優雅なアプサラの踊り(現地初日の夜)

ワット驚くアンコール

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2 出発日午後

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※ タイ 〜 カンボジア、シェム・リアップ空港 〜 ホテル [13枚] 

   @ 猛暑のバンコク国際空港
   A 英会話に挑戦
   B 夜のシェム・リアップ空港
   C ガタゴト道の市内
   D 英語通じず……



@ 猛暑のバンコク国際空港

 飛行機は台湾を過ぎ、フィリピンに近づく。この辺りから機内は暖房効きすぎ状態で、かなり暑くなる。ブルゾンはとうに脱いでいたが、セーターも脱いでポロシャツ一枚になる。外気温は相変わらずマイナス三十五度前後だから、暑さは飛行機が熱帯地方に近づいたせいではない。おそらく現地の気候に合わせるため、機内の温度を高めに設定しているのだろう。
 バンコクの到着予定時刻は午後の三時。成田を発ったのは午前十時だったから約五時間のフライトになる。私はM氏と二人でテレビゲームの麻雀に熱中した。ところが、そのときふっと時差を思い出した。ガイドブックによると日本とカンボジアはちょうど二時間の時差がある。業者作成の旅程表では朝十時成田出発、午後三時バンコク到着になっていた。機内モニターの到着予定時刻も午後三時となっている。だが、時差二時間は足すのか引くのか。M氏と相談して時計を二時間巻き戻すことだとわかった。つまり、到着時刻の午後三時とは現地時間のことで、日本時間では午後五時になるのだ。ということは実質七時間のフライトになるではないか。それがわかってからは何となく尻が痛くなり、さすがに外国は遠いと思い始めた。それでも、香港、ハノイとアジア大陸が近づき、とうとう飛行機はベトナムの大地に領空侵犯。そして午後三時過ぎタイの首都バンコク国際空港に着陸した。
 飛行機からジャバラで建物内へ入るだろうと思っていたら、バスでの移動だった。タラップを下りた途端、もあっと来る熱風が襲ってくる。日差しが強い。バスは冷房が効いていず、移動中に汗がたらたら流れ出す。握った吊革の手が汗ばむ。すぐに長袖シャツの袖をまくり上げた。バンコクは間違いなく夏の暑さだった。
 ここバンコクは単なる乗り継ぎ地点。カンボジア、シェム・リアップ行きの飛行機離陸まで約三時間ある。しかし、空港を出ることはできない。もちろん空港内は冷房がきいて涼しい。時間があったので、M氏と二人で免税店を散策した。成田空港の免税店と違ってものすごく規模が大きい。建物の端から端まで数百メートルに渡って免税店が連なっている。人種もワールドワイド。国際空港のはずの成田は日本人ばかりだったので、さすがに外国へ来た感じがした。チョコとかクッキーに手頃な物が多い。帰りも立ち寄るので、お土産候補としてあたりをつけた。



A 英会話に挑戦

 我々の帰りは深夜になる。店は何時までやっているのか気になった。そこで近くの店員に、片言英語を使って店は何時にクローズするのか聞いてみた。彼女は二十四時間開いていると(英語で)返事した。ああ自分の片言英語が通じた。そう思って何となく嬉しくなる。旅をするときはいつでもやろうと考えていることがある。それはできるだけ現地の人と言葉を交わすこと。現地語はとても覚えきれないので、可能な限り英語を使おうと思っている。ここはタイだからタイ語になる。それでも取りあえず自分の英語が試せて、私はますます外国気分に満たされた。
 ある一軒の店で、切れっ端のイカに似た白い物が入った円筒形のパックを発見した。何だろうとよく見ると、英語で「スウィート ドライド ココナッツ」とあり、さらに下に日本語で「果汁の甘いジャスミン蒸しココナッツ」と表示されている。タイの通貨で八十バーツ。他と比べるとすごく安い。買って向こうで食べてみようということになった。店員にドルしか持たないと言うと、ドルでもオッケーで二ドルだった。直ちに購入。そして、その場所で記念写真を撮ろうとしたら、店員からなぜかダメだと制止された。その後集合場所に戻って二人でその菓子を食べた。なかなかうまかった。すると、同行の熟年おねえさん二人組から食べさせて欲しいと声をかけられ、どうぞどうぞに始まって会話を交わすなんてこともあった。
 午後六時頃シェム・リアップ行きの飛行機が搭乗開始となる。バスで飛行機まで移動する。百人ほど乗ったバスの中は何と七、八割方日本人だった。ここで早速小さなハプニング発生。運ちゃんがシェム・リアップ行きの飛行機を見つけられず、広い飛行場をぐるぐる回り始めたのだ。何しろ百人乗り程度の小さな飛行機だから、乗るのはこのバス一台分の乗客だけ。運ちゃんは走りながら無線で盛んに連絡を取り合っている。車内は妙だなとざわざわし始めた。そのとき私は空港西側の建物を眺めていた。その向こうで今にも赤い夕陽が沈もうとしていたからだ。太陽だけはどこで見ても同じ色と形をしている。だが、ここは異国の地。しかもそれは真夏の照り方で西の空を赤く染めている。東南アジアで初めて見る夕陽は、心なし日本と違うような気がした。
 その後アンコール・ワットの塔と密林が描かれた小さな飛行機を見つけ、バスはやっとそのそばに停止した。そして、午後六時五十分定刻を三十分遅れて飛行機は離陸した。機内案内はタイ語、英語に続いて日本語でもやっている。猛スピードで飛んだからか、シェム・リアップ空港には定刻より十分遅れくらいで到着した。
   
