四国室戸岬双子洞窟

 『空海マオの青春』論文編 第 43

「室戸百万遍修行」その1


 本作は『空海マオの青春』小説編に続く論文編です。空海の少年期・青年期の謎をいかに解いたか。空海をなぜあのような姿に描いたのか――その探求結果を明かしていきます。空海は何をつかみ、人々に何を説いたのか。私の理解した範囲で仏教・密教についても解説したいと思います。

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『 空海マオの青春 』論文編    御影祐の電子書籍  第120 ―論文編 43号

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           原則月1回 配信 2017年12月10日(日)

『空海マオの青春』論文編 

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 本号の難読漢字
 本号の難読漢字 ・大滝岳(たいりゅうだけ、太龍山と同)・勤念(ごんねん)・求聞持(ぐもんじ)法・日和佐(ひわさ)・薬王(やくおう)寺・平等(びょうどう)寺・鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)・磐座(いわくら)・最御崎(ほつみさき)寺・津照(しんしょう)寺・金剛頂(こんごうちょう)寺・御蔵洞窟(みくろどくつ)・神明窟(じんみょうくつ)・大国主命(おおくにぬしのみこと)・祀(まつ)られた・鎮座(ちんざ)・滴(したた)る
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 『空海マオの青春』論文編――第43「室戸百万遍修行」その1

 「室戸百万遍修行」その1――双子洞窟百万遍修行追体験(一)

 本号より太龍山百万遍修行に続いて室戸岬双子洞窟での百万遍修行についていろいろ書いて参ります。
 こちらも当然紀行文的ですが、そのうち考察も増えて各節の分量が多くなりそうなので、「室戸百万遍修行」として独立させました。

 さて、前号をちょっと振り返っておくと、2004年7月14日、明けの明星最大光輝の前日、私は深夜太龍山南の舎心岳に登りました。
 この追体験では草木も眠る丑三つ時、逃げて帰りたいほどのとてつもない恐怖を感じたこと。しかし、呪文をとなえれば心からその恐怖を追い出せたこと。そして、夜空に輝くダイヤモンドのような明けの明星を見て大感激するという体験を得ることができました。

 ただ、その場でやりたかったのに果たせなかったことが一つあります。
 それは「のうぼう、あきゃしゃー、きゃらばや、おんありきゃー、まりぼりそわかー」の真言を《大声で》となえることです(^_^)。

 空海は「阿国大滝岳によじ登り、土州室戸崎に勤念」して「谷響きを惜しまず、明星来影す」と書きました。「谷響きを惜しまず」とは、南の舎心岳で真言をとなえたとき「山々がこだまで応えてくれた」との意味です。「ヤッホー」と大きな声を出せば、「ヤッホー…ヤッホー…ヤッホー……」と返ってくるあれ(^_^)。

 空海座像のあった現場から東を望むと、徳島の山々が連なっていました。大声を出せば確かにこだまが返ってきたでしょう。私もそれをやってみたかった。しかし、さすがに深夜大声を出すことははばかられました。

 そもそも(白状しますが)、私はそのような時間に南の舎心岳へ行くことについて、太龍寺の許可を取っていませんでした(^_^;)。
 南の舎心岳に行くには寺の境内を通らねばなりません。普通はお寺の人に「深夜そこに行きたいのですが」と話をしておくべきでしょう。しかし、それをしなかった。
 理由は単純で「ダメだ」と言われたら困るからです(^.^)。はるばる遠くから来たこと、空海を研究していることなど、話せばわかってもらえるでしょう。が、めんどくささを思ってひそかに行くことにしました。

 最初の不安は「山門が閉じられやしないか」でしたが、京都の寺ではあるまいし、この田舎で閉じられることはまずないだろうと決めつけ、事実その通りでした。
 そして、現場に到着してから何度も求聞持法真言をとなえました。やや大きな声を出すのが精一杯で、結局こだまは返ってきませんでした。
 もしも大声を出したら、太龍寺で寝ている人(あるいは麓まで声が届けば、民家の住人)を起こしてしまう可能性があり(^_^;)。「下手したら警察に通報されるかもしれない」と思えば、さすがに大声を出せなかったのです。

