○ 正確な民意反映せぬ議席 空しくないの? ねえ、議員さん


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2015年 2月10日(火)第 172号


 以下昨年の総選挙について私の感想・意見の詳細です(^_^)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 正確な民意反映せぬ議席 空しくないの? ねえ、議員さん

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 日本の選挙制度について 】

 私がまず取り上げたいのは小政党「幸福実現党」です。若者が多く支持すると言われる宗教政党です。同党はオール比例代表なら2議席を得ておかしくない票を集めたのに、結果は0でした。

 憲法では宗教が政治に直接関与するのは良いことではないと規定しています。しかし、誰であれ、何を信仰していようが、議員となって国政に参加して意見を表明したいと思う気持ちは尊重されなければなりません。その機会が与えられ、人々からそれだけの支持を集めたなら、議員となっていいはずです。

 憲法では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とされ、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」と書かれています。同時に「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」とあります。
 つまり、どの主義、どの宗教を信じていても議員に立候補して(一定の支持を得たら)議員になれるということです。しかし、その人が信じる主義・宗教に基づく行為を「あなたもやりなさい」と強制するなら、それは許されない――ということです。
 要するに、自分は「信仰するし、宗教行為をする。しかし、人にはそれを強制しない」という人であれば、国会議員になって良いのです。
 宗教行為と言うと何かしら神秘的で恐ろしげな言葉ですが、日本の多くの家庭では仏壇があり、お寺や神社ではお参りをします。あれだって立派な宗教行為です(^_^)。

 かつてオウム真理教が若者に爆発的に広がったとき、彼らも国政選挙に立候補したことがあります。
 あのときはそれだけの得票を得ていなかったから仕方ないけれど、もしもオウム真理教から国会議員が一人でも出ていれば、彼らはテロ教団となっていなかったかもしれません。
 今幸福実現党の信者は若者が多いと聞きます。少数であっても、国会議員2名分の支持があります。その気持ちを無視しているのが現在の選挙制度だと言わざるを得ません。幸福実現党が(そのようなことはないと思いますが)今後議会への進出をあきらめ、暴力・テロによって意見を主張する道を歩むなら、それはこの選挙制度が生み出すと言っても過言ではないと思います。

 近年の国政選挙で二十代の投票率は平均すると4割前後です。六十代、七十代の6割から7、8割と比べてその低さが際だちます。政党の人とかテレビの有識者は「若者はもっと投票を」と訴えています。しかし、若者の方は「自分が投票したって何も変わらない」と言います。
 事実その通りと言うより、むしろこの選挙制度では少数者に当たる若者の意志は無視されていると言わざるを得ません。
 今回若者が多く支持したであろう幸福実現党は本来議員2名分の支持がありました。総投票に対して0.5パーセントです。もしも0.3パーセントの支持があれば、一人議員になれるような《正しい》選挙制度であるなら、二十代の若者も「投票しよう」と思うし、立候補してみようと思うのではないでしょうか。
 政党人と有識者は「若者はもっと投票を」と言う前に、「少数である若者の代表者が議員になれるような選挙制度をつくろう」と訴えるべきではないかと思います。このような選挙制度のもとで「我が国は少数意見を尊重する民主主義を実践している」と言えるか、大いに疑問です。

 さて、自民・公明の与党はこの選挙で3分の2をはるかに超える326議席を獲得しました。
 しかし、与党の支持率(得票率)は計46.8で過半数に達しておらず、その支持率にふさわしい議席数は219です。この場合野党の議席総数は248だから、与野党逆転していたところです。
 この結果、小選挙区における死票は全体の48%(約2540万票)にも達しました。投票総数の半数が死票となるのが小選挙区制度です。

 与党は(あるいは一部野党議員も)「もっと小選挙区を増やして比例代表を減らそう」と考えています。たとえば、オール小選挙区にすると、共産党は21議席から(沖縄で当選した一人の)1議席に減らされます。もしもオール小選挙区なら、与党は8割超の議席を得るかもしれません。
 しかし、実際の与党支持率は過半数に達していません。野党が統一候補をつくれない限り、比例代表を減らし、小選挙区を増やせば増やすほど、日本は《支持が過半数に達しない》与党独裁が半永久的に続くでしょう。それはどこぞの国の独裁政治と変わりありません。独裁政治は個人であろうが、政党であろうが、腐敗や汚職、不正を生みだし、国民を苦しめることは過去の歴史が証明しています。

