『続狂短歌人生論』34「出産子育てと消費税」


○ 働かぬ人から税を取る日本 産めば産むほど 納税増える


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年12月13日(水)第34号


 『続狂短歌人生論』34 出産子育てと消費税

 以前「出産子育ては労働ではない」と書きました(→14号)
「どんな労働でも働くことは賃金と交換である。賃金がもらえなければ人は働かない。だが、赤ん坊のめんどうをみても《赤ん坊》はお金をくれない。つまり、出産と子育ては《労働》ではないってことだ」と。

 その際「では何なのか」に関する答えは保留しました。
 本号はそれについて深掘りし、返す刀で「消費税」を斬りたいと思います(^.^)。



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 働かぬ人から税を取る日本 産めば産むほど 納税増える

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』34 出産子育てと消費税 】

 以前出産・子育ては「労働」ではないと書いた。出産補助金、子育て支援金を目的化してはいけない。出産奨励金など「もってのほかと思う」と。

 なぜなら、子どもを産めばお金をもらえる「労働」にしてしまうと、生まれる子にとっても親にとっても不幸が待っているからだ。

 普通どんな労働も「きつい、しんどい」とか、「この仕事は自分に合わない」と思えば、やめることができる。「こんなにがんばって働いているのに賃金が低い」と思えば、別の会社に移ることができる。職場の上司が気にくわなければ、辞表を叩きつけて出ていくことだってできる。多くの労働(仕事)はそれが可能だ。

 憲法にも「働くことは日本国民の義務である」と規定されているけれど、第18条に「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とある。つまり、労働が苦役であると感じたときはいつでも自由にやめていいってことだ。

 だが、赤ん坊を産んで育て始めると、子育てという《労働》はやめることができない
 子育てを苦役と感じ、「しんどいからやめたい」と思っても放棄できないのである。

 たとえば、出産から2年間、計200万円を現ナマでもらえることになったとしようか。
 そのお金に釣られて子どもを産んで育て始めたら、「とても割が合わない。1000万もらっても産まない方が良かった」と感じた。だが、産まれた以上「子育ての仕事やーめた」と言えない。それが出産子育てだ(「釣られて」は誤字ではありません)。

 残念ながら、育児放棄・ネグレクトとか幼児虐待、あげく幼児・児童殺人の根っこにこれがあると思う。
 特にシングルマザー(や育児無関心の夫を持った妻)がこの事態に陥りやすい。子育てがつらくしんどいと感じても、自分ひとりで対処しなければならない。やめたいと思っても誰も「やめていい」と言ってくれない。むしろ「お前がやるしかない、産んだ責任がある」と言われる。もう死ぬしかない。「子どもを殺して自分も死のう」と思いつめる……。
 だから、出産と子育てを労働にしてはいけない。これだけは《労働》ではないのだ。

 これに関連して「消費税」の罪深さというか不条理、非合理な点も述べておきたい。
 子どもをたくさん産めば産むほど税金(納税)が増えるのだ。
「えっ、児童手当は子どもの数が増えると増額されるよ」とおっしゃいますか。
 そこがそれ、出産子育て版(朝三暮四の逆バージョン)「朝四暮三」だ。

 消費税は日本国民の食糧、衣類、住居、雑貨、電気製品、ガス・水道・電気、車、ガソリンなど、ありとあらゆる買い物や取引――つまり生きて暮らす上で必要な全ての物と活動が税の対象とされる。

 対して所得税・住民税というのは所得すなわち収入のある人から税金を徴収している。こちらは年間収入が一定金額以上の人に対して税金が課せられるので、低収入の人は免除される。納税者であっても扶養する妻子、お年寄りがいれば、「扶養控除」と言って税金が減らされる。

 言い換えれば、収入のない人、低収入の人からは税金を取らない制度である。
 たとえば、川辺の青テントで暮らし、空き缶を集めて何とか生きている人は所得税を取られない。一方、年金生活の高齢者は働いていなくても(ある金額を超えれば)税金を徴収される。これが所得税や住民税だ。

