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目 次
前置き
1 国語(現代文)の授業は三読法 ――本号
2 人の話を三読法で聞けるのか
3 結末に早く到達したいと考える悪癖
4 結論が大切か途中が大切か
5 一読法の読み方
(1)題名読みと作者読み (2)つぶやきと立ち止まり読み
(3)予想・修正・確認 (4)共感・賛同・反発
読み終えたら……
(5)記号をたどって作品を振り返る (6)短い感想を書く
6 まとめ
私は大学で国文学・国語学、教科教育法などを学び、関東某県で二十数年間高校の国語教員を務めました。
この経験に基づいて、まず日本の国語授業――特に読書法について書きます。
我々は小中の九年間国語を学びました。そこでは読み・書きが中心で、中でも漢字は小テストなどでかなり鍛えられたと思います。
さらに高校に行けば、プラス三年間現代文を学び、読みの訓練を行いました。
しかし、この授業で学んだ読書術がいかに日本人を読む力のない、聞く力のない、話す力のない人間に育てたことか――と言ったら言い過ぎでしょうか。
それについて詳しく語る前に、我々は文章の読み方について、どのような授業を受けたか。ごく一般的な流れを書いておきます。
○ 国語(現代文)の授業
(1)まず全体をさあっと読む(予習として「読んでおきなさい」と言うことも多い)――通読
(2)再読しながら難語句の読みや意味を辞書(今ならネット?)を調べて確認し、
難しい部分は何が書かれているか考える。先生は語句や内容について質問しながら解説する。
結末まで行ったら、作者は何を言いたいか、主張やテーマを把握する――精読
(3)全体を味わいながらもう一度読む――味読
覚えがあるのではないでしょうか。
これは「通読・精読・味読」とも言われ、文章を基本的に三度読む読書術、ゆえに《三読法》と呼ばれます。
おそらく九十九パーセントの人がこのようにして最低でも二度から三度、教科書に載った文章を読んだはずです。
そうやって「読む力」を身につけた――と思っているでしょう。
さて、ここで質問です。
あなたは学校を離れ社会に出てから、この読書法を実践しているでしょうか。
ネットを含めて新聞や週刊誌・雑誌に掲載された解説文・論説文・エッセー。文庫や単行本の論文・小説など文章を読む機会はたくさんあります。好きで読むことがあるし、仕事で読まねばならない場合もあるでしょう。
それらの文章について、
(1)まずさあっと読み、
(2)再読して難語句を調べたり、難しい部分の意味を考え、結論やテーマを確認し、
(3)最後に全体を味わいながらもう一度読み直す……という読み方、やっていますか?
「もちろん三度読んでいるよ」と答える人がいたらお目にかかりたいものです。
おそらく百人に一人もいない。千人に一人もいない。一万人に一人ならいるかもしれません。
もちろん気に入った小説や詩、エッセーなら、二度三度読むことはあるでしょう。
しかし、多くの人は日常目にする文章を《一度しか》読んでいないと思います。
これは一体どういうことでしょう。小学校入学後九年から十二年間、一所懸命学んだ読書法なのに、卒業後全く実行されないとは。
その結果、何が起こったか、起こっているか。
読む力、聞く力、考える力、話す力の弱い若者や大人がたくさん生まれています。
だってそうでしょう。卒業後の読み方として文章を一度しか読まないのです。
初めて読むときは「さあっと読みましょう」――それが国語の授業で推奨されています。
これを逆に言うと、多くの人は初めて接する文章を「さあっとしか読まない」のです。
再読のない一度読みだけで、どうして文章をしっかり理解できると言えましょう。
果たして小説を味わっているだろうか。噛むことなくただ飲み込んでいるだけじゃないのか。二度読むことが消化活動なのに。
通読で終えるということは消化しないまま排泄する食べ物のようなものです。何の身にもならない。
三読法を実践するなら、あらゆる文章を三度読む。さすがにそれは難しいとしても、最低限もう一度読む。二度目はもちろん調べたり、考えたりしながら精読する。
二度読んでこそ、学校で学んだ読書法が(三分の二ながら)役立つことになります。
しかし、九九・九パーセントの人は二度読まない。さあっと一度通読するだけ。
