【第9回】 狂短歌
☆ 真っ暗なみくろど窟より見上げれば 窓の遙(はる)かに 月と明星
みくろどの明星 [画像8枚]
とうとう目的を果たした(^o^)。
私は御蔵洞(みくろど)窟から、太平洋上空に浮かぶ明けの明星を眺めたのだ!
昨日未明の舎心が嶽では、明けの明星は月の右斜め下にあった。だが、今日は早くも月の右斜め上空に移動していた(厳密には明星が定位置で月が移動したと言うべきか)。そして、双子洞窟の窟内から眺めたとき、東側の神明(じんみょう)窟からは、岩陰に隠れて明星が全く見えなかった。水滴が多く穴が深い西側のみくろど窟からなら、間違いなく明星を見ることができた。感激だった(^O^)。
この日も私はうつらうつらとした状態で、午前3時前には早くも目が覚めた。ホテルの部屋は東側が窓だった。だから、私はすぐにカーテンを開けて東の海上を見渡した。
まず下弦の月を探した。だが、どこにも見えない。海上の漁り火らしい灯火がいくつかあるだけで、もちろん明星も見えない。曇っているのか、方向が違うのか。ホテルの窓の下は草原だった。そこが結構明るい。それはホテルの明かりだけでなく、室戸灯台の強烈なサーチライトのせいのようだ。ライトの輝線が一定間隔で中空を行ったり来たりしている。
それからしばらくしてようやく下弦の月が見え始めた。ところが、右斜め下に輝いているはずの明星が見えない。雲がその高さをおおっているせいだ。下弦の月も見えたかと思うとふっと消える。だから、雲は結構厚いのかもしれない。私はちょっとやばいなと思った。しかし、雲は上空高いところにはなさそうだ。
そのうち全く別の北東水平線近くで、昨夜と同じように一際輝く星が見え始めた。驚いて見ていたら、徐々に薄くなって消えた。船の灯火だったようだ(^_^;)。
明星を確認できないまま、私は着替えてホテルの従業員口から外へ出た。
そして、国道を双子洞窟へ向かった。
道路はペンライトを必要としないほど明るい。昨夜舎心が嶽で体験した真っ暗闇とは段違いだ。そのせいか昨夜のような総毛立つ震えは起きない。しばらく歩くと東の空にぼんやり下弦の月が浮かんだ。薄い雲が漂っている。見上げると空の天辺(てっぺん)にW型のカシオペア座がある。
これで位置関係ははっきり確認できた。きっと月の近くに明星が現れるはずだと思った。
赤みを帯びた月は雲に隠れ、また姿を現す。と思うと、また隠れる。明星はなかなか出現しなかった(-_-)。
3時40分頃だろうか、ようやく月の右斜め上空に明星が輝き始めた。だが、それはダイヤモンドの輝きではない。昨夜南の舎心が嶽で見た明星と比べると、半分ほどの輝きしかない。もちろん充分きらめいてはいた。しかし、私は昨夜の明星を見ているだけに若干がっかりした。室戸岬で明星を見るのは初めてである。それゆえ、比較のしようがないが、この明るさならどこか他の地域でも見たと思える――その程度の輝きでしかなかった。しかも、明星はしばしば雲に隠れ、薄くなったかと思うとふっと消えてしまう。
私は取りあえず双子洞窟までやって来た。双子洞窟前の広場も思った以上に明るい。ここでもペンライトは必要なかった。私はそこからしばらく月と明星を眺めた。そして、四時頃雲が低くなると、ようやく二つの輝きが一定してきた。
☆ 室戸岬上空の月と明星(午前4時2分)
私はまず東側(向かって右側)の神明(じんみょう)窟へ入った。さすがに中は真っ暗でぞくぞくっとくる。
すぐにギャーテー、ギャーテー、ハラギャーテーをとなえ、心を落ち着かせた(^_^;)。そして、内部から入口方向を見た。すると意外なことに月も明星も見えない。大きな岩がちょうどそちらへの視線を塞いでいるのだ。このとき初めて神明窟が東と言うより、南方向へ口を開けていることがわかった。
明星が見えないのでは、それ以上神明窟にいても仕方ない。私は西側御蔵洞(みくろど)窟へ向かった。
入り口の鳥居をくぐり、中へ入る。さすがにこちらは奥が深いので、歩いて行くに従って真っ暗闇となる。昼間あったコウモリらしきものの鳴き声が全く聞こえない。しんとして静かだ。
私は鳥肌が立ち、ぞくぞくと身体が震えた。ライトなくして歩けない。しかも、明かりに照らされた大小の石仏がどうしても不気味である。入り口方向を振り返ったときには総毛だった。背後から何ものかに襲われそうな恐怖が走ったからだ。
