カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 35号

一読法からの提言T

 5「高校の成績評価について」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 35号

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           原則隔週 配信 2020年2月28日(金)



 前号に続いて高校の成績評価を解説します。大学は昔から今まで絶対評価。小中は21世紀に入って相対評価から絶対評価に変わりました。その間にある高校は「絶対的相対評価」です。意外と内実をご存じないかもしれません。
 いつものように、ぼーっと通読せず、立ち止まって部分の再読をやったり、いろいろつぶやきながら読んでください。

 [前 号]  4 「小中高の成績評価について」
 [1] 相対評価から絶対評価の流れ
 [2] 五段階絶対評価と三段階絶対評価
 [3] 疑問は筆記テストの三段階評価

 以下今号
 5「高校の成績評価について」
 [高校の成績――絶対的相対評価

 以下次号 提言 6
 [6★] その場しのぎの教育・勉強をやめませんか。


 本号の難読漢字
・愕然(がくぜん) ・忸怩(じくじ)
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 35 一読法からの提言T

 5 高校の成績評価について

[4] 高校の成績――絶対的相対評価

 最後に高校の成績評価について語っておきます。
 私が在職していたころの高校(普通科)は相対でも絶対でもない「絶対的相対評価」でした。
 もう二十年も経ったので、相対的絶対評価だったかもしれません。言い換えると、絶対的評価でもあり、相対的評価でもある、とまとめられます(本稿は研究論文ではないので全国津津浦々の高校を調べた訳ではありません。あくまで私が在職した関東某県の一例としてご理解下さい)。

 要は実技科目も国社数理英の五教科も、実技を点数化したり、中間・期末テストによってその点数どおりに評定をつける――という意味では絶対評価。点数が高ければ高い評価、低ければ低い評価になります。
 1学期、2学期は10段階、3学期も10段階で成績を付け、学年末はそれをならして5段階に換算、最終的に5〜2までの成績をつけます。学年末5段階の「1」は基本付かないか、付いても一つか二つくらいまで。
 と言うのは高校も大学同様教科の必履修や総単位数が決められており、最低限の単位数を超えないと卒業できません。達しないことが確定した時点で留年となります(在籍は6年まで)。

 大学は一つ二つ単位を落としても進級できます。私なんか1年の後期ある事情でほとんど単位を取れませんでした。結果その分を2年、3年、4年になってもまだ受講せねばならず、苦労したものです(身から出たサビですが)。もちろん前期取得できた単位は有効だから、やり直す必要はありません。

 高校も本来から言えば、その学年で「合格(最終的に2以上)」となった教科はやり直す必要がないはず。が、どの高校も留年したら、全ての教科をもう一度やり直す規則になっているはずです。大学のように完全単位制のシステムではないからです。
 よって、高校も「絶対評価」なのですが、完全な絶対評価ではなく、そこに相対評価が含まれます。

 具体的には、各教科の持ちクラス、または学年全体の評定平均が学期なら10段階の5.5〜6.5、学年末は5段階の3.0〜3.5に入るように調整する。さらに10段階の「9・10」、5段階の「5」を必ず1割程度つける――という内部規約を定めています。

 絶対評価を押し通すなら、ある教科の評定平均が8.0となったり、別の教科は4.0となることが起こります。それを8.0は認めないし、4.0も認めない。「必ず学期5.5〜6.5に入れなさい」という意味での相対評価です。

 たとえば、1クラス45人として中間期末テスト(を足して2で割った)点数に応じて10〜1の成績を付ける。クラス平均は60点、最高95点、最低24点なら、次のような分布で各生徒の成績をつけると、評定平均6.0になります。

点 数評定人数
90以上 10  1
80〜89 9  4
75〜79 8  6
70〜74 7  7
60〜69 6  9
50〜59 5  8
40〜49 4  6
30〜39 3  3
20〜29 2  1
19以下 1  0
 評定×総人数(45)=総計272点 評定平均=6.0

