カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 13号

「実践編 三 現在の学校で一読法を実践するには」




|本  文 | 一読法を学べ トップ | HPトップ


(^o^)(-_-;)(^_-)(-_-;)(^_-)(~o~)(*_*)(^_^)(+_+)(>_<)(^o^)(ΘΘ)(^_^;)(^.^)(-_-)(^o^)(-_-;)(^_-)(^_-)

『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 13号

(^o^)(-_-;)(^_-)(-_-;)(^_-)(~o~)(*_*)(^_^)(+_+)(>_<)(^o^)(ΘΘ)(^_^;)(^.^)(-_-)(^o^)(-_-;)(^_-)(^_-)

             原則週1 配信 2019年 7月05日(金)



 今号は当初の予定を変えて前節最後の問い――「なぜ一読法授業では予習をしないように」と言うのか、それについて語り、合わせて現役中高生のため、三読授業全盛の学校において「ひそかに一読法を実践する」やり方を伝授します。

  三 現在の学校で一読法を実践するには[小見出し]

 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実践編 目 次
 実践編前置き(1)
      前置き(2)
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 現在の学校で一読法を実践するには―――――――――本 号
 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?
 四 誤答率四割の原因を探る
 (1)誤答率四割の原因について
 (2)一読法でも誤答率四割
 五 挫折に終わった一読法授業
 六 実践編の「まとめ」

 理論編・実践編の後書き

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 理論編 目 次
 前置き
 一 国語(現代文)の授業は三読法
 二 人の話を三読法で聞けるのか
 三 結末に早く到達したいと考える悪癖
 四 結論が大切か途中が大切か
 五 一読法の読み方
 (1)題名読みと作者読み
 (2)つぶやきと立ち止まり読み
 (3)予想・修正・確認
 (4)共感・賛同・反発
  読み終えたら……
 (5)記号をたどって作品を振り返る
 (6)短い感想を書く
 六 まとめ(その1)・(その2)


 本号の難読漢字
・詳(くわ)しい・三読法の要(かなめ)・必須(ひっす)・吐露(とろ)・語彙(ごい)・開陳(かいちん)・弊害(へいがい)・刮目(かつもく)・些細(ささい)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 13

 三 現在の学校で一読法を実践するには

(1)一読法授業で「予習をしない」わけ

 まずは前号最後の放任的質問――なぜ「一読法授業では予習をしないように」と言うのか。それについて答えを書き留めておきます。これは「答えのない」疑問ではないので、しっかり書かねばなりません。
 一読法においては《予習はしない。復習は一教科数分で充分。家庭学習は自分が抱いた疑問を調べたり考える時間に当てられる》となります。

 そもそも一読法とは文章を一度の読みで理解し切ろうという読書法です。よって、一度目をさあっと読んでほしくない。いや、もっと厳しい言い方をすると、さあっと読んではいけない。とにかく集中して一言一句注意する読み方です。よって、最初の読みは一読法を訓練する場――すなわち授業でやってほしい。ゆえに「予習をしないように」と指導します。
 これは国語だけでなく項目暗記タイプの教科全てに言えます。算数・数学、理科の物理など計算中心の教科も一読法で良いのではと思いますが、いまだ考察不足です。ただ、英語や高校の古文漢文は日本語訳、現代語訳が最大目的だから、訳が正しいかどうか確認するために予習をやった方がいいでしょう。

 もう少し補足すると、まず至極単純な話として「予習をやって来なさい」と指導しても生徒全員やってくれるわけではありません。そうなると、授業は本文を一度読んだ生徒と今回初めて読む生徒が混在することになります。

 これは三読授業にとって何の問題もありません。三読法は別に「きっちり三回読もう」というわけではなく、「読書百遍、意自ずから通ず」の言葉通り、四度だろうが五度だろうが、とにかくたくさん読むことを推奨する読書法です。
 そして、授業は毎回通読からスタートします。全て読み終えたら精読に入る。これがもしも授業の最初から精読だったら、「全員必ず家で読んでおきなさい」と言うでしょう。三読授業にとって一度目に全て読み切る《通読》は必須条件です。
 国語以外の教科でも、一時間に予定された分量を「まず読むこと」から始まり、直ちに内容解説=精読に入るでしょう。

 では国語三読授業において「予習をして来なさい」と言うのはなぜか
 それは通読のため、指名読みのためです。
 記憶にあろうかと思いますが、国語・現代文の授業では初めての単元に入ると、必ずと言っていいほど生徒に朗読させます。生徒が次から次に指名され、起立して本文を読み進めるってやつ。