☆ 西に沈む太陽光はいずこも同じ違うと感じる異国の不思議



B 夜のシェム・リアップ空港

 私は飛行機のタラップをゆっくりと下りた。そこは確かにカンボジアの大地だ。しかるに夜で真っ暗だから、何も見渡せない。方々の街灯は小さくて飛行場はちっとも明るくない。空気はやや蒸し暑い。だが、熱帯夜の日本ほどじとじとする暑さではなかった。
 乗客は歩いて通関所へ向かう。そこは一階建ての体育館みたいな建物だった。冷房はなく天井で巨大扇風機が回転している。夏の虫が明かりの下を舞っている。床はセメント状態。手続きの場所は三カ所で、六人の係員がパスポートや出入国証明書を検査する。そこだけはマホガニーのようなでっかい木の机がでんと置かれている。彼らは黙々と作業をこなす。ときどき日本人が前に出過ぎると、下がれとでも言うかのように、いるべき場所を黙って指し示す。私とM氏は早めに飛行機を出たので、すぐにそこを通過した。手荷物を預けていないのは私たち二人だけ。だから、いつでも外へ出て行けるが、通関手続きはずいぶんゆっくりやっており、なおかつ手荷物もなかなか出てこない。そこにはイスもベンチもなかったので、私たちはただぼんやりと立っていた。
 そのうち漸く手荷物が到着した。ベルトコンベアは手動で、係りの兄ちゃんが荷物を置いてはゴトゴトと自力で奥に押しやっている。客はてんでんばらばらに荷物を受け取る。手荷物と預り証をチェックしている風でもなく、これで大丈夫かしらと思った。他の観光客や日本人団体客はどんどん外へ出ていく。しかし、我らがツアーは動き出さない。どうやら二つ目のハプニング発生のようだ。同行ツアーの女性客が機内に眼鏡を置き忘れたのだ。さらに十分ほど待ちぼうけ。添乗の山崎嬢と私たち一行十五名だけが待合所に取り残された。結局飛行機は閉鎖したため眼鏡は明日ということになり、七時四十分頃ようやく外へ出る。