 人数は結果論で、前もって決めているわけではありません。もしもこの区分けで評定平均が7.0になったら、区分を上げるし、平均5.0になるようなら、65〜69を「7」に上げ、40点台でも「5」にするなどして平均5.5を超えるよう区分を変更します。
 私の在職時一学年は最多で12学級ありました。4人で受け持てば自分の担当は3クラス。統一テストの場合は学年全体で、各自がテストを行う場合はその担当者の中で規約どおりに成績を出します。これが絶対的相対評価でした。

 小テストなども定期テストに追加しますが、考え方は同じ。とにかくテストを100点満点に換算して評価を出し、次に普段の授業態度、提出物などで評価を上げ下げして最終的にクラスの平均が学期は5.5〜6.5、「9・10」を1割ほど出す。学年末は5段階で3.0〜3.5の範囲に入れ、「5」を1割ほど出すという決まりでした。
 調べたわけではありませんが、この規定、全国的に同じというわけではありません。都道府県によって学期の成績は「テストの素点が書かれているだけ」というところもあったようです。

 あるネット投稿に「一学期はテストの成績によって評定7だった。その隣に学年全体の評定があり、それは3だったので愕然とした」とありました。
 前者の「7」が絶対評価であり、後者の「3」は学年内の相対評価と理解できます。「テストは75点だったから7になったけれど、学年全体としてはかなり下の方だ」と自覚しなければなりません。
 ただし、学年末は全国どこの高校も必ず5段階の評定を出します。大学受験に必要だからです。

 ここで問題になると言うか、生徒からクレームが出るのは定期テストの得点がいいのに、10段階評定が高くない場合です。
 たとえば、ある一人の生徒の中間期末の平均が80点だとします。それで「6」が付くと、生徒は例外なく怒ります。「90点を超えていないから9でないのは仕方ない。でも、80点で6はないでしょう。せめて8か7はください」と言うわけです。
 80点を取っても「6」になるのはクラス全体の平均が80点の場合です。絶対評価なら「8」か「7」になるでしょうが、相対評価も入るから「6」になる。得点上位者から「10、9」とつけて(平均を5.5〜6.5に入れるためには)80点でも「6」にしなければなりません。極端な例では95点以上が5人いれば、94点でも「8」になります(ここは相対評価の欠陥が露呈)。

 テストの点がいいのに評定が低いと、生徒は口を尖らせてクレームをつけるけれど、逆に定期テストの平均40点なのに、「望外?」の「5」とか「6」が付く場合もあります。
 これは特に物理において顕著でした。生徒の多くは物理が苦手です。だから、最高65点、平均40点、ときには平均20点などということがあります。
 最高65点でも(60点以上が4〜5人いれば)「9・10」が付き、50点で「7・8」、40点(20点)でも「5・6」が付きます。そうしないと、内部規約の「『9・10』を最低1割つける。評価平均5.5〜6.5に入れる」を満たせないからです。
 こういうのを「ゲタをはかせる」と呼んでいました。もちろん物理の先生は何度も追試、再追試をやって20点も取れない生徒は自力で底上げすべくやっていました。

 このように、テストの点数が悪いけれど、評価はいい場合、生徒からクレームは出ません。逆に教員の側が心理的に苦痛を覚えます。基本的に絶対評価だと考えれば、100点満点の40点に「5・6」は付けられないと感じるからです。

 私は本節冒頭で、かつて小中で行われていた相対評価について「理不尽で愚劣な制度だ」と書きました。高校は絶対的相対評価ということで、「相対評価」が入っています。読者から「それに異和感を覚えなかったのか」と問われれば、「これは悪くない成績の付け方だ」と思っていました。

 と言うのは絶対的相対評価とは「成績の低い生徒を救うための制度」だからです。テストの点数が悪ければ、最終的に5段階の「1」となり、留年しなければならない。この成績評価制度はそれを防ぐことができます。

 流れはこうです。普通科だから大学受験を考えれば、生徒は絶対的な実力を知る必要がある。だが、大学受験を意識して難しいテストを作成すると、平均40点となり、10点も取れない生徒が続出する。絶対評価なら、中間期末の平均点が5点の生徒は10段階で「1」を付けるし、学年を通して10段階が「1・2」だと5段階は「1」になり、留年生がぞろぞろ出現することになります。
 そこで「20点のゲタをはかせる」と、素点の5点は25点になり、評定は10段階でも「2」が付き、提出物や普段の授業態度が良ければ「3」が付く。最終的にこれなら5段階で「1」ではなく「2」になる可能性が高くなります。

