室戸岬の花

  四国明星の旅



 明星の旅12「四国遍路旅

について」


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【第12回】   狂短歌


 ☆ 人は何か自分の答えを探すべく 四国遍路の旅に出るのか



 明星の旅12 「四国遍路旅について」

明星の旅12 「四国遍路旅について」[画像4枚]


 これで私の四国明星の旅は終わりです。
 最後に、室戸から徳島へ戻る途中、阿南海岸の夫婦岩で出会った歩き遍路の若者とのことを書いて、四国明星の旅のまとめにしたいと思います。

☆ 阿南海岸夫婦岩
阿南海岸夫婦岩

 夫婦岩の東屋(あずまや)は海風が吹き、真夏であることを忘れるほどさわやかな所だった(^o^)。
 太平洋が一望でき、夫婦岩も壮観だった。そこで一人の歩き遍路らしい若者が靴を脱いで休憩していた。おそらく日和佐あたりから歩いてここまで来たのだろう。
 私は夫婦岩の写真を撮ったら、すぐ出発するつもりだった。しかし、夫婦岩全体を写そうとバックしているうちにその東屋に近づいた。するとその若者が「撮りましょうか」と言ってきた。私のデジカメは寺や風景を写すことが目的だったので、自分自身はほとんど撮っていない。しかし、せっかくの好意を断る理由はない。だから私は「それじゃあお願いします」と撮ってもらった。

☆ 阿南海岸
阿南海岸

 それから私たちは東屋に座って言葉を交わし始めた。
 歩きですか。ええ。大変ですねえ。足に豆はできませんか。慣れました……と。
 彼は28歳だという。実家は妙心寺派で、宗派は違うが、寺の住職から八十八カ所巡りを勧められたそうだ。そのうち彼は出身が大分であるとうち明けた。私はそれを聞いてえっと思った。
 「実は私も大分出身なんですよ」と言うと、彼も意外な顔を見せた。
 それから私たちはいろいろと語り合った。私は空海のこと、双子洞窟のこと、昨日から今朝にかけての明星体験などを語った。彼はうなずきながら熱心に聞いてくれた。
 特に双子洞窟が美しい聖地であったこと。それはこの海岸線の中でこの夫婦岩の所だけが美しいのと同じ事であると。そうすると人はそこに注連縄(しめなわ)を張って、神がいますところ――聖地であることを示す。同じように双子洞窟も昔聖地だったと思うと語った。
 私はさらに今年122年ぶりに金星の日面通過が起こったこと。インターネットを検索して、空海が15歳と23歳の時にも、同じ日面通過現象があったこと。日面通過の年は特に金星が光り輝く。だから、空海の明星神秘体験は空海23歳の時だったのではないか……などと推理を語った。
 彼は私の説明に対して「私もそう思います」と強い口調で同意してくれた。
 私はうれしかった(^O^)。

 私に比べると彼は自分のことをあまり語らない。それでも十日ほど前、一番札所霊山(りょうぜん)寺から歩き始めたこと、タダで泊めてくれる家の話などをした。最近遍路を泊めてくれる一般篤志(とくし)家が少なくなっていることも語った。自転車遍路やオートバイ遍路などは夜酒を飲んで騒ぐという。しかし、歩き遍路だけは真面目な人が多いので、受け入れるらしいとも語った。
 私は思った。二十八歳の男性で八十八カ所巡りができるということは、定職に就いていないことを意味していよう。彼はやや舌足らずでのんびりとした話し方をする。そのスローテンポぶりからすると、スピーディーさを求める今の世の中では生きづらいだろうなと思った。真面目で一生懸命生きているのに、周囲からはテンポがのろい、とろいと言われてしまう。下手をすると無能と思われかねない。彼は何かしら抱えるものがあってこの巡礼に出たのかもしれない――私はそんなことを思った。
「できたら四十九日で歩き通したいと思っています」と彼は言った。
「私は車で回っているので、わからないけれど、全部歩き通したときには、その人だけにわかる何かを得るんでしょうね」と私は言った。
 彼は黙ってうなずいていた。

