四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 42

「百万遍修行」その4


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第119 ―論文編 42号

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           原則月1回 配信 2017年11月10日(金)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
・虚空蔵求聞持(こくうぞうもんじ)の法・錐(きり)・大滝岳(たいりゅうだけ、太龍山と同)・土州(どしゅう=土佐の国)・勤念(ごんねん)・応化(おうけ)・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・求聞持法(ぐもんじほう)・先達(せんだつ)・祠(ほこら)・磐座(いわくら)・降伏(仏教読みでは「ごうぶく」)・仰角(ぎょうかく)・御利益(ごりやく)・鎮(しず)める
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*********************** 空海マオの青春論文編 ********************************

 『空海マオの青春』論文編――第42「百万遍修行」その4

 「百万遍修行」その4――太龍山百万遍修行追体験

 以前私の卒論『暗夜行路』に関連して口頭試問の話をしました。
 教授から「君は大山に登ったか」と聞かれ、「登ったことはありません。私の卒論は関係地を訪ね歩く紀行文のようなものではありません」と答えたと。

 しかしながら、前号に続いてこれからしばらく紀行文のような空海論となりそうです。ご寛容願います。
 他者への思いやりが回り回って自分に返ってくるように、人への批判も自分に返ってきます(^_^;)。

 言い訳ながら紀行文にならざるを得ないのは、空海マオ二度の百万遍修行に関して全くと言っていいほど資料がないからです。
 空海が書き残したのは以下のように『三教指帰』序にあるわずか数行だけ(福永光司訳を参考として原文読み下しの形で引用します)。

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 ここに一人の沙門ありて余に虚空蔵求聞持の法を呈す。その経説にいわく「もしも人この法によりて真言一百万遍を誦(とな)うれば、すなわち一切の教法文義の暗記を得(う)」と。
 ここにおいて大聖の誠言であると信じ、木を錐もみすれば火花が飛ぶという修行の成果に期待して阿国大滝岳によじ登り、土州室戸崎に勤念す。(結果)谷響きを惜しまず、明星来影す[私の真心に感応して谷はこだまで答え、虚空蔵の応化とされる明星は大空に姿をあらわされた]。
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 「一沙門」とは正式の僧ではなく、山岳修行に励む名もなき私度僧ではなかったか――これについては以前触れました。

 空海マオは仏教入門後、儒教・仏教対比の「聾瞽指帰」草稿をまず書き上げた。その後山岳修行に乗り出し、金峰山や四国石鎚山に登った。そのいずれか、もしくは奈良近郊の山中で百万遍修行に励む修行者と出会って「求聞持法百万遍修行」を知った。そして、道教を取り入れた儒道仏三教の『聾瞽指帰』を完成させ、百万遍修行に入った……。

 前号で一つ説明不足だった点があります。マオはなぜ奈良近郊ではなくわざわざ四国に渡ったのか。これについて私は集団百万遍修行を嫌ったからではないかと推理しています。
 山岳修行は基本的に集団で実施されます。今でも各所で行われている山伏の山岳修行は大概十数人の集団行動。内訳は道案内でもある先達、ベテラン、そして新参の人たち。一人で実行している人がいるかもしれませんが、多くは集団だと思います。はっきり一人とわかっているのは比叡山延暦寺の千日回峰行くらいでしょうか。

 集団行動にはメリット・デメリットがあります。名所観光などと同じで、集団なら助け合えるし、ガイドがいれば道に迷うこともありません。その分「もっとここを見たい、時間をかけたい」など個人の自由は制限されます。逆に一人だと全て自由だけれど、何かあったときには――特に山中など死と隣り合わせです。

 マオは奈良近郊の集団百万遍修行ではなく、一人でやりたいと思ったのではないか。そのとき南の舎心岳、北の舎心岳を持つ聖なる山、太龍山で百万遍修行が可能であると知った。
 あるいは、そもそも一年目の太龍山百万遍修行が集団だった可能性もあります。だから、翌年も太龍山で実施される集団百万遍修行には参加したくなく、室戸岬に行ったのかもしれません。
 小説『空海マオの青春』では、まず生駒山の集団百万遍修行に参加し、途中から太龍山に移ったとしました。

 さて、ここからは私の太龍山、南の舎心岳追体験の報告です(^_^)。
 とにかく空海マオの百万遍修行に関してその片鱗でも感じ取りたい。そのためには日中南の舎心岳に行くだけでは不充分。空海は深夜から未明にかけて明けの明星を見ながら求聞持法の真言をとなえたのです。ならば、私も深夜太龍山に登るしかありません。

