カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 37号

一読法からの提言T

 7「成績つけるのやめませんか」




|本  文 | 一読法を学べ トップ | HPトップ


(^o^)(-_-;)(^_-)(-_-;)(^_-)(~o~)(*_*)(^_^)(+_+)(>_<)(^o^)(ΘΘ)(^_^;)(^.^)(-_-)(^o^)(-_-;)(^_-)(^_-)

『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 37号

(^o^)(-_-;)(^_-)(-_-;)(^_-)(~o~)(*_*)(^_^)(+_+)(>_<)(^o^)(ΘΘ)(^_^;)(^.^)(-_-)(^o^)(-_-;)(^_-)(^_-)

           原則隔週 配信 2020年4月03日(金)



 前号にて予告した今号以降の提言は以下の通り。
 [ 7☆ ] 国社数理英五教科の内容、到達点を半分にしませんか。
 [ 8★ ] 高校入試、センター試験(共通テスト)をやめませんか。
 [ 9★ ] 成績つけるのやめませんか。

 その後気が変わって先に「★成績つけるのやめませんか」について語ることにしました。いつものように長くなったので二つに分けます。

 先日新指導要領による中学校の教科書が検定通過したと報道がありました。「以前と比べて2倍の厚みになった」とか。それを聞いて暗澹たる気持ちになったのは私だけでしょうか。「ゆとり教育」の失敗(?)・反省による増補改訂であることは間違いありません。
 これでは「各教科の内容を半減しよう」との主張はもはや破綻した愚論として扱われそうだし、「高校入試・大学入試をやめよう」との提言も「読む価値だにない暴論」としてゴミ箱行きでしょう。
 私の提言は単なる「半減」ではありません。「入試をやめてどうするか」についてもユニークな案があります。しかし、そのためには高校入試・大学入試を廃止せねばなりません。

 そこで我が提言に説得力を持たせるため、そもそもなぜ小中高の児童生徒に成績をつけるのか。「そんなの当然だろ」というテーマを、先に考察することにしました。
 と言うのは子どもたちに「その場しのぎの勉強をやめませんか」といくら言っても、成績評価と入試がある限り、勉学はその場しのぎにならざるを得ないからです。「臭い匂いは元から断たねば」なりません(^_^;)。

 どうか読者各位もまず「なぜ成績をつけるのか。人が人を評価するのは正しいことか。正しく評価できるのか」について(本文を読む前に)考えてみてください。
 私は「成績をつける必要はない。人を評価するのは正しいことではない。大人は子どもを(敷衍して人は他人を)正しく評価できない」という結論です。[敷衍の漢字を読めず意味不明の方はすぐにネット検索してください]

 この結論に対して自分の考え・反論を用意してから本文をお読みください。これぞ一読法です。
 なお、「世の中がそれを必要としているから」は反論として却下します。

 [以下今号
 一読法からの提言 7 「★ 成績つけるのやめませんか」
 [ 人は正しい評価などできない

 以下次号 8
 「成績をつけるのは誰のためか」


 本号の難読漢字
・暗澹(あんたん)・破綻(はたん)・敷衍(ふえん)・栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し・只(ただ)の人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 37 一読法からの提言T
 7 ★ 成績つけるのやめませんか

[7] 人は正しい評価などできない

 前号にて触れたように、小中高の教科は国社数理英の座学と、体育、音楽・美術、家庭・技術の実技に分かれます。まず実技科目の成績付けについて考えてみます。

 絵を描くのが上手か下手か。歌がうまいか音痴か。鉄棒や跳び箱、走るのが得意か苦手か。それを5段階に評価するとして、どうしてある時期、ある年齢において「この子は5だ、3だ、1だ」と点数評価するのでしょう。
 最大の問題点は数値化にあると思っています。たとえば、「彼の絵はとてもうまい・彼女の歌はとても上手だ」と言葉で評価するのと、「彼が描いた絵は最高の5だ。彼女の歌も5だ」と評価することは同じではない、と思います。
 絵を見たり歌を聞いた人が「彼の絵は素晴らしい・彼女の歌は天使のようだ」と言ったとしても、それは「所詮その人個人の誉め言葉に過ぎない」と誰もが理解しています。つまり、個人的見解ということです。

