○ ボーガンを撃たれさまよう野良犬が レスキューの手になぜか噛みつく
メルマガ配信「狂短歌人生論」3 2022年2月16日(水)第 184号
今回は第一章「心の穴」の残り4・5・6を。
4 偏食は危険と医師は言うけれど 自分にとってはここちよい穴
5 子どもらが問題起こすそのたびに ほめろ叱れと言われるけれど
6 ボーガンを撃たれさまよう野良犬が レスキューの手になぜか噛みつく
狂 短 歌 人 生 論
第一章 心の穴 狂短歌6本
現在の日本で大きな問題となっている家族や人間関係の崩壊、少年の凶悪犯罪や非行の低年齢化。その原因として心の穴があるとまとめたら言い過ぎだろうか。「必要とされない、愛されない」感情が心にぽっかり穴をあけているのではないか。まずはそのことを語ってみたい。
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4 偏食は危険と医師は言うけれど 自分にとってはここちよい穴
若者の激辛嗜好、マヨラー、スナック菓子、パン食など偏食・崩食ぶりがテレビで取りあげられていた。若者三十人のうち四十パーセントは味覚障害という。
ある母子家庭の一人娘は一日中スナック菓子しか食べない。また、朝昼晩全て菓子パンだけで済ます少女もいた。だが、彼女らは偏食をやめようとしない。過食・拒食よりはいいと思っているようだ。
私はこの問題も心の病だと思う。偏食によって彼らの心にあいた穴――さみしさという穴、愛されなかったと思いこんだ穴が埋められるのだと思う。
こう解釈すると、みなさん方はきっと「そんな単純な理由とは思えない」と反論されるに違いない。偏食の子どもを抱える親に聞けば、「私はこの子を愛していたし、いまも愛している」と答えるだろう。
だが、子どもは愛されたと思っていない。現在も愛されていると思えない。仮に子どもが「私は親から愛されていると思う」と答えるとしても、自分の感情に気づいていないか、いつわっている可能性がある。
かつて親に愛されなかったさみしさや不快な感情は心の奥の奥に閉じこめられている。だから、それは心の表面に現れない。それが心にあいた穴だ。
そのブラックホールを異常な行動が埋める。それはとても気持ちのいいことで、なぜかそうしていると心が落ち着く。それゆえ、その行為をやめることができないのだ。
やめられるのは親や身近の人から愛されていると実感できるときだろう。その機会は事故や病気など痛い目であることもある。
そのとき初めて「自分は心配されている、愛されていたんだ」と感じる。河合隼夫氏の言葉にあるが、だから小さな事故や病気は家族にとって必要――ということになる。
実は私自身も中学校時代一つ異常な行為にふけったことがある。だが、当時の自分はなぜそのようなことをするのか全くわからなかった。ずっと後になってそれがブラックホールであり、愛されないと思いこんだ心の穴だったと気づいた。
他にも部屋を片づけられない人、巨大ゴミ屋敷の件など、しばしばテレビで取りあげられる。
私には片づけられない彼らの内心がよくわかる。さみしさという心の穴がゴミで囲われることで安心できるのではないだろうか。
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5 子どもらが問題起こすそのたびに ほめろ叱れと言われるけれど
二十一世紀を迎えてもうすぐ十年。日本では相変わらず少年少女の驚愕事件が絶えない。
まるで十四歳、十七歳がキーワードであるかのように、その年代の残酷な犯罪が繰り返される。あるいは、大人の異様で不可解な事件も報道される。なぜそのような犯罪が起こるのか、深い動機は解明されないままだ。
特にごく普通と思われている子どもが異常な犯罪に走る。同世代の子どもを持つ親は不安におののいているかもしれない。それは凶悪犯罪が自分の子にも起こるのではないかという不安だ。
異常な犯罪がその子たち特有の現象であるなら、彼らを隔離し排除すれば、ことは済むかもしれない。だが、異常な犯罪が起こるたびに周囲の人は言う。「まさかあの子が」、「ごく普通の静かな子なのに」と。
子どもの家庭環境は特に問題ない。むしろお父さんは子ども思いのやさしい父であり、お母さんもしっかり者だと周囲の人は言う。それもまた私たちを不安に駆り立てる。では、なぜその子は凶悪事件を起こしたのか。
私たち大人は現在の子どもを扱いかねている。すぐにむかつく子どもたち。切れると何をしでかすかわからない子どもたち。なぜ彼らは心をコントロールできないのか。
そもそもそのような少年少女にしたのは一体誰なのか。親か社会か。
一方、離婚・援助交際・不倫など家族の崩壊も歯止めがない。
