カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 30号

実践編U 12「一読法独立宣言」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 30号

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           原則週1 配信 2020年1月10日(金)



 長くかかりました。最後に実践編Uのまとめとして「一読法独立宣言」を書きました。
 一読法はこれまで三読法の陰に隠れていました。三読法が王様で一読法は最後尾をおずおず歩く従者でした。だが、一読法こそ本来の継承者として王位に就く時代がやって来ました。
 実践編の最後に平塚らいてう『原始、女性は太陽であった』をまねて、「一読法独立宣言」を発したいと思います。一読法こそ全教科の基礎となる読み方であり、太陽として人生を導いてくれるはずです。

 なお、檄文としたので、具体例は悪い面を強調する手法を採用しています。そこは話半分としてお読み下さい(^_^)。

 [以下今号
 12 「一読法独立宣言」


 本号の難読漢字
・檄文(げきぶん)・択一(たくいつ)・隠蔽(いんぺい)・模索(もさく)
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』実践編U

 実践編U まとめ


 一読法独立宣言――『一読法が太陽となる!』

 新芽の一読法は摘み取られた。

 五歳児が絵本を読むとき、彼らはつぶやきながら読む。
 「大変だ! 良かった! この後どうなるの?」と。
 五歳児は自分が知らない言葉を大人が口にすると、
 「それはどういう意味?」と聞く。

 彼らは大人の言葉を一言一句注意して聞いている。
 そう。人は一読法で人の話を聞き、一読法で文章を読み始める。
 一読法はやがて花開くはずのつぼみだった。

 だが、十年後の子どもはもうそれができない。
 つぶやくことをやめ、疑問の言葉を発することをやめた。
 覚えろと言われたことを、ただ丸暗記するだけの子どもになりはてた。
 いや、それは子どもに対して失礼だ。彼らをそうしたのは学校であり、先生だ。
 制度を決めたお偉いさんたちだ

 何のために勉強するのか。高校入試、大学入試のためだった。
 先生は「ここは試験に出るから重要だ」と言い、生徒は定期テストと入試のため丸暗記に励んだ。
 そして、試験が終わると、きれいさっぱり忘れた。
 入試は生徒を服従させるためのおどし文句としても使われた。
 大人の言うことをよく聞く良い子がたくさん育ってくれた。

 一読法にかわって子どもに教えられたのが「まず通読」の三読法だ。

 国語で通読・精読・味読の三読法を学び、他教科も通読・精読の講義型授業ばかり。
 最初の読みは「さあっと読みなさい。ぼーっと読んでいいんだよ」と教わった。「後でしっかり読むから」と。
 だが、学校を離れたら、もはや二度読むことはない。そんなしちめんどくさいことを誰がしようか。
 結果、人は三、四割の理解度で文章を読み、人の話を聞く。そして、深く考えることなく言葉を発し、短文を書く。良いか悪いか。気に入ったか気に入らないか。カワイーかキモイか。二者択一の言葉しか思いつけない人がたくさん育ってくれた。

 五歳児が持っていた一読法の芽は見る影もなくつみ取られ、もはや芽吹くことなく、花咲かせることもない。三読法が太陽となり、一読法は夜空の月でさえない。
 いや、精読のない通読のみの読み方、話の聞き方はもはや太陽の輝きを失っている。
 人々は薄暗がりの中、明かりも持たず歩むしかない。

 かつて優等生とは記憶力のいい、頭の回転の速い子だった。

 優等生は難読漢字を読める。日本や世界で何年に何が起こったかすらすら言える。元素記号を全て覚えている。先生の質問には常に正解を答える太陽だった。
 中学卒業時偏差値は70を超え、有名進学校に合格。さらに項目暗記に励み、偏差値の高い国公立、有名私立大学に進学した。高編差値の人間は太陽として輝き続けた。
 彼らはみな良い子として育ち、将来も約束された。

 その陰で項目暗記が苦手な子は劣等生として軽蔑され、無能な人間とおとしめられた。魚の事、昆虫の事、動植物のこと。何か一つのことに集中し、自ら調べ、考えることができても、英語や数学ができなければ上の学校に行けない。
 先生は「そんなことをやるのは後でいい。今は英語を勉強しろ」と言った。
 使えない英語のために、学校時代の5分の1が費やされた。忘れられる項目暗記に勉強の5分の3が使われた。やりたいことより、やりたくないことをやれと言うのが学校だった。

