「迷える子羊」


○ 子羊が群れを離れて迷っても 探しに行かぬ我ら日本人


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2015年 3月 6日(金)第 173号


 最近我がメルマガの話題がどうもひと月遅れになっているような不如意感があります(^_^;)。
 12月選挙の話題は2月公開となったし、1月の日本人人質惨殺事件についても直後の発行ではなく、次号――つまり3月号へと回しました。
 そうしたら、先月下旬川崎市で18歳の少年がまだあどけない中一男子を惨殺する事件が起こってワイドショーの話題は一時それ一色となりました。

 さて、今回もメルマガどうしようと考えました。
 今号は「テロリストの絶望」を公開する予定でしたから、またも「そんなこと書いておられようか。ここは日本の凄惨な事件について書くべきではないか」と思わせる事態です。
 テレビでは識者・コメンテーターが事件を防げなかった大人の責任について盛んに語っていました。
 ところが、私はテロリストの惨殺事件に続いて今回もちょっと普通と違う感想を持ったから困ります。

 2月号に予定した「テロリストの絶望」を次に回した理由は、作品がテロリストを擁護するような内容を含んでいたからです。私はテロリストと交渉すべきだと思いました(水面下の交渉ではなく)。また、特攻隊の歴史を持つ日本人なら、自爆テロの底にある悲しみを理解できるのでは、と思いました。
 さらに、敵と見なした一人をナイフで惨殺し、その映像をネットに流すことが残虐な行為なら、空爆によって国土が破壊され、一瞬にして同胞が殺されることだって同じ残虐行為だと思っています。私はその点において「空爆をやめろ」と主張するテロリストに共感できました。

 しかし、事件直後にそれを公開すると、「お前はあの冷酷非道なやつらを弁護するのか」と言われかねません。私自身も果たして自分の感想が正しいかどうか自信がなく、少々冷却期間を置きたいと思いました。ひと月経って自分の感想が変わることもあるからです。
 で、2月末になって「やはり自分の感想は変わらない。3月号は『テロリストの絶望』を公開しよう」と決めました。

 ところが、そこに勃発した川崎の少年リンチ殺害事件です。さて、どうするか。
 しかし、これを知ったとき、私は「メルマガ公開をひと月待ったのはこのためだったか」と思いました。日本のリンチ殺害事件からシリアのテロ行為を振り返ったとき、共通するものに気づいたからです。
 私は二つの事件を並べて書き直すことにしました
。表題は「迷える子羊」です。

 なお、今回は論ずるのではなく、短くするため散文詩風の表現を心がけました。やや感情的な言葉が出てきますが、ご容赦下さい。本文は「である」体です。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 子羊が群れを離れて迷っても 探しに行かぬ我ら日本人

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)

 【 迷える子羊 】

 今年元旦のテレ朝『相棒』をご覧になっただろうか。
 「ストレイシープ」と題した作品で、冒頭に聖書の該当部が出ていた。

 あなた方はどう思うか
 ある人に百匹の羊があり
 そのうちの一匹が迷い出たとするならば
 九十九匹を山に残して
 その迷い出た一匹の羊を
 探しに出ないであろうか
 (マタイによる福音書)

 ストレイシープ――迷える子羊。
 これが1月2月に起こった凄惨な事件の前触れになる言葉だとは思いもしなかった。
 最後の言葉は反語である。迷い出た一匹の羊を探しに出ないであろうか。「いや、きっと探しに行くに違いない」と続く。

 ところが、二つの事件によってよくわかった。
 我ら日本人の多くは羊が迷っても探しに行かない人たちであることが……。

 1月、内戦の続く中東シリア――
 過激派「IS」に人質となっていた日本人二人がナイフで惨殺され、その映像がネットに流れた。
 日本政府は「これはテロとの戦いであり、交渉することはテロに屈することになる」として表向き人質解放について交渉することはなかった。
 だが、水面下では救出のための交渉がされたようだ。当初は法外な身代金要求、一人目の殺害。続いて捕虜となっていたヨルダン軍パイロットとの交換交渉。しかし、これも決裂して日本人ジャーナリストは無惨に殺された。
 交渉の時点でパイロットはすでに殺されていたらしく、その後彼を焼き殺す映像がネットに流れた。世界はテロリストを非難した。

