アンコール・ワット手前池からの眺め

ワット驚くアンコール

また旅日記


8 現地3日目午後 

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※ アンコール・ワット見学 [11枚] 

   @ アンコール・ワット 正門
   A ワット第一回廊 〜 第三回廊……千手観音は悪魔?



@ アンコール・ワット 正門

アンコール・ワット外堀より
 アンコール・ワットはアンコール・トムに先立つ数十年前、十一世紀初めにスールヤ・ヴァルマン二世が建立したヒンドゥー教の寺院だ。トムが周囲十二キロの外壁と環濠を持つ大都城なら、ワットはやや横長で外周は五キロ余りらしい。外堀の幅は約二百メートル。しかし、アンコール・トムは地域全体が密林の中だし、巨大すぎて全域を見渡すことができない。ワットの方は環濠も水をたたえているし、西側から全体像を見渡すことができる。だから、一見しての迫力はトムよりワットの方があった。
 バスは西側入り口手前の陸橋近くに止まった。陸橋参道は長さ二百メートル、池の上数メートルの高さがある。たくさんの観光客が歩いてワット正門に向かっている。その先には押し潰されたような正門の石塔がある。アンコール・ワットの正門がなぜ西を向いているのかよくわかっていない。セィリーは西方極楽浄土に関係あるのではないかと言う。彼女はさらに「日本では死者を北枕にしますが、カンボジアでは西枕にします」と言った。我々は彼女の物知りに感心した。
 バスを降りると広大な堀の手前から正門と外壁、ツクシ頭の尖塔を眺める。石塔五基は外壁上に高く突き出ている。この位置からだと五つの石塔を全て見ることが出来る。中央石塔が最も高く六十五メートルはあるらしい。上空から見下ろせば、中央塔を真ん中にして周囲をやや低い四つの塔が囲む形になる。これまで何度も見かけた遺跡群の典型的パターンと言っていい。それをもっと大がかりにしたものがアンコール・トムのバイヨン寺院だ。だから、このアンコール・ワットにしても東西南北どこから眺めても同じ塔の形が見えるはずだ。
ワット西門前の参道
 西側参道から東方向を見やると、塔は正面の三つしか見えない。セィリーはそこで妙なことを言い出した。ある場所では三つの塔のうち二塔しか見えず、さらに一塔しか見えないところが一カ所だけあると。そんなはずはないがとみんな不審顔だ。とにかく案内するので気づいて欲しいと言って彼女は参道を歩き始めた。
 この参道には神々やアスラーの石像はない。端に手すりもないので、見下ろすとすぐ環濠の水面になる。セィリーの言った意味は参道を歩き始めてすぐにわかった。正門に近づくにつれて正門が完全に背後の中央塔を隠してしまうのだ。中央塔は消え、正門より低い外壁越しに脇の二塔だけが見えるようになる。さらに進んで、正門入り口前に立つ。すると、正門や外壁に隠れて全ての尖塔が見えなくなる。だが、高さ数メートル幅数メートルの入り口の向こうを見やれば、はるか遠くにとんがり頭の中央塔一つだけが見える。それは観光客の頭越しに見え隠れしていた。これがワットの石塔は五つ、三つ、二つ、一つ見える所がある、それはどこかと彼女が問いかけたなぞなぞの答えだった。
ワット正面数百メートルの参道
 正門を入ると、石塔のある寺院本殿までなお数百メートル。参道も道幅が広い。左右の広大な敷地に一つずつ崩壊した経蔵が建っている。さすがに目の前三つの石塔は今まで見た中では最も形が整ってきれいに見える。私たちは参道の途中で左手の広場に下り、池の手前から石塔を眺めた。ここからは斜めなので、五つの塔を全て見ることができた。絶好の撮影場所でもある。




A ワット第一回廊 〜 第三回廊

第一回廊乳海攪拌のレリーフ
 そして、北側の門から第一回廊へ入った。第一回廊は東西二百メートル、南北百八十メートルあり、その壁にはヒンドゥー教の物語がレリーフとして刻み込まれている。ここもセィリーはゆっくり周りながら絵について解説していく。天地創造を意味する「乳海撹拌(にゅうかいかくはん)」の図。天国と地獄の図や戦闘の図。やはり圧巻は神々とアスラーが蛇の綱で綱引きをする乳海撹拌の図だろうか。緻密(ちみつ)にして迫力ある彫刻だった。綱引き上空にはアプサーラの群像が踊り狂い(あるいは盛んに応援しているのか)、綱引きの下には生み出された海の幸がたくさん描かれていた。
 セィリーは天国と地獄図のところで、地獄で苦しむ人間の諸相を盛んに解説している。舌を抜かれたり、身体を引き裂かれたり。当然閻魔様もいた。私は『往生要集』等でよく知っていることなので、あまり熱心に聞いていなかった。しかし、ここで奇妙なものを発見した。セィリーが「これが悪魔です」と言って紹介した悪魔の姿だ。それは恐ろしい形相どころかごく普通の優しい顔立ちをしている。なおかつ顔の上に四面の顔。そして、左右には数十本の手が描かれている。何とそれは日本では仏教の千手観音の姿なのだ。私はセィリーに「ホントにこれが悪魔なの?」と聞き、日本ではこれは千手観音と呼び仏像の姿だと言った。セィリーは千手観音を知らなかった。私は「これは仏教とヒンドゥー教の闘いの図で、この悪魔とはヒンドゥー教から見た仏教の化身ではないか」と尋ねた。しかし、セィリーは答えることができなかった。