 それが唯一の心残りながら、夜が明け、日の出も拝んで私は満足して宿に戻りました。それから朝食後出発してこの日は室戸岬を目指しました。もちろん翌日未明、双子洞窟から明けの明星を見るためです。

 ここで今号の伏線として追加しておきたいことがあります。南の舎心岳の山側にはいくつも祠がありました。その一つに「天照皇大神」と書かれていました。そのとき私はこれを読めず、「てんしょうこうたいしん……てなんだ?」とつぶやいていました。

 それはさておき、この日ナビの目的地として、まず室戸岬の北数十キロにある日和佐(ひわさ)の「薬王寺(23番札所)」を設定しました。私の目論見は徳島から高知室戸岬まで海岸沿いを通る国道55号線に出て、のんびり海でも眺めながら行くことでした。

 ところが、ナビの案内に従うと、車は海岸線に向かわず、やや内陸を南下します。そして(太龍寺は21番札所ですが)、22番札所「平等寺」に着いたのです。
 前日参拝する予定がなかったのに、20番札所「鶴林寺」を通って太龍寺に向かったのと同じでした。しかし、せっかくそばを通るんだから寄らない手はない、と参拝してまた出発しました。次が日和佐の薬王寺です。

 しかし、その後もナビは海岸に向かうことなく、やや内陸の道をだらだら上り、だらだら下って日和佐を目指します。
 この間(真夏のかんかん照りの中)歩いているお遍路さんを何人も追い抜きました。彼らも平等寺から薬王寺を目指しているのです。
 車の中はエアコンかけて涼しいし、上り坂でもひゅんひゅんすっ飛ばせます。しかし、お遍路さんは外を歩いています。「この距離を歩くのか〜」と思うと、「私もいつか歩き遍路を」なんて気持ちは消え失せ、「自分にゃとてもできない」と思いつつ走りました(^_^;)。

 そして、日和佐の薬王寺に着いたとき、ふと「もしかしたら今通った道は空海が室戸岬を目指して歩いた道ではないか」と思いました。
 後日地図を調べてみると、もっと内陸に太龍寺――すなわち南の舎心岳から室戸岬に行く道はありません。海岸沿いの国道55号線は当然近代以降つくられた道でしょう。だから昔からあった道はお遍路さんが歩いていた道ではないかと思ったのです。

 そして、日和佐の薬王寺は海のすぐ近くにありました。そこを参拝した後は一路国道55号線を南下、室戸岬を目指します(このへんの詳細は御影祐のHP「四国明星の旅」5〜6をご覧下さい)。

 ここからが長い。長かったです。室戸岬まで50キロはあるのではないでしょうか。車で一時間近くかかりました。この途中も歩きお遍路さんを何人も追い抜きました。窓を閉ざした車内から(聞こえないでしょうが)、「がんばって!」と叫んだものです。

 途中休憩のつもりで番外札所と呼ばれる「鯖大師本坊」に寄りました。そこで以前書いたように、前日鶴林寺で出会った(と言うか見かけた)美形お遍路さん二人と再会し、ちょっと言葉を交わしました。前日同様きれいな声で「般若心経」をとなえていました。彼女らも車遍路でした。

 私は二人がこれから室戸岬に向かうのだろうと思って「空海が修行した双子洞窟も見るといいですよ」と教えました。すると「それならもう行きました」と答えたので、私の勘違いが判明しました。二人は私より一足先に室戸まで行き、周辺の寺を巡った帰途、鯖大師本坊に立ち寄っていたのです。

 私はそこに二十分くらいいたけれど、彼女らは十分も経たずして去っていきました。私は「よくまー出会ったなあ」とピンポイントの偶然に驚嘆しました(^_^)。私が鯖大師本坊に早く着いても、遅れても会うことはないからです。