 2月、神奈川県川崎市多摩川河川敷――
 遊び仲間のリーダー格18歳の少年が13歳の中学生を惨殺した。
 殺す前全裸にして厳寒の川を泳がせている。結束バンドで後ろ手に縛り、殴りつけ、カッターで傷つけ、最後に首を刺して殺した。
 被害者はおそらくひざまずいていただろう。命乞いをしたかもしれない。
 だが、リーダーはとどめを刺した。
 日本人人質事件の殺害映像と重なる。
 もちろん映像はない。だが、その様子はまざまざと想像できる。
 テロリストは日本にもいた。

 人はなぜこうも残酷に、残虐になれるのだろう。
 人間が神の創造物であり、神が存在するなら、
 神よ。あなたはなぜ人をかくも残虐な人間につくりあげたのか。
 そう言いたくなる。

 だが、神は反論するに違いない。
彼らは生まれたときから残酷だったかい?
極悪非道の人間として生まれたかい?」と。

 過激派のテロリストは英国生まれ。日本の不良リーダーは日本生まれ。
 二人とも間違いなく言葉を喋れない、何もできない無垢な赤ん坊として生まれた。
 遊ぶことが好きな幼児期を過ごした。野球やサッカーが好きな子どもだった……と思う。
 だが、一人はイスラム国のため、戦場に行き、戦争に参加してテロリストとなった。
 もう一人はグループを引き連れ、新入りの5歳年下を殴り、リンチを加え、最後は首にナイフを突き立てて殺した。

 この間には一体何があるのだろう?
 十数年で彼らはなぜ変わったのか。何が変えたのか。
 彼らを極悪非道の行為に駆り立てたのは何だったのだろう?

 ISテロリストの残虐性の裏には絶望と怒りが見える。
 18歳加害者の残虐性の裏に見えるのは恐怖と孤独だ。

 前者には空爆という形で戦争を行う欧米大国への怒り、機械を相手に戦う絶望感。
 同胞がたった一発の爆撃で無惨に殺されることへの悲しさと怒りが見える。
 世界から貧富の格差をなくし、イスラムの教えに基づく宗教国家をつくる理想……があったであろうに、それが実現できない。
 テロリストは怪物か。せん滅すれば問題は解決するのか。
 多数派が少数派をテロリストと呼ぶ限り、テロリストはなくならないのではないか。

 武器を生産している人がいる。武器を売って儲けている商人がいる。
 小国の紛争が大国の代理戦争になっていることもある。
 武器輸出の1位はアメリカであり、2位はロシアだ。
 彼らは本当に世界の平和を望んでいるのだろうか。
 武器をつくって売っている国々こそテロ国家ではないのか。

 後者にはリーダーとしてグループを支配・維持する者の弱々しい感情が見える。
 彼は暴力と恐怖によってグループを支配することしかできなかった。逆らう者は容赦しないリーダーだったろう。
 だが、中学生時代は目立たずむしろいじめられていたとの話もある。新入り13歳が生意気だと殴った。それを抗議に来たのは中学生で「二度と殴りません」と謝ったらしい。
 リーダーとしてのプライドが壊された。もう仲間はリーダーとして認めてくれないかも知れない。チクった13歳中一生を逆恨みしての行為……。
 彼は仲間を信じられない人間だ。仲間を愛せない人間だ。やったことの残酷さと違って弱い人間にしか見えない
 恐怖政治によって大衆を支配しようとする独裁者と重なる。リーダーにふさわしくない人間がリーダーになると、ああなるのだろう。あるいは、ISテロリストも弱い人間かもしれない。

 私が最も異和感を覚えたのは二つの事件に対するマスコミ、識者の反応だ。彼らは世論を代表している。
 川崎の事件後聞こえてきた言葉は……
 彼を救えなかった。サインが出ていたのに、見過ごした。
 大人たちが何もしなかったことがくやしい。
 政治家は「二度とこんな事件が起きないように」と動き始めた。

 なんとしらじらしい言葉だろう。

 13歳の少年は自ら進んで不良グループに入った。ちんぴらに不良に暴走族。ケンカが趣味で人を殴ることが好きな連中だ。なぜそんなところに入ったんだ。自己責任ではないか。殺されたって仕方がない。入らなければ殺されることはなかった――となぜ言わない