C ガタゴト道の市内

 現地ガイドの小柄できゃしゃな女の子(後で聞くと二十三歳だった)が待っていた。山崎嬢がセィリーと名を紹介した。その後用意されたマイクロバスに乗り込む。飛行場の駐車場は舗装されてなく、小さな小学校のグランド程度の広さ。バスはそこを出て左に曲がりシェム・リアップの町に向かう。道路は舗装されていないのか、がたごとがたごと走る。左右の景色は暗くてよくわからない。ただ、日本では南国地方でお馴染みのでっかいヤシの大木をちらほら見かけた。道路の端には歩道も側溝もなく、土状態でかなり汚い。私とM氏は、何だか四十年前の日本のようだと早速悪口を叩く。ところが、その合間に見えるホテルだけは明かりがこうこうとしてみな豪華。ものすごいアンバランスだと思った。
 二十分ほど走って我らのホテルに到着。ホテル前の庭園がまるでクリスマス状態。赤青黄色の電飾ツリーが光り輝いている。時期がずれているだけに、みんなから「何だこれは」と呆れたような声。バスを降りて玄関へ。ホテルのボーイが「コンバンハ」と日本語で出迎えた。中は全体的にマホガニーの木がふんだんに使われ結構豪華な感じ。その後すぐに夕食。初めてのカンボジア料理はバイキング形式だった。酒やジュースは別料金。現地ビールはアンコールビールと言って三ドルだ。約四百円だからホテル内としては安い方か。私とM氏は一番端に座った。バンコク空港で会話を交わしたおばさん二人組がそばに座る。私とM氏、その二人で早速乾杯の音頭。このビールはこくと切れが同居してかなりうまかった。料理は肉中心。香草は使われていたが、さほど違和感なく食べられた。私は北京での苦い経験から腹八分目でやめておいた。
 その後部屋へ移動。部屋はツインで二三〇号室。当然二階だと思った。すぐ上なのでエレベーターは使わず階段を上がる。この階段もマホガニーの木。ところが、二階の部屋はなぜか先頭に1がつく部屋ばかり。妙だなと思いつつ、もう一つ階段を上がる。やっと先頭に2が付く部屋が出てきた。二三〇号室は二階ではなく三階にあったのだ。後でエレベーターに乗ってその訳がわかった。この地では一階は0だった。だから、二階の部屋に1が付き、三階の部屋に2が付いていたのだ。
 二三〇号室はツインにしては狭い感じ。エアコンはよく効いている。しかし、音はガーガーとかなり大きい。ときどき水を垂れ流すかのような妙な悲鳴を上げる。M氏は早速部屋が狭い狭いとがっかりした声をもらす。広い窓からは先ほどのけばけばしい電飾庭園と道が見える。道路の向こうはホテルと建築中らしき建物。M氏はいろいろと部屋やホテル全体について文句を垂れる。市内にはプール付きの超豪華ホテルもある。このロイヤルシティホテルにはない。彼はC級かD級のホテルだと不満顔。私はまあこんなもんかなと別に不平はない。日本に無事到着したと電話をかけようかと思った。案内を見ると、一分八ドルとある。円で言うと約千円。高すぎるのでやめにした。



D 英語通じず……

 風呂はバスタブがある。取りあえずお湯を溜めて入れるのでほっとした。ところが、ヘアドライヤーがない。日本製のものは電圧が合わないので持参していない。案内を見るとサービス係りに頼んでくれとあり、内線の呼び出し番号が書かれている。当然英語で言わなければならない。私はやや緊張した。持って来いはブリングだったよなと見当をつける。電話でルームサービスを呼び出した。男性の声で「ヘロゥ?」と来る。私は「ヘロゥ……マイルームイズ、トゥーハンドレッド・トゥエンティサーティー。プリーズ……ブリングミー、ヘアドライヤー?」とやったら、相手はオッケーと答えた。なお二つ三つ言葉をやり取りして電話を切った。向こうの英語もこっちと似たり寄ったりのとつとつぶり。それでもカンボジアで初めて英語が通じたと思って嬉しくなる。
 その間M氏が先にシャワーを浴びる。しかし、待っても待ってもボーイはやって来ない。妙だな、部屋を間違えたのかもしれないと思っていると、電話が鳴った。いろいろ言ったが、半分程度しか聞き取れない。どうやら私が言ったトゥーハンドレッド・トゥエンティサーティー(二三〇)の後半をトゥエンティサーティーン(二一三)と聞き違えたらしい。いや、正確には私が言い間違えたと言うべきか。とにかくもう一度ヘアドライヤーと部屋番号を確認した。すると、一、二分後にボーイがヘアドライヤーを持ってきた。背の低い浅黒い顔の若者で、何だかぶすっとしている。私は日本語で「ありがとう」と言い、さらににわか仕込みの現地語で「オークン(ありがとうの意味)」と付け足した。そして、チップとして一ドル渡すと、彼は「アリガトー」と日本語で言ってにっこり微笑んだ。正に現金な変貌だが、いい笑顔だと思った。
 その後M氏に続いて私もシャワーを浴びた。シャワーノズルは壁に取り付けられた昔風のやつ。今の日本のホテルにはどこに行ってもないだろう。そして、最初はお湯が出ていたけれど、そのうちどんどんぬるくなっていき、とうとう水状態になる始末。どうやら大量に使用されてボイラーの湯沸かし能力が追いつかないようだ。昔修学旅行で安宿に泊まったときこんな現象が起きた。冬だったらきっと文句を言ったろう。だが、ここは夏。水に近いぬるま湯でも気にならなかった。それにそもそもカンボジアはまだまだ戦後すぐの国。日本で言うなら、昭和二〇年代後半から三〇年代にかけての雰囲気だ。かつて日本の旅館やホテルだってそんなもんだった。そう思えば、腹も立たなかった。


→「ワットまた旅日記」 その3





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