私は求聞持法(ぐもんじほう)の真言「ノウボウ、アキャシャ、キャラバヤ、オンアリキャ、マリボリソワカ」を一生懸命となえた(^_^;)。もう覚えたようだ。なんの苦もなくその真言が口をついて出た。
☆ みくろど窟内より見た月と明星(午前4時8分)(大きくブレました(T_T)
それから唯一の窓――入り口方向を見やる。それはかなり明るい窓だった。私は鳥居の向こうに下弦の月を見出し、さらにその右上空に明けの明星を発見した。
明星は先ほどより明るかったが、やはり昨夜見たダイヤモンドの明星ではない。灯台のサーチライトはかなり辺りを照らしているようだ。空海の時代を考えるなら、もちろんあの時代に巨大な灯台があるはずもなく、辺りは真っ暗闇だったろう。すると、空海はこの地であのダイヤモンドの明星を見たはずである。
私は頭の中で昨夜の明星を思い浮かべ、1200年の時空を超えた空海の視線を感じ取ろうと思った。1200年前の深夜、空海は確かにここにいた。そして、真言をとなえつつあの明星を見た。もしこの洞窟からでっかい明星を見たなら、やはり空海は大感激したことだろう。
私は彼をまねするかのように、「ノウボウ、アキャシャ、キャラバヤ、オンアリキャ、マリボリソワカ」の真言をとなえ続けた。そして、入り口の窓の形がまるで梵字(ぼんじ)のようだと思った。これもまた面白い発見だった。
☆ みくろど窟前より見た月と明星(午前4時13分)(これもブレブレ(^_-)
☆ 夜明け前の月と明星(午前4時29分)(これはくっきり(^o^)
☆ みくろど窟内より夜明け前の月と明星(午前4時32分)(固定すべきだった(^.^)
それから洞窟を出た。4時半以降はエボシ岩近くから海と空を眺めた。下弦の月は次第に薄く白っぽくなり、有明けの月となる。明星もまた薄く灰色になり、辺りは徐々に明るくなった。
やがて5時近く、灰色の月の下で辺りは普通の朝の景色となった。それでも明星はかすかに見えていた。
☆ 夜明け前、灰色の月と明星(午前4時46分)
私は日の出を確認したかったが、遠く水平線の辺りは雲がかかっているのか朝日を見られなかった。
そのときご婦人二人連れと男性が一人遊歩道を歩いてきた。私は婦人の一人に日の出の方角を聞いた。彼女は一カ所だけ雲が赤く明るいところを指さして「紫だちたる雲の細くたなびいたところでしょうか」としゃれたことを言った。
結局、日の出は見えなかったが、その後その方角から浮かび上がる太陽を見ることができた。そのときには月も明星も消えてしまった。
☆ 室戸の夜明け(午前5時15分)
☆ みくろど窟より見る日の出(午前5時25分)
ホテルへ戻りながら、私は室戸岬での明星体験は昨晩ほどの感激がないと思った(^_-)。
むしろ、昨晩南の舎心が嶽で明星を見た幸いに感謝した。もし15日最大輝度の明星を見ようとして、室戸岬だけに来ていたら、あのダイヤモンドの明星は見られなかったことになる。
室戸岬灯台のライトがなければ、ここでも舎心が嶽のあの明星を見られたに違いない。私は真っ暗闇の舎心が嶽に苦労して登ったかいがあったと思った。空海は間違いなく舎心が嶽と室戸岬の双子洞窟から明けの明星を眺めた。そして、例年になく大きく輝くダイヤモンドの明星を見たに違いない。
私は鶴林(かくりん)寺から太龍(たいりゅう)寺、その後も札所を巡りつつ室戸岬までやって来た。空海が『三教指帰(さんごうしいき)序』に記した二カ所は「太龍が嶽と室戸岬」である。その順番通りに明けの明星を確認して良かったと思った。
ただ……と私は思った。来年もう一度太龍が嶽に登る必要があるかもしれない。今年(2004年)122年ぶりに起こった金星の日面通過。あるホームページには「この年の明星は他の年に比べてより明るく輝く」とあった。だが、空海が体験した明星神秘体験が本当に797年――空海24歳時の日面通過の年であったかどうか。それは他の年と比べて明星がどう見えるかを確認してみないとわからないかもしれない。室戸岬の明星は灯台のせいで空海実体験の明るさで見ることはできない。だが、舎心が嶽はかなり空海のときと同じように見えているのではないか。
私は来年明けの明星最大光輝の日、もう一度南の舎心が嶽に登って明星を見ようと思った。それがダイヤモンド状明星であるかどうかによって、空海の明星神秘体験の年代を確定できるだろう。(続)
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