『続狂短歌人生論』21「子どもに弱みを語る」


○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもは悩みを隠そうとする


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年9月13日(水)第21号


 『続狂短歌人生論』21 子どもに弱みを語る

 2ヶ月ぶりのご無沙汰、夏の猛暑酷暑、時折の豪雨、川の増水、氾濫など無事くぐり抜けたでしょうか。
 今年も各地で激甚災害の指定がありました。被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。

 大分内陸に住む私の「暑い夏」は8月末にほぼ終わります。昼間30度を超えることがあっても、熱帯夜になることはめったにありません。むしろ最近は窓を開けて寝ると「エアコン効きすぎ」状態になるので、窓を閉めて寝ているほど(^_^)。
 関東の友人にこの話をすると、「うらやましい」とよく言われます。

 一転世界を見れば、ハワイの山火事が悲惨の一言でした。サイレンを鳴らさなかったなど人的災害の様相があるものの、乾燥と強風が被害を拡大したようです。
 乾燥と言えば、日本だって新潟など1ヶ月ほとんど雨が降らず、稲や野菜の不作につながったとか。台風・ハリケーンの強大化、線状降水帯の異常な降り方など、それらの遠因に地球の温暖化があるなら、「戦争なんかやってる場合じゃないだろうに」と言いたくなります。

 さて、本稿『続狂短歌人生論』も今回より後半に入っていきます。
 が、今号はいまだ前号の続きです。「子捨て、親捨てのいやな感情」を克服するには「親が自分のこと、祖父祖母のことを我が子に伝えること」と語りました。
 補足したいのはその内容。親が語りたくないこと、自分の弱みを語るかどうか、です。



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもは悩みを隠そうとする

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』21 子どもに弱みを語る 】

 前号までは「子捨て、親捨てのドラマ」と題して核家族と共稼ぎが生み出す「子捨て」、そして捨てられた(と感じた)子どもが成長して年老いた親を捨てる「親捨て」について眺めました。
 最後に子捨て、親捨てを克服するには「ちちとははを語り、自分を語る」ことだと述べました。
 どうして親に捨てられた(=愛されなかった)といういやな感情は克服される必要があるのか。
 それに関しては「この世は生きづらい。人を信じられない、自分を信じられない。誰も助けてくれないと感じる……なら、それは子ども時代の捨てられた気持ち、愛されなかった気持ちが尾を引いていることが多い。だからこそ、子捨て親捨てのいやな感情は溶かされ、克服される必要がある」と書きました。

 こういう言葉を聞く(読む)と、「確かにその通り。克服される必要がある」と直ちに賛同しがちです。
 しかし、ちょっとひねくれ者になって(^.^)反問することもできます。
いやな感情は克服される必要があるのだろうか」と。さらに「別に克服されなくってもいいじゃないか」と皮肉っぽくつぶやくこともできます。

 特に「親捨て」に関しては「捨てられて仕方ないような親じゃないか」と反論することだってありでしょう。いずれ「脅迫・批判・傍観・受容の親はさっさと捨てて独立しよう」との趣旨で書く予定です。

 それはさておき、克服に似ている言葉として「ポジティブに生きよう・前向きに生きよう」があります。よく聞くし、「そうだ、そうだ」と言いたくなります。
 前向きの反対は「後ろ向き」ですが、ポジティブの反対は?

 ネット検索すると、ポジティブとは「前向き・肯定的・積極的」とあり、反対語のネガティブは「後ろ向き・否定的・消極的」とあります。
 ネガティブに生きる――いやな言葉ですね。おそらく「ネガティブに生きよう」などと言う人は一人もいないでしょう。

 私はある年齢まで《生きることはとても苦しい》と感じていました。

 それはポジティブに、前向きに、積極的に生きたいと思い、できなかったからです。
 自分には勇気がない。臆病でケンカは弱い。トラブルが起こると「逃げたい」と思う。
 事実逃げたことがあり、そのような自分を嫌悪したものです。

