○ 時間とは同じ長さのはずなのに 年を取るほど早く流れる
ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」 2015年 5月19 日(火)第 175号
今号は「だからなんなの?」と言われかねないような、他愛ないお話です(^_^;)。
ただ、身近の人に私の考えを伝えたら、結構好評だったので書くことにしました。題して「時間の長さ」。時間の不思議について感情的数学的に解釈してみました。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 時間とは同じ長さのはずなのに 年を取るほど早く流れる
私は本メルマガ読者の年齢構成を知りませんが、おそらく十代・二十代は皆無だろうと思います。多くは四十代・五十代以上ではないかと。
そうであるなら、今回の狂短歌の嘆きというか、つぶやきは結構同感されるのではないでしょうか。年を取ってから、時が早く流れるなあと。
私も四十、五十を過ぎたあたりから一日が早く流れ、ひと月、一年の流れの速さを感じるようになりました。
たとえば、昨日月曜かと思ったら、「今日はもう土曜か」とつぶやき、つい先日初詣をしたのに、もう花見に行き、酷暑にうんざりしてようやく涼しくなったとほっとしていたら、「寒くなったなあ。なんだよ。もう師走だよ」とつぶやいている自分がいる(^.^)。
これは少々大げさですが、時間の速さを痛感しています。
少なくとも五十から六十までの十年間と十歳から二十歳までの十年間は決して同じ長さではなかった。みなさん方もそう思われるのではないでしょうか。
中学生の頃はじりじりするほど1年が長かった。親からは「お前はまだ子どもだ」と言われ、H系の本を買おうとすると「まだ早い」と言われた(^_^;)。早く大人になりたい、大人になってあれをしたい、これをしたいと思った。
ところが、あの頃それはかなり遠いことのように思われました。いわんや、自分の五十歳、六十歳なんて想像だにできませんでした。
ところが、三十を過ぎたころから、「そろそろ結婚しようかな」と思っていたら、独身のまま四十に突入しており(^_^;)、その後何やらいろいろやっていたら五十の誕生日を迎えた。この十年の早かったこと、早かったこと。
いわんや五十から六十をや、です。五十五歳の同級会で「五年後は還暦を祝う会を盛大にやろう」と言っていたら、昨年終わりました(^_^;)。
面白いのは還暦会で一人の同級生が中学時代の男性担任に言った言葉です。当時担任は大学を出たてだったから、我らと十歳ちょっと離れていました。
同級生いわく、「あのころ自分は子どもで、先生は大人と思っていたけど、今は先生も我々も同じですね」と。
ほんとに恩師と我らは見た目全く変わらないじいさん同士でした。女性の先生方もいらっしゃいましたが、還暦女性陣たるやいわずもがな、です(^.^)。
ただ、同級生の名誉のために書くと、中には四十前後にしか見えないイケテル中年おじさん、おばさんもいました。
さて、最初のテーマに戻ると、時間とは万人に――老いも若きも男も女も、生まれたての赤ん坊も、百歳のかくしゃくたるご老人にも、同じ速さであることは間違いありません。
なのに、なぜ年を取るほど早く流れていると感じるのか。その理由について考えてみました。
これは単なる感覚の問題ではなく、ちゃんと数学的に説明できるのではないかと思いました。
たとえば、十歳の時はこれまで10年間生きてきました。そして、次の二十歳までの10年間は十歳までと同じ10年の長さです。すなわち、10分の10だから、1分の1。これは十歳までの10年と全く同じ時間感覚で次の10年が流れると言えます。
ところが、二十歳から三十歳までの10年間は――
二十歳まで20年生きてきたから、次の10年間は20分の10。すなわち、これまで生きた20年と比べると2分の1の10年になります。
同様に三十歳から四十歳までの10年間は――
三十歳まで30年生きてきたから、次の10年間は30分の10で3分の1。すなわち、三十歳から四十歳までの10年間はこれまで生きた30年を1とすると、3分の1の10年なのです。
途中を省略して五十歳から六十歳までの10年間なら――
五十歳まで50年生きてきたから、次の10年間は50分の10。だから、5分の1。
要するに、これまで生きてきた時間の長さを1とすると、十歳から二十歳までなら同じ1という時間が流れる。しかし、五十歳から六十歳までの10年間だと、5分の1の長さになります。これが「時間が早く流れるように感じられる」秘密ではないでしょうか。
このことを1年単位で考えると、十歳から十一歳の1年間は1分の1だから、それまでの1年間と全く同じ時間の長さであり、1年が速いと感じることはない。対して五十歳から五十一歳の1年間は5分の1だから、十歳のときと比べれば、1年が2ヶ月半くらいのスピードで過ぎていく、と言えます。
さーそうなると、(私もみなさんも行けるかどうかわからぬ未踏の地)百歳から百十歳の十年間はどんなに早いことでしょう。
それまで生きてきた百年を1とすると次の十年はわずかに10分の1。百歳にとっての1年間が10分の1の長さなら、1年はひと月ちょっとで流れると感じられるはずです。大晦日になって振り返ると、冬から春、夏、秋はそれぞれ1週間ほどで過ぎ去っているわけです。早っ(^.^)。
このようにこれまで生きてきた時間を1とすると、次の10年は年齢を重ねるほどに短くなる。つまり、時間がどんどん早く流れる。年を取ってから「どうも1年の経つのが速いなあ」と感じたのはあながち勘違いでもなんでもなく、数学的に当然の帰結なのかもしれません。
さて、「だから、何なの?」と言いたくなるでしょう(^_^;)。
私も「だから云々」と教訓めいた言葉を書こうとは思いません。
ただ、もしも「最近1年の経つのが速い。年食ったからかなあ」と嘆いているようなら、別に嘆くことも悲しむこともない。万人にとって時間の長さが等しいように、年齢を重ねれば重ねただけ、時間は速く流れるように感じられる――これもまた「万人にとって真実である」と思えば良いのではないでしょうか。
最後にもう一つ。人生の歩みと言うか、成長も時間感覚に関わっているような気もします。たとえば、十代、二十代のころは新しく経験することがたくさんあって右に行ったり左に行ったり、進みつ戻りつしながらの人生です。だから、時間が長く感じる。
ところが、やがて真新しい出来事がなくなり、決まり切った日常が滞りなく流れるようになると時間が早く感じられる。
私は経験ありませんが、子どもが生まれて育てるようになると、子どもの時間感覚と共に生きることになります。それゆえ、「子どもがなかなか大きくならない」とじりじりするのかもしれません(^_^)。
○ それまでに生きた時間を1とすれば 年を取るほど時間は縮む
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