「自閉症児の心がわかる」


○ 自閉症 どうしていつも跳びはねる? 青い空がうれしいからだ



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2014年 10月 16日(木)第 168号


 今号も弔意の言葉から始めねばなりません。8月豪雨に続いて先日は御嶽山の噴火災害で多くの方が亡くなりました。いくら活火山とは言え、なんの前兆もなく突然噴火されたのではお手上げで、不運としか言いようがありません。被災された方々には心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。m(_ _)m

 さて、今号は前回の後書きで紹介した番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」について書きます。22歳の自閉症児、東田直樹氏と彼の著書を英訳した英国作家との交流を中心とした番組です。
 これを書こうと思ったのは、再々放送を見損ねた人のためと、見たけどしっかり理解しただろうかと疑わしい人のためです(もちろん前の理由が九割九分ですよ(^.^)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 自閉症 どうしていつも跳びはねる? 青い空がうれしいからだ

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 自閉症児の心がわかる 】

 まず最初にNHKにもの申したいことがあります(^.^)。
 私があの番組を見たのは深夜午前2時ころの再放送でした。睡眠不順でときどきそのような時間に目が覚めてなんとなくテレビをつけるのです。
 しかし、このときは睡眠不順がありがたかったです(^_^;)。見た後とても感動したので、「はて、一体いつ最初の放送があったのだろう」と調べてみました。

 すると一回目の放送は平日の午後11時でした。そして、再放送が平日未明の午前2時。再々放送が土曜日午後3時……。
「なんだか見ない人が多そうだなあ」と思わせる時間帯ばかりでした。

 この番組を平日午後8時とか日曜9時にどーんと持ってこられないことが、これまた悲しい現実だなあと思いました。民放のバラエティや恋愛・推理ドラマばかりの番組が問題だと言いたくないし、NHKは考えさせてくれるいい番組をたくさん作っています。
 それでも自閉症児の内面がわかる素晴らしい番組を、人が寝ている深夜か遊びに出かける土曜の午後に流すとは……と残念でした。

 おそらくNHKは「自閉症児に関係した人たちだけしか見ない」と考えたのでしょう。
 しかし、私は見終えて「これはほぼ全ての人に見てほしい番組だ」と思いました。つまり、自閉症の関係者だけでなく、子どもを抱えた人、これから子どもを持つ可能性がある人(百人に一人は自閉症児になる可能性があるそうです)、さらに年老いた両親がいて今後介護が予想される人――即ちほとんど全ての人に見てほしい番組だと思ったのです(^_^)。

 その理由はあの番組が《人が起こす行動には全て意味がある》と教えていたからです。
 我々の周囲には、ひたすら跳びはねる自閉症児だけでなく、時折わけのわからない行動を起こす子ども、認知症が疑われて徘徊するお年寄り。あるいは、普通の若者や大人だって「どうしてそんなことをするのだろう」と思える行動を取ることがあります。
 周囲の人は「なぜ?」と思うけれど、本人はそのわけを語ってくれない。説明したくないこともあれば、うまく説明できずに黙ってしまうこともある。
 そのとき《その人が取る行動には全て意味があると考え、それを推測する》ことが大切です。自閉症児の内面を知ることはほぼ不可能と思われていました。しかし、今回それが明かされたことで、相手の行動の意味を推測することの大切さを強く感じました。

 前置きが長くなりましたが、ここから本題です(^_^)。

 自閉症児を抱える親御さんが絶望的になるのは子どもが何を考えているかわからないからです。我が子がひたすら跳びはねる理由がわからない。聞いても答えてくれない。やめさせようと思っても制止できない。1時間でも2時間でもひたすら跳びはねていたら、そりゃあ見ている方は絶望的になるでしょう。
 そこを東田氏はこう説明します。「ずっと空を見るのは青い空に吸い込まれたい、空で羽ばたきたいからだ」と。いつまでも跳びはねるのは「それが嬉しいから」であり、「つらいときも跳びはねます」と語っています。

 また、東田氏が「健常者」について語った言葉はどきりとさせました。
 彼は「人はこわい」と言います。そのわけは「人が刺すような視線でぼくを見るからです」と。
 鋭い指摘だと思いました。それでは人を恐がって当然です。その視線は問題行動を起こす子どもや若者、言うことを聞いてくれない高齢者を見つめるときの視線と同じかもしれません。認知症の親を抱えた息子や娘さん、介護する人の視線であるような気もします。
 私も自閉症児や障害を持つ人と対するとき、刺すような視線で見ているかもしれないと反省しました。

