○ なにゆえに子どもを元気にさせたがる 悲しい顔も受け入れたいね
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2011年 9月 30日(金)第 137号
ご無沙汰いたしております。いかがお過ごしでしょうか。
ようやく秋の穏やかな風が吹く陽気となりました(^_^)。
それにしても、今年も猛暑、猛烈残暑、そしてスコールのような豪雨、紀伊半島の台風災害など、自然の猛威にさらされました。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
さて今年後半の狂短歌メルマガ第一弾は、テレビからの話題で「被災地の子どもたちの報道」について感じたことを書きました。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ なにゆえに子どもを元気にさせたがる 悲しい顔も受け入れたいね
東日本大震災後、その都度東北被災地の惨状や復興ぶりがテレビで報道されています。
その中でちょっと心に留まった二つの話を書こうと思います。ご覧になられた方も多いでしょう。
一つは「天国からのタイムレター」と題して「津波で亡くなったお母さんから手紙が届いた」という話題です。
あるランドセルメーカーがランドセル購入時、親御さんに手紙を書いてもらい、2年後(子どもが小三になったとき)その子の元に手紙が届けられるという仕組み。東日本被災地では合わせて59通の手紙が届けられたそうです。
19日のNHK朝のニュースで、その中の一人宮城県亘理町の小三の女の子が取り上げられていました。
彼女はそのことを全く知らなかったとのこと。そして津波で母親を亡くして悲しんでいたけれど、母から手紙が来ると聞いてわくわくする思いで待っていること、届けられた手紙を読み上げる様子などが放映されていました。
その子は三人姉妹の真ん中でした。手紙にはお母さんの自筆で「あなたは家ではいろいろ大変だったけど、元気に学校へ行くので安心でした」などと書かれていました。
母親は彼女の姉や一番下の娘にも手紙を書いていました。母の激励の言葉などがあり、とても感動的な話題でした。
ただ、私はこのニュースを見て「おやっ」と思ったことがあります。
最初「亡くなったお母さんから手紙が来るなんて、きっとその子は泣くだろうな」と思いました。ところが、手紙を読んだその子に、涙が全く見られなかったのです。
彼女はとてもあっさりと手紙を受け取り、短い文章を最後まで読み上げ、てれたような笑みを見せるだけで、涙はありませんでした。
むしろ中学生の姉が、妹が手紙を読み上げるやもう涙ぐみ、自分への手紙を読むときは涙が流れてやまないといった様子でした。
3、4歳くらいの妹は全く放映されていなかったので、その子もあまり反応がなかったのでしょうか。
私は「小学校低学年ではこうした手紙とか母を亡くしたこととか、状況がまだよく理解できないのかなあ」と思いました。
その後ツイッターやブログを見ました。みんな「朝から泣ける」と書いていました。
しかし、あの子は泣かなかった。みなさんはなぜだと思いますか?
以下は私の邪推です(^_^;)。
年齢の件だけでなく、お母さんの手紙が彼女にとっては、あまりうるうる来るような内容ではなかった――かもしれません。
しかし、もうちょっと心を掘り下げてみると……
お母さんの手紙は3通ありました。とても心配りのあるお母さんだったと思います。姉にも下の妹にも手紙を書いたのですから。
姉は「えっ、私にもあるんだ」と驚いていました。
ランドセルを買ってもらったのは中の女の子だから、手紙は本来1通で良かったはずです。
あるいは、小三の彼女にしてみれば、手紙が3通あることに気づいたとき、
「なんだ。自分だけじゃなかったんだ」とがっかりしたのかもしれません。
子どもはいつだって(兄弟姉妹がいれば)自分が親から最も愛されたいと思っています。その期待が「裏切られた。やっぱり3分の1なのか」と感じたかもしれない、などと思ったことです(^.^)。
そして、もう一つの話題は数日前の民放テレビから(細部は正確ではありません)。
こちらも被災地の女の子が登場。小五か小六で三人姉妹の長女(父親がいたかどうかはっきりしません)でした。
彼女も津波に遭った。家は流されたけれど、家族は幸い全員助かった。
母親は末の子を膝に抱え、インタビューに応じて言います。
「最近長女が津波のことをあまり話したがらない。でも、夜急に泣きたくなるなどと言うので、とても心配です」と。
母はその子に「津波怖かった?」と聞く。
長女は言葉少なに「うん。怖かった……」とぽつり。
母がさらに質問しても、ぼんやりとしてその詳細を語ろうとしません。
この間彼女に笑みは全く見られず、確かにどことなく無表情で元気がありません。
おそらく母親も娘の元気のなさが気になったのでしょう、あるイベントに親子で参加することにしました。
そのイベントとは「森の力で人の心を豊かに」をテーマに、C・W・ニコル氏が主催する「森の教室」でした。森の中で仲間と遊び、ツルで作ったブランコに乗ったり、ツリークライミングと言って高さ10メートルもの木にロープを使って登ったりする。ここに東北被災他の親子が招かれたのです。
彼女はここでも最初戸惑ったかのように笑顔がなかった。しかし、そのうち木に登り、ターザンのように木の間に浮かび、ブランコに乗ると笑顔が出てきました。
ツリークライミングも最も高いところまで登れました。終わると「とても楽しかった」と言い、母親も娘の笑顔を見てほっとしたようです。
最後にインタビューがあり、ここで彼女が答えた言葉に「おや?」とひかれました。
テレビ局の人が再び「津波は怖かった?」と聞きました。
すると彼女は「津波が怖かったんじゃない。そのときお母さんや妹たちが津波で死んだんじゃないかと思って……それが一番怖かった」と答えました。
ああ、なるほどなあ、と私は思いました。
彼女は森で遊ぶことで笑顔を取り戻し、心の深い部分、その怖さを語ることができたようです。
でも、なぜお母さんに問われたとき、そう答えることができなかったのか。
みなさんはどう思われますか?
