[以下今号]
一読法からの提言 2「〇〇(ほにゃらら)をやめませんか」
[ 1 ★ ] 「〇〇(ほにゃらら)をやめませんか」
[ 2 ★ ] スマホ・ラインをやめませんか。
[ 3 ★ ] 「人に迷惑をかけるような人間になるな」と言うのをやめませんか。
[ 4 ★ ] 「優秀な人間を求めている」と言うのをやめませんか。
以下次号 一読法からの提言 3
「総ルビを復活しませんか」
2「〇〇(ほにゃらら)をやめませんか」
[1] 「〇〇(ほにゃらら)をやめませんか」
さて、今号より種々雑多な提言を思いつくままに書きます。題して「★ やめませんか」シリーズ。表題は「やめませんか」ですが、もちろんそれは誇張表現。ホンネは「少し減らしませんか」から「半減しませんか」程度です。中身を読んでいただければ、わかると思います。
また、「やめませんか」の逆には「やりませんか」があります。これもときどき「☆ 〇〇(ほにゃらら)をやりませんか」として提言します。
読み進めると「あれっ、これさっき書いてあったことと矛盾していないか」と思える表現が出てくると思います。私の中ではあまり矛盾していないので、説明可能です。しかし、それを入れて書いていると、また長くなり、簡潔にまとめるべき提言がわかりにくくなります。実践編Uのまとめとして書いた「一読法独立宣言」が正にそれでした。
具体例として取り上げた悪しき現象が日本国中、日本人全ての特質・特徴ではありません。真面目に働き、税金を納めている人、リーダーとして部下の心を推し量り、働きやすい職場を作っている人、国民のために活動している政治家の方。各所でたくさんいらっしゃると思います。学校において児童生徒のため日々奮闘している先生方のことも知っています。
ほんとうはそれらを含めた「一読法独立宣言」をつくりたいところです。が、そこには目をつぶって「通読によってこんな悪い点が生み出されたぞ。だから、一読法を学ぶべきだ」と主張する檄文を作成しました。今節以降も悪い例は話半分としてお読み下さい。
[2] ★ スマホ・ラインをやめませんか。
アルコール摂りすぎの人が「休肝日」を設定するように、週に2日、せめて1日スマホを見ない日を設けようではないか、という提言です。この日は緊急事態以外、メール・ラインはやらないと決める。
特に中学生、高校生諸君。学校で学び、家でもやりたいこと、やるべきことがあるはずです。ツイッターを読んだり、書く時間があったら、小説や論文を(文字で)読んで、《つぶやき》は書物に書き込んでください。
毎日のように届く相手の言葉に応じなければ、友情を維持できませんか。
「そんなこと言ったら、友人関係が壊れる」と思いますか?
この程度で崩壊するような関係なら、なくなった方がいいと思います。
この提案に対して「わかった。そうしよう」と言えない友人は、自分のことしか考えていない人、あなたのことなどどうでもいい利己主義者です。
内心を正直に打ち明けられない相手は心からの親友とは言えません。
恐れず言ってみてください。あなたのことを友と思っているなら、
「わかった。いいよ」と言ってくれるはずです。
よって、本当に言いたい提言は以下。
☆ ラインやメール交換は一週間に1日か2日としませんか。
[3] ★「人に迷惑をかけるような人間になるな」と言うのをやめませんか。
これは大人に対する提言です。親御さんが子どもに「人に迷惑をかけるな」と言うとき、それは「親である私に迷惑をかけるな」と言っているのと同じことです。「人」とは全ての人であり、その中に親も入るからです。
だから、子どもは困った事が起こっても「親に迷惑をかけてはいけない」と思って「助けてほしい」と言えません。
そして、親が年をとると、今度は親自身が(ホンネではないだろうけれど)「子どもに迷惑はかけられない」とつぶやくようになります。
私には子どもがいませんが、この言葉を聞くたびに「さみしい親子関係だなあ」と思います。
確かに世の中にはルールを守らない、相手の気持ちを考えない自己チュー人間、表の利己主義、裏の利己主義を発散する人を見かけます。しかし、全員ではありません。
むしろ私たちは「迷惑をかけ合って生きている、助け合って生きている」ことを感じるべきではないでしょうか。