 あなた方はひと月前テロリストに捕らえられ、人質交渉に使われた日本人に対してそう言ったではないか。
 なぜ危険なテロリストの中に飛び込んだ。彼らは勝手に行った。自己責任だ。日本に、政府に迷惑をかけたと

 確かに一人目の日本人は確たる信念も理由もなく行ったように見える。
 だが、二人目のジャーナリストは「戦場の現況を伝え、捕らえられた日本人を救うため」に行った。
 彼は迷い出た一匹の羊を探しに行ったのだ。
 政府から三度も「行くな」と言われたのに、敢えて行った。
 なぜだろう。日本政府が人質救出に動いているように見えなかったからに違いない。
 日本政府は一匹の迷える羊を探しに行く人たちではなかったのだ。
 だから、彼は行った。「迷い出た一匹の羊を探しに行かないことがあろうか」と思って。

 川崎の河川敷で殺された13歳中一生はなぜ大人に助けを求めなかったのだろう。
 「殺されるかも知れない」と友人にもらしながら、「でも大丈夫。誰にも言わないで」と言っている。
 目に青あざをつくって母親と一緒に食事しながら、きっと「大したことない。心配しないで」と言ったに違いない。

 そもそも助けを求める前になぜ危険なグループに近づき、仲間入りしたのか。
 クラスメイトや部活の友だちより、なぜ外の世界に行ったのか。
 ゲーセンにたむろし、夜遅くまで遊ぶような危険な匂いのするところになぜ進出したのか。なぜ仲間になって一緒に遊ぼうと思ったのか。

 きっと学校より、部活より、兄弟より、グループの方が魅力的だったに違いない。楽しかったに違いない。
 弟たちのめんどうを見るより、思いっきり遊びたかったに違いない。
 行かなければ、この事件はなかっただろう。そういう意味で「飛び込んだ彼の自己責任」だ。
 だが、人はときに迷う。迷える羊になって群れを離れる

 ISに人質になった日本人に対しては最初から「自己責任」が言われた。
 最初の日本人は「自分で勝手に行った」のであり、二人目のジャーナリストは「日本政府が止めたのに」行った。
 当のジャーナリストも「これは私の自己責任です。ひどいめにあったとしても、相手を責めないでください」と言い残した。
 だが、彼は戦場の状況を伝えるため、人質となっていた最初の日本人を救うために出かけた。
 そして、迷える羊となった。オオカミに捕らえられた。
 それでも私たち日本人は「忠告を無視して行った彼の自己責任だ、いわば自業自得だ」と言うのだろうか。オオカミに食われたって仕方がないと。
 ならば、日本の殺された13歳少年に対してもそう言うべきだろう。
「不良グループに飛び込んだあなたが悪い。自己責任であり、自業自得だ」と。

 いや、当の13歳少年が自分でそう思ったに違いない。
 グループには自分で勝手に入った。自己責任だ。誰にも迷惑かけられない。自分で解決するしかないと。
 だから、彼は大人に相談しなかったのだ。

 13歳の少年にこんなことを思わせたのは一体誰だ。
 ひと月前の日本人ではないか。大人ではないか。

 あのとき「シリアで迷った羊がいる。みんなで助けよう」と多くの人が言ったなら、13歳の少年は「この国の人たちは迷った自分を助けてくれる」と思えただろうに。ごめんなカミソンくん。

 これでよくわかった。
 この国の政府は迷える羊を助けに行かないことが。
 この国の多数派も迷える羊を助けに行かない人たちであることが。

 だが、彼らは気づいていない。
 彼らもまた弱い一匹の羊に過ぎないことを。

 聖書の言葉には続きがある。

 もしも迷える羊を探し出したなら
 まことにあなた方に告げたい
 迷わなかった九十九匹以上に
 きっとこの一匹を祝福するであろう――と。


 ○ 子羊が群れを離れて迷っても 探しに行かぬ悲しき日本


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:テロリストに殺された日本人湯川遥菜さん、ジャーナリスト後藤健二さん。そして、上村遼太くん、三人のご冥福を祈ります。彼らはきっと争いはあっても、武器が一つもない天国に昇ったと思います。御影祐



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