「総論賛成、各論反対 その2」


○ 総論で賛成ならば 各論も「賛成です」が本来でしょ?



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2013年 10月 11日(金)第 158号


 庭の金木犀が満開で、かぐわしい匂いをまきちらしています(^_^)。
 結構大きくて二階の屋根に届く高さです。植えたのは両親ですが、どうせなら銀木犀も植えてほしかったですね。

 さて、「総論賛成、各論反対」の2回目です。
 なぜこの件を語ろうと思ったかと言うと、6月末にTBS「報道特集」を見たことがきっかけでした。7月に参院選も控えていたし、「これは書かねば」と思ったのです。
 番組では全国四十七都道府県知事にアンケートを取り、全知事から回答を得ました。それが見事に《総論賛成、各論反対》となっていたのです。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 総論で賛成ならば 各論も「賛成です」が本来でしょ?

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 総論賛成、各論反対 】その2

 TBSの「報道特集」で四十七人の知事さんに聞かれた質問は以下の二点です。

 1 「福島原発事故による放射能除染土壌の県外処理について」受け入れる気持ちがあるかどうか。
 2 核のゴミ「使用済み核燃料の貯蔵・埋設施設建設について」受け入れる気持ちがあるかどうか。

 この問いに関して「受け入れてもいい」と答えた知事さんは一人もいませんでした。全ての知事が「ノー」と答えたのです。
 中には「四十七都道府県全てに同じ負担が課されるなら、受け入れざるを得ない」と答えた人はいました。しかし、基本はどこも同じ。「受け入れ拒否」でした。

 1について当該県である福島だけは主旨が違います。「県外処理ができなければ、福島県内で全て処理しなければならないが」と問われ、「国が県外処理と言い出したのだから、なんとかしてほしい」と訴えます。
 福島県以外の知事さん、おそらく福島の気持ちはよくわかっているでしょう。困ったときは相身互いと思いつつ「受け入れ拒否」に○を付けました。

 また、2番目の「使用済み核燃料の埋設施設建設」についてはもっと拒否反応が激しく、「我が県につくるなんてとんでもない!」って感じです。

 取材を進めると、ある知事は「我が県にはすでに原発施設がある。原発の危険性を抱えているのだから、廃棄物処理は電気を受け取っている原発のない県にお願いしたい」と言えば、原発を持たない知事さんは「原発は国が勝手に始めたこと。国民投票で決められたわけではない。今になって廃棄物処理を消費地でと言われるのはおかしい」と反論する。

 あるいは、廃棄物処理は搬送の事情から海に近い県の方がいいらしく、「我が県は内陸にあるから無理」と言う知事さんいれば、東南海地区の某知事は「海に近いからお宅にと言われても、うちは今後地震と大津波が予想される。我が県に作るなんてとんでもない」と応じます。核のゴミに関しては「けんもほろろ」の言葉がぴったりの拒否反応を見せています。

 アンケート結果を見たとき、私は「一人もいないのかあ」としばし呆然としました。
 福島原発事故が全く処理できていない今、「そうだろうなあ」と思いつつ、いざ「受け入れ可能」と答えた知事が皆無であると知ってみると、ちょっとしたショックもありました。
 と言うのは同じアンケートを都道府県民全員に取ったとき、誰一人として「受け入れ可能」と答えない……かのように感じたからです。

 このアンケートでは総論について問うていません。しかし、それは質問するほどのこともなく、どちらも当然「しなければならないもの=○」として各論(各県は対応できるかどうか)を聞いたのです。
 おそらく全国の知事さんで、この総論を「×」とする人は一人もいないでしょう。福島の除染土壌処理も原発のゴミ処理もしなければならない。それはよくわかっている。しかし、「うちのところにいやな役目を押しつけられるのはお断りですよ」と各論で×としたのです。

 ここで再度前号の全体と個の関係図を掲載します。

  全 体        全 体 ○     全 体 ×
  ―――――――  ―――――――  ―――――――
 |個 個 個 個||○ ○ ○ ○||× × × ×|
 |個 個 個 個||○ ○ ○ ○||× × × ×|
 |個 個 個 個||○ ○ ○ ○||× × × ×|
 |個 個 個 個||○ ○ ○ ○||× × × ×|
 |個 個 … …||○ ○ … …||× × … …|
  ―――――――  ―――――――  ―――――――

