四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 31

「仏教回帰」その1


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第108 ―論文編 31号

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           原則月1回 配信 2016年 7月10日(日)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字(今号の多くは引用文中に読み仮名を付しています)
・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・『三教指帰』(さんごうしいき)・仮名乞児(かめいこつじ)・六道(りくどう)・輪廻転生(りんねてんしょう)・羅卒(らそつ)・永劫(えいごう)・衆生(しゅじょう)済度(さいど)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)・業火(ごうか)・漲(みなぎ)る・奔放(ほんぽう)・凡夫(ぼんぷ)・瓦礫(がれき)・脆(もろ)い・煩悩(ぼんのう)・九相図(くそうず)

 また、以下の部分はここで読みと意味を解説しておきます。
・「この身を構成する五つの要素」……人間の全存在は「色・受・想・行・識」の五蘊(ごうん)から成り立っているとする仏説。『般若心経』の「五蘊皆空(ごうんかいくう)」につながる。

・「世界を構成する四つの元素」……仏教では世界は「地・水・火・風」の四つの元素から成り立っているとされる。

・「十二の因縁」……人間の迷いや苦しみの原因を十二の因縁によって説明する。「無明・行(過去の二因)・識・名色・六入・触・受(現在の五果)・愛・取・有(現在の三因)・生・老死(未来の二果)」など十二の縁起。
 一言で言えば「因果応報」でしょうか。全ての悩み・苦しみには必ず原因がある。悪いことをすれば、悪い結果が、善いことをすれば善い結果が現れるといったような。日本には「情けは人のためならず」のことわざもあります。人や物にあたたかく接すれば、それは回り回って自分に善いこととして返ってくるという考え方です。

・「八種の苦しみ」……いわゆる四苦八苦。生老病死の四苦と「愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦。
 私はこれを逆転させて「四苦八苦は見方によって四喜八喜になる」と以前書きました。→ 論文編1号
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 『空海マオの青春』論文編――第31「仏教回帰」その1

 第31「仏教回帰」その1 マオの仏教解説前半

 空海マオの大学寮入学から、『三教指帰』を完成させた二十三歳までを見ると、失意・失望と転進が幾度も繰り返されたことに気がつきます。
 官僚を目指し希望に燃えて入学した大学寮に失望し、進路に絶望する。悩んだあげく退学、新しい仏教創始を目指して仏教に進んだ。ところが、南都大寺院の現状は朝廷の見るとおり腐っていた。結局、南都仏教に失望して山岳修行――修験道に乗り出した。そこで神仙思想(道教)の強さと自由を学んだけれど、仙人志望者の傲慢さ、神仙思想にも失望して再び仏教に戻った。そして、儒道仏三教を比較対照した『聾瞽指帰』を完成させた(『聾瞽指帰』と『三教指帰』はほぼ同内容なので、以後『三教指帰』とします)。

 以前「仮名乞児」が説く仏説を短く要約したことがあります。それをここで再掲しますと、
 仮名乞児は亀毛先生と虚亡隠士の議論を聞き熱弁をふるいました。それは「儒教も道教もこの世の幸福しか得られない浅薄な教えです。人は貧富に身分の上下、美醜を問わず死ねば墓の中。誰も現世の幸や財宝をあの世に持っていくことはできません。むしろ犯した罪悪を地獄で償わねばなりません。生きて苦しみ、死して苦しむとはなんと痛ましく悲しいことでしょう。八正道の仏教に進み常楽我浄の日々を送れば、悟りを得て三世に渡って救いが得られるのです」と仏陀の教えを説いた。

 この要約間違っていないと思いますし、「仏教回帰」の表題のもと、さらに仏教編の中身を箇条書きにまとめてみると、こうなります。

 1 仏教は釈迦が始めた。個人的には悟りを目指し、衆生救済も目指す。
 2 哲学(認識論)としては空無観であり観念論である。
 3 この世ははかなく、幻のようなものとする無常観に立ち、六道の輪廻転生を脱し、
   極楽に進むため、正しい生き方をしようと説く。

 しかし、このようなまとめでは、果たして空海マオが説く仏教を紹介したと言えるかどうか(^_^;)。このような要約は結局無味乾燥、血肉の通わぬ白骨の解説でしかないと思います。ここはやはり空海自身の言葉をそのまま(と言っても口語訳ですが)紹介する必要があると思います。
 空海の言葉は比喩が多く、どうしても長くなります。一文字一語句一文章をゆっくりたどってください。なお、難解語句はネット検索するなどして勉強願います。