 そして、海岸沿いの国道を南下しました。海岸や太平洋は絶景で、車はすいすい走りました。断崖絶壁の中腹を走ることもあり、「この断崖絶壁を歩いていくなど不可能、空海は日和佐から船に乗って室戸岬に行ったのではないか」などと想像しました(この構想はマオが日和佐から鯨漁の船に乗るという形で小説に取り入れました)。

 小一時間後室戸岬に到着。でっかい空海像が迎えます。それから宿泊予定のホテルに到着。通り過ぎて1分で右側に双子洞窟が見えました。左は海岸線です。
 ちらと見て洞窟上部が巨大な磐座(いわくら)であることに気づきました
「ここも磐座かっ!」と叫んだものです(^.^)。

 なんにせよ、時間はたっぷりあったので、洞窟は後でじっくり見学することにして通り過ぎ、さらに南下しました。そして室戸三山と呼ばれる24番札所「最御崎(ほつみさき)寺」、25番札所「津照(しんしょう)寺」、26番札所「金剛頂(こんごうちょう)寺」を参拝。26、25と戻って最後に最御崎寺に行きました。いずれも高台にあり、寺から太平洋が見下ろせました。
 室戸岬と来れば「室戸の灯台」が有名。最御崎寺すぐそばにあったので当然そこも見学。ただ、意外と低く中には入れなかったし、周囲に樹木が茂って見晴らしもイマイチでした。その後ホテルに戻って部屋に落ち着きました。

 しばし休憩してから歩いて双子洞窟まで行き、中に入りました。その「紀行文」が以下、ここで「天照皇大神」と再会します(^_^)。
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 ホテルから歩いて数分で、空海修行の洞窟――御蔵洞窟(みくろどくつ)に着いた。むき出しの断崖、その最下部にぽっかり空いた二つの洞窟。洞窟の間は十メートルほどだろうか。いずれも穴の前に鳥居が建てられている。

☆ 「室戸岬磐座と双子洞窟」

 夕方の太陽が山の上に見えるので、洞窟は東方に開いているようだ。[弘法大師修行の地]とある石碑の解説によると、向かって左(西側)を御蔵洞窟(みくろどくつ)と言い、そちらは住居として、右(東側)の神明窟(じんみょうくつ)が修行の場だと書かれている。

 地図によるとこの双子洞窟は室戸岬の突端ではなく、北一キロほどのところにある。空海が真言百万遍の修行をするとき、洞窟の中で行ったことは間違いないだろう。私は当初このことを知ったとき、洞窟は単に雨宿りのためのものだろうと思った。そして「空海はなぜ岬の突端で求聞持法をとなえなかったのか」と不思議で仕方なかった。

 だが、自分の目で見て納得した。室戸岬の最先端数キロの範囲内で、聖地として最もふさわしい場所を探すなら、磐座の下にある双子洞窟以外にはないと。
 双子洞窟のある場所は単なる寝泊まりのための洞窟ではない。太龍寺のある南の舎心が嶽がとても美しい場所だったように、双子洞窟は室戸岬の聖地であり、だからこそ空海は洞窟で求聞持法をとなえたのだ(^o^)。

 私はまず向かって左側(西側)の洞窟の前に立った。鳥居の下に標識があり、「五所神社」とある。そして、「御祭神、大国主命」と書かれていた。
 洞窟の入り口は数メートルほどの幅と高さ。内部は狭いが奥行きは深い。十メートルはたっぷりあり、高さも同じくらいある。そして、水滴がぽたぽた落ちて地面は所々濡れている。
 中に入ると背筋に震えが走った。奥にはコンクリの基壇が設けられ、中央に仏像が安置されている。通路の両側にも小石仏がたくさん並んでいる。そして、洞窟内部から奇妙な声が聞こえてくる。
 ギャーギャー、トゥルルルルと鳴いている。コウモリだろうか。ちょっと不気味だ。右奥は真っ暗で動物の声はそちらから聞こえてくる。洞窟にはまだ奥があるように見えた。

 私は仏像前まで進んで、入り口を振り返った。入り口は思った以上に小さな《窓》だ。それでも下部の陸地、真ん中に太平洋の水平線、そして上部の空――それらが三段となってしっかり見える。確かに空と海が見える。
 だが、ここから眺める空と太平洋は雄大な景色ではない。妙に息苦しい空と海である(-_-)。弘法大師空海の名に感じられる太平洋の雄大さは、この洞穴の中からは感じられなかった。

