舎心が嶽上空の月と明星(午前4時36分)

  四国明星の旅



明星の旅4「舎心が嶽の明星」


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【第4回】   狂短歌


☆ それはまるで暗い夜空のダイヤモンド! 金色(こんじき)の粒
    針のきらめき



 明星の旅4 「舎心が嶽の明星」


 舎心が嶽の明星 [画像7枚]

 とうとう見た! 舎心が嶽山頂より、東の空に輝く明けの明星を(^O^)。

 それは下弦の月の右下にきらきらと輝いていた。ちょっと大げさだが、まるでダイヤモンドのような光輝だった。芯(しん)となる金色の粒から、四方八方へ針のような光線が伸びていた。その最先端を半径として円を描くなら、明星全体はちょうど満月の大きさにもなる。今まで一度も見たことのない輝きの明けの明星だった(・o・)。

☆ 昼間の太龍寺ロープウェー乗り場付近
昼間の太龍寺ロープウェー乗り場付近

 宿では午後十時ころ寝に就いた。しかし、ビールの飲み過ぎか、お茶の飲み過ぎか、なかなか寝付けない。大ビン一本しか飲まなかったのに、二日酔いの症状である心臓の早鳴りがなかなかおさまらなかった。タイマーは午前三時にセットしていた。それが気になって寝付けない感じでもあった。
 結局、ほとんど眠れないまま午前二時に起きだした。そして、二時半頃宿を抜け出し、車で山腹の駐車場へ向かう。外はかなり暗い。道がせまいので、ハンドルを切り損なうと脱輪しかねない。私はそろそろと走った。
 途中窓ガラスが曇ってとても見づらくなった。停車して窓を拭く。ところが、その曇りは外側だった。ワイパーを動かし、やっと前が良く見えるようになった。辺りは真っ暗で、車のライトだけが前を照らしている。こんなところで道を踏み外したら、叫んでも人は来ないし、しばらくは誰も見つけてくれないだろうなと思った。

 長く感じた十数分後、ようやく昼間見慣れた駐車場へ着いた。当然車は一台も止まっていない。
 私は外へ出た。ひんやりとしている。車のライトを消すと辺りは真っ暗。街灯もないので、真性の闇夜だった。空は低く満天の星がまたたいている。私はペンライトを灯して昼間歩いた道を寺へと向かった。
 こんな深夜に山道を歩くのは一体何年ぶりだろうか。あるいは、初めてかもしれない(-_-)。
 歩き始めてすぐ、背筋にぶるぶるっと震えが走った。向こうの方に白っぽい何かが立っている。とたんに総毛立つ感じで頭髪が後ろに引っ張られた。むき出しになった腕に鳥肌が立っていると感じる。
 その白い何かは昼間通った時見た記憶がある。おそらく「火災注意」の看板に違いない。だが、心臓がどきどきと脈打つ。一言で言って私には恐怖心がわいていた。
  私はライトを下に向け、遠くを見ないようにして歩いた。それでも、うすぼんやりと見える樹木が不気味である。やがて道のかたわらにナイロン製の賽銭箱が置かれた石組みが現れる。また鳥肌が立ち、背筋がぞくっとして震えが来る。私は完全に恐怖にとらわれていた(`´)。

 なんとかしなければならないと思った。ここまで来てこわいからと引き返すわけにはいかない。しかし正直な話、明星を見たいとの思いがなければ、私は引き返しただろう。そこで、ここは寺がある山じゃないかと思った。さらに、空海を思い、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を思った。密教の真言は悪魔降伏の効き目があると言われる。だから、私は何か真言をとなえようと思った。しかし、「ノウボウ、アキャシャ……」の真言はまだ覚え切れていない(^_^;)。
 そこで般若心経の真言「ギャーテー、ギャーテー、ハラギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカ」をとなえ始めた。口の中でとなえ、声に出してとなえながら歩いた。そのうちなんとなく心が落ち着いてきた。そこでとなえるのをやめた。
 すると左右の小石仏に対しておぞましさがわく。背後で木の枝が落ちる音にびくりとする。ヒグラシが突然カナカナと鳴き始める。そのたびに背筋が震えぞっとする。いるはずもないのに、イノシシとかキツネが出てきたらどうしようと思う。  またギャーテー、ギャーテーと激しくとなえた(`´)。