 これが標高数千メートルの山だったら、「行こう」などと思わなかったでしょう。幸いなことに太龍山は標高六百メートル。しかも、南の舎心岳は頂上ではなく、東側山腹にある。麓から百〜二百メートル登る程度。一時間もあれば到着できる距離でした。

 これよりまず日中到着してからの行動を記します。深夜の道程が問題なので、必要ない記述と思われるかもしれません。しかし、繰り返しとなることを承知の上で昼日中の行動から書き始めます。
 なぜなら、昼間は難なく歩いて通り過ぎた景色が深夜になると一変したからです。もちろん景色が変わるわけはありません。私の感じ方が変わった――それも激変したのです。なので、昼間の紀行文からしっかり頭に入れておいてください(^_^)。

 7月14日、私は午後二時頃太龍山の東側にある民宿R荘に着きました。太龍山のロープウェーは西山麓から山頂まで登り、東側斜面を下って太龍寺に至ります。深夜ロープウェーが動いているはずもないので、歩いて太龍寺に行くには東側の山道を登る必要があります。

 R荘から東側山麓の駐車場まで車で十分ほど走りました。途中の道は離合が不可能な狭い道で「対向車が来たらいやだなあ」と思いました(^.^)。
 一度だけ対向車が来たときは幸いやや広い所だったので、すれ違いできました。「ラッキー!」てなもんです。

 駐車場に着くと後は寺まで山道を登ります。山道は舗装され、車一台通れるほどの幅はありました。しかし、車止めがあって歩くしかありませんでした。
 この山道の途中にはたくさんの石積みや小さな石仏があり、赤い布切れがまいてあったりしました。そしてお賽銭でしょう1円玉や五円玉、十円玉が置かれていました。

 二十分ほど登ると太龍寺の山門に到着。その前には満開のアジサイと三体の石仏がありました。
 山門をくぐれば、そこはもう太龍寺の境内。本堂、大師堂に求聞持堂もありました。それからロープウェー乗り場の先に「大師修行の地」という案内石柱があり、距離「六百八十メートル」と注記されていました。

 さらに歩くと左が崖となる小道に出ます。しかし、山道の幅は二メートルほどあり、深夜登っても危険はないとわかりました。
 さらに歩くと、右の山側に台座に置かれた石仏がずらりと並んでいました。数にして数十はあったでしょうか。おそらく信者の寄進でしょう。プロが作ったと思える立派さで大日如来、薬師如来などと名が刻まれていました。
 石仏群を見ながら歩く途中、上空をロープウェーが通り過ぎました。案内でしょうか、ずいぶん大きな音で何やら喋る声が聞こえます。見送ると上方に向かっており、山頂の鉄塔が見えます。目的が頂きだったら、まだかなり登らねばならないと思いました。

 石仏群を超えて数分後、突然南の舎心岳に出ました。まだまだ先だろう、上だろうと思っていただけに拍子抜けする近さでした。看板があり、崖の突端には巨岩上に空海座像がありました。背後にはいくつも小さな祠がありました。

☆ 「南の舎心岳磐座の空海座像と遠景」

 以前書いたように、そこは磐座の頂点で、東に開けており、空と四国連山が眺められる絶景の場所でした。

 私はそこに二十分ほど滞在して(その間観光客は一人も来ませんでした)立ち入り禁止の空海座像近くまで行って座像や東の山々を撮影したりしました。立ち入り禁止だったけれど、岩に登るためのロープがあったからですが……(^_^;)。

 なんにせよ着いてみると、「これなら深夜来るのはさほど難しいことではない」との感触を得て帰路に就きました。
 宿に戻ると、お風呂に入って夕食にビールを飲み、目覚ましを午前三時に合わせて十時頃床に就きました。

 以下ここからは御影祐のホームページ「旅に学ぶ」に掲載した「四国明星の旅4――舎心が嶽の明星」より抜粋します。文体は「である」体です。

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 宿では午後十時ころ寝に就いた。しかし、ビールの飲み過ぎか、お茶の飲み過ぎか、なかなか寝付けない。大ビン一本しか飲まなかったのに、二日酔いの症状である心臓の早鳴りがなかなかおさまらなかった。タイマーは午前三時にセットしていた。それが気になって寝付けない感じでもあった。

 結局、ほとんど眠れないまま午前二時に起きだした。そして、二時半頃宿を抜け出し、車で山腹の駐車場へ向かう。外はかなり暗い。道がせまいので、ハンドルを切り損なうと脱輪しかねない。私はそろそろ走った。