以下はまたも私の邪推です(^_^;)。
彼女は《長女》だから「お母さんにその恐怖を話せなかったのでは」と思います。
長女は下の子ができると、「お姉さん」として自立することを求められます。
たとえば母親から「私がいなくなったら、妹たちのめんどうはあなたが見るのよ」などと言われます。それも幼い頃から(^_^;)。
それは実際のところ、ほとんど冗談のようなものです。
しかし、大津波で家が流され、人が流され死ぬのを見たとき、彼女はものすごい恐怖にとらわれた。お母さんも死んだのではないか。いや、妹たちも死んでひとりぼっちになったんではないかと。「津波が怖かった」とは言える。しかし、この恐怖はお母さんに語れない。なぜなら、とても弱々しい心の表明だからです。
下手をすると「そんなめめしいことでどうするの。ほんとにお母さんがいなくなるときだってあるのよ」と叱責されかねない。だから、彼女は母親に打ち明けられなかった……のではないでしょうか。
さて、この二例――と言うか、特に後者を見たときの私の感想は「どうして大人は子どもがすぐに元気を取り戻すことを期待するのかなあ」でした。
どうしても「がんばれ、がんばれ」と言いたがる。「元気になろう」と言いたがるなあ……でした(^.^)。
すぐに作った狂短歌が以下の二首です。
○ なにゆえに元気を求める大人たち 子どもはやがて元気なそぶり
○ なにゆえに子どもに元気を求めるの 悲しい顔も許そじゃないか
みなさん方は中学校までに死体を見た体験がありますか。私は初めて見たのが中二の祖母でした。
今回の大震災では、何人もの小学生、中学生が遺体安置所を巡って親を探し、友人を探しています。子どもに死体を見せています。詳細は知りませんから、あるいは棺の上の写真かもしれません。それでも死体の写真です。彼らは累々と置かれた棺桶の中を歩き回っているのです。
きっと心は折れていると思います。すぐに元気が出るわけないではありませんか。
私は彼らが悲しい顔をすることを許し、受け入れてあげた方がよいのではないか、と思います。
子どもはそのうち親や大人の期待に応えようとして《元気なふり》をして見せます。笑顔で「がんばります」と答えたりします。
親や大人は単純だから「子どもが元気になって良かった」と安心するでしょう。
でも、それは恐怖や不安、ショックを心に閉じこめたに過ぎません。
閉じこめると、心の傷は治りません。いつかどこかでひょいと顔を出して本人を苦しめます。
森の教室や様々なイベントに出かけて元気を取り戻す活動が悪いと言いたいわけではありません。立ち直る機会になることも多いと思います。
しかし、後者の長女の例で言うなら、私は以下のようなことを思います。
長女に元気がない。夜「泣きたい気持ちになる」とつぶやいている。それなら、呼び寄せて膝に抱きあげてハグして「いいよ。思いっきり泣きなさい。泣いていいんだよ」と甘えさせることではないかと。
あまり自立を求められると、自立できない自分はダメな人間、情けない人間ではないかと思ってしまいます。
お母さんが甘えさせてあげたら、彼女はお母さんに心の奥の、本当の恐怖を語れると思います。「悲しんでもいい、甘えてもいいんだ」と自分もその感情を受け入れたとき、ようやく真の回復が始まるのではないかと思います(^_^)。
○ なにゆえに子どもを元気にさせたがる 悲しい顔も受け入れたいね
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:9月発行の予定がぎりぎり30日に間に合いました(^_^;)。実は8月から9月にかけてずっと『空海伝』を書き続け、昨日ようやく脱稿したのです。
いやー長かったです。2004年この狂短歌メルマガ開始の年――そして「明星日面通過」の年に構想を始め、足かけ7年半、やっと完成しました(^o^)。
題名は『空海マオの青春』としました。全7章、空海マオが14歳で讃岐より長岡上京、僧となり、30歳で入唐、わずか2年で密教第八祖となって帰国するまでの、謎に満ちた――そして夢を叶える前半生を描きました。
今まで誰も書いたことがない青少年時代です。我ながら「渾身の力作」の自負と自信があります(^_^)。
しかしながら、問題は原稿用紙で約900枚の長編になったこと。メルマガ同様長くなって当初予定の2倍になってしまいました。自費出版の金は尽きたことだし、どうやって出版しようかとそれが新たな課題です(^_^;)。
来年5月に8年ぶりの「明星日面通過」があります。そのときまでに出版したいのですが、どうなることやら。発表の際はぜひご一読下さい。m(_ _)m(御影祐)
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