 この図を各都道府県の一人一人。一番上にいる代表を「知事さん」と置き換えれば、私の衝撃がわかってもらえるかもしれません。
 知事さんは明らかに自都道府県民一人一人を代表して「ノー」と答えたのです。彼らは自分の好き勝手で――個人の立場で「ノー」と言ったわけではありません。一人一人の全体代表として「ノー」と答えたのです。

 都道府県民一人一人に同じアンケートを取れば、1の「除染土壌の県外処理」の件は賛成・反対が拮抗するかもしれません。しかし、賛成は決して過半数に達しない。
 2の「使用済み核燃料廃棄施設」に関してはおそらく8対2か、9対1、あるいは10対0で「×=反対」となる。こちらはまず間違いないと思います。

 よって、もしも知事さんが「受け入れ可能」などと答えたら、県民から猛反発が起こり、次期選挙で落選間違いなし。だから、誰一人として「受け入れ可能」と答えなかった。全国の市長、町長、村長に同じアンケートを取っても、結果は同じでしょう。

 ここでようやく本題に入ります(^_^;)。

 公園のベンチの話から、実は「総論賛成、各論反対」がおかしいことが導き出されたと思います。
 総論賛成、各論反対の代表的な例が原発、放射能関係のゴミ処理であり、沖縄の基地負担軽減問題です。沖縄の基地負担軽減はもっと言うなら、日米安保条約に賛成か否か、安保条約を存続させるか、廃止するかの問題でもあります(あっさり書きますが、日米安保条約が破棄されれば、沖縄や本土の米軍基地は全てなくなるのです)。

 まず原発ゴミ処理に関して述べると、多くの人は言います。「放射能廃棄物処理は絶対必要なことであり、負の遺産を後の世代に引き継いではならない」と。これが総論です。
 しかし、各論では「核燃料廃棄物処理施設を我が県、我が町、我が村に誘致するなんてとんでもない。子や孫が放射能に汚染される危険が生まれる。大きな迷惑であり、断固反対だ」と。

 沖縄の基地負担に関しても同じです。「第二次大戦で沖縄は大きな犠牲を払い、今に至るも米軍基地の7割は沖縄に集中している。沖縄の負担を軽減すべきだ」が総論。
 ところが、各論になると「私の県、私の町にオスプレイが来るなんてとんでもない。断固反対だ」となります。

 さらに、安保条約に関しても総論・各論が展開されるでしょう。
 総論は「現在日中、日韓両国は尖閣・竹島をめぐってきなくさい関係にある。いざ、戦争になったら日本単独ではとても戦えない。頼りになるのは同盟国アメリカ。だから、安保条約は必要だ」であり、各論は「だからと言って我が町に米軍基地を作られては困る。(基地を持つ自治体は)今でも騒音などで迷惑している。さらに負担が増えるなんてとんでもない」となります。

 みなさんも『赤い繭』のおまわりさんが言った「公園のベンチはみんなのものだから、お前のものではない」はさすがにおかしいと思われたでしょう。
 しかし、これら原発・基地負担・安保条約云々の各論を「おかしい」と思われたでしょうか。実はみなおまわりさんと同じこことを言っているのです。総論は○であり、各論は×だと。

 これをおかしいと思わない、むしろ当然の発言だと感じるなら、そこには『空海論文編』で述べた《理屈と感情》が絡んでいます。つまり、総論は理屈であり、各論は感情を表した言葉だということです。

 原発のゴミ処理は「確かにどこかできっとやらなきゃならない」は理屈であり、「でも、私の所に来られては困る」が感情です。
 そして「沖縄の基地もどこかが負担してあげなければ」は理屈であり、「でも、自分の町に来られては迷惑」という感情なのです。

 面白いことは(と言っては語弊がありますが)、総論の理屈は《理屈》だけかと言えば、そんなことはありません。《感情》もしっかり入っています
 「原発のゴミ処理をしないままだと、やがて大変なことになる。数十年後孫やひ孫から、あんたらは一体何やってたんだと責められる」であり、「米軍の基地負担を沖縄だけに押しつけてきたのはあまりにひどい。沖縄がかわいそうだ」という感情です。
 しかし、この感情に対して「でも、自分の所にその負担を押しつけられては迷惑だ」という感情が勝つのです。だから、総論賛成、各論反対――の結論が出てきます。

 さらに、この言葉の裏には「どこかで誰かがその負担を引き受けなければならない。しかし、自分のところに負担を押しつけられるのは不公平だ」があります。もっと言えば、「他人に押しつけるのは構わない。よそに押しつけてしまえ」も隠れているでしょう。

 私は冒頭に以下の狂短歌を載せました。

 ○ 総論で賛成ならば 各論も「賛成です」が本来でしょ?