 ここで予習をやっていた生徒は読めない漢字に(辞書を引いて)ふりがなをつけています。しかも、一度読んでいるので、本文をすらすら読める。朗読を点数化するなら高得点をもらえるでしょう。

 ところが、予習をしなかった生徒はうまく読めません。難しい漢字は当然読めない。新出漢字ならまだわかるけれど、すでに学んだ漢字でも読めない。つっかえたり、飛ばしたりしてとても滑らかとは言えない。先生は漢字の読みを教え、間違った読みを訂正して次の生徒を指名する。朗読の評価はたぶん最低点です。

 通読において「漢字を読めない(意味もわからない)生徒がいるのに読み続ける」事態は普通に考えれば、おかしな話です。そのまま読み進めれば、生徒は通読についていけない落ちこぼれ状態になります。読み終えて理解度三〇どころかヒトケタかもしれません。

 本来ならその時点で漢字を調べ、意味を確認するべきでしょう。しかし、それは「自宅で予習としてやっておくべきこと」であり、それをしていないのは「生徒の責任である」と先生は考えます。だから、すらすら読めなかった生徒のところで(漢字の読みは教えるけれど)立ち止まることはしません。

 そもそも三読授業にとって通読とは「途中でわからないところがあっても、とにかく最後まで読んでしまう」作業です。わからないところは二度目の読みで詳しくやる。精読こそ三読法の要だから、一度目の読みは《目を通す》だけで構わない、途中で意味不明の漢字や難しい一文があっても、妙だなと感じる箇所があっても、立ち止まる必要性を認めません。
 よって、国語三読授業では「予習をしてきなさい」と言いつつ、予習をしなかった生徒を叱責することはありません。通読は生徒(の多く)が予習をしていないことを前提に行われているのです。

 私は一読法授業を始めてからこの通読と指名読みをやめました。「予習するな」と言うのだから当然です。優等生は初読でもすらすら読めるけれど、多くの生徒は読めません。
 逆に一読法の必須アイテムは辞書です。読めない漢字、意味不明の漢字は生徒によって違います。だから、そのような漢字や語句が現れたら「すぐに辞書を引きなさい。教科書に書き込みなさい」と言います。今なら使うのはタブレットでしょうか。
 本当は黙読ではなく、少しずつ読みながら「この漢字は読めない、意味不明」とか「ここは理解しづらい、なぜこう思うのだろう」などとつぶやいてほしいのですが、さすがに授業では「心でつぶやきなさい」と指導しました。

 もしも一読法で予習をやるとどうなるか。いろいろつぶやいて書き込む本来の一読法をやってくれればまだいい。しかし、さあっと読む通読の読み方では何も頭に残っていません。残ってもせいぜい三割。そして、このことが授業をつまらなくします。(未成年には良くない比喩ながら)真夏きんきんに冷えたビールを飲むか、泡の消えたぬるいビールを飲むか、そのくらい新鮮さ、うまみ、驚き、衝撃が違います。

 さらに、三読授業においても「本当は予習をやる必要はない」と私は思います。それは指導に従う真面目な生徒をうんざりさせるだけです。

 三読授業はいつも通読からスタートする。これは予習をした生徒にとって二度目の読みにあたります。授業は全て読み終えてから最初に戻ってやっと精読が始まります。すなわち、予習をした生徒にとっては早くも三度目の読みです。

 実は三読授業の多くは通読と精読だけで終わっていると思います。これまでの解説で「私が受けた授業は三読じゃなく二読だったぞ」とつぶやかれたなら、予習の分を忘れています。自宅で前もって読んでいればちゃんと三回読みになっているので、授業は二読で構わないのです。
 もちろんこれによって三読法最大の効能である「文章の理解度60から90」に達する可能性はあります。

 しかし、予習をやった真面目な生徒ほど、二度目の通読は(無意味ではないけれど)退屈な時間だと感じたはずです。なぜなら二度目は本来精読に入るべきです。なのに、予習をやった生徒にとっては二度目なのにまだ通読です。本当は初読以上に集中して考えつつ読まねばならない。なのに、二度目もぼーっと読んでいます。時には他の生徒の読みを聞きながら、目は窓の外に向けられている。あるいは、好きになった彼女(彼)のことをほのかに思っているかもしれません。
 私の経験でも「次何々君」と指名すると、どこを読んでいるかわからない生徒がいました。いじわるして黙っていると、近くの生徒が「ここ、ここ」と教えていたものです。