☆ 室戸岬海岸
室戸岬海岸

 30分ほどして私は彼と別れた。車を飛ばしながら、私は「御影祐」のペンネームを名乗っておけば良かったと思った。しかし、縁があれば彼はもう一度私と出会う――私の書き物に触れるだろうと思った。縁がなければそれっきり。それもまた人生である。夫婦岩のところで私と彼が出会ったことは私にとっても、彼にとっても意味があるはずだと思った(^.^)。
 彼は最後に「明日の朝私も双子洞窟に行って明星を見てみます」と言った。彼は岬の先端から向こう側、数キロ先の金剛頂寺近くの篤志家の家で泊めてもらうと言っていた。戻ってくるのは歩き遍路にとって辛いだろう。しかし、私はそのことは話さず、「ぜひ行ってみてください」と言った。

 その後55号線を北上した。夫婦岩から数キロ北の地点で、木陰がある歩道に座り込んだ歩き遍路を見かけた。彼も若者でちょうどペットボトルを口にしていた。しかし、その場所はさきほどの夫婦岩の東屋(あずまや)と比べると、ちっとも美しくなかった。そばの道は車が排気ガスをまき散らしながら走っている(もちろん私の車も(^_^;)。
 その若者はべったり座り込んで、ペットボトルの水をごくごく飲んでいた。私はなんとなくよそよそしさを感じた。そして、もったいないなと思った。あと数キロ歩けば、あの美しい夫婦岩と太平洋が一望できる東屋にたどりつけるのだ。座っているところは涼しい風が吹いているだろうか。
 私は思わず車中から「がんばれー!」と叫んだ。しかし、窓を閉じていたから私の声が聞こえるはずもなく、若者がこちらを向くことはなかった。

 私はバックミラーでその様子を見ながら思った。熱いコンクリートの歩道で少しの日陰を見出し、そこで休憩する――それもまた人それぞれなんだろうと。
 私が今朝一番に、最御崎(ほつみさき)寺まで登る遍路道を歩いたとき、半ばを過ぎた頃はもうばてばてだった。引き返そうかと思った。しかし、休むなら最御崎寺で休もうと思い、そのまま無理して山上の寺まで歩き通した。その結果親切な夫婦と巡りあえたし、ねらい通りに車で海岸沿いの駐車場まで送ってもらえた。もし途中で引き返していたら、当然あの夫婦には会えなかった。いいこと――つまり、人の好意に出会えないまま車に戻っただろう。ところが、彼らは私が語った四国明星体験にあまり関心を示さなかった。私はちょっとした失望感を味わっていた(-_-)。
 だが、この偶然には違う意味もこめられている。もし遍路道を途中で引き返していれば、私はすぐに出発したから、あの夫婦と出会わなかったし、さらにあの大分出身の若者遍路とも(道の途中ですれ違いこそすれ)言葉を交わすことはなかっただろう。単なる偶然に過ぎないけれど、この偶然には別の面白さもある。
 親切な熟年夫婦と出会わなければ、私は失望感と空しさを味わうことはなかった。しかし、最(ほつ)御崎寺まで行くことで時間をつぶし、さらに夫婦と出会うことで時間を使っていたから、あの夫婦岩の若者遍路とたまたま出会えた。彼は私の明星体験を熱心に聞き、共感してくれた。私は「ああ自分の話に興味をもって聞いてくれる人がいた。ありがたいことだ」と思い、いいことが自分に起こったと感じられた。
 これらは単なる偶然でしかないのに、私の中ではみごとにつながっているのだ(^o^)。

 もしこの二つの偶然がなければ、私は自分の明星体験を誰にも語ることなく、四国とお別れしただろう(結果論だが、事実これ以後四国で誰かに明星体験を語ることはなかった)。
 つまり、私の明星体験は私の中だけで終わっていたことになる。この体験から得たことは私の独りよがりな感想に過ぎなかったかもしれない。
 読者は「試し」ということを感じたことがあるだろうか。生きる上での知恵や知識、あるやり方、人との付き合い方などを獲得すると、それが現実生活で試されることだ。これでうまくいくと思ったやり方が、実行してみるとなかなかうまくいかなかったりする。あるいは、その試しが突然自分にふりかかってきてあたふたすることもある。もちろんうまくいくことだって……たまにある(^.^)。

