「駆け込み退職」その3


○ 後悔をしないためには 後先を 考えつつも 今の充実



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2013年 3月 1日(金)第 152号


 引き続き「駆け込み退職について」続々編の公開――ながら「続々々編」はなくこれで終わりです(^_^;)。

 今号の最初に作ってボツにした狂短歌をまず紹介します。

 ○ 先生は「人格者です 聖職者」……そう言っといて石投げつける

 それが最後は以下のように変わってこちらを採用しました。

 ○ 後悔をしないためには 後先を 考えつつも 今の充実

 今号も長いです。しかし、この変遷ぶり(^.^)を味わってください。私の授業風景も登場します。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 後悔をしないためには 後先を 考えつつも 今の充実

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)


 【 駆け込み退職について(続々)】

 前号では「駆け込み退職とは退職金の損得ではなく、働く者として《そこで続けるかやめるか》という選択の自由を行使したに過ぎない」と述べました。
 その後私は全く別観点でこの駆け込み退職について考えました。敢えて《損か得か》についても語りたいと思います。
 とても下世話で現実的な話題ながら、駆け込み退職者を含めて3月末に定年退職を迎える方々は「この退職金をどのように使うだろうか」と想像してみたのです。どうも使わないような気がして仕方ありません。

 その前に話はちょっと逸れてかつての授業のヒトコマをまず紹介します(^_^)。

 以前安部公房の『赤い繭』を授業でやったとき、生徒に「宇宙にはエネルギー普遍の法則というのがある。実は人生にも同じような法則があって私たちは何かを得たときに何かを失っており、何かを失ったときには何かを得ているんだ」と話したことがあります。
 こう切り出すと、生徒はきまって「なにそれ?」の顔を見せたものです。

 『赤い繭』は原稿用紙にして数枚の超短編小説ながらなんとも不思議な小説です。家を求めて町をさまよう浮浪者が最後に自分の身体から糸を絞り出して繭となり、ようやく落ち着ける家を得た――との内容。ところが、家を持ったのはいいけれど、今度はそこに住むはずの自分自身がいなくなってしまったというのがオチです。
 私は「人生って何かを得たときには何かを失っており、何かを失ったときには何かを得ている。たとえば、1億の宝くじが当たったら嬉しいよな。突然思いもかけない大金を得たわけだ。でも、友情を失う可能性が高い」と話します。
 生徒はやはり不審顔(^_^)。

 そこで一人の男子生徒A君、そして彼と仲のいいB君を指名して次のように問いかけます。
「君と彼は普段から仲がいい。一生付き合うような友達になるかもしれない。さて、君に宝くじが1億円当たったとしよう。君は普段から仲のいい彼にいくらかあげるだろ?(生徒ためらいつつもうなずく)では、いくらあげるかい」
 A君、困ったように考えて「うーん。10万くらいかな」と答える。
 私が「ええっ。1億も当たったのに、たった10万かよ」と茶々を入れると、笑いが起こります。
 そこでB君に「君はどうだい? 10万もらってうれしいかい。それで満足できる?」と聞くと、B君は「ちょっと……」と口ごもり、冗談めかして「友達としては少ないかなと思います」と続けます。また笑い。
 するとA君は真っ赤な顔して「だって……友達はひとりじゃないから」と言い訳したりするのです。
 私は「そうだよな。すると何人の友達にいくら配るかが問題となる。あげるときは当然秘密だよと言って手渡す。でも、こうした話は広げれば広げるほど漏れやすい。後でどうやらあいつに1億当たったらしい。俺は10万もらった、俺はもらわなかったとなれば、もらえなかった彼との友達関係は終わるかもしれない。だから、宝くじで1億当たっても秘密にした方がいいし、当たった人はおそらく誰にも秘密にしているはず。しかし、秘密にし続けてびた一文あげなかったら、どこかでこの件が漏れたとき、親友だと思っていた人たちはがっかりする。理屈では当然と思っても、何かしら失望して友人関係はしっくりこなくなる。そして、なんとなく疎遠になってそのまま……なんてことがある。
 こんなわけで宝くじが1億当たったら、金は得たけれど友情を失う可能性が高い。アメリカなどではもっとすごくて1等数十億の宝くじが当たる。そして、大金を得た人の何人かはその後家族が崩壊したという話も聞く。やっぱり何かを得たときには何かを失うんだ」とまとめます。