 自宅で一度目をさあっと読み、学校の通読もぼーっと読んでいる。これでは理解度三〇がせいぜい四〇に上がったに過ぎません。この通読は精読ではないから、二度目の読みなのに、作品の理解も感想も「あまり変わらない」と感じます。
 結果、予習をやった真面目な生徒ほど二度読むことに意義を見いだせません。そして、学校を離れると「自分にはもう充分読解力がついた」と思い、一度読めば八〇は理解できている、もう一度読んでもそれが九〇になるだけだから、二度読む必要性を感じない……という皮肉な結果となります。

 ゆえに、三読授業だって予習はしない方がいい、通読後直ちに精読に入った方が良いのです。もしも予習を課さず全員初読の《通読》なら、読めない漢字や意味不明の語句を立ち止まって辞書類を調べる必要があります。ついでに「どんどん読むけど、鉛筆を握って難しい部分に[?]を付けなさい」などと指導したら、それはもう限りなく一読法です。

 このように考えると「読書百遍、意自ずから通ず」の意味も勘違いしている人がいるのではないかと思います。これは一回一回集中して読むこと、いろいろ考えつつ百回読めば……との意味です。ぼーっと読むだけでは、何度読んでも《意は通じない》と言わざるを得ません。

 ここで脱線気味の話ながら、この部分を読んで「おやっ?」と思い、次の反論をつぶやかれた方は、すでにかなりの一読法実践者であると認めます。

 私は以前「二度目が精読でなくとも、とにかく二度読めばかなり内容が頭に入る」と書きました(実践編前置き2)。ところが、ここでは「二度読もうが三度読もうが精読がなければ、文章の理解度は低い」と書いています。「矛盾してるんじゃないか」と突っ込み入れてほしいところです。

 このつぶやきに対して私の内心を吐露すると……。

 これは本稿読者の読解力を想定しての言葉です。これまで「一読法を学べ」とか「学校では国語の力がつかない」など「三読授業の欠陥」について様々に語ってきました。
 本稿に興味・関心を持って読まれている方はおそらくテレビなどもニュースを見たり、評論家の語る言葉に耳を傾け、新聞の社説なども目を通しているでしょう。自分の意見を開陳することもあると思います。よって、そこそこ以上の《語彙力・読解力》をもっていらっしゃる。
 しかし、そのような人であっても、一読法を学んでいなければ、文章を通読だけで終えて理解度三〇に終わる弊害がきっと現れる(それを「実践編前置き」で証明しました)。だから、二度読んでほしい。並みの語彙力読解力さえあれば、二度読むことで理解度六〇に達する。ゆえに「とにかく二度読めばかなり内容が頭に入る」と書きました。

 ところが、まだまだ未熟な中高生となると事情は違います。あるいは、大人であっても新聞記事を読むことなく、テレビのニュースを見ることもない人なら、(失礼な言い方ながら)語彙力・読解力はかなり低い(そうなったのは学校教育、三読法講義型授業のせいです)。
 読解力が低いのに、文章をさあっと一度読むだけ。一念発起して二度目の読みに入ったとしても、目で追うだけで精読がなければ、「一度読もうが二度読もうが同じ」と言わざるを得ません。

 さらに、一読法授業にとって生徒が予習をやる弊害はこれだけではありません。
 前もって読んでいた生徒が授業で一読法を実践すると、彼らから疑問のつぶやきがなかなか出てこないという問題が発生します。
 以前も書いたように初めて読むからいろいろな疑問やつぶやきが出てきます。そして最後まで読んでしまうと(理解度三〇であっても)初読の「なぜ?」はかなり解消されます。

 一読法は生徒全員横並びで疑問とつぶやきを書き込むことから授業が始まります。それを発表して全体の疑問として調べたり、考えたり、議論を交わします。
 ここで大切な点はどんなに些細なことでも疑問・感想をつぶやくことです。中高なら小学校で習得済みの漢字が読めなかったり、意味不明なら[?]をつける。あるいは、「バカにされるかもしれない、恥ずかしい」と感じるつぶやきも書き込んで公表する。
 実のところ一人で黙読しているだけでは、なかなか「なぜ?」が出てこないものです。ところが、クラス数十人がいれば、誰かは疑問とつぶやきを提示する。それを聞いて「ああ、そこは確かに疑問だ」と感じる。

 クラスで一読法授業をやる最大の意味がここにあります。自分は疑問としなかったけれど、人は「なぜ?」と感じている。それを知ることが大切なのです。
 たとえば、成績下位の生徒が上位者には「わかりきった言葉や箇所」に疑問・感想を提示する。逆に上位の生徒が中位下位の生徒の「気付かないところ」に鋭い疑問を投げかける。これはどちらにとっても必要な疑問やつぶやきです。