 そのうち私は面白いことに気づいた。ギャーテー、ギャーテーの真言をとなえることに集中していると、恐怖心が薄らぐのである。ところが、真言を口ずさんでいても、心が別のことを考えているともうダメで、すぐに背筋に震えが走る。
 「幽霊の正体見たり枯れすすき」なることわざがある。つまり、恐怖や妄想とは自分の心がこしらえているということ。正にその通りだなと思った。
 他のことで心の中を満たすと、妙なこと怖いことを思い浮かべなくなるのだった。だとしたら、となえる言葉はなんでもいいのだろう。私はためしに、なむあみだぶつととなえ、弁証法的唯物論ととなえた。さらに、アーメンキリスト、精霊の御名から、アッラーの神に聖戦――ととなえた(^_^;)。
 そして、それを真剣にとなえている限り、恐怖は薄れていた。辺りで物音がしても、先に妙なものが見えても、こわくなかった。不信心なことながら、なるほどと思った。

 十数分歩いてアジサイが群生するところまでやって来た。その先には石仏数体が並んでいる。これらは人間の味方であり、安心できる仏像であるはず。なのに、私の恐怖はまた復活した。これがふいと動き出したら、きっと絶叫して逃げて帰るな、と思うとこわさがぶり返す。私はまたギャーテー、ギャーテーをとなえた。もちろん石仏は動かなかった(^.^)。

 やがて仁王門に到着。午前三時頃だった。思ったとおり門は開いていた。境内はところどころに灯火があるので歩きやすい。私は昼間の道をたどって本堂の下のロープウェー乗り場近くまでやって来た。この辺りはライトがなければ、歩けないほどの暗闇だった。
 そのときふと左の空を見上げた。仰角(ぎょうかく)十度ほどの中空に赤い下弦の月が浮かんでいる。そして、その右斜め下にはきらきらと輝いている星が一つ。妙な表現だが、その星は静かに浮かんでいた。
 「えっ、あれが明星?」と思った。明星にしては輝きが赤色っぽい。しかし、見渡しているのは東の方角なので、明星に間違いあるまい。私はやっと明星を発見したと思って嬉しくなった。恐怖心は全くなくなっていた(^o^)。

☆ ロープウェー乗り場から見た月と明星(7月14日午前3時20分)[ブレました(^_^;)]
舎心が嶽上空の月と明星(am 3:20)

 上空を見上げると満天の星である。五つの星粒Wのカシオペア座もくっきりと見える。私はそこで月と明星を撮影した(が、カメラを固定しなかったのでみんなブレてしまった(T_T)。

 そして、ロープウェー乗り場から舎心が嶽頂上へ至る小道へ入る。右側には数メートル間隔で例の石仏像が続く。ここでも御利益(ごりやく)あらたかな仏像であるはずなのに、それが動き出したらと妙な妄想が浮かぶ。また鳥肌が立ち、髪の毛が後ろへ引っ張られる。これまたすぐにギャーテー、ギャーテーをとなえた。
 しばらく歩いたあと、昼間一休憩した場所でふと上空を見上げた。架線にロープウェーの本体がぶら下がっていた。ちょうどその上に下弦の月が浮かび、明星がきらめいている。明星は次第に白っぽさを増し、大きく明るく輝き始めていた(^o^)。

 十五分後私はようやく大師座像のある断崖絶壁の所までやってきた。やはり辺りは真っ暗。それでも祠(ほこら)や立て看板がぼんやり見える。不気味だし、なんだか誰かが近くにひそんでいるような気もする。カナカナ、カナカナとヒグラシが鳴き出す。その声がやけに不気味に聞こえる。もし誰かがやって来たら、私は自殺者だと思われるかもしれない。
 また芽生え始めた恐怖心を克服するため、ここでは求聞持法(ぐもんじほう)の真言をとなえてみようと思った。幸い真言は解説の石碑に書かれている。
 私はライトでそれを照らしながら、「ノウボウ、アキャシャ、キャラマヤ、オンアリキャ、マリボリソワカ」をとなえ始めた。スピードもどんどん上げてみた。空海がとなえた雰囲気を感じ取ろうと思ったからだ。

 ここから東の空を見上げると、下弦の月は断崖の先端にある空海座像の右斜め上にある。そして、その右下に明星が浮かんでいる。今は月も明星も白く強く輝いている。明星はいっそう明るく大きく輝いているように見えた。まるでダイヤモンドのように、光の束が四方八方に伸びている。私は光の束の先端を半径として円を描いてみた。するとちょうどお月様の円の大きさだった。これで金星最大光輝の前日である。私は驚くと同時に大感激であった(^O^)。(デジカメではきらめく針のような輝きが撮影できず残念!)