 途中窓ガラスが曇ってとても見づらくなった。停車して窓を拭く。ところが、その曇りは外側だった。ワイパーを動かし、やっと前が良く見えるようになった。辺りは真っ暗で、車のライトだけが前を照らしている。こんなところで道を踏み外したら、叫んでも人は来ないし、しばらく誰も見つけてくれないだろうと思った。
 長く感じた十数分後、ようやく昼間見慣れた駐車場へ着いた。当然車は一台も止まっていない。私は外へ出た。ひんやりとしている。車のライトを消すと辺りは真っ暗。街灯もないので真性の闇夜だった。空は低く満天の星がまたたいている。私はペンライトを灯し、昼間歩いた道を寺へと向かった。

 山道を歩き始めてすぐ、背筋にぶるぶるっと震えが走った。向こうの方に白っぽい何かが立っている。とたんに総毛立つ感じで頭髪が後ろに引っ張られた。むき出しになった腕に鳥肌が立っていると感じる。
 白い何かは昼間通った時見た記憶がある。おそらく「火災注意」の看板に違いない。だが、心臓がどきどき脈打つ。恐怖心がわいているようだ。

 私はライトを下に向け、遠くを見ないようにして歩いた。それでも、うすぼんやりと見える樹木が不気味である。やがて道のかたわらにナイロン製の賽銭箱が置かれた石積みが現れる。なぜかまた鳥肌が立ち、背筋がぞくっとして震えが来る。私は完全に恐怖にとらわれていた

 なんとかしなければならないと思った。ここまで来て怖いからと引き返すわけにはいかない。しかし正直な話、明星を見たいとの思いがなければ、私は引き返しただろう。
 そこで、ここは寺がある山じゃないかと思った。さらに、空海を思い、虚空蔵求聞持法を思った。密教の真言は悪魔降伏(ごうぶく)の効き目があると言われる。私は何か真言をとなえようと思った。しかし、「ノウボウ、アキャシャー」の真言はまだ覚え切れていない(^_^;)。

 そこで般若心経の真言「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカー」をとなえ始めた
 口の中でとなえ、声に出してとなえた。そのうちなんとなく心が落ち着いてきた。そこでとなえるのをやめてまた歩く。
 ところが、ちょっと進むと、路傍の小石仏が現れ、おぞましさがわく。背後の木の枝が落ちる音にどきっとする。ヒグラシが突然カナカナと鳴き始める。そのたびに背筋が震えてぞくぞくする。いるはずもないのに、もしもイノシシとかキツネが出てきたらどうしようかと思う。
 これはもうとなえるしかない。私はまた「ギャーテー、ギャーテー」と激しくとなえた。

 そのうち面白いことに気づいた。ギャーテー、ギャーテーの真言をとなえることに集中していると、恐怖心が薄らぐのである。ところが、真言を口ずさんでいても、心が別のことを考えているとダメ。背筋にまた震えが来る
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なることわざがある。つまり、恐怖や妄想とは自分の心がこしらえているということ。正にその通りだなと思った。他のことで心の中を満たすと、妙なこと怖いことを思い浮かべなくなるのだ。

 だとしたら、となえる言葉はなんでもいいのだろう。私はためしに、なむあみだぶつととなえ、弁証法的唯物論ととなえた。さらに、アーメンキリスト、精霊の御名から、アッラーの神に聖戦――ととなえた(^_^;)。
 そして、それを真剣にとなえている限り、恐怖は薄れた。辺りで物音がしても、先に妙なものが見えても、怖さを感じない。全く普通に歩くことができた。不信心ながら、なるほどと思った。

 やがてアジサイが群生するところまでやって来た。その先には石仏数体が並んでいる。
 この石仏は人間の味方であり、安心できる仏像であるはず。なのに、私の恐怖はまた芽生えた。これがふと動き出したら、きっと絶叫して逃げ帰るだろう――そう思うと恐怖にとらわれてどうしようもなくなった。
 私はここでもギャーテーギャーテーをとなえる。もちろん石仏は動かなかった(^.^)。

 やがて仁王門に到着。午前三時過ぎだった。思ったとおり門は開いていた。境内はところどころに灯火があるので歩きやすい。私は昼間の道をたどって本堂の下のロープウェー乗り場近くまでやって来た。この辺りはライトがなければ、歩けないほど暗かった。

 そのとき何となく左の空を見上げた。仰角十度ほどの中空に赤い下弦の月が浮かんでいる。そして、その右斜め下にきらきらと輝く星が一つ。妙な表現だが、その星は静かに浮かんでいた。「えっ、あれが明星?」と思った。
 明星にしては輝きが赤色っぽい。しかし、眺めているのは東の方角なので、明星に間違いあるまい。私はやっと明星を発見したと思って嬉しくなった。恐怖心は全くなくなっていた(^o^)。