 では、「いつもゲタをはかせているのか」と問われれば、そんなことはありません。そこで意味を持つのがクラスや学年全体の平均点です。
 たとえば、一学期の全体平均が62点なら、ゲタをはかせることなく成績を付けます。そのまま付けても評定平均「5.5〜6.5」に入るからです。よって、このテストで5点だと、10段階の「1」が付きます。
 その後2学期の平均65、3学期60なら、やはりゲタをはかせることはない。なのに、10点、10点だとやはり10段階で「1」が付き、5段階で不合格の「1」となります。「そこまで勉強をしないのはダメですよ。留年も仕方ありません」と言えるわけです。

 もっとも、学校はそれでもできるだけ留年しないように、学年末に追試、再追試を課してなんとか五段階の「2 」にしていたものです。
 このように成績を理由として留年させることはめったになく、むしろ授業に3分の2以上出席していないと「評価できない」=自動的に「1」となる。こちらの方が留年の主たる理由でした。
 しかし、これも「出席2分の1だが、テストは60点取れている」場合、裁判沙汰になったら、学校側が負ける――ことがわかり、「欠席2分の1でも、テストの成績が良ければオッケー」に変わりました。最低でも2分の1の出席を求めるのは体育など実技科目があるからです。

 そこで、多くの先生は定期テストの平均が55〜65点になるよう問題を作成しました。こうすると、ゲタをはかせることはなく、生徒もテストの得点が妥当な10段階評価となって納得しやすいからです。
 ちなみに、学年末に必要なのは5段階評定だから、学期も5段階でいいではないか、と言われそうです。おそらく学期を10段階としたのは、一学期「5」で2学期「6」に上がったら、面接で「おお頑張ったじゃないか」と言えるからでしょう。
 生徒は嬉しそうな顔を見せたけれど、ほんとうは5段階だと「3」から「3」で変化はない。
 私は「まるで朝三暮四じゃないか」と内心生徒をだましたような、忸怩(じくじ)たる思いを抱いたものです。

 先程、相対評価が入るから「95点以上が5人いれば、94点でも『8』になる問題が発生する」と書きました。
 実はこのような問題はあまり起こりません。先生方は90点以上が10人も出るような試験問題を作らないからです。せいぜい一人か二人。そして、80点台も数人。それこそ正規分布曲線を描くよう試験問題を作成します。
 それに、テストを返却するとき、持ちクラスの最高点と平均を板書します。すると、生徒は(授業中の態度、提出物など特に問題なければ)評価を予想できます。
 たとえば、平均60点で最高95点の場合(最低点を言う先生もいたけれど、私は「教えない」派でした)。
 生徒は自分が95点なら「評定10がつくな」と予想できます。92点なら「10か9がつくな」、85点だと「9は無理かもしれない。でも、8は付くだろう」と。そして、平均点前後の生徒は「5か6だなあ」と嘆息気味に予想できます。
 もしも最高点が85なら、「84点の自分は9か10が付くだろう」と予想して……ほぼ予想どおりの成績が付きます。

テストの平均が55〜65に納まり、80点以上が4〜5人いる状態は教員にとってもストレスなく成績が付けられます。そこで、先生方は平均をその範囲に入れるべく試験問題に工夫をこらします。
 英語や数学などは授業でやったことをほぼそのまま出すか、入試などの応用問題を出すかで対応していました。授業でやった内容、問題なら平均点は上がる。応用問題を出せば平均点は下がります。

 国語科の私は入試問題などを出す事はなかったけれど、だいたいその平均点の中におさめました。もしも中間の平均が50点を切ったときは期末の平均が70近くになる問題を作る。逆に中間の平均が70を超えたり、80になることも何度かありました。そのときは期末の平均が50前後の問題を作成します。
 「そんなことができるのか」と思われるかもしれませんが、国語の場合は選択式・記号式の設問を増やすと、平均点があがる。逆に語句記入や「何々について説明せよ」とか、「理由を何字以内で書け」などの記述式設問を増やすと平均点が下がります(後者は採点が大変でしたが)。
 平均80を超える数人はどちらになっても対応できるので、9や10は付けやすい。その下のレベルは記述式問題が増えると、がくんと点数が下がります。
 私はよく「記述式問題の点数が君の本当の実力だよ」と言ったものです。