 身近には「いつもポジティブで勇気をもって積極的に行動する」人がいた。
 私はその人たちを見て尊敬の念を抱き、ひるがえってそれができない自分を軽蔑しました。
 今思えば、真面目に人生を生きたいと考えていたからでしょう。

 しかし、あるとき「勇気がなくていいじゃないか。臆病でいい、逃げたいと思っていいじゃないか。後ろ向きで消極的でいいじゃないか」と思ったとき、生きることが楽になりました(^_^;)。

 さらに、こう踏ん切ったとき不思議なことが起こりました。
 私は逃げなくなった、積極的になり、勇気が湧いて前向きに生き始めたのです。

 もちろんその状態はいつもではない。ときには逃げるし、後ろ向きになり、閉じこもることもある。ただ、以前と違うのはこのネガティブな生き方を許した、肯定したことです。
 結果、ある時期から生きることは楽になり、生きることが楽しくなりました。

 ちょっと意味不明かもしれません。
 この大転換(?)に関して本稿で語るかどうか思案中です。前著にはありません。
 たぶん語らないだろうと思います。次の作品『空海論』に関係するからです。

 以上、まとまりのない前置き風本論で申し訳ありません。

 実は今号では前号の補足として「子捨ての感情の克服」について書くつもりでした。
 ところが、夏休み中にこの件は以前書いていたことを思い出し、見つけたので、それを掲載することにしました。かくして予定とは違う前置きを新たに書いた次第です。

 以前の論考とは2007年『狂歌今日行くジンセー論』のエッセーです。6月26日(第79号)に「悩みを隠す子ども」と題して公開しました。今号後半はこの狂短歌エッセーを再掲いたします。

 なお、文中「前号」つまり78号について言及があります。
 おヒマなら、以下御影祐のサイトをご覧ください。同年会津若松で起こった17歳の男子高校生が母親を殺し、なおその首を切断して警察に自首した事件を取り上げました。
 関連して私の15歳の体験を語っています。狂短歌は以下

○ 文明病? こころ壊れるその前に 周囲は気づくか 何かをするか

 →『狂短歌ジンセー論』第78号「会津若松、母親惨殺事件」

 今年札幌ススキノで起こった頭部切断事件と重なります。


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【 悩みを隠す子ども 】

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもは悩みを隠そうとする

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 前号(78号)では「人の心が壊れる前に、周囲は気づくか」というテーマを取り上げました。
 特に心が揺れやすい思春期の子どもはちょっとしたことで傷つきやすく、心に穴をあけることがあります。
 となると親というのはしんどい商売(^_^)のように思えてきます。親は始終子どもに目を注いでいなければならないのか、いつも子どもの一挙手一投足を見つめていなければならないのか――と言うと、私はそんなことはないと思います。
 本日はこの件について「弱みを見せない親」との関係で考えてみたいと思います。(以下「である」体)

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 以前このメルマガで「親が喜びを表現できない人であれば、子どもも喜びを表せない。親が働くこと、生きることは辛い辛いと辛気くさい顔で愚痴をこぼせば、子どもも人生とはしんどくて辛いものだと感じる」と述べたことがあります。

 この「喜びを表現する」部分はいいのですが、後半の「愚痴ったり、しんどいしんどいともらす」部分を読んだ方はどう思われたでしょうか

 子どもに愚痴ったり、辛い辛いともらすのは「良くないことだ」と思ったでしょうか。「自分には確かにその傾向がある。反省しなきゃ」と思ったとすれば、あなたはとても真面目な方だと思います。

 この世にはそのような弱音を一切吐くことなく、いつもけなげに一生懸命生きている人がいます。
 働き方も真面目で愚痴もこぼさず前向きにがんばっている、とても立派な人です。
 実は私の親父なんぞもそれに近い人でした(^.^)。
 少なくとも子ども時代まで私はそう思っていました。
 しかし、こちらはこちらでまた問題あり――と思います。