 その前に一つ書いておきたいことがあります。
 以前「南都仏教への失望」を語ったところで、「空無について論争を繰り返す南都学問仏教への失望」と書きました。これはあーでもない、こーでもないと無益な論争を繰り返すことへの失望・批判であってマオが仏教の空無観そのものを否定したわけではありません。よって、「三教指帰」仏教編ではいたるところに空無観が出てきます。
 たとえば、仮名乞児が亀毛・虚亡両論客について語ったところに、肉体は稲妻のようにはかなく、世界は「本来空である」とか「物と心との世界がすべて空である虚亡の国」などの表現があります。

 これを前置きとしてまずは「輪廻転生」から(引用は福永光司訳、[〜]部は中略。※印部は私の補足)。

1 輪廻転生(六道輪廻)
「三界すなわち迷いの世界に定まった家はなく、六趣すなわち天・地獄・餓鬼・畜生・修羅・人の輪廻転生の六つのコースは、さまざまに変化する。あるときは天上の世界を国として住み、あるときは地獄を家として住む。あるときはそなたの妻子となり、あるときはそなたの父母となる。〜輪廻転生ということからいえば、餓鬼や畜生の鳥や獣もみな、私とそなたの父母妻子なのだ。〜そなたとわたしとは、始まりもない大昔のときから次々に生まれかわり死にかわって定めもなく変化転生してきたのだ」

※輪廻転生は映画やテレビドラマなどでおなじみです。人は車輪が回るように生まれ変わるというわけです。この発想に立てば、老若男女の区別はなく、あるときは自国兵士であり、またあるときは敵国兵士となって、結局みな穏やかに生きたい同じ人間となるはずですが……。

2 地獄と極楽
「身の行いが悪ければ、牛の頭、馬の頭の格好をした地獄の鬼どもが自然にあらわれてきて苦しい罪の報いをあたえる。その反対に、心の持ち方がもし善ければ、黄金(こがね)づくりの宮殿、銀(しろがね)づくりの宮殿が、たちまち空から飛んできて立ち並び、おいしい露が飲み物として授けられる」

※仏教絵画「来迎図」を一度はご覧になったことがあると思います。善行を積んだ人は臨終に際して紫雲に乗った阿弥陀如来が多くの菩薩、天人を引き連れてやって来る。そして、極楽浄土に導いてくれると言うのです。
 逆に悪行をなした者は地獄に堕ち、様々な責め苦を受けねばなりません。仏教編では牛頭馬頭の羅卒に追い立てられて剣の山・刀の山に突き刺される。重い熱鉄の車輪の下敷きになり、煮えたぎる釜の湯や火に焼けた鉄のかたまりを飲まされる。あるいは、獅子や虎、狼に食われると描かれます。
 この責め苦はどれほど後悔しても、閻魔大王に哀れみを乞うても逃れることができず、「大きな石がすりへり、城いっぱいの芥子つぶがなくなってしまう永劫の時間」にわたって責めを受けねばなりません。
 さらに、「財宝で罪をあがなおうとしても珠玉一つ身につけていず、逃げ出して苦しみからまぬがれようとしても城壁が高くて越えることができない。ああ、なんという苦しさ、ああ、なんという痛ましさだ」とあるように、現世の財物など何の役にも立ちません。

3 釈尊の教えと弥勒菩薩に託した衆生済度の遺言
「わたしが師と仰ぐ釈尊という方は、この上なく深い前世からの誓いによって、八十年の仮の身をこの世にあらわし、衆生を済(すく)うという無限の慈悲によって、三十歳のとき悟りを開き教えを説かれた。そのとき仏陀と縁(ゆかり)のあった衆生は、竜神をも含めて甘(うま)い露すなわち釈尊の教えにのどうるおし、枯れ萎(しぼ)んだ木に花を咲かせて実を結ぶ解脱の時期を約束された。しかし、その教えを聞くことのできなかった福なき人々は、身分の高下にかかわりなく、身の汚れ苦しみに気づくことなく、いつまでも罪苦の世界に身を沈めて、醍醐の美味を知らずにいた」
 そこで釈尊は世を去られるとき、弥勒菩薩を後継者として「衆生を撫(いつく)しむよう」遺言を遺した。

※釈迦の教えは弥勒菩薩に引き継がれました。本書に数字は書かれていませんが、弥勒菩薩は釈迦入滅から五十六億七千万年後の未来に、仏となってこの世に現れると言われます。そして、釈迦の教えで救われなかった衆生を救済すると約束された(期待された?)存在だというのです。