 若干問題発言と思いつつ書くと、中間・期末の平均が60〜65の範囲に入ると、「してやったり」の気持ちになりました。見込み違いで平均70を取られたときは「負けた」と思ったものです。もっとも、これは嬉しい負けでもありました。

 さて、高校の成績、もう一つの特徴――なぜ「10段階の『9・10』、学年末5段階の『5』を1割程度出す」と決めているのか、それも説明しておきます。

 この規約は大学入試の推薦試験に対応するためです。
 推薦試験には指定校推薦、一般推薦の二種類があります。指定校推薦は学校指定で、その学校の生徒なら誰でも申請すれば合格できます(ただし校内選考あり)。
 一般推薦の場合は条件さえ満たせば、何人でも申請できます。しかし、こちらはほぼ試験があり、そこそこの得点がないと合格できません。

 大学から求められる条件というのが「評定平均A以上」とか「評定平均B以上」と決められていました。前者は確か五段階の4.1以上(今は4.0以上とか)、後者は3.5以上でした。英文学部などは「5段階4.0以上、英語4.3以上」とされることもありました。

 そこで高校の成績評価に戻ります。この推薦基準に達するためには、5段階の「5」がいくつかなければなりません
 全教科オール「5」はもちろん文句なしの推薦条件クリアです。が、そのような生徒はめったにいません。たとえば、「4」がずらりと並んだ成績に「3」が一個か二個混じると、平均4.0を超えません。そこに「5」が二ヶとか三ヶあると、4.0を超えます。そのため「学年末の5段階成績で5をクラスの4〜5人つける」という規約が定められているのです。
 先程のネット投稿氏が愕然とした「一学期はテストの成績によって評定7だった。その隣に学年全体の評定があり、それは3だった」例の場合、担任の先生は「君は本校では推薦試験の条件にまず達しないから、一般試験を受けるしかないね」と指導されたはずです。

 このように高校は成績下位の生徒を救うため、また成績上位の生徒が推薦試験に対応できるよう、絶対的相対評価を定めています

 ただ、問題となるのは当時の(今でもそうでしょうが)高校が偏差値上位校、中位校、下位校にはっきり分かれていることです。学区内の高校が多いとさらに細分化され、ABCDEに分かれていました。
 すでに高校入試の段階から中学生は各自の成績に応じた高校を受験しています。すなわち、中学校の成績で「4・5」が多いとA校、「3・4」多数ならB校、平均「3」ならC校、平均「2」ならD校かE校……。

 以前高校入試では中学校から「5段階度数分布表」が送られてくると書きました。それを見れば、高校のレベルが一目瞭然です。かたや「4」以上の生徒が多数を占めているA校……から、かたや「2」が多い生徒が受験してくるD校。
 私が新採用として赴任した高校は新設数年目のDランク校でした。校長や先生方は中学校に対して「偏らせず、まんべんなく受験させてください」と要望していたものです。

 閑話休題。ABCDE5校が評定平均を全て「5.5〜6.5に入れる」と決めると、上位校A・Bの生徒にとっては辛い成績評価になります。
 なぜなら、このレベルの生徒は授業でやったことをそのままテストに出すと、ほぼ全員80とか90点を取ります。これでは毎回「ゲタをはかせる」の逆をやらなければなりません。
 そこで、テストに入試問題とか応用問題を入れて平均点を65くらいまで落とします(結果AB校の授業とテストは予備校のようになり、一般入試に強くなる)。ところが、推薦入試に必要な5段階評定平均は(実力より)低くなります。

 簡単に言うと、A校では平均点くらいしか取れない、5段階オール「3」の生徒がC校に行くと、平均点プラス10から20点を取れてオール「4」の評定がつく可能性が高い。つまり、A校の評定平均3.9とC校の3.9は同じとは言えず、むしろC校が優遇されていると見なすことができます。推薦条件4.0以上だと、C校で4.0の生徒は受験できる。しかし、A校3.9の生徒は受験できません。