 敢えて言いたいのですが、もしもあなたが支持する議員さんが「比例代表は減らして小選挙区をもっと増やそう」と主張しているなら、その人は《しちめんどくさい民主主義より、さっさと決まる独裁政治が好きな人》であり、《少数意見などどうでもいい》と考えている人間だと思います(^.^)。
 どうもそうした人から漏れてくる言葉は「女は男の言うことに従っていればいい、女の役目は家庭を守り、子どもを産むことだ」とか「子どもは大人や学校の言うことに反抗するな」であるように思えます。

 よくアメリカの二大政党制と小選挙区制度が「議会制民主主義の模範」のように言われます。しかし、アメリカこそ民意の半数が死に票となり、少数意見を代表する政党が全く存在できない国です。つまり、少数意見が尊重されているとはとても思えないのに、《立派な民主主義国家》と言うわけです。
 少数意見は尊重されないと、彼らはいつでも過激になり、やがてテロに走ります。それは今もそうだし、かつてもそうでした。

 ただ、アメリカの場合は大統領――つまり、国のリーダーは国民の直接選挙によって選ばれます。だから、与党の支持が過半数に達していなくても、大統領は必ず過半数の支持を得た人がなります。もしも6割、7割の支持を得ていれば、彼は自信を持って「私は――私の政策は国民から信頼されている」と言うことができます。

 ところが、日本の総理大臣はほぼ第一党の党首が横すべりでなります。今回の選挙で言うと、自民党総裁が国のリーダーです。彼の支持率は33.1、連立与党の支持率なら46.8。つまり、我が国のリーダーは国民の過半数の支持を得ていないのです。これって投票した人の3分の1だから、全国民から見ると(有権者の投票率は5割強だから)6分の1の支持と言えるかもしれません。子どもも含めて国民全体から何割支持されているか、と考えれば2割に達していないかもしれません。
 彼は「私の政策は国民から大きな支持を得た」と言います。空しい言葉だと思わないのでしょうか。

 ここ二十年ほど、日本の総理大臣はころころ替わってなんだか自信を持っていないように見えます(^.^)。国民から尊敬されているだろうかと思えるし、諸外国の首脳が集まる場所で、日本の総理は影が薄いように感じます。日本代表の発言は一体どの程度重きを置かれているのでしょう。
 もしもイマイチ存在感がなく、発言も軽く見られているなら「あなたは日本のリーダーだが、国民の半数の支持を得ていませんね」と見られているせいかもしれません。第一党の支持率はやっと3分の1であり、言い換えれば、彼はそれだけの支持しか得ていないリーダーです。

 ところで、当の小選挙区制度も妙な問題が噴出していました。
 本来の小選挙とは(アメリカのように)AB2つの政党から二人が立候補してどちらかが当選し、どちらかが落選する。それによってABどちらを取るかの民意が示される――ものでしょう。
 ところが、今回多くの選挙区でAB二人とも当選する珍現象が起こっていました。小選挙区で一度は敗れたのに、比例で復活した2位の当選者が相次いだからです。それはまるで小選挙区と言うより、中選挙区ではないかと思える有様でした。
 その象徴が沖縄でしょうか。基地に反対する野党・無所属候補が4つの選挙区全てで当選して自民党候補は全て敗れました。沖縄の民意は与党の基地政策に「ノー」を突きつけたのです。
 ところが、自民候補らも全員比例で復活当選しました。つまり、議席数では誰も勝っていないし、負けていないという妙ちくりんな結果が出たのです。

 日本の選挙制度にはさらに議員定数の不公平(格差2倍)の問題もあります。かたや50万近くを得票したのに当選できず、かたや20万ちょっとで当選できる問題です。本来なら50万票を獲得した人が議員になるべきです。

 こう指摘すると、「それでは地方の声が国政に反映されない」と言われます。議会もそれがあるから、最高裁で何度も「議員定数は憲法違反」との判決が出ているのに、改めようとしません。