☆ 「みくろど窟入り口と内部から眺める太平洋」

 それからみくろど窟を出て向かって右側(東側)の洞窟へ行った。
 こちらにも鳥居があり、標識に「神明宮(じんみょうぐう?)」とある。さらに「御祭神、大日□貴オオヒルメノムチ」(□の漢字は雨冠の下に女)とあり、「天照皇大神の別名」と注釈があった。

☆ 「神明窟入り口と内部から眺める景色」

 私は「天照皇大神」の文字を見てあっと叫んだ。同時に「天照皇大神」の読みを思い出した。
 天照皇大神とは「あまてらすおおみかみ」ではないか。南の舎心が嶽山頂の小さな祠に祀(まつ)られていた名も、天照皇大神だった。ここ双子洞窟でも全く同じ名を見出したのである。

 私は思いがけないつながりに驚くとともに、あるひらめきを感じた(^.^)。
 私はこの双子洞窟は空海が求聞持法修行の過程で、室戸岬へ来てから発見したと思っていた(司馬氏などもその説である)。だが、それはまず違うと思った。空海は《室戸の地に双子洞窟があること――それも洞窟が東方へ開いていること》を知ってここへ来たに違いない
 そして、双子洞窟の地もまた巨岩が鎮座まします磐座である。おそらく空海は山岳修行に明け暮れているとき、修験道の聖地として舎心が嶽を知り、次いで室戸の双子洞窟を知ったのであろう。そして、真言百万遍修行の場としてやって来たのである。

 こちらも洞窟の中へ入ってみた。内部は五、六メートル幅で高さも同じ程度。こちらの奥行きはそれほど深くない。水滴は滴っているものの少なかった。司馬氏が『空海の風景』に書いていた通り、こちらは乾いている感じである。

 私は奥から入り口を振り返った。こちらの《窓》の方が隣よりずっと大きい。景色も三段に分けられ、陸地、海、青空と見えた。かなり広々と見渡すことができる。ここから明日未明、明けの明星を見るかと思うとわくわくする気持ちだった。
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 そして、深夜ホテルを抜け出して洞窟の中に入りますが、以下次号ということで。



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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本文に関連した「磐座」の画像や室戸岬双子洞窟、周辺の様子などは「四国明星の旅」7〜8にありますので、ご覧下さい。
   → 「四国明星の旅」7

 今年も空海論文編を読んでいただき、ありがとうございました。ほんとに遅々たる歩みで恐縮至極です。ほんとは私もさっと片づけたい気持ちなのですが、創作活動や他の研究もやっているので、これのみとなりません。ご寛容ください。

 その分(と言うか)ちょっと朗報もあります。九州には「九州芸術祭文学賞」なる小説の文学賞があります。九州沖縄8県と政令3市、計11地区で予選が行われ、主席が本選に進みます。8県の在住者のみが投稿できる九州限定の文学賞です(原稿用紙55〜60枚)。
 私は帰郷して3年前から投稿を始めました。1回目に大分次席となったので、「軽いかな(^.^)」と思ったら、2回目3回目は軽く予選敗退。

 過去3作は私小説的作品だったので、今年は趣向を変えて昔書いたフィクションを投稿しました。御影祐以後の作品ではないので、そのころのペンネーム「久保はてな」で出しました。作品は「はてなのDZIGOKU」――高一の主人公が死んで地獄に落ち、自分が犯した殺生を逆体験するというお話です。ホラー含みだし「まー無理だろう」と思ったら、意外にも大分主席となりました(^_^;)。
 1月末に予選11作品から最優秀作が決まります。つまり、高校野球の甲子園出場が決定したようなもの。大分出場校は初戦か2、3回戦敗退が多いので、私もそうだろうと思っております。もしも最優秀になったら報告しますが、ダメだったら報告しませんので、「初戦負けだったな」と思ってください(^_^;)。

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