 三読授業における優等生とは、通読ですらすら読める生徒、先生が投げかける質問に《正解》を言える生徒でしょう。逆に一読法授業では「なぜ、どうして?」とたくさん疑問をつぶやける生徒こそ優等生です。
 普通の優等生は例題一で「沿岸って何?」の疑問をつぶやくことはありません。しかし、この問いが出されることで「内陸の国々はどうだったのだろう」との疑問が出る可能性があります。そして、それを提示するのは「日本では海に面していない県が八つある」ことを知るクイズ得意の優等生かもしれません。
 例題二で誰かが「東南アジアは仏教とイスラム教の二つに出ている」ことに着目してそれを公表すれば、「すごい、よく気付いたなあ」と感心されるでしょう。

 初読において一言一句注意して読めば、そうした疑問が出る、妙なところに気がつく。それを公表してクラス全体で考え話し合えば、より深く文章を理解し味わうことができる。これが一読法授業であり、一読法の一丁目一番地です。
 妙な言い方ですが、前もって読んで疑問を解消してほしくない。初めて読む授業においてどんどん[?]をつけ、つぶやき、それを提示してほしい。だから、「予習をしないように」と言います。

 そして、何度も書いているように、一読法は人の話を聞くときにも使われる。いや、使われねばならない聞き方です。一度しか聞かないからこそ「なぜ、どうして?」の思いを持ちつつ聞く。「あれっ妙だな」と思ったら、話を止めて「それはどういうことですか」と口にする。これが一読法による話の聞き方です。
 三読法の通読とは「文章全体にさあっと目を通すこと=ぼーっと読んでいい=一言一句注意して読む必要はない」という読み方です。この通読指導を十二年受けていれば、人の話を聞くとき「ぼーっと聞き流す」人間が育つのは当然の帰結だと私は思います。

 予習に関しては以上の通りです。復習が数分で終わるというのは、これまで説明してきたように、本文全部を読み直さずとも、記号や傍線を振り返るだけで充分だからです。
 教科書なら休み時間(10分)の半分で可能だし、昼休みとか放課後でもいい。これは国語だけでなく、社会や理科など項目暗記タイプの教科全てに通用すると思います。特に自分が抱いた疑問や難しい部分など[?]をつけた部分に関してはよく記憶に残ります。

 ただ、ノートは「持ち帰りなさい」と言いました。
 自宅での活動は《授業で解決されなかった疑問を調べたり考える》ことです。当然その答えや感想はノートに書き込みます。
 三読授業のノートは先生が板書したことが書かれているだけ。もちろんこれはこれで大切なことです。が、ほとんどのノートは板書の丸写しで終わっています。
 一方、一読法授業ならノートは板書事項よりむしろ生徒自身が調べたことや考えたこと、感想などが書かれます。これがいかに「書く力」を養成するか、おわかりと思います。

 現在学校では生徒一人一人にパソコン・タブレットが支給されているようです。家庭でもパソコンを持っていたり、スマホを所持する生徒も多い。家庭にそれらがなければ、国は児童生徒全員家でも持てるように予算措置をするべきだと思います。


(2)現在の学校で一読法を実践するには?

 もしも本稿の読者が現役の中高生なら、取りあえず(と言う訳は過去百年以上続けられた三読講義型授業は今後も変わることがないでしょうから)三読授業であっても、真の力を身につける方法が一つだけあります。

 それはこれまでの説明と矛盾しているようですが、《予習をする》ことです。
 ただし《必ず一読法》で

 大切なのは最初の読みから一言一句注意して、集中して読むことです。実際の予習は国語なら漢字の読みを調べる程度でさあっと読んでいる。他教科の予習も(やっていないか)ぼーっと読むだけ。これが問題だと指摘してきました。

 そこで家庭における予習は一言一句注意して全体を読み、疑問や「あれっ?」と感じたつぶやきを書き込んでおく。本来は部分で立ち止まってそこで調べたり、考えるのが一読法ですが、それは時間がかかります。家では読みつつ浮かんだ疑問とつぶやきを書き込むだけに留める
 すると、教科書の余白や行間に[?]や[!][○][×]などが書き込まれ、傍線が引かれることになります。教科書を持ち帰りたくなかったら、学期の始めに一学期分を読んで記号を書き込んでおいても構いません。漢字の読みに関しても余裕がなければ調べなくていい。ただただ[?]をつけるだけ。

 これなら時間はかなり短縮されます。普通の通読と違うのは鉛筆を持っていることであり、手が動くことです。[?]をつけようと思いつつ読むだけでもかなり集中することになるし、そこに部分の二度読みが入るともっといい。この作業は文章を読みつつ[?]をつけると言うより、むしろ[?]を探して文章を読んでいるイメージです。