 それを言った人が親であれば、絵を見て「親バカかな」と感じることがある。あるいは、学校の先生が言った場合でも、国語とか数学、美術や音楽の先生が言ったかによって受け取り方が違う。さらに、それが著名な画家やプロの作曲家の言葉なら「これは相当ハイレベルかもしれない」と感じます。
 ところが、5段階で最高評価となる「この絵は5だ。この歌は5だ」と成績が付けられると、本来評価する人によって違いがあるはずなのに、まるで完璧にして純客観的な評価であるかのような錯覚をもたらします。
 ゆえに、(以前書いたことと矛盾して)「学校の先生方に絶対評価はできない。相対評価しかできない」との結論が導き出されますが、詳細は次号に回します。

 別のわかりやすい例で説明します。テレビの「うまいもの」名店探訪番組で、リポーターが料理を堪能後「星3つ」とか「星4つ」と批評する。最高は星5つ。
 すると、ある店ではよっぽどおいしかったか、勝手に☆を一つ付け足して「ここは星6つです!」と言ったりすることがあります。
 この瞬間5段階評価が崩壊して「5段階とは彼の経験内における選別でしかなかった」ことが暴露されます。
 と言うのは、このリポーターがもしもさらにおいしい料理と遭遇したら、彼は☆7つをつけ、☆8つをつけるであろうと想像できるからです。もしもそれが☆10ヶまで伸展したなら、最初のころ付けた最高位の《☆5つ》は平均値でしかなかったことがわかります。

 料理の場合は好き嫌いによって評価が割れるし、どれだけ多くの店で食べたことがあるか、つまり経験も大きな意味を持ちます。カレーライスは母親が作ったカレーが☆5つであり、有名レストランの(ジャガイモ・ニンジンの入っていない)カレーは☆3つかもしれません。日本でカレー店を渡り歩いた人がインドまで行って「カレーを食べたけど、がっかりした」というのはよく聞く話です。この人はインドのカレーに☆2つを付けるでしょう。

 また、次のような例もあります。私はあるとき数人の友人と温泉旅行に出かけ、当地で評判のそば屋に行きました。そこは「コシがあってとてもおいしい。☆5つだ」と多くのコメントがあったところです。開店時すでに何人もの人が並び、我々は第二陣として三十分ほど待ってようやく中に入れました。
 その後出されたそばを黙々と食べ、そして店を出ました。
 すると一人が「評判ほどじゃないな」と感想を言いました。私も「あれはコシがあるんじゃなくて固いソバだね」と応じました。そばやつゆがあるレベル以上にあることは間違いない。だが、最大の売りである「コシの強さ」を固いことだと勘違いしているように思えた。当然我々の評価は5段階の3か2でした。

 かと言って我々が別のそば屋に行って「さすがにここのそばはうまい。星5つだ」と評価しても、日本全国のそば屋を踏破したわけではありません。この星5つとは「私が行ったそば屋さんの中では最高」という限定付きです。
 ちなみに、麺類の「コシの強さ」とは「固さ」ではない。「柔らかいのに固い」麺です。失礼ながら、意味不明の人はうどんの方がわかりやすいので、ぜひ四国に行って本場のさぬきうどんを賞味してください。「これがコシの強さか」と納得されると思います。

 閑話休題。これは料理だけの話にとどまりません。学校の成績づけでも同じ問題が起こります。そもそも我々は時代や個人の経験を超えて正しく評価できるのか――と問えば、「できません」と答えるのが誠実な態度ではないでしょうか。

 また、別の例をあげます。ピカソが生きた時代、授業で「泣く女」を描いて提出したら、美術の先生はほぼ「1」をつけただろうと思います。ゴッホの太陽が燃えるようなひまわりの絵も「1」です。二人の絵が後世何億何十億もの値がつくと、一体誰が想像したことか。
 現代では世界に一枚しかない希少価値、資産価値だけでなく、どちらも素晴らしい芸術作品として評価されています。つまり、今の美術の先生はみな「泣く女」と「ひまわり」に「5」をつけるということです。

 キュービスムのピカソは今でも「評価しない」と言う方がいらっしゃるかもしれません。では、その前の印象派はどうか。クロード・モネの「印象・日の出」が登場したとき、「こんなの絵じゃない」と酷評されたことは有名な話です。
 また、ピカソの絵は生前まだ売れました。が、ゴッホは2000枚も描いたのに、1枚しか売れていません。当時は学校の先生だけでなく、多くの人がゴッホの作品を、買うに値しない「1」と評価したということです。ピストル自殺したゴッホは天国で「お前たちの評価とは一体何だったのだ」と叫んでいることでしょう。