アンコール・ワット中央塔階段(70度)
 第一回廊から内部の庭へ出て第二回廊へ登る。そこの壁面には数多くの女神デヴァターやアプサーラのレリーフが彫られている。面白いのはその豊かな胸だけがてかてかと光っていたことだ。これはどう見ても観光客がその胸を撫でたとしか思えない。私とM氏も当然のようにお触りした。そして、第二回廊をさらに内側へ進むと、五つの塔がある第三回廊の階段下へ出る。この石段の角度が半端じゃなかった。セィリーは斜度七十度あると言う。正に見上げればほぼ直角であるかのような階段だ。そして、その真上に中央塔がそびえている。見上げたまま硬直状態の観光客。登り始めた白人男性がいて、上から下りてくる白人女性がいる。それがみな恐る恐るでとても怖そうだ。私とM氏は意を決してその階段を登った。登り始めて結構簡単だと思った。しかし、上から振り返って階段を見下ろしたときは、思わず足がすくんだ。それほど急な階段だった。
ワット回廊女神像
 第三回廊内はやはり女神やアプサーラのレリーフが多い。回廊中央に同じ形の四つの窪地があり、沐浴場になっていた。たぶん雨季になるとここに水が溜められたのだろう。もちろん今は水などない。その沐浴場から上を見上げれば中央石塔がそびえ立つ。もうこれ以上は登れない。いろいろな石像が刻まれたり、置かれたり(そのように見えた)している。最頂部には小さな草木が少し生えていた。他のツアー同行者もぞくぞくと登ってきた。観光客は思い思いにのんびり座っている。この上には三十分ほど滞在していいことになっていた。私も座りこんで、やっとアンコール・ワットにいるんだなと自分に言い聞かせた。
 暫くして私とM氏はみなより一足先に下り始めた。西の夕陽を眺めながら第三回廊の急な石段を何とか下りることができた。他の人たちも続々と下りてきた。そして、第二回廊から第一回廊を経て外に出ると、長い参道を帰路に就く。明日早朝もう一度ここに来る予定になっている。参道からアンコール・ワットに登るご来光を眺めるのだ。私はそれには余り関心がなかった。その予定だとまだ暗い五時前に起きなければならない。明日夜には帰国の途に就く。体調によってはキャンセルしようと思っていた。だから、これで最後と思って三つの石塔を振り返った。しかし、特に感慨は湧いてこなかった。
 M氏は歩きながら、ワットには少し失望したと言う。思ったほどの感激がなかったようだ。遠くから見ると確かにアンコール・ワットが最も整って素晴らしい。しかし、内部に関しては、アンコール・トムや初日、二日目に見た小さな遺跡の方が心に残っている。ワットで良かったのは第一回廊のレリーフだけだと言った。
ワット中央塔
 私も振り返ってみれば、ワットよりトムの方が印象的だった。特にバイヨン寺院第一回廊のレリーフはもう一度行ってじっくり見たいと思った。明日はシェム・リアップ最終日。最後にもう五カ所遺跡を見学する。既に目玉は終わったので、明日は残り物の見学のように思えた。もしそれが午後までかかるようだったらどこかをカットするか、あるいは午前中で終わるようなら、午後は別行動にして、もう一度バイヨン寺院を訪ねたいと思った。特にバイクタクシーに乗って行きたかった。私はM氏にその件を話してみた。彼は別行動には賛成だったが、バイクタクシーに乗ることは尻込みしている感じだ。ツアーから離れることは確かに少し怖さがある。始めの頃バスが左右密林の道路を走っているとき、こんな所で現地のバイクに乗ってどこか知らないところにでも連れて行かれたら、絶対発見されないな――なんて会話も交わしていた。私は他の観光客がかなりバイクタクシーを使って見学していたので、大丈夫だよと言った。それにどんなときだってリスク(危険)は付き物。それを怖れていたら何もできない。確かに現地の人に悪い人はいるだろう。だが、真面目に働いている良い人だってたくさんいるはず。それはどこの国だって同じこと。私はM氏にそれを信じましょうよ、などと言った。
 夕食後部屋に戻ってベッドに寝ころびながら、我々は期せずして「終わったな」と声をあげた。M氏は帰国後勤め人の生活に戻らねばならない。さすがにそれを思ってブルーな気分が漂い始めている。私はその後も気ままな執筆生活なので、そんな気持ちに陥らない。
 私はここまで物乞いの人たちに七、八ドル渡していた。それがいいことかどうなのかわからない。しかし、それを偽善的だと言って悩むくらいなら、軽い気持ちで単なる慈善行為だと思いたい。特に手足を失った人たちにとってはとても助かることだろうから――そんなことをM氏に語った。すると彼は「初日の朝、トンレサップ湖の岸辺にいた子供達にあげれば良かった」と言う。私はその言葉を聞いておやと思った。M氏もあそこの子供達だけは本当に困っていると感じていたようだ。このシェム・リアップの町ではあそこが最下層であり、土産物屋をやる余裕も絵はがきを売るための資金もないのだろう。その後の遺跡群にいた子供達や娘達は結構顔色も良く、たくましくしたたかに生きているように思えた。

☆ 意外にも感激少なしワットの塔これで終わりとつぶやくM氏



→「ワットまた旅日記」 その9





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