 良い子は良い大人になったか。

 太陽として学生時代を送った人たちはやがて各所の長となり、各界のリーダーとなった。
 彼らはとても良い大人になった。
 真面目に税金を払っていたらやっていけないと、脱税・節税に精出した。優秀な弁護士がそれに協力した。
 自ら汗水流すことなく、注文だけ受けて下請け、孫請けを働かせ上前をはねた。
 法律で決められた通りのことをやっていたら、儲けなどない。気付かれなければ、何をやっても構わないと不正に走った。会社のために不正をやれと部下に命令した。従わなければ、嫌がらせといじめを駆使して追い出した。
 上級公務員になるや、一部の人間を有利にする決定を下し、ばれそうになると隠蔽した。
 高偏差値の良い子が政治家になると、秘書に暴言を吐き、運転手を無能とののしった。支持者のために口利きすれば、見返りを受けるのは当然と袖の下をもらった。ばれると寄付だと言い張った。
 長と名の付く人がパワハラ、セクハラを繰り返す。それが良い子のなれのはてだ。
 さらに有能な方々はひそかにつぶやいている。
「ばれるなんて無能な奴らだ。私はもっとうまくやっている」と。

 今や時代は変わった。真の優等生とは?

 今や難読漢字はスマホ検索で直ちに読める。理科社会の小さな項目はインターネットで確認できる。頭の中にパソコンを備える必要がなくなった。今後項目暗記と出力は人工知能AIが取って代わる。
 今や人間にとって必要なものは丸暗記の知識ではない、知恵だ。学んだことを応用できるか。疑問を抱き自ら答えを探せるか、創造的な作業に関われるか。その力は通読、項目丸暗記では生まれない。
 今こそ最初から考え、途中で立ち止まって未来を予想する訓練をしなければならない。
 一読法が必要な時代がやって来たのだ。
 真の優等生は未来を見通せる人間だ。長となっても人の心を思いやれる人だ。
 明(めい)のある人間こそ真の優等生だ。

 親が上で子どもが下ではない。先生が上で児童・生徒が下ではない。

 東日本大震災は我々に教えてくれた。
 大津波が来そうなときは、誰かの指示を待つことなく「逃げろ!」と。
 先生の指示を待った良い子は津波に飲み込まれて殺された。
 大人の指示を待たずに逃げた子どもが助かった。
 今は家庭も学校も「真っ先に逃げなさい」と教えている。

 ならば、大人は小学校1年生に教えねばならない。
「あなたの友達があなたをなぐったら、ひどいことを言われたら逃げなさい」
「親があなたをなぐったら、暴言を吐いたら逃げなさい」
「学校の先生があなたをなぐったり、わけもなく身体を触ったら逃げなさい」と。
「我慢することはない。耐えることはない。恥ずかしいことでもない。逃げることが正しい。大きな声をあげて逃げることが正しいよ」と教えねばならない。

 だが、逃げるにも訓練がいる。声をあげるために必要なことがある。
 それが国語の読みであり、人の話の聞き方だ。周囲を見る目も養わねばならない。
 残念ながら、三読法はそれができない。

 三読法が子どもに教えているのは我慢と忍耐だから。
 通読は意味のわからないところがあっても、途中でへんだと感じても、「とにかく最後まで読みなさい」と教える。それが人生において適用される。
 日々の生活の中で「あれっ、何か妙だ。おかしいぞ」と思っても、通読の癖で声をあげることができない。通読が「とにかく最後まで耐えなさい」と教えているからだ。
 親に殴られても我慢する子、部活顧問に蹴られても耐える良い子は通読が生みだしてくれた。
 通読を学んでいる限り、子どもたちは逃げることができない。声をあげることができない。

 通読を学んだ良い子はやがて社会に出て働き始めた。

 彼らは「へんだ。おかしい」と思っても、上司や先輩の言葉をまず通読する。
 それが長時間労働であり、セクハラ・パワハラであり、不正を働けと指示されることであっても聞き続ける。おかしいと思っても、声をあげることがない。

 声をあげることができないのは本人の問題ではない。学校と名の付くところで、「まず通読せよ」の三読法を学んできたからだ。
 通読で書物を読み、通読で人の話を聞く訓練しか積んでいなければ、社会に出ても通読人生を送る。