 また別の例として、女流詩人金子みすゞに「私と小鳥と鈴と」という詩があります。「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」の部分が有名です。人は一人一人違っていいんだと、多様性を認める模範のような言葉です。引用して紹介する方も多いことでしょう。
 しかし、世の中の大人は果たしてこの言葉を真理として受け取っているか。所詮理屈であり、タテマエでしかないと感じているのではないか。ほんとは「みんな違ってみんないい」などと思っていない。むしろ「違いがあるから、違いに応じて成績を付けるのだ」と考えている。だから、子どもの勉強や実技に点数を付けて3段階・5段階に分けることに、誰も異議をとなえないのでしょう。
 多くの人は「私と小鳥と鈴」に対してこう思っている。「霊長類の人間が5で小鳥は3。鈴はいい音色なら4だが、不格好で悪い音色の鈴は2だ」と。小鳥も「美しく鳴くウグイスは5で、稲などを食い荒らす害鳥は1だ。増えすぎたら殺しても構わない」と。

 子どもには一人一人違いがある。実技や座学で好き嫌い、上手下手、得意不得意がある。なのに、「あなたはよくできるから5、あなたはできないから1」と選別している。「あなたは絵が下手だから1。音痴だから1。走るといつもドベだから1」と評価している。「みんな違ってみんないい」などと思っていないではありませんか。「お前は人と比べて劣っている」と宣告しているのです。

 子どもは大人の評価に対して「私は1でいい」とは思いません。「がんばろう」と思います。学校の先生も親御さんも「あなたはがんばればできる。もっとがんばりなさい」と叱咤激励する。みんな違ってみんないいなら、「もっとがんばれ」と言う必要はない。「1」そのものをつける必要がないではありませんか。

 そもそもみすゞさんの言葉を借りるなら、私たち人間はみんな空を飛べない点において「1」です。小鳥たちが「5」です。トンボや蝶やハチやハエが「5」です。
 かといって誰も「あなたはがんばれば空を飛べるようになる。もっとがんばりなさい。練習しなさい」と言う人はいません。「空を飛べないあなたは1です。人間は能力の低い生き物です」とも言わないでしょう。

 世の中にはどんなにがんばっても走ることが苦手、絵が下手、歌が下手な子がいます。あるいは、体育万能でオリンピックを目指していつも「5」だった男の子が事故にあって片足を失った。すると、義足を付けた彼はもう走ることも跳び箱も満足にできません。今まで体育が下手だとバカにしていた連中の足下にも及ばない。そのとき体育の成績は「1」がつくでしょう。
 その子にとってそれは屈辱的で、だからと言って一年間見学ばかりだった自分、義足に慣れて走れるようになったけれど、ビリとなった自分に「3」を付けられても、彼は喜ばないでしょう。体育で「1」になった自分はもう生きる意味がないと思うかもしれません。「5」と評価されたゆえの苦しみがここから始まります。

 彼がそこからパラリンピック代表を目指すのに評価「5」も「1」もいりません。人はいつも現在がスタートであり、そこから未来に向かって歩き始める。
 どうしてある時期、ある年齢において「この子は5だ、3だ、1だ」と点数評価するのでしょう。得意ならそれでいい、下手でも別に構わない。それがその地点の「ありのまま」である。人は変わるものであり、成長する生き物である。ある地点の状況を数字で評価する必要はない。いわんや人と比べる必要はない。その評価を10年20年持ち続けることに、一体何の意味があるのか、と言いたいのです。

 ことわざの「栴檀は双葉より芳し」は幼い頃から光る素質を表しています。では、それがずっと続くかと言うと、「十で神童十五で才子、二十(はたち)過ぎれば只の人」なることわざもあります。逆に幼い頃は大したことなかった。だが、「大器晩成」とも言われる。
 もう一度書きます。どうしてある時期、ある年齢において「この子は5だ、3だ、1だ」と点数評価するのか。5がついた子は優秀で、3は平均だが、1は劣っていると評価する。それは正しいとどうして言えるのでしょうか。

 さらに、先程ピカソやゴッホの例をあげたように、先生の評価は適切だったか、先生は「できない子」をしっかり指導できたか――その問題もあります。
 私は小学校高学年の三年間、美術はいつも5段階の「2」でした。親も私が持ち帰った作品を見て「この子に絵の才能はない」と思っていたことでしょう。「もっとがんばれ」と言われることはなかった。何より本人が才能のなさを痛感していました。
 ところが、中一になって突然「5」に変わりました。私が通ったころは小中とも相対評価でした。3つの小学校児童が集まって100名強の中学校でしたから、成績「2」とは限りなく「1」に近い下位であり、「5」は上位7名の中に入ったことを意味します。一体何があったのでしょう。