☆ 空海座像上空の月と明星(午前3時46分)
舎心が嶽上空の月と明星(am 3:46)

 6月8日の金星日面通過以来、私は明けの明星をずっと発見できなかった。しかし、ようやくここ南の舎心が嶽で見ることができたのである。
 しかも、約1200年前空海が修行したこの場所で、私は時空を超えて輝く《同じ》明けの明星を眺めているのだと思った。空海がもし979年――金星日面通過の年――にこのように光り輝く明けの明星を眺めていたならば、例年になく光る明星を見て「明星来影」と記し、感激するのもわかる気がした。ちなみに「明星来影」の「影」とは光のことで、直訳すれば、光がやって来る――である。

☆ 空海座像上空の月と明星(午前4時25分)
空海座像上空の月と明星(午前4時25分)

☆ 空海座像上空の月と明星(午前4時35分)
空海座像上空の月と明星(午前4時35分)

☆ 空海座像上空の月と……(午前4時47分)
空海座像上空の月と明星(午前4時47分)

 それから一時間、私はこの場所で明星を眺め続けた。しばしば蚊もやってきて往生した。時折恐怖が芽生え、真言をとなえて安心する。空海はどのような気持ちで真言をとなえ、どのような思いであの明星を眺めたのだろうと想像した。室戸の双子洞窟で、最大光輝の日に明星を眺めたら、大きな感動があることは間違いないだろうと思った。
 四時半頃辺りが徐々に明るくなり、遠くの山の上空がオレンジ色を帯び、やがて蒼白くなった。
 この日の日の出は調べて五時前だと知っていた。だが、山があるので、日の出は見られないだろう。そう思って私は五時過ぎ宿へ戻ることにした。

 道を下っている途中、山の向こうにぽっかり浮かんだ真っ赤な円を見出した。そのときはちょっと驚いた。それは日の出というより、すでに完全顔見せの太陽だった。最後にその日の出を写真におさめ、私は満ち足りた気持ちで朝の山道を下っていった(^O^)。

☆ 舎心が嶽の日の出(5時9分)

舎心が嶽の日の出

 部屋に戻ると再び寝に就いた。だが、興奮してなかなか寝付けなかった。
 朝食後宿を出るとき、私は山々の一つにあのロープウェーの鉄塔が見える舎心が嶽を見出した。あそこだったのかとやっと確認できた。
 見送りに出てきたおかみさんに「あそこが舎心が嶽なんですね。空海修行の地はここから見えますか」と聞いた。
 するとおかみさんは「それは南の舎心が嶽じゃね。北の舎心が嶽もあるよ」と言った。私はおやと思った。前日北の舎心が嶽も確認している。この辺の人にとって、太龍が嶽よりも、舎心が嶽の呼び名の方が一般的なんだろうかと思った。

 磐座(いわくら)のある南の舎心が嶽に北の舎心が嶽――空海が生きた時代、この山は修験道の聖地として充分知られていたのではないか。大学を飛び出した若き空海が、求聞持法(ぐもんじほう)の修行前に、山岳修行としてこの地を訪れていたことは充分考えられる。そうであれば、彼は真言百万遍修行の場として南の舎心が嶽をただちに思い浮かべたことだろう。真言百万遍修行の聖地として南の舎心が嶽は必須(ひっす)だったのだ。
 それにしても、ものの本には真言百万遍修行はたった一人で行われるとある。空海は百日間ずっと南の舎心が嶽で寝泊まりしたのだろうか。あるいは、夕刻に登り、一夜を過ごして夜明け前起き出し、真言をとなえながら明けの明星を見る。そして日の出後に下山したのだろうか。
 私はそんなことを考えながら、車を出発させた。(続)



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