 もしこの日の出会いを、ある種の「試し」と見るなら、私は二組の人から自分の明星体験をためされたのである。
 かたや「あなたの明星体験なんぞ、大したことじゃありませんよ」と見なされ、かたや「素晴らしい体験でしたね」と言ってくれる人を得ていたことになる。私にとってはどちらも必要な人――私の読者だったのだ。
 最(ほつ)御崎寺への遍路道を登っているとき、私の目の前には――大げさに言うなら、人生の二つの分かれ道があった。そのまま登り続けるか引き返すか。私は自分の直感に従って登る方を選択した。上るよりは下りの方が楽である。しかも、前日一度訪れた寺へもう一度行くなんてばかげている。喉がからからで疲れていた自分にとって、それは辛くて無意味な選択に思えた。だが、私はなんとなくそちらへ行きたいと思った。

 その結果、自分にはいいことが起こった。親切な熟年夫婦と知り合って下の双子洞窟まで車で連れていってもらえた。ところが、その夫婦は私の明星体験については感動してくれなかった。
 私は「まあ人の感動体験なんて他者から見ればそんなもんだよな」と思いながらも、内心がっかりした。
 しかし、その夫婦と会ったおかげで――ここで時間を取ったから――夫婦岩ではぴったりのタイミングで若者遍路と出会えた。私はそこで自分の体験話に感動してくれる一人の読者と出会えたのだ。その前にためされて気分が落ち込んでいたから、私を理解してくれる人に出会えた喜びはひとしお大きなものとなった(^o^)。

 最御崎(ほつみさき)寺まで登る急坂の遍路道には大分市民の名がある案内札があった。あのとき、それが妙に気になった。振り返ってみると、あれは大分の若者遍路と出会う伏線(ふくせん)だったのか、などと妙なことを思った(^_^;)。そして、熟年夫婦と出会った後、「夫婦(めおと)岩」で若者遍路と出会う。この「夫婦」つながりも面白い(^o^)などと、私は思っていた。
 さらに、これら全てのことはあの遍路道を一生懸命登り詰めることで果たされたのだと思う。急坂の途中で下した、上まで登ろうという決断は正しかったということだ。

☆ 最(ほつ)御崎寺お願い地蔵
お願い地蔵

 夫婦岩の若者遍路は東屋で靴や靴下を脱ぎ、着衣を乾かしていた。彼は夫婦岩を知ってそこまで歩いたのだろうか。あるいは、歩き続けていたら、たまたまうまいことあそこへたどり着けたのか。私にはどちらなのかわからない。だが、美しい場所である夫婦岩で休んでいる青年にはいいことが起こりそうな気がした。
 一方、歩道上で休息を取っていた歩き遍路の若者。彼のすぐそばを、車が排気ガスをまきちらしながら猛スピードで通過していた。彼はそこで力尽きて休息を取ったのだろう。
 美しい場所でさわやかな風を感じ、景色を堪能してまた歩くエネルギーを得るのと、かたやただ休むだけの場所。違いは明らかだ。
 しかし、その歩道上を休憩場所として選ぶのも、また彼の人生だと思う。私はただ彼に幸あれと祈り、歩き遍路が無事完遂できることを祈るのみだ。
 何しろ私は車遍路の――そのかたわれの位置でしかない人間なのだから(^_^;)。

 その後も私は三人目、四人目と合計四人の歩き遍路とすれ違った。そのたびに車内から「がんばれ! ご無事で」と声を出した。その気持ちを「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー」の真言でもとなえた。
 四国では歩き遍路を見かけると、土地の人が合掌するという。あるいは、お賽銭や果物に菓子などを「お接待」として差し出す話も聞いた。
 確かに歩き遍路だけは重みが違う。私は昨日から今日にかけて二十番札所鶴林寺から太龍寺、平等寺、薬王寺、そして室戸岬へと車を走らせてきた。この全てを歩くなんて……とんでもないことだと思う。平坦な道ではない。坂を上っては下り、まるまる一つ山を登っては降りる。その辛さと苦しさはやった人にしかわからないだろう。それを思うだけに、歩き遍路を見かけると、思わず自然に祈りの言葉をかけ、手を合わせたくなるのだなと思う。そして、歩き遍路にとっては、その苦しさを乗りこえ、八十八札所全てを歩き通したとき、何か一つ抜け出したような、大きな感動を得るのではないだろうか。

 人はなぜ四国遍路の旅に出る? 歩く苦しさ 出会いの喜び (^O^)

(了)  ↑ 画面トップ


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