歴史小説 「空海マオの青春」完成


○ 空海を完成させて大津波 心うるおす作品なりや?



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2011年 12月 31日(土)第 139号


 クリスマス寒波に続いて年末年始も冬将軍到来のようです。
 みなさま大晦日をいかがお過ごしでしょうか。
 本年最後の狂短歌メルマガも、なにやらかにやらいろいろあってとうとう大晦日の発行となってしまいました(^_^;)。

 それにしても、2011年は忘れることのできない年となりそうです。一千年に一度規模の大震災・巨大津波が日本を襲ったのですから。

 今年の新語・流行語は東日本大震災・原発関連の言葉が並びつつ、大賞は「なでしこジャパン」でした。
 確かに女子サッカーワールドカップ優勝は日本に明るさと希望を提供してくれました。
 また、今年の漢字一文字は「(きずな)」になりました。大震災によって家族・友人・身近な人たちとの絆の大切さを痛感することとなり、これも今年にぴったりの漢字でしょう。

 ここで私個人の漢字一文字を探すなら「了」かなと思います(^_^)。
 7年間構想を練り、書き続けてきた小説「空海伝」――仮題『空海マオの青春』をやっと完成させたからです。
 空海が真魚(まお)と呼ばれた少年期・青年期を描きました。原稿用紙969枚の……自分で言うのも何ですが、力作長編小説です(^.^)。

 さて、本年最終号に何を書こうか。大震災のその後か歴史的円高か。社会保障、医療、年金、消費税か。年末突然舞い込んだ近隣某国総書記の死去についてか。
 ……などなど書きたいことはいろいろありますが、最終号はまことに個人的な話題で恐縮ながら、私の一大プロジェクトであった『空海マオの青春』執筆完了について書きたいと思います(^_^;)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 空海を完成させて大津波 心うるおす作品なりや?

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【『空海マオの青春』完成 】

 一千年に一度規模の大震災・巨大津波の年に、ようやく空海伝を完成させた。それはあくまでたまたまであり、大震災と何の関係もない。そう思いつつ、まず詠んだ狂短歌は《空海を完成させて大津波 そのつながりを深く考える》でした。

 空海伝完成と大震災――全くつながりがないかと言うとさにあらず、関係ある大きなテーマがあります。それは《肯定》ということです。

 私は『空海マオの青春』を通じて、人生をいかに肯定するか、現在をいかに充実させ、ひとりひとりが抱く夢に向かって突き進むか――それを描きました。
 逆に言うと、空海がそのような青春時代を送った(とわかった)からこそ「空海を描こう」と思ったのです(^_^)。

 ある時期から、私は人生とは過去や現在を肯定できるかどうか、それが大きな意味を持っていると考えるようになりました。
 私たちが生きていく上での様々な苦しみは《否定》と関係していることに気づいたからです。つまり、過去や現在を否定することが苦しみや悩みの原因になっているということです。

 たとえば、現在健康で安定した生活を送り、仕事に満足している人なら、現在を肯定できるでしょう。過去の良い選択、良い出来事があったから今がある、と思って肯定できると思います。
 しかし、そのように思える人はごく少数で、多くの人は不安定な生活だったり、仕事や境遇に何らかの不平不満を抱えています。家族がいれば、夫婦間、親子間など様々な問題があって、そう簡単に現在を肯定できるものではありません

 しかも、その原因が過去の事件、過去の選択や決断にあると思えば、「あのときああすれば良かった」とか「こっちの道を進んだけれど、あっちに行けば良かった」など愚痴やぼやきとなって飛び出します。それはつまり過去を肯定できない、否定しているということです。

 そうして過去を否定し、現在を否定し続けていると、未来も「良いことが起きる」とはなかなか思えません。どうしても悲観的になって未来も否定するようになる。そして「生きていても仕方がない、いっそ死んだ方がいい」と流れがちです。

 日本では年間三万人もの自殺者が出ます。おそらく過去を否定し、現在を否定し、未来に絶望したとき、自死の思いにとらわれるのだと思います。
 あるいは、死にはしないけれど、希望も夢も持てず、今を生きる喜びもなく、ただ淡々と生きているだけ……という人も多いでしょう。

