「二つの時空を体験する」


○ あり得ない二つの次元を目の当たり いずれもやなこと良いことがあり



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2012年 3月 20日(火)第 142号


 以前このメルマガで書いたり、自著『ケンジとマーヤ』二巻の大きなテーマであった二つの時空――我々の前にA、B二つの道があったとき、一体どちらに進むか。
 普通Aの時空に進むと、Bの時空に進んだらどうなったか知ることはできません。

 ところが、先日私はあるところで、この二つの時空を同時に眺めるというまか不思議な体験をしました。私はAに進んだのに、Bも同時に目の当たりにしたから驚きです。
 そして、いつものように些細な出来事ながら、人生の深〜い真実も感じたのです(^_^)。
 今日はそのお話です。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ あり得ない二つの次元を目の当たり いずれもやなこと良いことがあり

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 二つの時空を同時に体験する 】

 ある日あるところで、私の目の前に右に行くか、左に進むか二つの道がありました。
 ちょっと迷ったものの、私は左を選択して進みました。このとき右に行ったらどうなったか、決して知ることはできません。

 ところが、私は右に進んだ場合どうなったか、結果を知ることができたのです。
 さすがに「同時に体験する」は大げさですが、まるで実体験したかのように、間違いなく「そうなったであろう」と推測できました(^_^)。

 この種明かしはとても簡単で、要するに私は友人と一緒に分かれ道に立っていたのです。そして私は左に、友人が右に進んだのです。
 翌日友人から、私がもし右に進んでいたら「こうなっていたよ」とその顛末(てんまつ)を聞かされたのでした(^.^)。

 まず何があったか、説明します。
 私と友人はある日曜日、共通の友人の個展に出かける約束をしました。個展は我々の住むM市から一時間ほど離れたE市E駅近くのギャラリーであります。そこで私と友人はお互いの中間点にあたるAという私鉄の駅で落ち合って出かけることに決めました。

 私はHというところに住んでいます。まずJRでA駅まで行き、そこで友人と落ち合うと、昼食を摂ってからE行きの私鉄急行に乗って出発しました。彼はパスモを使い、私は(古い人間なので)普通に切符を買いました(^_^;)。
 そしてB、Cを通ってJRと交差するD駅からさらに30分ほど移動してE駅で降りました。そこから20分ほどてくてく歩いて個展会場に着き、作品を眺めるとまたてくてく歩いてE駅に戻りました。午後3時頃でした。

 ところが、帰りの急行電車に乗った途端、BとC駅の間で人身事故があって全線停止となったのです。これは困ったと思いました。
 幸い10分ほど待つとすぐに折り返し運転が始まり、乗った電車はC駅まで行くことになりました。Aから先は向こうの折り返し運転が開始されると放送があります。しかし、BC間の復旧がいつになるかは「わからない」と言います。
 友人は「まずいなあ。Aまで行けないじゃないか」とつぶやきました。友人はA近くに住んでいるから、必ずAまで戻らねばなりません。「バスはどうか」と聞くと、「CからAに向かうバスは少ないんだ」と言います。

 しかし、その直後「さらにA駅まで行きたい方はC駅から別の私鉄に乗り換えれば、M駅でA駅行きの電車があるのでそれを使ってください」と放送がありました。
 これでちょっと遠回りとなるものの、A駅まで電車で行けます。友人はとにかくAまで戻れることになってほっとしたようです。こうした緊急時の際、私鉄間の協定によってA駅までの運賃は変わりません。

 ここで私の方はどうしようかと考え始めました。
 というのは遠回りしてA駅まで行かなくても、D駅でJRに乗り換える方法があるからです。D駅はJRと接続しており、そこからH駅行きの電車があります。
 ただ[A→H]間のJRは複線であるのに対し、[D→H]間は田舎の単線路線で一時間に2、3本しか走っていません。到着時刻によってはかなり待たなければならないので、迷うところでした(このとき私はもう一つあることを忘れていました)。

 友人といろいろ語りつつD駅に着いたとき、私はCからM駅を経由してA駅(さらに乗り換えてH駅)に向かうのは時間がかかりそうだと思いました。そこで友人と別れ、D駅で降りることにしました
 こうして友人は[D→C→M→A]と一貫して私鉄の道を進み、私はD駅からJRでHへ向かったのです。
 ここが二つの分かれ道でした。

 D駅で降りてJRに乗り換えたとき、二つのことがわかりました。
 まずH行きの電車はたった今出たばかりで、次はこれから20分後であること。ちとがっかり(-_-)。
 なおかつ精算してみると[D→C→M→A→H]の料金より[D→H]の方が100円高いことがわかったのです。
 さらにがっくし(-_-;)。