 小学校の美術はほぼ水彩画でした。それも風景を描かせることが多かった。水彩の得意な子はさらさらと薄い色で、さも風景画といったうまい絵を描き「5」の成績がつく。私はそれが苦手だったし、おざなりの絵を提出したので、いつも「2」でした。

 中一最初の課題は読書感想画でした。私は国語の教科書にあった作品を選びました。今となっては題名も作者名も覚えていないけれど、小説かエッセーで「目の見えない人たちが春になってバス旅行に出かけた。ガイドさんは外の風景を説明しても、みな顔が動かないので戸惑った。その後河原近くを走っていたとき、土手に生えるたくさんのツクシに気づいた。ガイドさんは『そうだ』と思ってバスを停めてもらい外に出た。そして、人数分のツクシを摘み取り、『春を感じてください』と言ってお客さん一人一人に手渡した」との内容でした。

 私はこの感想画として画面に大きく二つの手を配し、片方の手のひらにツクシが置かれた様子を描きました。つまり、ツクシを渡し終えたところを拡大して描いたのです。絵の具はもちろん水彩。しかし、薄く塗るのではなく油絵のように濃く色づけして手は写実的に描きました。眺めたクラスメイトから「へえっ」と感心されたことを覚えています。
 終了後先生はクラスの中で最もいい作品を投票させました。結果、私の作品が1位に選ばれ、先生も高く評価しました。
 その後彫刻刀を使っての版画、エッチングなどの課題(小学校ではなかった)に対して、私は遠くから描くのではなく、拡大して細かく描く手法で制作しました。クラスの女子の横顔を彫った版画は学校の代表として郡の大会に出品されました(佳作でしたが)。かくして、1年時美術の成績が「5」になったというわけです。

 これを言い換えると、私に絵の才能がなかったわけではない、ただ、小学校の先生は(私の両親も)それを引き出せなかった、ということができます。
 以前あるテレビ番組で、画家が出身小学校に出向いて絵の指導をする授業を見たことがあります。画家はまず「好きな絵を模写する」活動をさせました。絵画上達の訓練としてよく知られています。児童全員にさせるのも面白いと思いつつ見ました。できあがった作品は当然うまい下手があります。
 模写が完成すると、画家は「今度は絵を見ないで、もう一度同じものを描こう」というのです。驚きました。

 そして、完成した作品を見てもっと驚きました。一度目の模写は所詮模写だけれど、二度目の作品はもはや模写を超えて独創的な作品となっていたからです。一人一人違うし、うまい下手もない――と言うか下手に見えても、それが気にならない。言葉でいうなら、個性的な作品ができあがっていたのです。
 中には「本物はこうなっていたけど、私はこうしたい。この部分は消したい」と言う児童もいる。画家は「あなたが思ったとおりに描きなさい」と指導していました。
 一度目の模写なら、私でも「5〜2」の評価をつけることができる。しかし、二度目の作品に「点数は付けられない」と思いました。それこそ「みんな違ってみんないい」でした。
「ああ、私も小学校の美術でこんな授業を受けてみたかった」とつぶやいたことです。

 別の例として私は小学校時代走るのが苦手で運動会の徒競走はいつもどん尻争いでした。では「どうやったら早く走れるか」指導を受けた記憶がありません。
 ところが、何年か前あるテレビ番組で「速く走るにはどうするか」専門家が子どもに教えていました。それによると「ももを高く上げること、手を大きく速く振ること、身体を少し前に傾けることだ」と言うのです。人生六十年にしてそんなこと初めて聞きました。
 こちらも「ああ、小学校のころそのことを聞いていれば、私ももう少し速く走れただろうに」と思ったものです。

 本題をそれたかもしれません。もう一つ、テストをやり成績を付ける弊害について語っておきたいことがあります。
 先程「教師は子どもを正しく評価できるのか」と問題にしました。私の美術は能力がなく低評価とされた例でした。この逆に「その年齢としてはものすごく高い能力を持っていると評価され、先生は誰でも5をつける」場合があります。実技科目の体育、美術、音楽はこれが多い。
 たとえば、三歳くらいからピアノをやっていると、小学校・中学校の音楽はずっと「5」でしょう。幼稚園や保育所によっては五、六歳でマットや跳び箱をやらせ、宙返りができるようになる子がいます。その子は小学校の体育でまず「5」をもらえます。