 東田氏は普通の状態では自分の内面を語ることができません。しかし、訓練によってパソコンを使えば、思っていることを表現できるようになりました。なおかつ驚くのは画用紙に書かれたキーボードの文字盤を一つ一つ指で押さえながら、それをたどるような感じで内面を表現できることです。

 たとえば「どうして文字盤だとコミュニケーションが取れるのですか」と聞かれて、思い浮かぶ言葉はとぎれとぎれの点の集まりみたいなものだから、つながっていない。だから会話ができない。しかし、キーを押さえることで、
「じ・ぶん・の・わ・す・れて・し・まい・そ・う・に・なる・こ・と・ばを・お・も・い・だ・せる」と言います。キーをたどりつつつ喋った後はエンターキーの絵を押さえて「おわりっ!」と言います。

 その様子は驚異的と言うか、感動を覚えました。彼の言葉がどうして詩のようなきらめきを持っているのかわかる気がしました。
 我々はしばしば言葉をだらだらと使ってしまいます。しかし、彼は一文字一文字、一語一語しっかり選んで発しているのです。正に詩人です。

 東田氏の著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』に注目して英訳したのは英国の作家デイヴィッド・ミッチェル氏でした。その本はあっという間に二十ヶ国余りに広がったそうです。
 彼もまた自閉症児の息子を抱え、子どもの心がわからないと絶望的になっていました。しかし、「東田氏の本を読んで救われた」と言います。

 たとえば、ミッチェル氏がパソコンを前に執筆活動をしている。すると息子が近くにやってきて彼の取材ノートに落書きをする。いま仕事中だからじゃまをしないでくれと思うけれど、息子はやめない。理由を語ることもない。
 彼は東田氏の本を読んでから、息子の内心を推し量ることができるようになりました。そして、「息子は落書きをしているんじゃない。お父さんが仕事をしている。それなら自分もやろうと思ってノートに絵を描いた。あれは彼の仕事だったんだ。ぼくも仕事をしているよと父に見せようとしていたんです」と語ります。

 相手が起こす行動の意味がわからないと、人は「どうしてそのようなことをするんだろう」と不安になります。「やめてほしい」と思うのに、やめてくれないと絶望的になります。
 今も書いたように相手がその理由を説明してくれるとは限りません。だから、言ってくれないときは答えを推測する必要があります。なぜそうするのか、その意味を考えるということです。
 たとえば、認知症になった親が徘徊して「やめてほしい」と言ってもやめてくれない。理由を語ることもない。ならば、介護者はその意味を推測する必要がある。その際「必ず何か意味がある」と思って考えることが大切でしょう。

 ここで何らかの答えを得たとき、「ほんとのところはわからないんじゃないか」と疑うことは百害あって一利なしです。極端に言えば、真実はどうでもいいのです。

 ミッチェル氏の息子さんはもしかしたら「ただ落書きしたいからそうしている」だけかもしれません。父親は「息子は自分も仕事をしていると言いたくてノートに落書きをした」と推測しました。それが合っているかどうか、おそらく息子さんは答えてくれないでしょう。真実は不明です。
 大切なことは庇護する側のミッチェル氏がそう推理したことであり、それが彼の心を落ち着かせたことです。「そうだったのか」と納得して絶望感を払拭できたし、息子さんをより一層愛せる気持ちになりました。
 推理によって得た答えが相手にとって自分にとって《より良い関係を築ける答えなら、それは全て正しい答え》なのです(^_^)。

 アメリカの自閉症児を抱える夫婦はやはり息子が庭で一時間でも二時間でも跳びはねるのを見て絶望的になっていました。やめさせたいけれど、やめてくれない。無理矢理やめさせるとパニックを起こすようです。
 しかし、東田氏の本を読み、そうかと思って跳びはねることをやめさせることをやめました(妙な表現ですが(^.^)。いつでも、いつまでも跳びはねていいよと考えを変えたのです。
 ただ、「このままだと息子の足が壊れる」と思って丸いトランポリンを買った。息子さんはその上で気兼ねなく跳びはねるようになり、両親も穏やかにその姿を眺めることができるようになりました。これは息子さんを「ありのままに受け入れるようになった」例でもあると思います。