 そして、授業開始直前、本文に付けた[?]の部分を確認します。「ああ、ここに疑問符をつけたな」と。論説文の場合は作者の意見に反対で[×]をつけたところ、同意できて[○]をつけたところは重要部です。先生はそこをどう解説するか刮目して聞かねばなりません。いや、無理に刮目せずとも、興味関心が芽生えているから自然体で聞けるでしょう。

 国語(現代文)の三読授業は必ず通読からスタートします(先生は漢字の読みを教えてくれるので、ここでふりがなをつける)。この通読段階でひそかに《自分の疑問やつぶやきの答えを探す精読を始める》のです。もちろん鉛筆を握って(違いを表すためには赤鉛筆とかマーカーがいい)。「ここに疑問の答えがあった!」と思ったら、[!]をつけて傍線を引く。この程度なら通読の時間中でも作業が可能です。

 予習で[?]をつけ、部分の二度読みを行うだけでも、読みの理解度は四〇から五〇に上がっています。そして、授業の通読で「ここに答えがあった」とつぶやくことで理解度は六〇に上がる。さらに精読によって自分が気付かなかったところを先生が指摘してくれる。
 たとえば、小説なら先生は「前半のここは後半の伏線だ」とか、主人公や脇役の心理について深い解釈を教えてくれます。ある部分の表現が作者の生い立ちや人生観と関係しているという、作家論に通じる解釈が説明されることもあります。また、論説文なら「作者はこう主張しているが、違う見方もある」などと解説・補足してくれます。

 それを受けて「そうか、そういう解釈、別の見方もあるのか」と感心したり、新たに疑問・反論も湧く。そのときは先生に質問する……こうした活動によって理解度は一気に八〇から九〇に跳ね上がります。これは同時に三度目の読みである味読にもなって三読法そのものの実践活動です。
 帰宅したら、ノートにこの経緯を書き留めます。「私はこの部分についてこんな疑問を抱いた。先生は以下のような深い解釈を教えてくれた。私の読みが浅かったと思う」と記すか、逆に「まだ釈然としない。ほんとはこうではないのか」と疑問を書き留めるか。後者ならさらに先生に疑問をぶつけて議論する……。

 このような作業、先生との議論は「優等生でなきゃできない。自分にゃ無理」と思われるでしょうか。そんなことはありません。一読法を始めれば、一年でこれが可能になります。

 以前も書いたように、五歳の子どもは大人が喋る言葉に「それはどういう意味?」と繰り返し繰り返し尋ねます。そのエネルギーの源は「自分が知らないことを知りたい」という欲求です。
 一読法を始めると、「なぜ、どうして?」の疑問を書き込むようになります。それを調べたり、先生は自分が抱いた疑問に答えてくれるだろうかと、講義を集中して聞くようになる。答えてくれなければ、質問する。答えてくれても納得できなければ先生と議論する。
 こうした活動のエネルギーは《自分が抱いた疑問を解きたい》という欲求です。あなたはきっと目を輝かせて授業を受けるようになるでしょう。

 他教科も項目暗記タイプなら予習は[?]ばかりでいい。授業は[!]を書き込む作業中心となります。
 特に社会や理科などは授業の最初から講義という名の解説に入ることが多い。その中で自分の疑問や感想の答えをノートにも書いていきます。すると、先生の講義を受けて必ず新たな疑問や感想が生まれる。当然それを教科書に(新たな疑問とわかるよう)やはり赤ペンやマーカーで[?]をつける。余裕があればノートにも抜き書きする。
 最後に先生から「何か質問があるか」と聞かれれば、新たな疑問を質問する。時間がなければ、後で質問してもいいし、自宅で調べてもいい。そして、調べた結果や考えたこと、感想をノートに書く。
 この作業によってあなたの教科書は記号だらけになり、ノートは板書が丸写しされるだけのノートから、自分の疑問、その答え、考えたこと、感想などが書き込まれたノートに変わるでしょう。この活動がそのまま小論文の練習になることは言うまでもありません。

 だまされたと思って「一読法による予習」をやってみてください。1年で目の前が一気に開けたようなすっきり感、知識がずっしり残っている充足感、そして話す力・書く力が格段についたことを実感されると思います。


===================================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。
===================================

「一読法を学べ」  第 14 へ (7月12日発行)

画面トップ

→『空海マオの青春』論文編メルマガ 読者登録

一読法を学べ トップ | HPトップ

Copyright(C) 2019 MIKAGEYUU.All rights reserved.