 ちなみに、太陽系が生まれたのは今から四十六億年前、その一億年後に地球が誕生し、生命体の誕生は約四十億年前。それからあまりに長過ぎる年月を経て恐竜の出現が二億五千年前。六千五百年前に恐竜が絶滅し、かわって霊長類が出現した。石器を使う人類の出現は二百万年前くらいです。五十万年前に北京原人、二十三万年前にネアンデルタール人。そして、二十万年前にホモ・サピエンス(現在のヒトの祖)の出現――これが教科書で習った地球史です。
 五十六億年後だなんて我ら人類は、地球は存続しているのでしょうか。これを言い換えると、《人間は救済されることがない》と告げているかのように思われるのですが……。

 次に「無常の賦(うた)」に説かれた無常観を中心とする仏説について。

1 世界の終わり
「つらつら考えてみるに〜この世界の最後の日には業火に焼かれて灰となり消えうせてしまう。また、ひろびろとした大海原は、果てしなく広がって天にまで漲るほどであるが、いくつもの太陽に照りつけられると、水は涸れ尽きてしまう。広大な天地も流動して砕け散り、果てしなく円い天空も火に焼かれ、崩れ落ちる。
 このように天地山海も潰滅するときがあるのであるから、天人がそこに住むというひっそりとした非想天も電(いなずま)よりもはかない存在でしかなく、とらわれぬ自由を奔放に楽しむという神仙も、雷(いかずち)のとどろきに似た一瞬の存在である。ましてやわれわれ凡夫は、あたえられた体は金剛石でもなく、生まれついたこの身は瓦礫のように脆いものである」

※寿命数百年と言われる天人、道教が目指す不老不死の仙人でさえ、天地山海の滅亡とともに消え失せる。数億、数十億という時の流れの中で、人の一生などまばたき一回でしかない。苦しい苦しいと嘆く時間など瞬間でしかない、と言わんばかりです。

2 人のはかなさと三毒――貪瞋癡(とんじんち)
この身を構成する五つの要素は水に映った月影が借りものであるように虚妄であり、世界を構成する四つの元素は、かげろうの束の間の存在である以上に移ろいやすい。人間存在を規定する十二の因縁は、猿のように浅ましい心の動きをかきたて、人間の苦悩を代表する八種の苦しみは、つねに心の根源をゆさぶり、むくむくともりあがる貪(むさぼり)と瞋(いかり)と癡(おろかさ)の三つの毒の焔は昼も夜もつねに燃え続け、こんもりとむらがる百八の煩悩の藪は夏も冬もひどく生い茂っている」

※人間の苦しみは絶えることがない。あれがほしい、これもほしいと、欲望は満足することを知らない。家族、友人、恋人、職場、人間関係でいつも苛立ち、不平不満を抱え、怒りを抑えることができない。ストレスを抱えたままでは遊びにも集中できず、やがて酒に溺れ、やがて麻薬や覚醒剤に走って思いどおりにならない苦しみを忘れようとする。ストレスに振り回されることが愚かなこととわかっていても、愚かな自分をどうすることもできない。一体どうやってこの苦しみから逃れるのだ?

3 若き貴公子も絶世の美人も、死ねば腐って朽ち果てる(九相観
「高価な珠(たま)のように富み栄えた体も、寄せくる無常のさざなみに先んじて墓(おくつき)のなかに沈み、万乗の天子の貴い姿も、わずかな野べの煙とともに大空に舞い上がる。細く美しい美人の眉も霞とともに雲の宮居に飛びさり、貝のように白く輝く美女の歯も露とともにみな脱け落ちてしまう。絶世の美女の華のような眼(まなこ)もたちまち水面に緑の苔の浮かぶ沼となり、真珠の耳飾りを垂れたうるわしい耳もたちまち松風の吹きかよう谷となってしまう。朱をさした紅(くれない)の頬もついには青蝿にふみつけられ、丹(に)で染めた赤い唇も烏や鳥の餌食に変わり果てる。さまざまに媚(こび)を含んだ作り笑いも、かさかさになった《しゃれこうべ》のなかに見いだすことはむつかしく、いろいろと嬌(しな)を作ったあでやかな姿態も、朽ち爛(ただ)れた死体では誰も近づこうとするものはいない。
 そびえたつ髷(まげ)の黒髪も、藪のあたりに乱れ敷いて、そこに散らばる芥となり、ほっそりとした白い手も、草むらの中に沈んで、そこで腐っている。蘭のようにふくよかな香気は八方の風とともに飛び散ってしまい、滴り落ちる悪臭の液は屍体の九つの穴から噴き出ている」

