「著書『狂短歌人生論』メルマガ配信 1


○ 本当は愛することより大切な……


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  メルマガ配信「狂短歌人生論」1    2022年2月02日(水)第 182号


 御影祐の著書第三作『狂短歌人生論』を全編紹介します。
 全8章75節にわたる狂短歌とエッセーの書籍です。

 今回は巻頭の言である「初めに」と第一章「心の穴」の1を。
 なお、第一章以降は「である」体です。



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 著書『狂短歌人生論――本当は愛することより大切な』

   初めに

 こんにちは。筆者の御影祐です。『狂短歌人生論』を手に取っていただき、ありがとうございます。
 この『狂短歌人生論』は「狂短歌」とエッセーを組み合わせた人生論です。

 狂短歌とは初めて聞く言葉だと思います。私の造語で、短歌と狂歌の合いの子みたいなものです。みなさんは五七五七七の短歌と狂歌をご存じでしょう。どちらも文学的短詩型として高く評価されています。しかし、私の狂短歌は短歌の雅(みやび)も狂歌の滑稽もない五七五七七です。いわば俳句でも川柳でもない五七五の交通標語に似ています。そこで、短歌と狂歌の間を取って「狂短歌」と名付けました。

 ところで、この狂短歌と人生論を軽いエッセーとして読み始めると、そのうち不快になるかもしれません。私はこの『狂短歌人生論』で、子どもや大人を悩ませている諸問題を解き明かそうと試みたからです。その結果、とても重くなったことを白状します。あるいは、ここちよいエッセーではないかもしれません。

 最近の日本はなんと生きにくく、住みにくくなったことでしょう。親子、恋人、夫婦、職場の同僚、友人、先生や子どもたち――みんないい関係を築けずに苦しんでいます。いじめもなくなりません。若い親が子どもを虐待し、中年のお父さんお母さんが我が子に殺される。十代二十代の若者が部屋に閉じこもり、あるいは家庭内暴力をひき起こす。家族はばらばらです。

 私はこれら現在の人間関係をめぐる諸問題をたった一つの原因でとらえました。キーワードは「愛されない、必要とされない(と思いこんだ)心の闇」です。そのブラックホールが私たちをおかしくさせ、異常な行動に駆り立てるのではないかと。

 しかし、なぜ愛されない、必要とされていないと感じるのでしょうか。それが家庭環境の事実である場合は、何か問題が起こっても原因や動機を理解しやすいでしょう。
 ところが、両親は幼いころから限りなく我が子を愛し、そのつもりで育ててきた。家庭環境も申し分ない。それなのに、子どもは親から愛されていると思えず、心に穴をあけてしまう。
 つまり、普通の子どもや普通の大人がなぜ心の闇をかかえてしまうのか。そこに最大の問題があるような気がします。

 愛はいつでも言葉や行動として表されます。かたや自分の言動は愛の表現だと思い、かたや受け取る側はそれを愛だと感じない。私はその矛盾を解きたいと考えました。
 腹を立てながら、不快に感じながらも最後までおつき合い願えれば幸いです。
 きっと最後に納得していい解決法が見つかると思います。


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 狂 短 歌 人 生 論

  第一章 心の穴 狂短歌6本

 現在の日本で大きな問題となっている家族や人間関係の崩壊、少年の凶悪犯罪や非行の低年齢化。その原因として心の穴があるとまとめたら言い過ぎだろうか。「必要とされない、愛されない」感情が心にぽっかり穴をあけているのではないか。まずはそのことを語ってみたい。

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本当は愛することより大切な 愛されてると感じられるか


 キリストの聖なる言葉を拝借するまでもなく、人を愛することの大切さはこれまで多くの人に語られてきた。
 最近政府広報の新聞広告でも似たようなコピーを見出した。それは命が大切とか貴重だとか百万言をもって説得されるより、たった一人「あなたが必要です」と言ってくれる人がいるだけでいい――という内容だった。素晴らしいと思った。

 だが、よくよく考えてみると、私たちは「あなたが必要です」と言われたことがあるだろうか。
 あるいは逆に、友人や夫婦、親子の間で「あなたが必要です」と口に出して言ったことがあるだろうか。

 恋人同士なら、告白の言葉として「あなたが必要です」と言うことはあるだろう。ところが、結婚してしまえば(特に日本人において)その言葉はほとんど使われない。いわんや親子兄弟をや、である。仕事仲間や友人間で発することもまずないと思う。

 強いてそのわけを探すなら、「あなたが必要です」などと言うのは照れくさいからだろう。せいぜいちょっとした言葉や態度によってその気持ちを示せるくらいである。
 事故や病気で入院したときなど、身内や親しい人の言葉から「ああ自分は必要とされていたんだ」と思ってほっとすることがある。

 ということは、自分は必要とされていると思えるかどうか。そちらの方がより大きな意味を持つことがわかる。
 これを愛に置きかえるなら、重要なことは人を愛すること以上に、私は愛されていると感じられるかどうかである。
 身近の人に「あなたを愛している。あなたが必要です」と言うより、《私は愛されている。必要とされている》と感じ、それを信じられるかどうか。それこそ大切なことではないだろうか。

 もし自分が家族・友人・恋人・夫婦、さらに見知らぬ他人や世の中から必要とされ、愛されていると感じられるなら、心の中に穏やかであたたかな気持ちが芽生えるだろう。生きていて良かったと思い、自分もまた人を愛する感情に満たされるはずだ。
 要するに、人を愛することより、もっと大切なことは、自分が愛されていると感じられるか。そして、それを信じられるかどうかだと思う。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:後記:1月の話題について少々。
 大学共通試験当日の東大前刺傷事件(高2男子)に続いてスマホと家庭教師システムを使ったカンニングが発覚しました。犯人は19歳の女子大学生とか。一方、17歳の男子高校生が電車内で優先席に寝そべって電子タバコを吸う若者に注意したら、顔面骨折するまで殴られ、ホームで土下座させられたという痛ましい事件もありました(犯人は20代の男)。
 無関係? いえいえ、私は「全てつながっている」と感じます。
 書きだすと長くなるので、またの機会ということで。みなさんも考えてみてください。

 ところで、コロナ・オミクロン株の感染爆発です。そして「医療逼迫・検査キット不足・ワクチン3回目の遅延」と第六波に来ても相変わらずの報道。「これから対応します、がんばります」の言葉も相変わらず。だから、「未来を予測できる一読法を学べ」とはこれまたいつもの結論となるのですが、ここは一つ違うことを。

 12月にコロナ感染者が激減した時点で第六波襲来の1月を予測しなければなりません。
 なぜそれができなかったのか。

 思うに、政府・国会議員・官僚が「科学を信じていない」からではないか。少なくとも半信半疑である。それに「オオカミ少年になりたくない」もあるようです。「来るかもしれないなあ。でも、来なければのんびり過ごせる。余計なこと言って批判されたくないし…」みたいな。
 そして、彼らリーダーの傾向(性癖?)は我ら国民のそれであり、(一読法実践者たる)私の傾向でもありました。私だって12月に「1月オミクロン株が大爆発する」とは想像できませんでしたから。未来予想って難しいですね(^_^;)。


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