「自信と誇り」


○ 「こんにちは」誘導係の男性が かけた言葉に自信と誇り



|本文エッセー | 狂歌ジンセー論トップ | HPトップ|


    予告 御影祐の最新小説!
    書 名=『 空海マオの青春 』――弘法大師空海の前半生を描いた長編歴史小説
    2月7日(月)より《まぐまぐ》にて無料メルマガ公開



ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2012年 1月 25日(水)第 140号


 寒中お見舞い申し上げます。いかがお過ごしでしょうか。
 日本全国ぶるぶる列島です。とうとう関東も昨日雪が積もりました。
 ある気象予報士が「冷蔵庫の中にいるようなものです」と言っていました。
 なるほどそうかと思ってみても、やっぱり寒いですね(^.^)。

 さて、2012年巻頭を飾る狂短歌人生論は、最近体験したささいな出来事から「自信と誇り」について考えてみました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 「こんにちは」誘導係の男性が かけた言葉に自信と誇り

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 自信と誇り 】

 ささいな体験の前に、まず完成した「空海伝(『空海マオの青春』)」の経過報告です。
 完成原稿を出版数社に送付して「素晴らしい作品だからぜひ出版してもらえないか(^_^;)」と交渉しました。
 ずぶの素人ではなく、すでに三冊本を出した自負もあってどこか引き受けてくれるのではないかと思いました。

 しかし、世の中そうは甘くなく、無名作家の長編を「ああいいよ」と気軽に出版してくれるところはありませんでした。
 一社だけ「著者の費用分担を受けるなら出してあげます」との返答を得ました。

 実は「ケンジとマーヤ」の二冊、『狂短歌人生論』もそうして出版しました。私の負担は書きませんが、百万単位の結構な金額です。そのときはぜひ出したかったし、金もありました(^_^)。

 しかし、それから5年がたち、さすがに無収入貯金食いつぶし状態も底を尽き、出版費用に回せる余裕がなくなってしまいました。むしろ「そろそろバイトか普通の仕事に就く必要がある」ところまで追い込まれています(^_^;)。

 それに今から出版に向けた作業を始めても完成するのは半年後。目標としていた「5月出版」を果たせそうにありません。
 こちらはここまで完成を遅らせた自分の責任なので、出版社にはなんの関係もありません。
 なぜ5月出版を目指したかと言うと、今年は8年ぶりに「金星の日面通過」が生起します。それが6月5日で、次回は105年後です。つまり、今世紀最後の日面通過であり、その日が近づくとマスコミが盛んにこの件を取り上げると思います。

 空海は室戸岬の修行中、明星が自分の口に飛び込む神秘体験を得ています。それが二十代初めのころであることはわかっています。しかし、何年だったか特定されていません。
 私はそれが空海23歳のとき(797年)であり、「金星の日面通過が起こった年だった」と結論づけました。
 これは私の空海研究における最大の発見であり、そのことも含めて小説化しました。よって5月に本が出ていれば「最高の宣伝になって我が空海伝は一気に注目される」と思っていたのです(^_^;)。

 そんなわけで、出版できないとなれば、後はできるだけ多くの人の目に触れるよう、メルマガにして公開することにしました。

 以上空海伝経過報告です。それを受けて以下本題です(^_^)。

 私は『空海マオの青春』を通じて、不如意な状況、いやな出来事、不安や恐怖をいかに受け入れるかを描きました。それこそ空海が到達した境地であり、中心のキーワードは《全肯定》です。全て無いものとして、あるいは全て清らかなものとして受け入れる――それが全肯定です。
 この理屈から言えば「空海伝を出版できなくなった」ことは素直に受け入れるべきものであります(^.^)。

 しかし、とは言え私も人の子、心中穏やかではありません。
 作家希望で小説を書いている人、文学賞に何度も何度も投稿して落選する多くの人が思うように、私も「どうしてわかってくれないのだろうか」とか「結局自分の作品は評価してもらえず、価値のないものなのだろうか」などといった暗い感情にとらわれます。
 全て肯定する――は理屈であって感情的にはなかなか受け入れられるものではありません。

 そのような思いを感じつつ過ごしていた先日のことです。昼食後近くのスーパーに歩いて買い物に行きました。その帰り、神社近くの細道を歩いているとき、意外な人、意外な事態に出会いました。

 細道の出口には「工事中」の看板が立ち、誘導係の男性が立っていました。狭い道なので看板は道の半分をふさいでいます。
 私が歩いてきた道には工事がなかったので、おやっと思いました。どうやら途中で別れている別の道が工事中だったようです。