三読法を一度目三〇、二度目六〇、三度目九〇に達する読み方とするなら、一度しか読まない人はほとんどの文章を、三〇の理解度で終えている計算になります。
みなさん方はある小説を読んで、ブログやツイッターに感想を書いたことがあるかもしれません。知人友人に感想を語ることもあるでしょう。
失礼な言い方ながら、一度だけ読んで「あれはつまらないお話だった」とか「素晴らしい小説だった」とつぶやいているなら、どちらにせよ理解度三〇パーセントの感想です。
ちなみに、ここまで読まれて「何だよ、それじゃあ全ての作品を二度読まなきゃ、何も言えないのか」とつぶやいた方、ご安心下さい。この後一度読んだだけで、理解度六〇から八〇に達する読み方を提示します。
すでに中学校、高校の生徒、専門学校や大学の学生など、読む力、聞く力、話す力のない子がたくさん育っています。彼らは学校で三読法の読書術を学んでいるのに、自宅に帰って教科書や別の文章を読むとき、やはり一度しか読まないからです(試験勉強なら、さすがに何度も読むでしょうが)。
私は高校の国語教員でした。よく数学とか理科・社会の先生方に言われたものです。
「問題の文章を理解できない生徒が多い」と。これ、言外に「国語科は何やってんだ」の意味が含まれているようです。
あるいは、日本の生徒は「応用問題に弱い」とよく言われます。応用問題とは図表もあるけれど、多くは文章で書かれている。それを一定の時間内に読み解かねばならない。
本文を二度も三度も読んでいては、時間が足りないから一度しか読まない。しかし、学校(国語授業)では一度だけ読んで理解度六〇に達する読み方を教えていない。
だから、生徒は応用問題を見ると、「自分にはできない」とあきらめて手を付けない。または、何とか解くけれど間違うことが多い……といった結果になってしまいます。
こうした事態は彼らの能力・努力不足と言うより、学校の国語授業で「三度(最低二度)読む読書法」の訓練しかしていないからです。
児童・生徒は「一度だけ読んで内容を理解する読み方」を習っていない。
だから、その読みが苦手なのです。
また、大学とはまだまだ学びを続ける場所です。なのに、学生は多くの書籍・研究論文を、さあっと一度しか読まない。他の書物・論文の理解度三〇のまま自身のレポートや論文を作成する。これでは良い論文はできません。
かくして、読む力、聞く力、話す力のない学生が大量生産され、卒業していきます。
しかし、学生には過去の研究論文を二度も三度も読む余裕はありません。ゆえに、一度で理解度六〇に達する読み方を教える必要があるのです。
ここで読者が「いやいや、自分はそこそこ読解力がある。一度の読みで内容を充分理解できるよ」とつぶやくようでしたら、そして、その通り一度だけ読んで理解度六〇に達しているなら、それは「文章を一度しか読まないけれど、その読み方としての一読法を自力で会得した」からでしょう。
ちなみに、理解度六〇に達しているかどうかは直ちに判定できます。読んだ文章について「感想と疑問を言えるかどうか」です。
ある文章を読んで感想が出る、疑問をつぶやける人は理解度六〇に達しています。
が、「感想? 特にない。疑問? 取り立てて思い浮かぶことはない」方は理解度三〇です。
本稿はここまでで原稿用紙十数枚分あります。感想と疑問をつぶやいてみてください。
何も思い浮かばないようなら、もう一度最初から読み直すことを勧めます。
たとえば、次のような疑問や感想が生まれていいところです。
・私の学生時代の国語授業は三読法だったな。一読法ってなんだ?
ほんとに一度しか読まないのか? どんな違いがあるのか?
・確かに社会に出てから文章を二度も三度も読んだことはないな。
・一読法なら聞いたことがある。学んだことはない。
・目次には「人の話を三読法で聞けるのか」とあった。
どういうことだ?
……等々
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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「一読法を学べ」 第 3 号へ (3月28日発行)
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