 そして、最後に「あくまで仮定の話なのに、こうなると君と彼との友情はひびが入ったかもしれないね」と言うと、爆笑が起こる……(^.^)。

 また、別の例として次のような話もします。

 異性の友人を得たら嬉しい。最初は友達関係でも、恋人になれたらもっと嬉しい。しかし、恋人関係になると、つきあい始めた頃の「この恋は成就するだろうか」とはらはらどきどきした気持ちが失われる。
 その後恋が実って二人は結婚した。二人で暮らせば、そして子どもを得たら楽しいことはたくさんある。でも、一人暮らしののんびりさと自由は失なわれる……(^_^;)。
 では、その自由を得たまま、一人暮らしを数十年続けて年老いたらどうだろう。そのときその人は感じるのではないか。自由は得たけれど、自分の身の回りには家族も子どももいないと。よって何かを得たときには何かを失っている……。

 そこで赤い繭の話に戻ります。
「この浮浪者は繭であろうがなんであろうが、家を得たとき何かを失う必要があった。だが、彼が持っているのは自分の身ひとつだけで、失うような何ものも持たなかった。だから……身体がなくなったんだ」と。

 閑話休題。このでんで言えば、今回の駆け込み退職騒動によって1月末に退職した人は正規の退職金150万を得ました。しかし、何かを失ったであろうと。3月末まで勤め上げた人は退職金150万を失いました。けれど、何かを得ているであろうと。
 何を失い、何を得たかは各人によって違うと思うので、ここでは触れません。
 ただ、一つ言えることはどちらも心を傷つけたということです。去った人も残った人も。

 そして、政治家たちは多くの公務員、警察官、学校の先生方をそのようなところに追い込んだことを自覚すべきだと思います。
 この事態を受けて政治家や評論家の中には、特に学校の先生に対して「聖職者としてどうだろう」とか「職務を全うすべきだ」と論評する人たちがいました。中には「去った教師はダメ人間で、残った人は立派だ」と言う人さえいました。
 その根底には「学校の先生は単なる労働者じゃない」があり、前号で書いたように「聖職者とまでは言わないが、人格者だ」があるのでしょう。

 しかし、もしもそう思うのなら、そのような聖職者、人格者として対応するのが正当ではないでしょうか。
 いわばドロや石ころを投げつけておいて「あんたは聖職者、人格者なんだから耐えて当然、耐えなさい」と言っているようなものです。

 国も県も確かに財政は逼迫しています。税金で養われている公務員が世の中の不況を受けて給料が減らされることは仕方ないでしょう。好景気で税収が上がれば、公務員の給料も上がったのだから、逆があって不思議ではありません。
 しかし、以前書いたように退職金とは三十数年の労働対価なのです。そして、国と全ての県で定年予定者の退職金は昨年4月の年度当初予算に組み込まれていました。それが借金だったとしても、その人たちに報いるお金は用意されていたのです。

 私は政治家(県当局)は退職金減額措置を(次年度の)4月1日実施としてこう言うべきだったと思います。

「財政逼迫の折、来年度からは給料、そして退職金を減額させてもらいます。しかし、この3月で定年退職を迎える教職の方々――あなた方は三十数年にわたって子どもたちのために働いてくださった功労者です。(警察官に対しては)あなた方もまた長年地域の安全のために働いてくださいました。役所その他の現業などで定年を迎える方々も同様です。だから、定年退職者の方の退職金だけはきちんと払いたいと思います」と。
 さらにもう一言「今後は引き続き、地域の子どもたち、地域の安全のためにボランティア活動などよろしくお願いします。そして、退職金は必要以外貯金される方が多いでしょう。しかし、世の中の景気を良くするためにどんどん使ってください」と。

