『続狂短歌人生論』03「四タイプの不快といら立ち」


○ 四タイプ常に不快を感じてる その源を探ってみれば


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年3月22日(水)第3号


 『続狂短歌人生論』3 四タイプの不快といら立ち

 近年切れやすい人、不快感を露にする人が多くなったと感じませんか。
 車の運転であおる人の映像をときどき見かけます。高速道路などとても危険なのに、怒りと不快を抑えられないようです。
 あれなど明らかに脅迫者タイプだけど、四タイプはそれぞれのやり方で不快といら立ちをため込み、ときに爆発させます。今節は彼らの不快といら立ちを眺めます。


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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ常に不快を感じてる その源を探ってみれば

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』3 四タイプの不快といら立ち 】

 支配者側の不快といら立ち

 脅迫者

 脅迫者は他の全てのタイプの生き方・考え方にいらつく。
 力ではなく何でも言葉で解決しようとする、批判者の回りくどいやり方にいらつく。
 傍観者・受容者に対してはうだうだぐずぐず悩んだり、相手の気持ちを考えたりする、その弱さを許せない。

 人生とはすべからく勝つか負けるかであり、弱い奴らは支配して従わせるものである。
 なぜお前たちは私の言うがままに生きないのだ、従わないのだったら、暴力を振るうしかない――と脅迫者は考える。

 批判者

 批判者も他の全てのタイプの生き方・考え方にいらつく。
 脅迫者に対してはその野蛮さや人を人として扱わない傲慢さに反発する。
 が、傍観者・受容者の弱々しさ、優柔不断さ、いつも人の顔色ばかりうかがっているような生き方にも我慢がならない。

 人生とはもっと強く正しく生きることができる。何事も努力すれば完璧にできる。「どうして努力しないんだ」といつもつぶやいている。
 批判者は自分の考えに絶対の自信を持っている。彼らはそれができない人間を理解できないし、そんな人間はダメなやつだと見なしている。ゆえに、ダメな人間が周囲に多ければ多いほど、批判者はいらつき不機嫌になる。


 被支配者側の不快といら立ち

 傍観者

 傍観者は傍観の言葉が示すように人や事態にあまり関わらない。だから、比較的いらつくことは少ない。だが、学校(と名のつくところ)に登校したり、会社・職場に出勤すれば、否応なく脅迫的・批判的な人間と関係を持たねばならない。すると傍観者だっていらつき不機嫌になる。
 なぜなら脅迫者・批判者は「どうして傍観するんだ。もっと積極的に行動しろ」と言ってくるからだ。
 対して傍観者は「放っといて」と思い、「自分の自由にさせてほしい」と思う。
 だが、脅迫者・批判者は自分に近づいて怒鳴ったり、もっと努力しろと言う。それは人の心に土足で上がり込むような無神経な言動であることが多い。

 それによって傍観者は傷つく。ところが、傍観者は怒るよりむしろ悲しみで心を一杯にする。
 なおかつその感情を外に出さない
。心の中は傷ついているのに、外見は無表情を装う。傍観者とはいら立ちや悲しみ、怒り・腹立ちを心に隠すタイプなのである。

 四タイプの中で脅迫者は怒りを直ちに閻魔顔で爆発させる。批判者は不快感をしかめっ面でくどくど吐き出す。受容者はにこにこして受け入れるものの、泣きべそかいて泣き言を訴える。だから、受容者も取りあえずストレスを発散できる。

 一方、傍観者はなかなか心中を明らかにしない。当然他の人は傍観者がストレスをため込んでいると思わない。無表情かつ何も言わないのだから、わかるわけがないではないか。かくして傍観者はストレスと無縁のように思われている。

 だが、傍観者とは最もストレスをため込みやすいタイプである。
 傍観者は他の三タイプに対して「どうしてああもストレートに感情を出せるのだ」と羨ましがると同時に、ある意味軽蔑している。傍観に徹した傍観者は能面のような自分の《無表情》にかすかな自信さえ持っているだろう。

 ちなみに、傍観者はなぜ無表情が得意なのか。以前も書いたように、それは負けないための方策である。事態や人に関われば、能力の低い自分は負けると知っている。関わらなければ負ける不快を感じなくて済む。ゆえに、傍観者の基本は無表情なのである。

 そのような傍観者は自分が不利益を被る当事者となったとき、あるいは、自分が責任を問われそうなときには、どんな小さな事でもがらりと一変する。そして、激しい拒否反応を示す。ひどいと脅迫者・批判者に豹変することがある。
 傍観者は特に批判者になりやすい。今まで穏やかに黙っていた人が突如として他者や事態を猛烈に攻撃し批判する。事態を悪化させたのは自分のせい(責任)ではないと力説する。
 傍観者の攻撃は「あなたのせいじゃないよ」と言われるまで尽きることがない。自分に責任が来ないとわかってやっと、安心してまた無表情な傍観者に戻る。

