「ハムおばさんの充実」


○ スーパーの試食販売一千個! 見返りなくともがんばるわけは?



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2012年 4月 20日(金)第 143号


 四月――入学・入社のシーズンを迎えました。
 今年は寒い日が続き、桜の開花がかなり遅れたようです。それでも東京の桜はすでに散り、今は春後半の花々が咲き誇っています。
 表通りはでっかいランドセル背負った小学1年生や新入社員とわかる黒スーツの若者が歩いています。どこか足早の動きは彼らのわくわく感を表しているように見えます(^_^)。

 そんな旅立ちのとき、私は部屋の中で「さて狂短歌メルマガに何を書こうか」と考えました。素案はいくつかあるのですが「この時期にふさわしいものを」と考えるとすんなり決まらないのです。
 しかし、一昨日夕方のテレビで素晴らしい女性が取り上げられているのを見ました。TBS5時の情報番組[Nスタ]で「密着!ハムおばちゃん 伝説の試食販売員」と題した特集です。
 スーパーなどで試食販売をするあるおばさんが「1日一千個売ったこともある」伝説の試食販売員として紹介されていました。
 見た人がいらっしゃるかもしれませんが、[働くことの意味]を考える上で四月にぴったりと思って取り上げることにしました。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ スーパーの試食販売一千個! 見返りなくともがんばるわけは?

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 ハムねえさんの充実 】

 数日前夕方のテレビで、ハムを試食販売するおばさんが紹介されていた。
 彼女が売るのはハムやソーセージにベーコンなど。大きなスーパーでよく見かけるように、彼女もその場で調理したハムやソーセージを試食してもらい買ってもらう。

 ごく当たり前の情景だが、彼女がわざわざ取り上げられたのには理由がある。
 その人は「伝説のハムおばさん」と呼ばれ、売り上げは常時百ヶ以上、最大一千ヶ売り上げたこともあるという。
 番組はその秘密を「魔法」として紹介していた。それを一言でまとめれば、工夫とおばさん特有のレシピにあると思った。

 魔法その1は午前中の販売――客もまばらで試食コーナーに立ち寄る客も少ない。
 すると彼女は野菜売り場を回ってその日の特売野菜を買う(自腹かもしれない)。それを使ってハムやソーセージ入りの料理を作り客に勧める。
 客は大概特売野菜を買っているので、試食すれば「おいしい! 私も同じものを作ってみよう」てなことになり、ハムを買って売り上げ増。ほーほー。

 魔法その2は新製品の生ハム売り。
 夕方は客が多く試食売り場も大混雑。しかし、彼女は客の対応に追われて生ハム用の試食を作れない。客はいつものハムソーセージは買ってくれるけれど、生ハムに全く手が伸びない。
 そこで彼女はカセットテープに「呼びかけの声」を吹き込み、売り場でそれを流す。一人二役作戦である。そして自分は生ハムを使った試食品を作る。それが豆腐を小さく角切りにして生ハムで包むレシピだった。豆腐がチーズのような食感で絶品(と好評)。生ハムが一気に売れた。

 また、彼女はタルタルソースなども自分で考えて作っている。自宅に帰ってソースを試作する。あるいは本屋で立ち読みをして季節にあったレシピを考える。
 たとえば、タマネギのみじん切りとマヨネーズにケチヤップをたっぷりかけたソース。簡単だけど、見ていて「ええっ」と思えるようなソースだ。
 ところが、その簡易「サルサソース」はソーセージにとても合うようで、客は「おいしい(^o^)」と笑顔。ソースのレシピを教えて売り上げ増。ふんふん。

 魔法その3は「斜め45度の視線」。
 客が試食売り場に近づくと、彼女は斜め45度の視線でカートの中をちら見する。もちろん何を買っているか確認するためだ。そこに蕗があれば、「フキはどうやって食べていますか」と声をかける。客は「煮るくらいかなあ……」の返事。すると彼女は「こうするとおいしい、こんな食べ方もありますよ」とレシピを教える。
 それはハムソーセージと直結しないこともあるだろう。しかし、新しいレシピを教えられて嬉しくない客はいない。次はおそらくハムソーセージを買ってくれる……なるほど(^_^)。

 そのハムおばさん、年の頃は四十前後。ふくよかでペコちゃん人形のようなお顔立ち。優しさそうな感じだし、もう結婚して小学生くらいのお子さんがいるように見えた。
 そうしたら私生活も公開されてまだ独身だという。世の男はホントに女性を見る目がないなと思った。私だったらすぐにでも「交際してください」と申し込みたいと思った(^_^;)。

 こうしてハムおばさん売り上げ増の秘密はわかったけれど、不思議な感もあった。彼女はどうしてそんなに熱心に働くのだろうかと。
 失礼ながら、試食販売とは片手間にやるバイトのような仕事だと思っていたし、スタッフが質問したように、私も「当然歩合制なんですよね?」と思った。

 ところが、試食販売は歩合制ではなかったのだ。
 彼女は「百ヶ売っても、一千個売っても給料は同じなんです」と答えた。

 これにはちょっと驚いた。
 今の世の中、歩合制でない仕事で、かくまで一生懸命働く人がいるのだろうかと思った。

 この「百ヶ売っても千個売っても給料は同じ」という制度は、能力の高い人、彼女のように工夫をして売り上げ増に貢献している人の気持ちを萎(な)えさせ、「一生懸命働いたって何の見返りもない。やめたやめた」と思わせる制度だ。
 だから、多くの企業は歩合制を導入して販売・営業担当者に「がんばれば、がんばっただけ収入が増えるぞ」とはっぱをかける。