 このようなわけでA校は内規の評定平均を「6.5〜7.5」に上げ、B校は「6.0〜7.0」、C校以下は「5.5〜6.5」にしています。こうすることで推薦入試でA校、B校の生徒が不利にならないよう(暗黙の了解事項として)規約が決められていた(と思います)。

 ちなみに、D校やE校になると、授業でやったことをそのまま出すテストでも、クラスの平均点は50〜60点くらいです。だから、入試問題など出せません。結果、DE校のテストで90点をたくさん取ってオール5に近い成績が並んでも、大学の一般入試にはなかなか合格できず、推薦試験で進学するのが精一杯となります。

 以上、高校の成績評価について(淡々と)説明しました。

 あまり感情的な言葉を使わなかったわけは、大学に入試があり、高校(普通科)が大学を目指す以上、この成績評価は「やむを得ざる」付け方であり、必ずしも悪いと思えないからです。
 むしろ高校最大の問題は高校に格差があること。偏差値上位校、中位校、下位校に分けられている――《いびつさ》にある、と私は考えています。
(作者注……この件は次号以降に回します。なぜ「いびつ」と言うのか、考えてください)。

 私の提言は学校において宿題やテストをやめ、成績をつけるのをやめ、高校入試も、大学入試もやめることです。この件もいずれ詳しく語りたいと思います。根拠の素(もと)は今号にたらふく書かれています。

 最後に、以前「そもそも学校の勉強とは一体何のため、誰のためにするのか」について、以下の質問に「はい・いいえ」で答えてもらいました。
 再掲するので、再度考えてください。ちょっと表現を変え、一項目追加しました。

 ※ なぜ勉強するのか。何のため、誰のために勉強するのか。
1 父親・母親、学校の先生に誉めてもらうために勉強する。――はい?
2 テストや宿題があるから勉強する。――はい?
3 入試に合格するためには勉強しなければならない。――はい?
4 企業や組織が求める人間になるために勉強する。――はい?
5 世の中の役に立つために勉強する。――はい?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記: 前号の「後記」は2月半ばに書いていました。すると、一昨日(26日)政府より「コロナウイルス対策、今後の方針」が出され、「日本全土を封鎖すべき」と主張したことが実行されようとしているので、驚きました。
 ただし、中国のように「都市封鎖」ではない。つまり政府の命令ではなく「個人、医師、自治体、企業、イベント主催者の判断で」という、「みなさんの個人責任でやってください。政府は結果に責任は負いません」という情けない方針でした。

 その中に示された「風邪の症状、37.5度の熱が4日続いても自宅待機」とは、すなわち自分の症状が重いか、軽いか自己診断してくださいというのです。それを診断してもらうのはお医者さんでしょう。どの医療番組でも「個人が勝手に診断して大したことないと言っていたら、重病を見逃しますよ。すぐ病院に行ってください」と言っているのに。
 あるいは、会社が「休む」と決めなければ、満員電車で出勤します。学校が休校になっても、夫婦共働きなら子どもたちは「学童保育」に集まるしかありません。家に閉じこもるためには(緊急要員以外)全ての職場を閉鎖する必要があります。中国では食料も各戸に届けていたようです。

 私は今の政府を見ていて戦前の軍部大本営を思い出しました。大国アメリカに単独で戦争をしかけ、方針の過ちを認めず、勝った勝ったと偽り、無条件降伏を1年伸ばした結果、沖縄戦、都市の大空襲、広島・長崎の原爆を招き、北方4島を失った……。
 それが今未知の敵コロナウイルスに対して繰り返されようとしているのではないか。かつて焦土となったように、日本全土に肺炎患者が蔓延しなければ良いのですが。
 日本のオリンピック組織委員会が「強行突破だ」と言ったとか。私には「一億総玉砕」と同じ言葉に聞こえました。

 ただ、日本は危機があると神風が吹く国でもあります。
 五月ころ「良かった。あまりひどくならずに終息できた。これならオリンピックもできる」と書けることを祈っています。 御影祐
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「一読法を学べ」  第 36 へ (3月13日発行)

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