 さて、ミッチェル氏は東田氏に会うために来日します。ホテルの一室で対面して「あなたは私のヒーローです」と言うと、東田氏は「誰かにとっての喜びになるのは僕にとっても、うれしいことです」と応じます。そして、文字盤をたどりながら、
「お・や・ご・さん・へ
 ど・う・か・こ・ど・もの・まえ・で・な・か・な・い・で・く・だ・さい
 こ・ど・も・が・い・ち・ばん・の・ぞ・ん・で・い・る・こ・とは
 じ・ぶ・ん・をう・け・と・めて・く・れ・る・ば・しょ・と・お・や・の・え・が・お・で・す(エンターキーを押して)おわりっ!」と言いました。
(親御さんへ。どうか子どもの前で泣かないでください。子どもが一番望んでいることは自分を受けとめてくれる場所と親の笑顔です)

 さらに、ミッチェル氏が自閉症児の息子のことを話し、「父親として息子をどう手伝えるだろうか」と聞きました。
 キーボードの文字盤を押さえつつ言った東田氏の返答が素晴らしかった。
僕はそのままで充分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで充分だと思っているはずだからです。おわりっ!」
 さらに「子どもが望んでいるのは親の笑顔だから。僕のために誰も犠牲になっていないと僕に思わせてくれたのが僕の家族のすごいところです」と言いました。

 私はこの言葉に最も感動を覚えました。親が子どものことで絶望感に陥ることはあるでしょう。しかし、それは子どものせいで自分が犠牲になっていると感じる絶望感なのかもしれません。前号でも書いた「ありのままに受けとめ、見つめる」ことの大切さを強く訴えているように思いました。

 他にも紹介したい言葉がたくさんありましたが、後は彼の著書かNHKオンデマンドをご覧下さい(^_^)。

 最後に東田氏はアメリカに出かけます。自由の女神像を見た彼は次のように語っていました。
「自由の女神を見たときには、じ・ぶ・ん・も・こ・ん・な・ふ・う・に・そ・らに・む・かっ・て・まっ・す・ぐに・い・き・て・い・き・たい・と・お・も・い・まし・た(エンター)終わりっ!」と(^_^)。


 ○ 自閉症 どうしていつも跳びはねる? 青い空がうれしいからだ

 ○ 内面を人は明かすと限らない 納得できる意味を探そう


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前号「佐世保女子高生殺害事件」について訂正しなければならない点がありました。
 自分の記憶だけで「今日本では毎年3万人以上の自殺者が出ている」と書きました。配信当日の朝、たまたまテレビで自殺の話題が出て「過去2年間は減少して3万人を切っている」とあり、あわててネット事典で確認しました。
 正確には1998年に初めて3万人を突破して以降、2011年まで14年連続3万人を超えていた。しかし、12年に27858人、13年が27195人と3万人を切った――とありました。メルマガ全体の主旨に変更はありませんが、訂正したいと思います。

 ただ、調べてみて新たにわかったことがあります。これは自殺とはっきりわかった場合の人数です。日本では自殺か他殺かわからない「変死体」が毎年2万人前後あり、その半数は「自殺ではないかと推定されている」とのこと。ちょっと驚きの数字です。となると、むしろ日本の自殺者数は毎年4万人前後と言うべきかもしれません。
 さらにネット事典によると、15歳から39歳の死因のトップは「自殺」であり、自殺対策白書は「15−34歳の若い世代で死因の1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみ」とあるそうです。
 自殺する人がいれば、そこには当然遺族が生まれます。日本では四十人に一人が自殺者の遺族だそうです。そして、遺族の半数は「身内が自殺したのは自分のせい」と考えて心を痛めているともありました。日本の悲しい現実です。この問題はいずれ本稿で取り上げたいと考えています。

 そうしたら、10月5日の夜、佐世保女子高生殺害事件に関連して驚きのニュースが飛び込んできました。同日午後4時頃加害女子生徒の父親が自宅で亡くなっているところが発見されたのです。自殺のようです。
 悲しくなりました。メルマガに取り上げただけに、他人事とは思えず、ただただ悲しいと思いました。生き抜いて娘さんを迎え入れてほしかった。これによって彼女を正面から受けとめ、戦ってくれる人がいなくなった気がします。ただ、さぞかし苦しんだだろうし、もう死ぬしか苦しみから逃れるすべはないと思い詰めたのでしょう。娘が犯した罪の罰を自らに課したようにも思えます。ご冥福をお祈りします。(御影祐)



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