夫婦はなぜ仲良くなれないのか。あるいは、子どもが親を殺し、親が子どもを殺す。親子関係がこじれると、どうして最終局面まで行ってしまうのか。
学校のいじめも依然としてなくならず、人間関係の希薄さを指摘する論評はもう聞き飽きた。「それではどのようにして希薄ではない人間関係を作ったらいいのですか」と聞きたくなる。
子どものしつけや育て方に関しても、親たちは右往左往しているように見える。
するとカウンセラーや宗教家は「もっと子どもをほめよう」と提唱する。
また一部の実業家や政治家は「もっと子どもを叱るべきだ」と言う。
だが、この教えは全体に提起されてもあまり有効ではない。かたやほめることの苦手な親、かたや叱ることのできない親がいるからだ。
だから、必要なのはそれぞれの性格や考え方・感じ方に合わせた助言――つまり親ひとりひとりの生き方に合わせた助言ではないだろうか。
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6 ボーガンを撃たれさまよう野良犬が レスキューの手になぜか噛みつく
一匹の野良犬が心ない人間に虐待されたあげく、ボーガン(洋弓銃)を撃たれ、矢が首に刺さったままうろついている。それを知った保健所所員やレスキュー隊が彼を救助しようと乗り出す。
救助隊は心やさしい人たちである。野良犬に手を差し出し、「よーし、よーし。お前を助けてあげるよ」と言って近づく。
すると野良犬はどう出るだろう。しっぽをふって寄ってくるだろうか。
とんでもない。野良犬は敵意をむき出しにしてうなり、レスキュー隊員の手に激しく噛みつくのである。
それは犬が人間の言葉を理解できないからだろうか。いや、そうではあるまい。
野良犬が人間を信じられないからだ。人に愛されなかった野良犬は人が差し出した愛の手を拒絶するのである。
それは当人の犬に問題があるのだろうか。いやいや、誰もその犬が悪いとは言わないだろう。人間から愛されなかったことが問題だと言うはずだ。なぜなら、人に愛され、かわいがられる犬たちは人間にとってこの上ない友となるからだ。
その野良犬を人の愛を信じられない犬にしたのは、虐待してボーガンを撃った人間ではないか。
人から愛されなかった犬は人間が信じられず、人の愛を拒絶するのである。
だから、彼を助けるためには愛されていないと思いこんだ感情をもみほぐし、溶かしてやらねばならない。
そして、荒れ狂う野良犬を前にして時には麻酔銃を使って捕獲し、とにかく愛の腕の中に抱いてやる必要だってあるだろう。愛されなかった氷の感情はすぐに溶かす特効薬がないからだ。
何を言いたいか、もうおわかりだろう。「人間の子どもだって同じではないか」と言いたいのである。
今さまざまな問題行動に走る子どもや少年少女、凶悪犯罪をひき起こす子どもでさえ、ボーガンを撃たれ、傷ついた野良犬と同じではないだろうか。
彼らは親や先生、他の大人たちが愛をもって接し、忠告や助言を繰り返しても、聞く耳を持たないかもしれない。だが、自分は必要とされない、愛されていないという氷の感情にとらわれた子どもはボーガンに撃たれた犬と同じだ。
もう一度聞きたい。それは野良犬が悪いのですか。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
ところで、『一読法を学べ』について作品後半は批判的攻撃的な言葉が多く、「もうちょっといい点も書くべきだったかな」と反省しているところです。
私の「高校入試をやめるべき」との結論も読者各位は「そんなの無理だよ」と感じているかもしれません。
しかし(ご存じかどうか)、これから始まる全国46道府県の高校入試において志願票から「男・女」の性別欄が削除されました。鶴の一声かもしれませんが、一気に変わったわけです。その根底にあるのは世界や日本の潮流――すなわち人々の「変えるべき」という声だと思います。
中高の厳しすぎる校則も見直しが(生徒も参加して)進んでいるし、この春北海道で通知表やテストのない小学校が開校します。素晴らしい!
そのうち『一読法を学べ』続編か拾遺集としてこうした例を書こうかな、と思う今日この頃です。
……と来たところで久々の一読法クイズ(^_^)。上段を読みつつ「おやあ?」とつぶやいたでしょうか。「全国46道府県」のところです。
私は「全国は47都道府県のはずだ。一つだけ変えなかったところってどこだあ?」とつぶやきました。そして、すぐ「ああ、あそこか」と声に出しました。
再読すれば答えは一目瞭然。それでもわからない(さらに「どうしてそこだけ?」と疑問に感じた)方は[高校入試 男女の性別欄廃止]でネット検索してください。
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