 これがその人を聖職者、人格者として遇するときの態度と言葉ではないでしょうか。

 こう言われたなら、多くの定年退職者は「良かった」と思い、「よーし、今後も子どものために一生懸命やろう、退職金もいっちょぱーっと使って景気を良くするために貢献しよう(^_^)」と思うのではないでしょうか。

 だが、事態は真逆に流れました。この措置を受けた定年の先生方はやめた人も3月まで残った人も、「あほくさい。もう子どものために何かやる気はしない」と思うのではないか。いくら人格者であったとしても、そのような感情が出ることは致し方ありません。警察官で定年を迎えた方々も同じ感情にとらわれているような気がします。
 そして、駆け込み退職によって150万のお金は得たけれど、先行きを考えると、とても「ぱーっと使おう」という気持ちにはなれないでしょう。

 では3月末まで全うして退職する人たちは退職金(の一部)をぱーっと使うか。
 いえいえ、「こんなことではこの先何が起こるかわかったもんじゃない。定年退職のご褒美として100万くらい使おうと思ったけど、10万くらいにしとこう」となって多くは貯金に回すでしょう。

 政治家は退職金減額によって数十億、数百億のお金を得たかもしれません。しかし、定年退職者数万人の人たちが今後なしたであろう地域での協力、ボランティア精神を失い、世の景気を良くしたかもしれない数百億、数千億(?)のお金を失ったような気がします。

 それでも、定年退職を迎える方々に敢えて言いたいことがあります。

 傷ついた心が癒えたなら、引き続き地域の子どもやご老人、地域の安全、ボランティア活動に励んでほしい。そして、退職金は使ってほしいと(^_^)。

 長年身体と心をすり減らして働いてきた自身へのご褒美として国内、国外への旅行、感謝の気持ちをこめて家族に豪華な食事等々。あるいは、やろうと思っていた趣味の活動などに。
 みんな裕福ではありません。いずれ何か仕事に就いて働かねばならないと思います。しかし、その前に身体をいたわり、リフレッシュするためにお金は使って欲しいと思うのです。

 特に後者に関しては「使えるときに使う、動けるときに動いておかないと後はない」人生の基本原則(?)があります。昨年6月、狂短歌で「そのうちに何々しよう そのうちに 思うばかりで時は過ぎゆく」と書いたとおりです。残された時間は多くありません。

 定年を迎えて今60歳ということは20年後は80歳ということです。生きて30年後は90歳。満足に動けるのは後20年であり、もしも大病を患うと後10年かもしれません。癌など重い病気が発覚すれば、「余命1年」と宣告される可能性さえあります。
 そのとき「ああ、あのときもっと動いて旅行したり、やりたいことをやれば良かった。退職金も我慢せずに使えば良かった」と思っても後の祭りです。

 それに、現実の話として日本には財政破綻という危機が近づいている。そのことも自覚しなければなりません。アメリカも同様です。アメリカが先に倒れれれば、それは必ず日本に波及します。
 すでに日本の借金は国家予算のほぼ10倍。毎年の予算のほぼ半分が借金です。年収400万で暮らす世帯が借金4000万を抱えていたら、普通なら自己破産でしょう(さらに言うと、毎年200万の借金を続け、そのうち半分を利息返済に充てて500万で暮らし続けている世帯です)。

 誰も「日本が倒産する――財政破綻なんて考えられない。いや、そのうちあるかもしれないけど、当分大丈夫」と思っています。多くの研究者、経済評論家も「日本は大丈夫」と言います。
 その根拠は借金4000万を抱えながら、貯金が5000万くらいあり、家屋敷、田畑の財産も1億はあるからでしょうか。
 しかし、それらは主が使えない貯金や財産です。「日本は大丈夫」と言われてもそれはあくまで予想。外れたからって誰も責任取ってくれません。

