え、決断しておくしかない。もし映画館で火災が発生したら「自分は最後に出口へ向かおう」と覚悟しておくしかない。


 このように、いろいろと狂短歌を考え、エッセーをしたためてみました。

 しかし、どうにも決まりません。私自身悲しみに浸り、ニュースを見ては涙ぐむような日々が続きます。どうにも女々しく、どうにも元気が出ない。そのような自分の思い、被災者への共感の思いを表現できない。
 書いてみても「どこか違う、これではない」と思う。私には「がんばろう。必ず復興できる。元気を出してください」と書く気になれなかったのです。

 そして数日前「この感情は自分がこれまで体験した何と似ているだろう」と考えたとき、ようやく思い当たることがありました。そして「これを書こう。この言葉を被災地の人たちに伝えたい」と思いました。
 それは「しばらくがんばらなくていい。しばらく悲しみにひたろう」という弱々しい言葉です。

 ――前置きが長くなってすみません。以下本文狂短歌とエッセーです。m(_ _)m

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 (-_-)本日の狂短歌(-_-)

 ○ 大津波 全て失い 悲しみに ひたる自分を 許してほしい

 (-_-) ゆとりある人のための10分エッセー (-_-)


 【 東日本大震災 】

 大震災と巨大津波を受けガレキと化した町並み、根こそぎ家が押し流され、途方に暮れる被災者。家族や友人を失い悲しみに浸る人たち。避難所で耐えている人たち。救援と復興目指してがんばっている人たち……。
 テレビで震災の情景を見るにつけ、今の感情は自分がこれまで体験した何と似ているだろうかと考えました。
 そのとき、ふっと思い当たったことがあります。それは私の父が亡くなった後の心情に似ていると。

 父の死は一年前から予定されていました。癌を患い、医師から余命数ヶ月と宣告され、入退院を繰り返して発病九ヶ月後に亡くなりました。
 私としては発病直後から一緒に暮らし、最期を迎えるまでやるだけのことはやったし、家族の思い出も少ないながら残せた。父が息を引き取る瞬間も、病室で兄と一緒に看取った。父は八十歳まで生きた。大往生とは言えないけれど小往生だった。葬式を上げ、後かたづけを済ませ、四十九日を終えると実家は空き家にして東京に戻った。やることをやって悔いはないと思いました。
 だから、東京に戻るとすぐにでも小説執筆を再開し、普通の生活に戻れると考えました。三月の終わり、桜が咲き始めた頃です。

 ところが、なぜか元気が出ません。人と雑談を交わしても、ゴルフに行っても心から楽しめない。なぜか心から笑う気分になれない。小説を書く気も起きない。妙に涙もろくなってぼんやりしている。そして、ふっと思っているのは父のことでした。

 もう一緒に旅行はできない、もう一緒に歩くことも、飯を食うこともできない。声も聞けない、言葉を交わすこともない。それを思い出すと涙が出ました。悲しみがじわりとわいてきました。
 そして実家のことを思い、盆暮れに帰省しても誰も迎えてくれる人がいないことを想像したとき、帰る気をなくし、帰ってもさみしいだろうなと思いました。

 そのようなとき、久しぶりに散歩した雑木林の中で、私は雷に打たれ引き裂かれた大木を見いだしました。帰省前はなかったので、自宅を開けていた一年の間に起こった落雷でした。
 大木は真ん中から真っ二つに折れ、白い幹がずたずたに裂けていました。

 それを見て私はやっとわかりました。雷に打たれて裂けた木は私の心だと。
 父の死は自分にとってなんでもないことだと思っていた。だが、きっと心が裂けているに違いないと思ったのです。元気が出ないわけ、悲しみに浸ってなぜかすぐに涙ぐんでしまうわけはそのせいだと思いました。

 それから私はしばらく悲しみに浸ることにしました。無理に元気を出すことをやめました。
 心が引き裂かれた以上、すぐには治らないと思ったからです。

 この状態は半年続きました。なかなか回復しませんでした。そして私はそれも自分に許しました。立ち直るには何かきっかけが必要だし、時間がかかると思いました。
 その後あることでさらに落ち込み、九月はどん底状態でした。
 しかし、十月になって思いもしなかった出来事が起こり、それをきっかけとしてようやく立ち直ることができました(今この詳細は省きます)。