 本来総論が○なら、各論も○であるべきです。総論で《福島の除染土壌をどこかで処理しなければならない》や《核のゴミ、放射能処理施設をどこかに建設しなければならない》に賛成なら、各論も賛成するのがすじであるべきです。

 これに対して「それこそ理屈だ。そう簡単に各論賛成と言えないよ」と言うなら――つまり、各論反対をあくまで主張し続けるなら、総論だって「反対」と言うべきではないか。それもまた正しい理屈の流れです。

 そこで、この流れに沿って狂短歌を作れば、以下のようになります。

 ○ 各論で反対ですと言うのなら 総論だって否と言うべき

 たとえば、各論反対を押し進めて総論も反対で理屈づけるとこうなります。
 各論=福島の放射能除染土壌は我が県・我が町に来てほしくない→総論=福島県内でやればいいでしょ。金は出しますよ。
 各論=沖縄の基地が我が県、我が町に来てほしくない→総論=基地は沖縄で持ち続ければいいんです。金は出しますよ……と。

 これが各論反対からもたらされる総論です。悲しい結論だとお思いにならないでしょうか。

 私は6月末のアンケートからこの総論を想像して衝撃を受けたのです。福島県民は、そして沖縄県民はもっと絶望的な心情になるでしょう。「みんなうちの苦しみをわかってもらえないのか」と思って。

 お金の件は突然出しましたが、現実的な解決策としては《お金》になるようです。いや、正確に言うと「かつてはお金で解決された」のです。原発を受け入れた県にはそれによって補助金、雇用創出など相当の恩恵がありました。米軍基地が集中する沖縄もいろいろな恩恵を受けたはずです。しかし、今やお金では解決されなくなったと思います。

 6月末の番組でもお金によって核のゴミ処理施設建設を進めようとした例が報告されていました。
 「核のゴミ埋設施設建設」に関して四国某県某村の村長さんが「検討受け入れ」を表明したのです。検討するだけで村には8億の交付金がもたらされる。施設建設が可能かどうか検討した後「可能」となっても、断って構わないと言う条件付きです。つまり、8億はもらい得。村長さんは「過疎の村にとってそれが魅力だった」と言います。「施設建設可能」となっても、断ればいいと考えたのかもしれません。

 村は賛否をめぐって二つに割れ、村長選など混乱したようです。その後県知事が受け入れ反対を表明し、選挙の結果施設受け入れ反対派が当選して騒動はおさまりました。当時村内の賛成派はかなりの人数にのぼったとか。
 しかし、今同じことを言い出せば、賛成する人はわずかででしょう。当時反対した村民の一人は「金の問題じゃないんだ」と言いました。受け入れれば、お金以上に大切なものが失われるとの思いでしょう。
 その結果、核のゴミ処理施設建設に関して「9割の人が反対する」のだと思います。妙な言い方ですが、お金という代償がなければ、10割が反対するでしょう。

 今沖縄の基地負担に関して沖縄県民はかつてないほど全県一致の反対を表明しています。普天間基地移設は県外にと。
 政府は辺野古移転を押し進め、相変わらず交付金増額、その他もろもろの恩恵という「お金」で解決しようとしているかに見えます。しかし、沖縄県民に「なんとかそれで勘弁してもらえないか」と言えば、返ってくる答えは「お金じゃないんだ」でしょう。
 人々が「お金じゃないんだ」と思うようになったのは東北大震災、福島原発事故が大きく関係していると思います。いくら補助金交付で村が豊かになっても、原発施設破壊でおらが村に住めなくなったのですから。

 米軍基地の7割が集中する沖縄にとっても事態は切実です。いくらお金を積まれようと、万一中国と日米が戦争になれば、沖縄が真っ先に攻撃され、甚大な被害を受けることはたやすく想像できます。
 本来なら「基地は全部出ていってくれ」と言いたいところです。しかしながら、安保条約がある。流れもある。だから、そう言えない。しかし、「せめて一つくらいは出ていってほしい」との思いでしょう。それは本土の日本国民全員に突きつけられた課題です。