 ちょうど向こうから年輩の女性二人が細道に入ろうとするところでした。
 誘導の男性ははっきりした声で「向こうで工事が行われています。気をつけてお通り下さい」と言います。
 二人のうち年寄りの女性が「ああ、ありがとうございます」と応じました。

 その後私は二人とすれ違うようにして誘導係のそばを通りました。
 すると彼は「こんにちは」と、私に声をかけたのです。
 私はちょっと戸惑ったものの、歩きながら「……こんにちは」と応じました。

 彼が発したのはその一言だけでした。私は工事中の道から出る方だから、それ以上の言葉は必要なかったのです。
 それはちょっと意外な「こんにちは」でした。
 と言うのは誘導係の人と挨拶を交わすことは多くなく、むしろ黙ってすれ違う方がほとんどです。だから、挨拶されると思っていなかったのです。

 さらに、もっと驚いたのはその「こんにちは」でした。
 彼は明るく大きな声で、なおかつ腹の底から出したと思われる声で「こんにちは」と言ったのです。
 その声はとても明晰(めいせき)で力に満ちており、(妙な表現ですが)心の芯から「こんにちは」の思いをこめ、身体全体で「こんにちは」の声を発した――そのように感じられたのです。

 男性は六十代くらいでした。定年退職後の仕事かアルバイトだと思います。
 私もすぐに「こんにちは」と応じました。しかし、歩きながらであり、彼の顔をまともに見ることもなく、ややうつむきかげんだったことを覚えています。そのときの不如意な気持ちが反映されたのでしょう(^_^;)。

 私はその場を離れながら「ああいいなあ」と思いました。
彼はきっといい生き方をしているだろう。そして誘導係の仕事に自信と誇りを持っているに違いない」と思いました。

 そこは細い道だから、誘導と言っても人が通るとき「注意してくれ」と伝えること、進入しようとする車に「迂回路を教える」こと――それくらいしかないでしょう。必要な仕事だけれど、いなくても構わない程度。事実看板はあっても、誘導係がいないところは何度も経験があります。

 誘導係の仕事は若ければ腰掛けであり、年輩ならば小遣い稼ぎでしょうか。
 私はやったことがありませんが、結構大変な仕事らしいです。一日中立ち続けだからしんどいし、苦情や文句を言われることも多いようです。しかし、外部から仕事として眺めるなら、(失礼ながら)「全身全霊、命をかけてやる仕事」とは思えません。人も車も来なければ、のんびり立っているだけです。人によっては生活のため、仕方なくやっている仕事かもしれません。
 ところが、その誘導係の男性は――「こんにちは」の声を聞く限り、「この仕事に全身全霊、取り組んでいる」ように思えました。

 私はいまだかつてそのように自信に満ちた「こんにちは」の声を聞いたことがありません。
 かつて高校教員だった頃、他の先生方から聞いたことはなく、他ならぬ私自身もそのような声の調子で「こんにちは」と言ったことがありません。

 彼は誘導係の仕事に自信と誇りを持っている。あるいは、仕事に対して、人生に対していつでも自信と誇りをもって生きてきたのではないか。そのように感じます。
 それゆえ定年退職後に始めた誘導係の仕事にしても、決して軽視することはない。大したことのない仕事だからと、いいかげんにやることもない。ひたすら真面目に全身全霊打ち込んでいるのではないでしょうか。

 私は家に向かいながら、心が軽く暖かくなるような気がしました。ちょっとうるっと来ました。
 どんな仕事であっても自信と誇りをもってやること。他人の目を気にせず、今をありのままに受け入れて夢を追い続けること。なんだか空海の《全肯定》を実地で実践しているような人を見た気がして……自分はまだまだ修行が足りぬ、と思った次第です(^_^)。


 ○ 「こんにちは」誘導係の男性が かけた言葉に自信と誇り


=================================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本文で書いたように『空海マオの青春』原稿はメルマガで公開することにいたしました。この狂短歌メルマガにしようかとも考えたのですが、さすがに狂短歌と全く関係ない歴史小説ですので、別に小説版メルマガを新規設定することにしました。もしよろしければ、そちらに読者登録してお読みいただけたらと思います。携帯からも可能で、もちろん無料です。次回詳細を報告いたします。(御影祐)




次 へ

ページトップ





狂歌今日行くジンセー論 トップ

HPトップ



Copyright(C) 2012 MIKAGEYUU.All rights reserved.