 心が引き裂かれたとき、それを修復するのは簡単ではないと思います。
 もしも私の声が届くなら、私はそれを被災者たちに伝えたい。未曾有の大震災から生き残った人たちも、きっと父を亡くした後の私と同じだと思います。いや、それ以上でしょう。

 被災地でインタビューに応じる多くの人が「がんばります・きっと復興します」と力強く決意を語ります。強い言葉、頼もしい言葉であり、前向きの言葉です。心からそう思い、すぐに立ち直りの言葉を言える人はいいでしょう。
 家を失っても家族だけは「幸いみな助かった」という人がいます。家族全員が生き残っていれば、家を失っても気持ちは違うと思います。

 しかし、自分一人だけ取り残されたかのように、家は流され、家族を全て失った人もいます。
 引き裂かれた心の痛みはいかほどでしょう。元気を見せてもふっと涙ぐむと思います。失った父や母、我が子や孫、じいちゃんばあちゃんを思い出して悲しみが心に広がると思います。
 もう一緒に歩けない、もう一緒にごはんを食べることもない。家が壊され流された人は思い出の品さえ失っています。

 小学生や中学生が安否不明の両親を探して遺体安置所を巡り歩いています。父や母の遺体を見つけだし葬式をしています。あまりに辛すぎる情景です。心はきっと引き裂かれていると思います。
 ある小学校の児童は全員逃げ切って無事だった。しかし、別の小学校では七割の児童が津波に飲み込まれ行方不明となっている。生き残った大人たちは苦渋の、いや苦悶の表情です。

 あるいは、老母と一緒に逃げ出したけれど、津波に飲み込まれ握っていた老母の手を離した男性がいます。子どもの手を離して生き残った親もいます。救えなかった自責の念にとらわれている人がたくさんいるはずです。きっと心は折れている。傷つき、引き裂かれていると思います。

 私は思います。がんばれる人はがんばればいい。しかし、がんばれない人は無理にがんばらなくていいと。
 しばらく悲しみに浸って「元気が出ない」と言っていい。元気が出ない自分を許してほしい。
 すぐには立ち直れない。時間がかかると思います。半年どころか一年、二年、三年……。

 でも、いつかきっと何かが起こる。立ち直りのきっかけとなることが必ず起こります。
 いつか亡くなった家族の声が聞こえると思います。
「生きなさい。生きていい。また夢をもって希望を抱いて生きていってほしい」――そんな身内の声を感じ取れる日がきっと来ます。
 それまではしばらく悲しみに浸ってください。元気になれない自分を許してほしいと思います。

 ……これが私が感じたこと、伝えたい言葉の全てです。


 ○ 大津波 全て失い 涙ぐむ 自分をしばらく 許してほしい


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:被災地以外の人に一つだけ言いたいことがあります。それは「喪明けをつくって普通の生活に戻ろうではないか」ということです。
 多くの日本人は義援金を送ったと思います。被災地のために何かしたいと考え、なかなか行動できないことに悔しさを感じていると思います。同時にいろいろな「楽しい」ことを自粛しているでしょう。旅行とかレジャーとか、レストランや飲み屋に行くこととかゴルフなども。
 しかし、自粛が続くとお金が回りません。すでに被災地近くの旅館は宿泊キャンセル続きで廃業に追い込まれています。レストランや飲み屋なども売り上げが半減したと嘆いています。「酒飲んでバカ言う気持ちになれない」のはよくわかります。それこそ喪に服したときと同じ状態です。
 だからこそ、被災地以外の人は自分で大震災の喪明けを決めて普通の生活に戻ろうではありませんか。震災前は買いだめ・買い占めなんかしていなかったはず。それが普通の生活です。普通の生活に戻ることが、回り回って被災者への支援になるのではと思います。(御影祐)



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