よって、「人に迷惑をかけるような人間になるな」と言うのではなく、
☆「お互い助け合う人間になろう」と言いませんか。
ただ、電話で「助けてほしい。すぐ金がいる」と言ってくる息子に関しては、残念ながら詐欺である可能性が高い。だまされないために合い言葉を決めましょう。
決めていなくとも「まず合い言葉を言え。山!」と言って「川!」と答えたら、「お前は詐欺師だな」と見抜けます。
[4] ★「優秀な人間を求めている」と言うのをやめませんか。
これは大学や企業、官庁・公務員のお偉いさんたちへの提言です。
長と名の付く人が入試や採用に関係すると、「優秀な生徒が入学してほしい、優秀な学生が入社、入省してほしい」とよく言います。その意味を深く考えたことがありますか。
その言葉はあなたが「自分は優秀ではない」と白状しているのと同じです。「楽して生きたい」と言っているようなものです。
優秀でない新米を優秀に育てることができる人こそ、真に優秀な指導者でしょう。新米を手取り足取り育てることがめんどくさい、その能力に乏しい。だから「優秀な人が来てほしい」と言っているのではありませんか。
そして、本当に「優秀な人間がやって来てほしい」と思っているのか、自ら問うてほしいものです。
あなたを凌駕するような人材が現れたとき、あなたはその人を妬み、そねみ、「このままでは自分の身が危ない」と感じ、策を弄してその人を排除するような利己主義者ではありませんか? 出藍の誉れを受け入れる人間ですか? 科学者の歴史はしばしば前者であることが多いようです。
あるいは、新しい人が真に優秀な人だからこそ、会社や省庁の上役に反対意見を述べ、「それは正しくない」と主張する。そのような人を「あいつは物わかりが悪い。空気が読めない。組織から追い出してしまえ」と思うような上役ではありませんか。
そして、優秀な大学の先生方へ。自分の研究と学部学科にしか関心がなく、入試に携わっている偉い人たちへ。あなたの存在が入試に些末な項目暗記主義をもたらしている――そうは思いませんか。
私は空海を研究したとき感じました。空海は四書五経を暗唱するほど学び、さらに仏教を研究し、数々の書物を著した天才です。当時の西安中国語もぺらぺらだったようです。
しかし、ひがみ気分で思います。空海は数学を勉強しなくて良かった。生物、化学、物理もやらなくて良かった。日本の歴史を「六国史」(初期)で読んだかもしれない。だが、世界史は(中国の歴史以外)全く勉強しなくて良かった。もちろん英語なんぞやる必要もなかった……。
果たして空海が今の世に生まれ、小中高に通ったとき、彼はその天才的能力を発揮できただろうか、と思います。
何を言いたいのか。優秀な研究者であるあなたは研究分野の細かいことまですらすら言えるはずです。その優秀さを大学を目指す全ての学生に求めていないか、と言いたいのです。そして、「我が学部学科にはこのレベルの学生が必要だ」と思ったことを、全ての受験生に求めている。だから、大量の些末な知識を求めているのではないかと。
念のため、もっと簡単に言っておきます。国文学、日本史を学ぶのに、数学や英語の偏差値七〇以上、六〇以上が必要ですか。数学、物理を学ぶのに、古典や地歴の偏差値六〇以上が必要ですか。学部学科の科目さえハイレベルなら――それも知識丸暗記のパソコン人間ではなく、自分で調べて考えたり、答えを探そうとする人材なら、「他の科目は四〇以下でも構わないではないか」と言いたいのです。
この結論を受け入れてもらえるなら、当然のように導き出される提言があります。
★ 国社数理英の試験で偏差値70(〜60)以上を求める大学入学用(センター・共通)試験をやめませんか。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:まずは穏やかにスタートしました。これからもっと過激な提言を書きます。
――以下、2022年6月追記――
前号と今号は初出時点では一節でした。二つに分けた方が読みやすいと思って改稿しました。
「一読法を学べ」 第 33 へ (2月14日発行)
→『空海マオの青春』論文編メルマガ 読者登録
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