 以前『一読法を学べ』実践編(26号)において芥川龍之介『鼻』の「傍観者の利己主義」について解説した。利己主義の表の感情は「自分ひとりいい目を見たい」との気持ちだが、裏には「自分一人だけ悪い目にあうのは我慢がならない」との感情がある。傍観者は平等公平に最もこだわるのである。

 ネットにおいて誹謗中傷に励む輩は傍観者だと思ってまず間違いない。匿名であれば自分の責任が問われない。いい目を見た者への羨望と嫉妬を批判と言う形で自由に書ける。
 それだけでなく、明らかに悪い目にあった犯罪被害者や遺族までも、同情より反感を露にした言葉を吐きだす。なぜだろう。

 傍観者はいつも脅迫者と批判者に支配されている。人の上に立てないので目立つ者が嫌いだ。社会で成功して目立つ人は当面何も言えない。だが、スキャンダルが発覚すると、内心の思いを爆発させて非難を書きまくる。
 犯罪にあってテレビに登場する被害者や遺族も逆の意味で《目立っている》。だから、後先考えず感情のままに誹謗中傷に励むのではなかろうか。
 いや、彼らは自分の発言を誹謗中傷と思っていない。これは正当な批判だと言うだろう。現実社会では人の上に立てない傍観者も、ネット世界なら批判と言う武器を使って人の上に立てる。やはり傍観者は批判者に変貌するのである。


 受容者

 他者に絶対的に服従している受容者は他の三タイプを全て受け入れているように見える。
 脅迫者が暴力を振るっても、批判者が悪口を浴びせかけても、傍観者が知らんぷりしても、受容者は笑みをたやさず、他タイプのわがままを許し愛しているように思える。

 だが、受容者タイプに心の奥を語らせてみれば、もうお涙頂戴の悲劇的ドラマがとめどなく吐き出される。脅迫者の横暴、批判者の身勝手、傍観者の冷淡さ。それらを尽きることなく口にする。いかに自分が耐えているか、我慢してがんばっているか――を涙と共に訴えるだろう。

 だったら「耐えず、我慢せず、言いたいことを言えばいいのに」と思うのはあなたが受容者タイプではないからだ。受容者はそんなことができない。自分を主張できないから受容者なのである。
 受容者は他の三タイプ全てが怖い。怖いからこそ他者の全てを受け入れ、許し甘えさせることで、他者からの迫害を防ごうとするのである。

 ゆえに、受容者タイプは他者の支配に従っている限り、取りあえずいらつくことはない。自分が弱々しければ弱々しいだけ、支配者が守ってくれる。脅迫的な暴力を受けても、同情してくれる人がいれば救われる。
 だが、受容者タイプも同情してくれる人がいなくなると、だんだんおかしくなる。

 傍観者同様、自分が不利益を被る当事者となったとき、あるいは自分が責任を問われそうなときは、やはり些細な事でも激しい拒否反応を示す。
 ひどいと、受容者は脅迫者・批判者に豹変する。特に脅迫者に変わりやすい。今まで静かで弱々しく見えた人が突如として、激しく怒り、物を投げつけ物を壊す。ヒステリックに泣き叫んで、他者とぶつかり、そうして逃げ出す。周囲に脅迫者が多いと、よけいそうなりがちである。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前節「後記」について少々補足します。
 後記において私の父のことを語りました。父が入院したとき「オレは看護師さんにありがとうも言えないあんたの方がよっぽど情けないわ」と言ったと。
 父の名誉のために補足すると、父は「ありがとう」が言えない人ではなく、むしろよく言う人でした。私もそのように育てられました。しかし、(検査入院以外では)人生初の入院ということで父はちょっとしたパニックに陥っていた。周囲や自分を冷静に見る余裕に欠け、不機嫌になっていた。だから、私はここで指摘しておくべきだと思って言いました。本旨にのっとって言うなら、私はそのとき傍観しなかったということです。

 以下は別件。
 3月11日(土曜)は東日本大震災から12年、十三回忌の日でした。ネットニュースを閲覧していたら、ドキュメンタリー映画『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』の完成について報道されていました。
 2011年3月11日東日本大震災の津波で犠牲になった、宮城県石巻市の大川小学校児童74人の遺族が起こした裁判のドキュメンタリー記録です。
 これは見たいと思って検索したら、大分でも上映館がありました。3月から4月にかけて全国的に上映されるようです。紹介の記事は以下。↓

 『「大川小裁判」で判明、津波に呑まれた小学生74人が51分間校庭に待たされた理由』


 も一つ最後に、侍ジャパン、WBC決勝進出おめでとうございます(^_^)。
 今回は日本史上最強メンバーだからベスト4まではいくだろう、と静観していました。
 でメキシコ相手の準決戦。0対3となったときはやばいなと思い、同点に追いついたものの2点取られて3対5。もはやここまでかとあきらめかけたら9回まさかの逆転サヨナラ。
 こんなおあつらえ向きのシナリオ、採用されません。漫画みたいな劇的ドラマでしたね。
 では、恒例(?)アメリカ相手の決勝戦予想。
 私の予想は表7対5でアメリカ(^.^)。裏4対3で日本。
「おいおい」って? もちろんウラ予想が本命です。


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