 思い出してください。ソ連(社会主義国)の崩壊を誰が予想していましたか。バブル景気がやがて崩壊して大不況がやって来ると、誰が予想していましたか。日本国の自己破産は思った以上に早いかもしれないのです。
 そして、破綻は突然起こる地震や大津波のように、そこで生きて暮らす私たちにとって避けようがありません。

 国家財政のクラッシュ(崩壊)は多くの場合ハイパーインフレという形で現れます。アベノミクスがとなえる年率2パーセントのインフレは、何年後かに振り返ったとき「クラッシュの始まりだった」かもしれないのです。
 使えるときに使っておかないと、そのうち百万円が十万の価値しかない時代がやって来る。「あのとき1千万も貯金したのに、今じゃ1千万で車1台も買えない、リンゴ1ヶも買えない」悲惨な時代が来るかもしれないのです。

 アフリカではハイパーインフレが日常茶飯事です。ここ10年ではジンバブエにそれが起こっています。
 かつて豊かな農業国であったジンバブエは2003年に600パーセント、06年に1000パーセントのインフレが発生し、その都度高額紙幣を増刷。そして通貨切り下げ、次に高額紙幣増刷……を繰り返して09年の年間インフレ率は約2億3000万%に達しています。
 そのときの1米ドルは250億ジンバブエ・ドルです。日本で言うなら、25億円持っていかないと1ドルと交換してくれないようなものです。今貯めた1千万が10円ほどの価値になるということです。そのとき1万円札は紙切れとなって道端に落ち、誰も拾いません(--;)。

 近代以降の日本では敗戦直後に一度ハイパーインフレを経験しています。
 1945年10月から49年4月まで、3年半の間に物価は約100倍に高騰したそうです。結果45年12月には《預金封鎖と新円切り替え》が行われています。虎の子の貯金はハイパーインフレになったとき、おろせないかもしれないことを考えねばなりません。

 さて、私は不安をあおりたいわけではありません。地震や大津波も起こったら、そして家族・家屋敷を失ったとしても、自分が生き残ったなら、私たちはそれを受け入れるしかありません。
 そのように、この国で暮らす以上、国家財政の破綻やハイパーインフレさえも《受け入れる》しかないと思います。

 しかし、そうなったとき「あのときああすれば良かった、こうすれば良かった」との後悔だけはしたくないし、してほしくない
 むしろ「とうとう日本でもハイパーインフレが起こったか。でも、あのとき家のリフォームをやっといて良かった、好きなことをやっといて良かった」と言ってほしいのです(^_^)。


 ○ 後悔をしないためには 後先を 考えつつも 今の充実


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今回も長くなって相済みません。ジンバブエにどうしてハイパーインフレが起こったか、詳細はネット百科事典などをご覧下さい。リーダーとなった大統領の資質、政策、国家の社会矛盾などがやがて崩壊に至る経緯がよくわかります。

 ところで、小説『空海マオの青春』メルマガ配信は2月に終了しました。そして、来月からはその『論文編』を公開する予定です。それはこちらの「狂短歌メルマガ」でも同時に配信したいと考えています。「論文なんぞ興味ない」方もいらっしゃるでしょう。そのような方はご面倒ながら、到着したら「削除」してください(^_^;)。

 なぜ論文編をこのメルマガでも配信するかと言うと、その中に私が到達した「現在充実主義」の生き方、考え方をかなり語っているからです。そして、空海の秘密にたどり着き、小説を完成できたのもそのおかげだと思っています。なので、ぜひ狂短歌読者各位にも読んでいただきたいのです。  もちろん通常の狂短歌メルマガも配信いたします。ご了解いただければ幸いです。m(_ _)m(御影祐)



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