 それについて書く前に、前号の続きと言うか、語らなかったある部分について補足します。

 前号では私の高専時代の体験を語りました。
 入学して半年余り、自分は高専に合わないと感じてやめたいと思い、父にそれをもらしたこと。秋のある土曜日連絡しないまま家に帰ったら、家では前年郵便局長になった父の新局舎落成の宴会が行われていた。私はつまらなくて翌日黙って寮に戻った……父と母はそれらのことから息子の異変に気づいたと。

 しかし、前号では語っていない部分があります。いとも簡単に「高専をやめたくなったと親にもらした」と書きましたが、当時の私はそのような弱音を吐くタイプの人間ではなかったことです。
 後になってわかったのですが、父のある変化を見ていたから私はその言葉を出せた。もしも父の変化を見ていなければ、私は「高専をやめたくなった」ともらしていなかったかもしれません。

 父のある変化とは彼が郵便局長になる直前のことでした。

 父は私の幼い頃から強くて正義派の人でした。彼は戦前の尋常小学校卒業後しばらくして郵便局で働き初め、熊本の逓信(ていしん)講習所で1年間勉強して電信の資格を取った努力家の人でもありました。だから、父は「トンツー、トンツー」のモールス信号を送受信できるのです。
 局長代理だったころ、父の元にはしばしば局内のトラブルがもちこまれ、父はその人たちの相談相手となり、トラブルの仲裁役を果たしていました。

 そのような姿を見ていた私にとって父は尊敬できる人でした。彼が愚痴ったり、弱音を吐く姿など見たことがありませんでした。
 もしもそのままの父であったなら、私は「高専をやめたくなった」と弱々しい言葉を吐かなかったでしょう。私もまた中学時代はちょっとした優等生で(^_^;)、ケンカは苦手だったものの、真面目でがんばるタイプの生徒でした。だから、私も弱音や愚痴と無縁でした。

 ところが、局長昇進前、父にちょっと情けない事件が起きました。
 もう父も亡くなったことだから、ここで白状してもいいでしょう(^_^)。

 父は代理から局長になるにあたって昇進試験を受けることになりました。
 試験の内容は初級公務員程度の簡単なものだと父は言っていました。つまり、中卒程度の学力でクリアできる問題です。父は中学校卒ではないものの、独力で勉強して常識なども普通以上に身につけている――と私は見ていたし、父自身もそう思っていたようです。自信もあったでしょう(^.^)。

 しかし、それは過信だったようで、なんと父は昇進試験に落ちたのです。
 郵便局の経歴・人柄などは申し分ない。だが、その簡単な試験の点数が悪くて不合格となったのです。

 試験後帰宅した父はしおれていました。それは私が初めて見る父の弱々しい姿でした。
 父は「できなかった……難しかった(--;)」ともらしました。相当ショックだったようです。

 しかし、九州郵政の幹部は父に新局長を任せる腹づもりだったのか、再試験を課すことにしたようです。
 ひと月後もう一度試験をやると、再チャレンジの機会が与えられたのです。

 ところが、父は「もう試験を受けるのはやめようかと思う」と弱音を吐きます。

 そのとき盛んに叱咤激励したのが母でした。慰めたり励ましたり、怒ったり。
 母は「せっかくもう一度受けられるんだから、受けにゃあ!」と説得しました。
 父もようやく気を取り直して「そうじゃなあ」と言って勉強すると決めたのです。
 私はもちろん……眺めていただけでした(^.^)。

 その後父は初級公務員レベルの問題集を買い込んで(帰宅後)一カ月猛勉強しました。
 そして、二度目の試験は簡単にクリアして無事郵便局長になれたのです。

 父にとっては人に話したくない不甲斐ない体験でしょう。
 しかし、私はこの父の弱々しい姿を見ていたから、翌年高専に入学して不適応症状を起こしたとき、「高専をやめたくなった」ともらせたような気がします。

 子どもが危機に陥ったとき、あるいは悩んでいるとき、それを親にうち明けないことはしばしばでしょう。特に親が弱みを見せることなくがんばっている人ほど、子どもはうち明けづらいような気がします。
 あるいは、親が他人をあてにせず、自力でがんばるタイプの場合も同じです。子どもはトラブルに陥ったとき、やはり自分一人で解決しようとするでしょう。そして解決できず、深みに落ちてしまうような気がします。