 話はちょっと大げさになるけれど、社会主義が崩壊した理由の一つに「百ヶ売っても千個売っても給料は同じ」制度がある。働く全員に売り上げ百ヶ分の給料が渡されるのが社会主義制度だ。すると人はどうなるか。

 一日百ヶ売る人はまー普通として取り立てて思うことはないかもしれない。しかし、一千ヶを売る人は「こんなに苦労して一千ヶも売っているのに、隣の百ヶしか売れないやつと同じ給料かよー」とがっかりする。あるいは、一生懸命米や野菜を作って国に納めたのに、返ってくる配給品は少ない米と貧弱な野菜(-_-;)。
 それが十年続くと「適当に働けばいい。働かなくても配給がある」なんてことになる。それが国全体の労働意欲低下となって生産力がどんどん落ちる……。
 だから、[社会主義国]中国もこの制度をやめた。いわば歩合制を導入することで、人は働く意欲を取り戻し、税収が増え国は豊かになっていった。元からの資本主義国である日本や欧米はもちろん昔から歩合制を導入している。

 この歩合制――能力の高い人にとってはとてもありがたい制度であり、働く意欲を大いにかき立てる制度だ。

 がしかし、どんなにがんばっても百ヶ、あるいは五十ヶしか売れない人にとってはとてもきつくて辛い制度でもある。
 多くの営業マンは歩合制で、毎月の販売実績がグラフ化され、壁に張りだされる。当然トップがいればビリもいる。当然競争が起こる。一千ヶ売る人がいれば、二百ヶしか売れなかった人は自信をなくすだろう。「一日最低百ヶは売ってください」がノルマにされると、一日五十ヶの人は「給料泥棒」などと言われたりする(-_-;)。
 あるいは、二百ヶ売る人は最低百ヶの基準からすると基本の二倍がんばっている。しかし、千ヶから見れば五分の一に過ぎない。五百ヶ売る人がぞろぞろいると「お前は二百ヶしか売れない無能者」とののしられるかもしれない(T_T)。

 これは学生時代、テストでいつも30点しか取れなかった生徒が「とてもがんばって60点取った」ときと似ている。そのときの平均点が80点だと、親も先生も「すごいね」とは言ってくれない。
 やがて働く人たちは二分化し、多く売れない人は働く意欲をなくしてドロップアウトする。劣等生が勉強意欲をなくすのと同じだ。
 だから、歩合制でない、みな公平に同じ給料――という制度は能力のあまり高くない人、がんばれない人にとっては安心できる仕組みだ。

 しかしながら、先に触れたように「全員同じ給料制度」は働く意欲を低下させる。見返りがないと、我々はなかなか一生懸命に働こうと思えないからだ。「全員同じ給料下でどうやって意欲をかき立てるか」――これは(またちょっと大げさな言い方ながら)私の根本的テーマであり難題だった。
 ハムおばさん、この難題にあっさり答えていたから驚いた(^_^;)。

 取材スタッフが「給料が変わらないのに、どうしてそんなに一生懸命働くんですか」と聞いた。

 この質問に答えてハムおばさんは言った。
「その日売り場にある百ヶのハムが売り切れると、ああやったーって思う。それが楽しくて仕方ないんです。だから工夫するし、一生懸命売ろうと努力するんです」と。

 要するに、答えはとても個人的レベルだった。会社のためではないし、給料を上げようとするのでもない。そもそも一千ヶ売っても歩合はない。彼女は「一千ヶも売るんだから、給料を上げてくれ」との要求もしていないようだ。

 ハムおばさんが言ったのは一つの仕事、一日の労働をやり遂げる達成感だろうか。
 彼女は見返りとしてのお金ではなく、あくまで自分の心の達成感、充実感を試食販売のエネルギー源としていたのだ。言うならば「自分が満足するために一生懸命働いている」と言えようか。

 しかも、それが単なる自己満足に終わっていない点も見逃せない。
 彼女はこうも言った。
「自分が工夫したレシピを教えると、お客さんがおいしいと喜んでくれる。それを見るとこっちも嬉しい(^o^)」と。
 そこには人――社会とつながっている充実感もある。自分が工夫したこと、いろいろ考えてやっていることを、受け入れ評価してくれる人がいることだ。
 この仕事をやって人が喜んでくれる。そこでますます工夫してレシピを考える。するとまたお客さんが喜ぶ。自分も嬉しい……。
 確かにこれほど楽しくて充実した人生はないだろう。ハムおばさんが「試食販売は楽しいんです」と笑顔で言うのもよくわかった。

 私達は働くとき、誰かに、何かで評価されたいと思う。端的にはがんばった分だけ返ってくるお金がそれにあたる。
 しかし、がんばったことで上司から「よくやったな」と言われることもお金以上に充実感を覚える。ハムおばさんがあそこまでがんばれるのは客との交流にあるんだなと思った。
 彼女の売り場でよく買っている客のおばあさんが「あの人は単なる試食販売じゃない。心がこもっているんだ」と言った。ハムおばさんにとって最高の誉め言葉だろう(^_^)。


 ○ スーパーの試食販売一千個! 見返りなくとも達成感


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記: 以前このメルマガで「飯炊きを天職とするおじさん」(2004年2月11日「第3号」)について書きました。
 読み返してみたら、ハムおばさんとの共通点が多々ありました。ハムおばさんも試食販売が天職なのかもしれません(^_^)。

       参考→ 「天職について」(2004年2月11日号)



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