 実はADH三つの駅はHを頂点とする二等辺三角形のようなものなので、私から見ると、[A→H]も[D→H]も同じような距離感覚なのです。しかし、首都圏では首都圏料金と地方料金で格差があるので、このような料金の違いが起こったわけです。

 私はこのことを忘れていたので「しまった」と思いました。もしも友人と同じ経路を取っていたら、追加の100円増がなかったからです(^.^)。
 高が100円と言うなかれ。単線だから待ち時間が長いことが予想されたので、(このときの私の心情としては)「時間はかかるは、金はかかるはでさんざんじゃないか」だったのです(^_^;)。

 かくして私はD駅で20分も待ち、なおかつ100円余計に払い、しかも離合の待ち時間は長いし、H駅に到着した頃は5時になっていました。
 H駅に降りたときはぐったり疲れた気がして「金は余計に払ったし、時間もずいぶんかかってしまった。あいつと一緒にA駅まで行った方が良かったかなあ」と思いました。
 もし私が一人で行動していたら、[D→C→M→A→H]の路線を進んだらどうなったか、全くわからなかったでしょう。しかし、今回は友人がその道を進んでいます(^_^)。

 そこで私は翌日友人と連絡を取って「そちらはどうだった?」と聞きました
 すると友人は「D駅でJRに乗り換えて正解だったよ。C駅から別の私鉄に乗り換えるとき、払い戻し精算機の前は長蛇の列だった。自分はパスモを持っているからすぐ乗り換えられたけど……。それにその後の乗り換えも時間がかかって結局A駅に着いたのは4時40分くらいだった」と言います。

 私が4時40分にA駅に着いていたら、そこからJRに乗り換えて15分ほどでH駅に着きます。つまり、D駅乗り換えでH駅に着いたのとほとんど同じ時間に帰り着いたことになります。
 しかし、私の場合時間がもっとかかるのは確実です。友人はC駅から別の私鉄に乗り換えるとき、料金精算をしなくてすむパスモを持っていました。けれども、私は普通の切符ですから、精算の長い列に並ばなければなりません。おそらく20分から30分はかかったでしょう。
 そのとき私は「なんだよ。こんなに時間がかかるなら、D駅で乗り換えてJRにした方が良かったなあ……」と思ったに違いありません(^_^;)。

 結局、まとめるとこういうことになります。
 私が友人がたどった右の道を進めば、余分な金は取られなかったけれど、時間は大幅にかかった。私が選んだ左の道の方は、時間は(比較的)少なくすんだけれど、100円余計に取られた……と(^_^;)。

 ここで「人生の深〜い真実を見た」と思ったのは《結局どちらを選んでも、同じではないか》ということです。いずれを進んでも良いことがあり、いずれを選んでも悪いことがあったのだから。
 右の道の良い点は追加の100円負担がないこと、左の道の良い点は時間が少なくてすむこと。右の道の悪い点は時間がかかること。左の道の悪い点は追加の100円を取られたこと(^.^)。
 たとえば、鉄道で各停を使うか、急行や特急、新幹線を使うか。自動車を使う場合、一般道を行くか、高速を走るか。かかる時間を短くしようと思えば、金を払って新幹線や高速を使います。つまり、時間を買っていると言ってもいいでしょう。それと同じ事が今回起こっていたのです。

 以前メルマガ第6号に書いた『分かれ道』(2004年3月3日発行)の狂短歌は以下のようでした。

 ○ 分かれ道右へ行こうと左でも未来を読めば良いことが待つ?

 このときも今回と似ており、ある分かれ道で右へ進んだら、ぬかるみにはまって靴をべっとり濡らす悪いことがあった。しかし、その後困った人を助けて気持ちのいいことが起こった。もし左に進んでいれば、靴を濡らすことはなく、叔父の家に着いて歓待されただろう。しかし、叔父の家に着くまでは飼い犬がわんわん自分に吠える悪いことが待っている……。
 当時の私は「どちらに進んでも良いことがある。それを見通そう」との趣旨で書きました。これは前向きの人生観と言えますが、人によっては「無理矢理思いこんでいる」と取られなくもありません。

 しかし、今回思うことは――ABどちらに進んでも同じだということです。どちらに進んでも良いことがあるし、悪いことがある。悪いことばかりではないし、良いことばかりでもない。
 ならば、自分が選択した道で悪いことが起こったとしても、さほどがっかりする必要はない。「あっちに行けば良かった」と嘆く必要もない。そっちに行ったとしても同じように悪いことが起こるのだから。要するに、深くまた大げさに言うなら、人生とはどちらに進むも同じ善し悪しなんだな……などと考えたのでした(^_^)。


 ○ AとB二つの道を迷うけど どちらに行くも同じ善し悪し


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(御影祐)



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