 もちろん親が愚痴などもらすことなく、真面目に一生懸命生きることは大切でしょう。
 しかし、時には子どもに自分の弱々しい姿――ありのままの自分を見せることも、子どもを安心させるのではないでしょうか。
 「弱々しくってもいいんだ」と思えれば、子どもは親に自分の悩みをうち明けるだろうし、そのサインを出しやすい気がします。
 要するに、子どもの一挙手一投足を注意深く見つめなくても、悩みをうち明けられる親であればいいのです。

 自分の体験から言っても、子どもはサインを出そうと思って出しているわけではありません。なんとなく感じたままに行動していると、それが異変を知らせるサインとなっているようです。
 たまには親も弱い自分をありのままに見せてはいかがでしょう。
 そうすれば、子どもは悩みをうち明けられる子になるような気がします。


○ 親がもし弱みを見せぬ人ならば 子どもも悩みを隠そうとする


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:夏休みの間、自然災害以外でいくつかニュースがありました。以下、断片的に取り上げて、私の感想を記してみると……

・北海道札幌ススキノで起こった頭部切断事件は20代の娘と精神科医の父、母が共謀したとして逮捕されました。私は歌舞伎役者が父母を巻き添えに心中しようとした事件を思い出し、「一人っ子問題」かもしれないと考えました。

・8月は自動車修理業者ビッグモーターの不正、パワハラなどが大々的に報道され、社長が辞任。またも若者が真面目に働く気を殺ぐ事件の発覚であり、何年にもわたって傍観されていたと思いました。

・9月になって芸能事務所ジャニーズの亡き社長が子どもたちに性加害を繰り返していたと調査報告が出されました。それは数十年にわたり、数百人の子どもたちになされていたこと、途中「フォーリーブス」の一人が告発していたのに、マスコミも警察さえ取り上げなかったこともわかりました。上に立つ権力者が子どもの夢を食い物にする腐った実態が露になりました。
 本気で変えなければならない。それは学校です。子どもたちに服従と(通読という)傍観を教える小中高が変わらない限り、これらの問題はなくならない、と私は思います。

・一方、スポーツの世界では夢をかなえた報道もありました。陸上世界選手権で、女子やり投げの北川榛花さんが6投目に大逆転で金メダルを獲ったこと。男子バスケットワールドカップで日本男子チームが予選リーグで1勝、順位決定戦で2勝をあげ、アジア1位となって来年のオリンピック出場を決めたこと。
 ……等々語りたい話題ばかりです。今後いくつか取り上げるつもりです。

 最後に9月になってガソリン代がリッター190円を超える悲惨な状況になりました。
 与党政府から「終了予定だった補助金を継続して来月には175円台まで下げる」という《ありがた〜い》決定が出されました。この朝三暮四的だまくらかし(^.^)についてはここで語ります。

 そもそもガソリンは二重課税です。たとえば、リッター100円なら約50円が税金。ガソリン税・石油石炭税・(全体に対して)消費税が課されている。
 よって、ガソリンの値段が上がれば上がるほど、税金=政府の収入も増えます。100円が200円になれば、税金は約50円から100円になる。会計担当にとって「しめしめ」とほくそ笑む《ありがたーい》仕組みです。

 本来ならトリガー条項(注※)を発動すべきなのに、過去も今も絶対やらない。国民に補助金投入と言う恩顧を感じさせようってことでしょう。
 本来なら国民から取るガソリン税は3でいいのに4取っている。それを「みなさん苦しそうだから1つ返して補助しますよ」との戦略。これを「ありがたいことだ」と喜ぶ国民は「朝三暮四のサル並み」とまとめては言い過ぎでしょうか(^_^;)。

※注…「トリガー条項」
 レギュラーガソリンの平均価格が1Lあたり160円を3カ月連続で超えた場合、ガソリン税のうち上乗せ分の課税を停止し、その分を減税するという決まり。

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