「ペットのアウシュビッツ」


○ 毒ガスで七日後には殺される 日本のペットのアウシュビッツ



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2011年 6月 28日(火)第 135号


 今号メルマガは数年前に書いていたものです。いつか公開しようと思いながら、ここまで来てしまいました。東日本大震災後の今となっては、もっと公開しづらい内容です。
 しかし、震災後百日を過ぎました。この時期なら、かえって配信してもいいかもしれないと思いました。某知事が発言してすぐ撤回した「天罰」について私なりの解釈も入っています。
 読んで不愉快になられたなら、ご容赦下さい。しかし、本音の感想です。
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 (-_-)本日の狂短歌(-_-)

 ○ 毒ガスで七日後には殺される 日本のペットのアウシュビッツ

 (-_-) ゆとりある人のための10分エッセー (-_-)


 【 アウシュビッツのペットたち 】

 最近テレビで二件記しておきたい話題が放映されていた。
 一つは「動物愛護センター」の話だ。初めて知ったけれど、保健所などで収容された野良犬、野良猫は各県にある動物愛護センターに移されるらしい。あるいは、飼い主が飼えなくなったペットもセンターに持ち込まれる。
 センターはそれらペットの世話をしながら、次の飼い手を捜したりする。

 だが、その猶予期間はたったの7日間だ。その間に新しい飼い手が見つからなければ、動物たちは《殺処分》される。その年間頭数は全国で三十万頭を超えるという。

 テレビでは職員が動物を世話する様子や苦渋の告白を映し出していた。
 収容された野良犬たちは最初に入った部屋から一日ごとに隣の部屋へ移される。仕切りの壁が上昇してすき間ができると、彼らは自らそちらへ移動する。まるでそちらへ移れば良いことが起こると思っているかのように。
 だが、それは一日ごとに迫る死への部屋替えだった。

 翌日になるとまた同じようにして隣の部屋へ移る。翌日も、翌々日も。
 そうして七日目の部屋に到着すると、もうその先はない。八日目は箱に入れられ、ガス室へ運ばれる。
 犬や猫のカメラを振り返る目が悲しい

 このようにして殺処分されるペット類は日本全国で年間三十万頭の多さにのぼるという。
 ちょっとショッキングな光景であり、情報だった。知らない人も多いのではないだろうか。

 しかし、これをしなければどうなるだろう。町は野良犬、野良猫であふれかえるのだ。
 たとえば野良猫に餌付けをしてはいけないと呼びかけているのに、餌付けをする。生き残った親猫から子猫が生まれる。拾った人が「飼ってあげたいけれど、できない」と子猫を数頭愛護センターへ持ってくる。とても可愛い。
 しかし、可愛い子猫も飼い主が見つからなければガス室送りである。

 捨てられた犬猫が病気になっていたり、年老いていれば新たな飼い主だって引き取りたくない。これも殺処分される。ガス室のボタンを押すのは職員だ。「苦しいけれど仕事だし、誰かがやらなければならない」と胸の内を明かす。

 また、ある夫婦が飼ってひと月ほどのやせ細った犬をずだ袋に入れて運んできた。
 なぜそうなったかわからない。病気だったかもしれない。
 職員と押し問答があり、ダンナは「それなら持ち帰る」と言った。だが、奥さんはさらに引き取ってほしいと主張し、職員が「引き取ると殺処分になる可能性が高いけど、いいんですか」と言うと、奥さんは「ああ……結構です」と答えた。

 このような飼い手、あるいは、飼えなくなったとペットを捨てる飼い主は一体全国に何万人いるのだろうか。いや、何十万人かもしれない。

 人は何か重大事件の被害者や天災の被災者になったとき、あるいは愛する家族が殺されたとき、「なんの罪もない自分たちがなぜこんなひどい目にあうのか」とよく口にする。そのとき「過去に罪を犯した自分には当然の報いかもしれない」とは誰も言わない。

 だが、表に出てこないだけで、罪を犯していないと言い切れる人間はいるだろうか。「あなたはかつてペットを捨てたことはないのですか。愛護センターで動物をガス室に送らせたことはないのですか」と言いたくなる。

 そしてもっと言えば、このような人間と同種・同類の私たちも同じ罪を背負うのではないだろうか。全国で殺処分される年間三十万頭の怨念と恨みは私たち日本人全体にかかってきたってなんの不思議もない。全体に天罰が下されたって当然かもしれない。

 折しも知人一家が長年飼っていた愛犬が先日天寿を全うした。柴犬で私もときどき一緒に散歩したことがある。
 ここ一年ほどは老衰はなはだしく、糞は敷地内の至る所で垂れ流し、よろよろと生きている――と友人は語っていた。
 彼は退職したこともあって飼い犬のめんどうをよく見ていた。
 私は「老犬介護ですね」と言ったものだ。

 その柴犬は捨て犬で前の飼い主があまりに吠え立てるので、口の回りに針金を巻き付けていたらしい。その傷痕は彼の顔から死ぬまで消えないままだった。
 だが、友人の娘さんに拾われ、かわいがられて天寿を全うできた。そういう飼い主もいる。

 あるいは、これに関連してもう一件のニュースが心に残った。

 ある山奥の県道を走っていた中年男性の車が二百メートル下の谷底に転落した。そして三日後やっと救助されたと報道されていた。
 男性は軽症だったが、自力ではとてもはい上がれない。携帯もなく、二日間車内で救助を待ち続けた。しかし助けが来ないまま「もう死ぬだろうと思った」と言う。
 ところが三日目、自力でなんとか車外へ出たところ、たまたま上から見下ろした通行人に発見されて助かったのだ。

 その人がインタビューに答えていた。
 なぜ谷に落ちたのかと問われ、「夜間走っていて目の前をうさぎが横切った。はねないようにと急ハンドルを切ったら落ちてしまった」と。
 彼は自分よりうさぎの命を優先して危険な目にあったのだ。だが、彼は助かった。

 この話には驚きの余談がある。警察やレスキュー隊が彼の救助をやっているとき、数十メートルしか離れていないところに、別の落下車両を発見した。そして、中には死後十日ほどの男性の遺体があったという。

 人は両者になんの関係もないと言うだろう。
 昔なら助かった人には「ウサギの恩返しがあった」と語られるかも知れない。

 だが、私は思う。車の前に飛び出したウサギを「殺してはいけない」とハンドルを切った人。動物のために自ら危険な目にあうことを顧みないような人だったからこそ、彼は際どいところで発見されたのではないかと。

 逆に発見されないまま死んだもう一人の男性はそのような罰を受ける罪を背負っていたのかもしれない。

 誰でも罪を背負っている。だから不幸はみんなにやって来る。
 だが、不幸中の幸いは一部の人にしかやって来ない。私はその人の普段の生き方次第ではないか、と思っている。


 ○ 毒ガスで七日後には殺される 日本のペットのアウシュビッツ


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)




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