 そして、国社数理英の五教科でもこれが可能です。私は国数英でこのタイプでした。
 小学校に入学する前、私はひらがな、カタカナだけでなく、1年次の漢字をすでにマスターしていました。1年になれば2年の漢字、2年では3年の……と一つ上の漢字を下の学年で習得していた。父が出題する漢字テストがそうなっていたからです。
 テストと言っても紙ではありません。家に小さな黒板があり、それを使用しての漢字練習でした。私は黒板の前に座り、父がそばで漢字の読みを言う。私はそれを黒板に書く。正しければ消して次の漢字。間違ったり、書けないとノートに抜き出して後で覚える。
 この練習は音訓の「書き」ばかりですが、音が続く熟語は各字の訓を言わせるので、訓読みもよく覚えました。そして、学年の漢字をクリアすると、上の学年の漢字練習に移る。だから、学校の漢字テストはいつも満点でした。

 黒板漢字練習は低学年だと月に二回くらいやったと思います。その後減っていって高学年になったころなくなりました。「まるで鬼のような教育パパだな」と思われるかもしれませんが、当時の私にとっては楽しいゲーム感覚でした。テレビゲームなどなかった時代、「漢字やるか」と言われると、「やるやる」と応じたものです。

 もう一つ私の国語力を増したのは読書です。ただ以前書いたように、家には書物が数えるほどしかなかった。なのに、私は漢字の読みだけでなく朗読も得意でした。
 これもその学年の教科書を読んだからではなく、高学年向けの本を読んでいたからだと思います。
 私が小学校に入学したとき、家には講談社発行の『少年少女世界文学全集』がありました。もっとも、そのうち2冊だけ(アメリカ編の14巻とドイツ編の23巻)。ネット検索してみたら1959年発行、全50巻でした。
 なぜその2巻だけあったのか、今となっては知る由もありません。両親は読書家ではなく、家も貧乏だったから、2冊の購入が精一杯だったのかもしれません。
 もしも家に全50巻があったら、私のその後は変わっていたか、いなかったか。人生にればたらはないので、別の次元の自分は想像できません。私は2巻しかない家に育ち、その後の人生を歩みました。

 この全集の最大特徴は(戦後十数年経っているのに)漢字がほぼルビ付きだったことです。内容としては小4前後から小6向けの全集でしょうか。おそらく小学校1、2年でも「読めるように」との配慮から、ほぼ総ルビにしたのだと思います。
 ゆえに、私は小一からこの2冊を読み始め、小六まで何度も読みました。特にマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』が大好きで、1年に一度は読んでいたような気がします。
 別に「読め」と言われたわけではありません。面白くて好きになったから、そして家にはこの2冊しかなかったから読んでいただけです。

 学校の図書室には50巻全て揃っていたと思います。何冊か借り出して読んだ記憶があります。が、全巻読むほど、私は本の虫ではなかった。家の2冊を何度も読んでいたおかげか、教科書をすらすら読むことは「お茶の子さいさい」でした。

 算数も日曜日など父はよく見てくれました。小一を終える頃かけ算の九九はほぼ覚えていましたが、こちらはむしろ復習が多かった気がします。
 そして、当時中学校から始まる英語。私は小六の一年間ラジオの「基礎英語」をやりました。自ら希望するわけはなく、やらされたと言うべきでしょう。
 六時半頃起きて寝ぼけ眼で「ディス イズ ア ペン」と口ずさむ。確か月曜から金曜まで毎日だったと思います。いやいやでしたが、これによって中学入学後「まずABCDを読もう、書こう」から始まる英語はチョー簡単。テストはほぼ満点であり、評価はずっと「5」でした。
 この事前学習の良かったところは発音記号が読めるようになったことでしょう。同学年の中では発音も正確だったからか、3年の時郡の英語暗唱大会に中学校の代表(2名)として参加しました。女子が多数の中で男子は三名ほど。当然上位は女子独占でした(後に高専に行って自分の発音も英語力も平均以下だとわかりました)。

 さて、みなさん方は私に施された「前もって得意な科目をつくる。上の学年の内容を勉強させておく」家庭教育をどう思われるでしょうか。
 これは「わが子を優等生にできる秘策」です。が、教育熱心な親ならよくやっている(やらせている)、秘密でも何でもない、おおっぴらな家庭教育かもしれません。
 当時英語暗唱大会の中学校代表は予選などなく、先生が直に指名していました。後に卒後何十年目かの同級会の席で、ある女性から「なんであなたが代表に選ばれたのかわからない。私だと思っていた」と(非難半分、冗談半分で)言われたことがあります。ちょっと驚きの告白でした。
 そのとき彼女も「小学校五年から英語を勉強していたので、中学校はほぼ満点でずっと5だった」と言うのです。私は「自分だけじゃなかったんだ」と思いました。