 通読は立ち止まって声をあげることが許されない。黙って最後まで聞き続ける訓練である。
 結果、子どもたちは我慢と忍耐の人間になり、声をあげることのできない大人になった。

 逆に一読法は我慢も忍耐も教えない。読み始めた最初から「あれっ?」とつぶやく。
 これはおかしいと感じたら「へんだぞ」とつぶやく。
 それが正しい読み方、正しい聞き方だと教える。これが人生に適用される。
 人が語る言葉に対して「おやっ?」とつぶやく。人が示す言動の初めから「なぜそうなのか」説明を求める。それが一読法による話の聞き方であり、生き方だ。
 一読法を学んでいれば、逃げることができる。途中で声をあげることができる。

 通読は子どもたちを、すなわち大人を傍観者にする。

 通読とはある出来事を最初から結末まで、ただ眺めるだけの読み方である。
 途中でへんだと思っても、声をあげることなく眺める事を傍観と呼ぶ。

 この読み方が人生にも適用される。周囲と自分に起こる事をぼーっと眺める。友人、先生、親、近くの出来事、遠くの出来事を「さあっと眺めましょう」と教わってきた。「何かおかしい」と思っても、そのことが終わるまで発言を控える。
 本当は知らんぷりしたくないと思っても、誰かが言い出すまで待つ。

 ひどい目にあっても、自分が傍観者だから、周囲も傍観者だと思い、誰も助けてくれないと思ってカラに閉じこもる。
 途中で立ち止まらない通読とは傍観の勧めである。通読のおかげで、無関心な傍観者、見て見ぬふりの傍観者がたくさん育ってくれた。「助けて」と言わない良い子をたくさん生みだしてくれた。

 一読法は傍観しない。途中で「おかしい」とつぶやく。そうつぶやいて自分にできる事を模索する。このままだとどのような未来がやって来るか予想する。逃げるか闘うか考える。そして、行動に移す。
 勝ち目がなかったら逃げる。別の正しいことが行われているところを探す。一読法を学べば、傍観しない人生を歩むことができる。

 もしも傍観者であることに悩んでいるなら……。

 今あなたが傍観者である事に悩んでいるなら、それはあなたのせいではない。
 あなたに発言する勇気、行動する勇気がないからでもない。
 水泳の訓練をしなければ泳ぐことはできない。自転車に乗れなければ、大人になっても乗れない。
 訓練しなければ、できないのは当たり前のことだ。

 傍観しない訓練は子ども時代に学ばなければならない。だが、通読とはある結論、一つの結末を迎えるまで黙って眺める訓練である。通読活動は傍観を助長している。学問のすすめならぬ、傍観の勧めが通読である。

 そもそも傍観に訓練はいらない。人は自分が不利益になることは知らんぷりして傍観する生きものだ。傍観しない生き方こそ訓練を必要とする。
 傍観者になりたくなかったら、一読法を学ぶしかない。自ら考え、主体的に生きる力は「まず通読」の三読法では得られない。
 一読法こそ、時空を選ぶ力、未来を切り開く力を生みだしてくれる。

 子どもたちよ、若者よ。一読法を学べ。

 一読法が太陽になる。夜空の月となってあなたの人生を導いてくれる。
 学校は一読法を教えてくれない。先生は一読法を知らない。やろうとも思わない。
 どの教科の先生も一読法を学んでいないからだ。学んでいなければできないのは、先生であっても変わらない。大学や国のお偉いさんたちも千年、百年続く三読法を変える気はない。

 子どもたちよ。大人をあてにするな。今こそ自ら一読法を学ぶべきだ。
 一読法を学べば、暗い夜が明ける。
 トンネルを抜け、目の前に明るい世界が開けたと感じるはずだ。
 一読法が必要な時、太陽となって輝く時が来た。
 三読法にかわって王位に就く時代がやって来たのだ。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前号にて「次回はまとめと提言」と書きました。ところが、いつものように長くなったし、「これはこれで一つにしておこう」と思い、檄文風「実践編のまとめ」となりました。
 提言の方はどう書くか目下思案中です。あまりに多種・雑多になりそうで、「やめようか」とも考えています。提言を一つに絞れば、「三読法の通読をやめて一読法を開始すべきだ」に尽きるからです。その他の提言は別の機会に、と決めたときは、次号「全体の後書き」をもって本稿終了となります。
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