 被災地の仮設住宅に避難した人たちの中からも、同じような言葉が漏れています。「こんなに苦しむなら、あのとき津波に飲み込まれて死んでしまった方が良かった」と。

 これは家族を失って生き残った人に、一度はやって来る感情だと思います。それを乗りこえるのは簡単ではなく、まず必要なものは時間です。身体に負った傷が治るのに時間がかかるように、心の傷だって治るには時間が必要だからです。
 しかし、時間と同時に必要なもの、どこかで踏ん切らねばならないこと――それこそ悲惨な事態を肯定できるかどうかです。それも心から肯定できるか。

 理屈では災害で家族を亡くし、家を亡くし、仕事を失った。それにとらわれ拘っていても、明るい未来、明るい展望は開けない。だから、起こったことは肯定して新しい気持ちで生きねばならない――誰しもそれはよくわかっている。わかっているけれど、なかなかその気持ちになれない。それが実状だと思います。

 それは所詮この言葉が理屈だからでしょう。心から過去や現在を肯定する必要があるのです。つまり、感情が「その通りだ」と納得してようやく過去や現在を肯定できるようになるのだと思います。

 これは被災地にとどまらず、平穏な日常で愛する人を失ったときの感情でも同じです。
 私の友人に最近お母さんを亡くした人がいます。友人は独身で六十代半ば、お母さんは亡くなったとき九十七歳でした。大往生――と言える逝去だと思います。お母さんはここ十年ほど介護施設に入所して、友人は毎日のように施設に通い、洗濯や食事の介護をしていました。

 しかし、友人は父親を早くに亡くし、母子の二人暮らしが長く続いたこともあって老母の死を大往生などととても思えないようです。彼は喪失感に打ちひしがれ、母親がもっと元気だったときに「どうしてああしなかったのか、こうしなかったのか」と嘆き、後悔と自責の念にとらわれています。

 この言葉は被災地で生き残った人たち――特に家族を失った人たちと共通の思いでしょう。
 津波に飲み込まれ、年老いた母の手を離した息子がいます。別々の車に乗って避難したら、もう一台が流されて行方不明になった、一緒に逃げれば良かったと悔やむ、あるいは目の前で子どもが亡くなったなど、あのときああすれば良かった、こうすれば良かったと後悔ばかりが沸き起こる……。「失ってみてはじめてその大切さがわかった」という言葉もあります。しかし、気づいたときにはもう遅い。あまりにも圧倒的な自然の力を前にして自分たちのひ弱さ、力のなさを感じざるを得ません。

 そのような過去や現在をどうやって肯定するか。私は『空海マオの青春』の中でそれを描きました。それは空海が十代、二十代でたどった心の軌跡であり、空海が到達した密教の最終境でもありました。
 長くなるので今号では詳しく書きませんが、来年少しずつ語っていきたいと思います。

 私は母を亡くした友人が「あれができたはず、これができたはず」と悔悟の気持ちをうち明けたとき、「それが精一杯のことで、そのときそれ以上のことはできなかったのではないですか」と言いました。さらに「亡くなったお母さんはそれをわかっていたのではないでしょうか」とも。
 友人は怪訝そうな顔を見せました。しかし、過去の選択や行動が精一杯のことなら、肯定するしかないと思うのです。


 ○ 空海を完成させて大津波 心うるおす作品なりや?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:2012年の年賀状にはこの狂短歌に続いて以下の文言を書きました。
 ――2004年に構想を始めてから足かけ7年。やっとエンドマークを打ちました。今年中の出版を目指していますが、なにしろ原稿用紙969枚の長編です。どうなることやら。本作は空海前半生の謎を解き、空海が到達した境地をわかりやすく描こうとしたものです。悲惨な現実をどうやって受けとめ、受け入れるか。その足がかりとなるのでは……と思っています。――
 読者各位の2012年がよい年であることを祈念して大晦日の配信を終えます。m(_ _)m(御影祐)




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