 上空を見上げると満天の星である。五つの星粒Wのカシオペア座もくっきりと見える。
 私はその場で月と明星を撮影した(けれど、カメラを固定しなかったのでみんなブレてしまった(T_T)。

 そして、ロープウェー乗り場から舎心が岳頂上へ至る小道に入る。右側には数メートル間隔で例の石仏像が並んでいる。
 ここでも御利益あらたかな仏像であるはずなのに、それが動き出したらどうしよう、と妙な妄想が浮かんで立ち止まった。また鳥肌が立ち、髪の毛が後ろへ引っ張られる。これまたすぐに「ギャーテー、ギャーテー」をとなえた。
 しばらく歩いたあと、昼間一休憩した場所でふと上空を見上げた。架線にロープウェー本体がぶら下がっていた。ちょうどその上に下弦の月が浮かび、明星がきらめいている。明星は次第に白っぽさを増し、明るく大きく輝き始めていた(^o^)。

 十五分後私はようやく大師座像のある断崖絶壁までやってきた。やはり辺りは真っ暗。それでも祠や立て看板がぼんやり見える。誰かが近くにいるような気もする。カナカナ、カナカナとヒグラシが鳴き出し、その声がやけに不気味に聞こえる。もしも誰かがやって来たら、私は自殺者だと思われるかもしれない。

 また芽生えた恐怖心を克服するため、ここでは求聞持法の真言をとなえてみようと思った。幸い真言は解説の石碑に書かれている。
 私はライトでそれを照らしながら、「ノウボウ、アキャシャー、キャラマヤ、オンアリキャー、マリボリソワカー」をとなえた
 スピードもどんどん上げてみた。空海がとなえた雰囲気を感じ取ろうと思ったからだ。五分ほど一心不乱と言った感じでとなえると、心が落ち着く。

 ここから東の空を見上げると、下弦の月は断崖の先端にある空海座像の右斜め上にある。そして、その右下に明星が浮かんでいる。今は月も明星も白く強く輝いている。明星はいっそう明るく大きく輝いているように見えた。まるでダイヤモンドのように、光の束が四方八方に伸びている
 私は光の束の先端を半径として円を描いてみた。するとちょうどお月様の円の大きさだった。これで金星最大光輝の前日である。私は驚くと同時に大感激であった(^O^)。

☆ 「南の舎心岳の月と明星(夜明け前)」

 6月8日の金星日面通過以来、私は明けの明星をずっと発見できなかった。しかし、ようやくここ南の舎心が岳で見ることができたのである。
 しかも、約1200年前空海が修行したこの場所で、私は時空を超えて輝く《同じ》明けの明星を眺めているのだと思った。
 空海がもし七九七年――金星日面通過の年――にこのように光り輝く明けの明星を眺めていたなら、例年になく光る明星を見て「明星来影」と記し、感激するのもわかる気がした。ちなみに「明星来影」の「影」とは光のことで、直訳すれば――光がやって来る。

 それから一時間、私はこの場所で明星を眺め続けた。しばしば蚊もやってきて往生した。時折恐怖が芽生え、真言をとなえて安心する。空海はどのような気持ちで真言をとなえ、どのような思いであの明星を眺めたのだろうと想像した。室戸の双子洞窟で、最大光輝の日に明星を眺めたら、もっと大きな感動があることは間違いないだろうと思った。

 四時半頃辺りが徐々に明るくなり、遠くの山の上空がオレンジ色を帯び、やがて蒼白くなった。この日の日の出は調べて五時前だと知っていた。だが、山があるので、日の出は見られないだろう。そう思って五時過ぎ宿へ戻ることにした。

 道を下っている途中、山の向こうにぽっかり浮かんだ真っ赤な円を見出した。そのときはちょっと驚いた。それは日の出というより、すでに完全顔見せの太陽だった。最後にその日の出を写真におさめ、私は満ち足りた気持ちで朝の山道を下った。
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 これが私の舎心岳追体験です。この体験を一言でまとめるなら、「恐怖」であり、それを克服させてくれた「真言=呪文」の効き目でした。

 志賀直哉『暗夜行路』のラストは大山登山での《自然との溶融》です。他にも自然との交流・一体感を描いた小説がいくつかあります。
 私も出かける前は深夜の山中で明けの明星を眺めたら、「ある種溶融感があるかも」と期待しました。ところが、とんでもない(^_^;)。溶融感とか自然、山々、夜空、三日月、明けの明星……それらと溶け合った気がする――なんぞ露ほども感じませんでした。私に湧いたのは子供が肝試しを怖がるのと同じ、ただただ恐怖だけでした。