 私はこの学習方法を「ずるい」と思います。徒競走で言うならフライングです。人より早くスタートしたら、真っ先にゴールに達する。そんなの当たり前です。競艇ではフライングした選手は失格になるだけでなく、ものすごく怒られるそうです。フライング選手の舟券は返還となるので、売り上げが激減するからです。
 ところが、学校でこのフライングは許されています。人より先に上の学年の内容を勉強すれば、好成績を得られる。「5」を並べれば優等生として評価される。

 考えなければならないのは次のことです。このフライング勉強によって私や彼女は中学校で英語の成績がずっと「5」でした。では、その後全ての学校教育を終えたとき、英語はどこまでできるようになったか。外人さんと会話できたか、英語の文書を読んだか、英文をすらすら書いたか――と問われるなら、全くできなかったと白状します。
 英語暗唱大会に出たかった彼女にも聞きました。「できるようになったかい」と。彼女は「できるわけないじゃない」と言って高らかに笑いました。

 一体あの英語勉強って、そして学校の英語教育って何だったのでしょう。少なくとも私は英語学習より、世界や日本の児童文学をたくさん読みたかった、と思います。

 長くなりました。「成績つけるのやめませんか」、その1の結論。以下4点です。

1 成績をつける必要はない一つ目の理由。それは一人一人違って構わないからであり、その違いの中には「できる・できない」の違いも入る。できるから評価が高く、できないから低い。そのような選別をする必要はないと言いたいのです。
 世の中にはどんなにがんばっても走ることが苦手、絵が下手、歌が下手な子がいます。それがその子のありのままです。また、逆に走ることが得意、絵がうまい、歌がうまい子どもがいる。それもまた「うまいね。速いね」と誉めればいいだけの話。なぜ数値評価するのか。

2 しかも、評価する大人は、所詮時代の影響を受け、自身の経験によって判定する、個人的感覚的評価でしかない。前者を「1」と評価し、後者を「5」と数値化することで、まるで絶対的・客観的に「正しい評価」であるかのように思っている。それを錯覚と呼ばずしてなんと呼ぼう(ここで「指導要領に定められた内容を到達点として評価しているから充分客観的である」との反論については次号)。

3 つまり、正しく成績をつけることはできない。
 5段階の「5」も「1」も、ある時期の評価でしかない。「1」の評価が1年後「5」に変わったとき、前年の評価はなんの意味を持つのか。それを平均して評価「3」としたとき、その評価は児童生徒を正しく評価したと言えるのか

4 相対評価だろうが、絶対評価だろうが、フライング勉強をすれば、テストは高得点が獲れて「5」が並ぶ。それをさせるのは親と塾。子どもにフライング勉強をさせ、塾に行かせる。正直に学校だけで勉強している子どもは落ちこぼれる。
 だが、学校は成績不良者を拾い上げる手間ひまをかけていない(先生が個人的にやっていることはあっても、システムとして構築されていない)。落ちこぼれも余分な金をかけて塾に行かねばならない。「学校は塾を繁盛させるためにある」と言ったら言い過ぎでしょうか。

 また、フライング勉強は優等生に学習意欲を失わせる。1年分の予習を終えたようなものだから、彼らにとって授業は新鮮みのない、つまらない時間つぶしとなる。そして、最高点の「5」を獲れるから、さらにその上を目指して勉強を深めようとは思わない。
 フライング勉強によって国社数理英に「5」を並べた優等生の多くは、二十歳過ぎたら「只の人」になっている……と私は思います。


===================================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:3月29日新型コロナ感染によって入院加療していた志村けんさんが亡くなりました。総理の名は言えなくとも、彼の名を知らない人はいないでしょう。私は訃報を聞いたとき「大本営に殺された」と思って涙が出ました。コロナ感染で死ぬとき、身内は看取ることもできない。彼はコロナ感染の怖さを死をもって教えてくれました(詳細は「コロナ感染」メルマガにて)。冥福をお祈りいたします。
===================================

「一読法を学べ」  第 38 へ (4月17日発行)

画面トップ

→『空海マオの青春』論文編メルマガ 読者登録

一読法を学べ トップ | HPトップ

Copyright(C) 2019 MIKAGEYUU.All rights reserved.