 では、全国都道府県知事に「米軍基地を一つ受け入れてくれますか」とアンケートを取れば、おそらく「受け入れ可能」と答える知事さんは一人もいない。それは本土全国民が「受け入れてもいい」と答えないのと同じことです。

 私は6月末のアンケートで全知事が「受け入れ×」と答えたとき、沖縄の米軍基地問題も本土全国民が×と答えるだろうなと思いました。おらが町や村に米軍基地が一つ来るなんて一体誰が「○」を付けるでしょう。しかしながら、その事実は沖縄県民をつらく悲しい気持ちにさせるに違いありません。

 たとえば、ここに一軒の家で共同生活を営(いとな)む四十七人の人がいたとします。一人だけみんながいやがるある作業をやっている。たとえば、大便・小便の処理とかトイレ掃除(^.^)。常識的には輪番だけど、なぜか一人でやってきた。デザート食べ放題の条件が付いていたからかもしれない。
 ある日のこと、当人が「もうデザートはいらないので、誰か別の人がやってください」と訴えた。ところが、誰も「自分がやりましょう」と言ってくれない。
 すると、リーダー格の一人が「ここは民主的に多数決で決めましょうか」と言い出す。「では、トイレ関係の仕事を彼が継続することに賛成の人は手を挙げてください」と採決すると、四十六人が手を挙げ、一人だけ手を挙げない……。
 前号後記で紹介した『闖入者』(戯曲『友達』)で突然現れて居すわった一家族を九人とした作者の意図に気づかれたでしょうか。それは民主主義の多数決原理によってあることが9対1で否決されるときの怖さと絶望感を表しています。多数決原理が「少数を尊重しなければならない」のは少数派にこの絶望感を与えないためです。人は1対9で否決されたとき、絶望して自死を考えるか、多数派に思い知らせるために暴力=テロに走るのだと思います。

 しかし、ここで一つ言っておかねばならないことがあります。
 それは放射能のゴミ処理問題の方は沖縄県知事も「受け入れられない」に○をしていることです。放射能のゴミ処理施設受け入れに関して沖縄県民一人一人にアンケートを取れば、間違いなく「ノー」と言うに違いありません。おそらく10対0で。
 これについて沖縄の人が「米軍基地がある上、さらに放射能のゴミ処理負担まで押しつけるなんてとんでもない。受け入れられないのは当然だろう」と主張するなら、本土の各知事が「うちには米軍基地を受け入れられない事情がいろいろある。受け入れられないのは当然だろう」と言う言葉を受け入れねばなりません(^_^;)。
 かくも総論賛成、各論反対の根は深いのです。

 さて、私はこれに関してどうすべきか、あまり言いたくありません。
 ただ気づいてほしいだけです。多くの人が「総論賛成、各論反対」を叫び、多くの会議でそれがまかりとおる。それがおかしいことに気づいてほしいのです。

 なぜなら総論賛成、各論反対を続けている限り、物事は決まりません。常に先送り、先送りとなります。原発のゴミ処理も沖縄の基地負担も十年、二十年……百年先送りとなるでしょう。行き詰まる最大の原因は「総論賛成、各論反対」にあると私は考えています。

 私はかつて十代の頃、大人達の「戦争責任」を追求したことがあります。それは当時の学生運動の常套句のようなものでした。「あんた達は戦争を止められなかった。その責任があるじゃないか」と責めたのです。

 すでに当時の大人達の多くは戦争時代子どもだったことが多く、「戦争責任と言われても……」と当惑した表情を見せられた記憶があります。
 また、兵士として戦場に行った経験がある大人であっても、「反対を言えるような雰囲気ではなかった」と答えるのが精一杯でした。

 しかし、原発ゴミ処理に関してはあと何年後かに「先送りし続けることの責任」が問われることになります。
 そのとき「私は原発に反対だった。だから、ゴミ処理に関しても責任はないよ」と答えるのでしょうか。


 ○ 各論で反対ですと言うのなら 総論だって否と言うべき


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:いつものように長くなって相済みません。m(_ _)m
 次号はこれを受けて「原発の存続廃止を問う総論=各論型国民投票用紙」を公開します。(御影祐)



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