 私は思うのですが、地方の声を国政に反映させることと、選挙制度は別の解決策が模索されるべきだと思います。
 たとえば、何のために都道府県議員がいるのか、何のために市町村議員がいるのか。その人たちの声を国会で吸い上げる仕組みをつくれば、地方の声を国会・国政に反映させることができるのではないでしょうか。
 何より大きな災害が起こったときは、被災地に対して直ちに人やお金が回されます。政府や議会はだいたい全員一致でそれを決めています。政策・予算配分もその延長と考えれば、地方の声は中央に反映されるのではないか。そのためには(結果的に都市選出の議員が多くなったとしても)国会議員は地方を回り、地方の姿を見、地方の声を聞く――それを《義務づける》などといった方策が考えられます。

 国会も地方議会も1年中開催されているわけではありません。議会閉会中に国会(もしくは地方)で地方議員と国会議員の交流会を持つ。それも単なる意見交換会ではなく、分科会に分かれて予算の配分をめぐって本格的な議論を交わす。そのような機会とか機関をつくれば、地方の声を国政に反映させる道が開けるような気がします。

 憲法は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と規定しています。国会議員も公務員です。だから、議員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない、衆院も参院も「地方の代表」ではなく、「日本国民全体の代表」なのです。
 ところが、残念ながら有権者の多くは「議員はおらが住んどるところの代表だ」と思っているようです。だから、議員になれば、陳情という形でプレッシャーをかけます。議員も「選んでくれた人のために活動することが使命だ」と思っている方が多いのではないでしょうか。もちろんその思いが間違っているわけではありません。しかし、それが「選挙区と自県を利するための予算ぶんどり合戦」になるなら、とても良いこととは思えません。

 現在の選挙制度のまま、より多くを得票した人が当選する仕組みに改めれば、確かに都市部の議員が多くなるでしょう。かつての参議院全国区のように、知名度の高い著名人、タレント議員が増えるかもしれません。
 しかし、その議員がもしも《地方も含めた日本全体のことを考える議員》でなければ、やめさせる=落選させればいいだけです。
 逆に地方の利益代表が国会議員となることは日本全体にとって不幸だし、当の議員さんにとっても不幸なことだと思います(理由は書きません。今までの流れから考えてください(^.^)。

 さて、この民意を反映していない選挙制度、その上に立つ議員さんって一体なんなのでしょうか。

 総理や与党議員が選挙後「国民の支持を得た」と発言しています。しかし、その言葉はとてもむなしく聞こえます。
 たとえて言うなら、学校のクラス40人が委員長を選んで、いろいろな決定権を彼に与えるとしましょう。その際支持率1位になれば、20票を追加すると決めた選挙制度のようなものです。
 選挙でABC3人が立候補してA君は15票、B君は13票、C君は12票だった。1位となったA君には20票が追加され。トータル35票を獲得したとしてクラス委員長となった。彼の支持率は8割である。
 果たしてこの委員長は自信を持って自分がやりたいことをやれるでしょうか。最低限過半数の支持を得てこそ自信となるのではないかと思います。

 ちなみに、この[+20票を与える]ような選挙制度は実際に存在します。イタリアは完全比例代表制の国ですが、第1党(や連立与党)の得票率が54パーセントに達しない場合、無条件に54パーセントの議席が与えられるのです。最近のイタリアは第一党の支持率がまず30パーセントに達しません。そのため、第一党や連立与党には100議席以上が余分に与えられています。日本の小選挙区比例代表並立制もイタリアと同じなのです。
 完全比例代表制なのに、なぜこんな仕組みをつくっているのか。そうしなければ法律・政策・予算がなかなか決まらないからでしょう。

 さて、前置きで書いたように、この選挙制度には明るい展望が見えません。憲法違反の議員定数さえ変えようとしない国会議員団。民意を正しく反映する選挙制度を作ろうとしない議員さんたち。そして、そのような議員を選挙のたびに《また投票してまた議員にする国民》(これ皮肉です(^.^)。

   私は3号前の本メルマガ「突然の総選挙」において以下のような宣告を書きました。
今後四年間で議員定数・報酬と、衆院議員・参議院の定数不平等を変えなさい。
 それができなければ、次回の選挙ではあなたに投票しない。反対候補に投票します!