 そして、この恐怖を鎮めてくれたのは「ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカー」の呪文でした。「ノウボウ、アキャシャー、キャラマヤ、オンアリキャー、マリボリソワカー」の求聞持法真言も効き目がありました。呪文をとなえると、恐怖が薄らぎ、また歩き始めることができたのです。

 唯物論者を自認しているくらいだから、「それこそ仏教のすぐれた効能であり、呪文・称名には力があるんだ」などと言うつもりはありません(^_^;)。

 私の脳科学的分析は以下の通りです。
 昼間の発想、感性において怖いものは何もありません。かんかん照りの山道を歩いているとき、「石仏が動いたらどうしよう」などと考えもしません。境内にはお遍路さんや参拝者がたくさんいました。
 ところが、深夜たった一人で山道を行くと、不安が次から次に湧いてきます。「車が脱輪したら誰も助けに来てくれないだろう、切り立った崖から落ちたらそのまま死んでしまうかもしれない」などと感じるのです。一人だから感じる不安であり、怖さでした。

 そして、ずらりと並んだ石仏の前に立つと、「もしもこれが動き出したらどうしよう」と思う――考えてしまうのです。「そんなバカなことがあるはずはない、動くわけがない」と脳内の知性・理性は否定します。しかし、いくら否定しても否定できません。まがまがしい空想・妄想が頭を離れなくなるのです。

 言うならば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」でしょう。幽霊なんぞ存在しない、枯れた立木やススキが人の姿に見えているだけ――科学的理性は「バカげている」と言います。がしかし、それは昼間の理屈です。

 時は深夜の丑三つ時(^.^)。のろいのわら人形を打ちつける時間帯……。
 向こうの大木の枝は巨人の手のように見えます。風に揺れてざわざわ音を立てると、巨人のだみ声に聞こえ、襲われるように感じます。

 あるいは、人を守ってくれるはずの石仏がひょいと動き始めたら、自分は「ぎゃあ!」と叫んで逃げ帰るに違いない……その空想を振り払うことができないのです。
 昼間なら「幽霊なんていないよ」と簡単に言える。しかし、深夜の山中では否定できません。「幽霊はいるかもしれない」と思う――感じるのです。

 闇の中でとらわれた妄想は理屈ではなく感情です。夜の闇の中で「そんなことがあるはずがない」という理屈は何の力も持っていませんでした。私は背筋を震わせ、凍り付いてそれ以上歩けなくなり、もう逃げて帰りたいと思ったのです。

 ところが、呪文をとなえると、その妄想が消えました。消えると言うより、心が呪文で一杯になり、妄想を考えなくなるといった方が正確でしょう。心に浮かんだ不安や恐怖、妄想が呪文をとなえることによって追い払われるのです。結果、再び歩き始めることができました。

 そのとき私は『般若心経』の一文を理解しました。
 『般若心経』はこの教えを声に出してとなえなさいと言います。となえることでどのような効能があるか。『般若心経』は言います。
 心無圭礙、無圭礙故、無有恐怖(しんむーけーげー、むーけーげーこー、むーうーくーふー)。
 口語訳すると「心にこだわりがなくなる。こだわりがなくなるゆえに、不安や恐怖が消え去る」との意味です。

 そして、最後の呪文が
 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶(ギャーテー、ギャーテー、ハーラーギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカー)でした。

 この恐怖体験は一人だから感じたのだと思います。二人だったら、あるいは集団だったら、それほど恐怖は感じなかったでしょう。お互い言葉を交わしたり、励まし合うことができるからです。

 本号の始めに「空海は集団百万遍修行を嫌ったのではないか」と書きました。この推理は私が深夜一人で太龍山に登ってみて生まれました。昼間現地を訪ねただけでは思いつかなかったでしょう。お日様の下の舎心岳登山に怖さはありませんでしたから。

 空海の場合は本能的にと言うか直感として「集団百万遍修行ではある境地に達することはできない。仏教的感得は得られないだろう。一人でやろう」と思ったのではないか。そして、深夜一人で南の舎心岳に登れば、きっとあの恐怖感を味わっただろうと思います。
 さらに、呪文をとなえ続ければ、恐怖が薄れ、なくなることも体感したはずです。
 私はそれを脳科学的に分析しました。が、若き空海――脳科学的分析なぞしなかったであろう空海――は

これが仏教の力か! 呪文の効能かっ!」と思って大感激したのではないかと思います(^_^)。



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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本文に関連した「磐座」の画像や南の舎心岳の空海像、深夜の明星などは「四国明星の旅」(4)にありますので、ご覧下さい。 → 「四国明星の旅」4

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