※これは死んで野ざらしになった人間がどのように変貌するか、九段階で描かれた仏教絵画「九相図」として有名です。仏教修行者は圧倒的に男性であり、男の煩悩は女性が最大要因です。そこで「目の前の美女も死ねばこうなるよ」と嫌悪感を持たせようとして絵画になりました。
 絶世の美女、小野小町の九相図は、路傍に打ち捨てられた彼女が烏や鳥の餌食になり、青黒く膨れ、腐ってどろどろと溶けただれ、やがて骸骨となる様子が描かれています。いかに最愛の人であっても、腐り行く死体のそばに居続けることはできない。愛だ恋だと言っても、生きている間のことであり、線香花火のようにはかないというわけです。

4 現世の幸福は束の間、死とは孤独
 かくして薄絹でできた高価な着物も、豪華な邸宅も束の間のものでしかなく、「墓こそ永久の住みかであることが知られるのである。〜むつまじい夫婦、仲の良い兄弟も、ひっそりとした墓場では会うすべもなく、うるわしい友情に結ばれた者同士も、荒れ果てた墓のあたりではもはや親しく語りあうこともできない。たつ松の木かげにただひとり横たわって木だちのあたりで姿を消し、さえずる鳥の鳴き声を伴(とも)として、いたずらに草むらの前に埋められる。うごめく無数の虫がうようよと列を作り、吠えたてる多くの犬がむらがって食いかじる。妻や子も鼻をつまんであとずさりし、親戚や他人も顔をおおって逃げ帰る。ああ、なんという痛ましさ。〜無常のあらしは神仙を容赦せず、人の精気を奪い取る悪鬼は、身分の高下を問わない。財(かね)の力であがなうこともできず、権力で引きとめることもできない。不老長生の霊薬をどのくらい飲もうとも、また、人の魂をよびもどすという秘香をいくら焚(た)こうとも、一刻も引きとめることはできず、なにびとも三泉(よみじ)の旅をまぬがれることはできない

※人は一人で生まれ、たった一人で死んでいく。金銀財宝も立派な邸宅も死後の世界に持っていくことはできない。かつて多くの権力者が不老長寿の霊薬を求めたけれど、一度として成功したことはない。この空しくはかない世の中で現世の幸福とは一体なんなのであろうか――と問うているかのようです。

 以上、若き空海がとらえた仮名乞児の仏教論説前半部を引用しました。

 空海マオはこれが「生死(まよい)の世界の苦しみの根源」であり、儒教が目指す現世の幸福への懐疑を語っているようです。立身出世を果たし、妻子を得て家族を養い、親に孝行を尽くす。君主に仕え名を後世に遺す。儒教はそれこそ人の生きる道だという。しかし、財物も豪華な邸宅も墓の中に持っていくことはできない。どんなに愛する人も親友も一緒に墓に入ってくれない。絶世の美女も死ねば腐って朽ち果てしゃれこうべとなる。あるいは、道教神仙思想に対しても、人の死、世界の終わりに対して何の役にも立たない、不老長寿の霊薬は存在したことがないと切って捨てます。
 この認識に立って、ではどう生きれば極楽の世界に生けるのか。空海マオの仏教解説は「涅槃(さとり)の世界の楽しい果報を説明しよう」と続きますが、後半は次号といたします。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今号も長くなって恐縮です。空海マオが説いた仏説を要約するか、そのまま引用するかで迷いました。仏教をある程度ご存じなら、お読みになって「フツーの仏説」との評価がおわかりいただけたと思います(^_^;)。これを短くまとめてしまうと、空海マオの匂いがかき消されてしまいます。口語訳ながら、若きマオの仏教に賭けた思いと表現を味わってほしいと思ってそのまま引用することに決めました。

 さて、私は8月全てのメルマガを休刊にして夏休みです。今年はわけあって9月も休ませていただきます(この「させていただく」表現、政治家じみて嫌いなのですが(^_^;)。
 次号は10月から仏教解説後半、そして、いよいよ百万遍修行の解明に入っていきます。さらに珍説奇説を発表します(^.^)ので、ご期待下さい。暑い暑い時期です。熱中症、夏バテなどお気を付け下さい。
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