 そう宣告したらどうでしょうか――と。

 残念ながら、この宣告は多くの人の目に触れないか、触れたとしても実行されなかったようです(^_^;)。しかし、日本をほんとうに良くしようと思うなら、まずは選挙の公平さが実現されるべきだと思います。
 私は《正しい仕組みと行いの上には正しいことが行われる》と思っています。これを逆に言うと、《正しくない仕組みと行いの上には正しくないことが横行する》ということです。
 正しいモラル・道徳、正しい民主主義を主張し、「テロや暴力は良くない、犯罪はやめよう」と主張するなら、正しい仕組みをつくり、正しいことが行われる社会をつくらなければならないと思います。
 その先頭に立つのが国は国会議員・政府であり、地方は地方議員と自治体の首長でしょう。その根幹とも言える国会議員が正しくない仕組みの上に乗っているようでは、彼らのモラル発言に説得力はありません。

 でも、『般若心経』の全肯定から言えば、何事もここからスタートなんでしょうね(^_^)。
 日本の本来の民意はただ一党に多数の議員数を与えていない。与野党は拮抗していることがこの国の本来の姿だと思っている。それは日本国民の穏やかな政治意識を示していると思います。どこぞの国のように、独裁者を許さず、独裁政党も認めていません。
 問題は与野党拮抗のままではなかなか政策が決まらないことです。つまり、この本来の姿を正しく政策に反映するには、議員さんが成熟している必要があります。冷静に物事を見つめ、大きな考えと議論ができる《成熟した》議員なら、拮抗状態にあっても政策・予算が決まるでしょう。

 ところが、現実はと言うと、最後は「多数決で押し通すからいいや」と考えている与党議員、「何事も反対」しか主張しない野党議員さん(とひとくくりにすると言いすぎでしょうが(^.^)。それでは、しばらく小選挙区も必要悪なのかもしれません。

 えっ、「お前はどうなんだ?」ですって?
 私がもしも議員になれたら、成熟した大人の議論ができると自負しています。
 何しろ、自分の言うことは正しいと思っているけれど、相手の言うことも正しいと思っていますから。
 しかし、そのような人間がひとりだけいたって蟷螂の斧でしょうね(^_^)。


 ○ 正確な民意反映せぬ議席 空しい議員 砂上の議会


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:先月ホームページにアップした「『般若心経』講話」をお読みになった方は、本稿の内容がかなり重なっていると思われたかもしれません。これからしばらくその傾向が続く――と言うか、ほぼそこに行き着くと思います。「また、同じことを言っているな」と感じたとしても、ご容赦下さい(^_^)。
 もう一つ。本稿には重大な矛盾が一カ所露呈しています。お気づきになられたでしょうか。
 それは少数意見を採り上げるような選挙制度をつくることと、得票の多い人が議員になる制度は矛盾しがちであるということです。たとえば、後者を優先すれば、都市の議員が増え、過疎の県から議員は出ない、若者からも議員が出ない。それならと、前者を優先すれば、獲得票数が少ない人が議員になります。
 衆参の二院があることを考えると、たとえば、参議院を「半数は国民の体表とするが、半数は地域代表・世代代表とする」などと憲法改正すれば、各都道府県代表から、二十代、三十代〜六十代、七十代(ついでに十代も)代表を選ぶことができるようになります。

 最後にもう一つ、メルマガ公開で「事実のみの指摘」にとどめた、その理由です。
 先日テレビを見ていたら、「食品に異物が混入されたときメーカーがどのような対応を取るか」のテーマで特集がありました。昔だったら苦情は直接メーカーに行き、それから調査・謝罪・交換などが行われた。ところが、今はまずネット――フェイスブックなどにその情報が公開される。すると、一気に拡散して「炎上する」そうです。中には風評被害とも言える炎上があってメーカーのダメージは計り知れないとか。そこで、どう対応するかが放映されていました。

 その中にクレームがネットに登場したら、それを発見してただちに対応情報を流す。しかし、そこに会社の考え・見解などは出さず、ただ事実だけを提供する――というのがありました。そこから何を読みとり、何を考えるかは読んだ人に任せたというのです。
 たとえば、「商品に芋虫の死骸が混入していた」とネットに登場した。メーカーはそれについて「芋虫の死骸は死後1ヶ月ほど経っていたが、その商品は半年前の製造だった」と事実のみを伝え、意見や感想は書かなかったそうです。このように《メーカーが発信した事実のみの記述》がネットに広がると炎上しなかったそうです。
 私は「なるほどなあ」と思いました。そこで、私も「いろいろ書いたけれど、長くなったし、ここでは事実のみの指摘にとどめよう」と思って表はそれのみとしました(^_^)。



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