 ところが、消費税はこの国で暮らす全ての人に対する税金である。収入がなくても生まれた瞬間から死ぬまで、生きている限り税金を徴収される。ホームレスだってコンビニでおにぎりとペットボトルを買えば、消費税を納めている。

 赤ん坊は働いていない。もちろん小学校児童も中学生も(芸能界の子役以外)働いていない。彼らには収入がない。なのに税金を徴収される。それが消費税だ。

 赤ん坊のおべべやおむつ、ミルクは購入すれば消費税を支払う。税金がないのは母乳くらいのもんだ。
 小中の教科書は無料配布される。さすがに小中高大の授業料、入学金・検定料は無税だが、予備校・塾・そろばん塾などの授業料には消費税が課される。都市部の高校生は多くが塾に通う。親は消費税が足された領収書を眺めてため息をつくかもしれない。もちろんノートや文房具、参考書は買うごとに税金を払わねばならない。

 妙な言い方だが、消費税導入前は勉強というチョー真面目な活動に対して税金を納める必要はなかった。だが、1989年以降は「勉強したければ納税しろ」ってことになった。
 この国に生まれ、生きる知恵と知識を学ぶ活動、社会に役立つ人間になろうとする活動に対して税金が課されるのだ。

 収入がないのだから、子どもは税金を納めることができない。では誰が子どもに代わって納税しているのか
 親しかいない。親がいなければ祖父母とか親戚など子どもを保護、養育する人だろう。
 なんにせよ、誰か大人が子どもに代わって税金(消費税)を納めなければ、この子は一瞬たりとも(は大げさだけど)生きていけない。

 子どもを一人産めば、子どもが働いてお金を得るとき(通常は高卒、専門学校、短大・大卒)まで、親は子どものために消費税を払い続ける
 子どもが少しでも親を助けようと、けなげにバイトに励めば(バイト代に消費税はかからないけれど)、バイトに関係して物を買えば消費税が含まれる。

 子ども一人分の子育て、約20年間にかかる消費税を1とすれば、二人産めば2倍、三人産めばそれは3倍に増える
 子どもを一人産んでくれたら……二人、三人と増やしてくれたら「報奨金をあげますよ」と言われ、それに乗ったら親は毎年子どもの納税を肩代わりする羽目になる。それが消費税だ。

 少子高齢化に関して若者が結婚しなくなった、子どもを産まなくなったと言われ、その理由が取りざたされている。だが、誰も「消費税が原因ですよ」と言ってくれない。
 どなたか(学者さん)、1989年を境として出産子育てに対する意識がどう変わったか、調べてほしいものだ。あれ以後出産子育ては「重くなった」のではないだろうか
 比喩的に言うなら、子どもは納税という足かせをつけられた。それを親が代わってつけているようなものだ。

 政治家は「だから、扶養控除、児童手当を出しています」と言うだろう。
 だが、どちらも消費税実施前からあったのだからカンケーない(厳密に言うと1972年〜2006年は月3000円の児童手当と「年少者扶養控除」であり、2007年から月1万の児童手当支給開始。同時に年少者扶養控除は廃止され、高校3年間の扶養控除開始)。

 それに消費税分を補うのが目的なら、子どもが自ら働くそのときまで児童手当は支給されるべきではないか。なのに、児童手当は中卒までである。高卒が9割を超える時代になってさえ、児童手当は中卒までだった。
 今ようやく「高卒まで児童手当」などと言い出しているが、時すでに遅しと言うしかない(年末には高卒まで児童手当を導入する分、高校3年間の扶養控除減額が決まった)。

 閑話休題。
 収入がないのに税金を徴収される。それを親が肩代わりしている
 これを重税と呼ばずしてなんと呼ぼう。正に朝三暮四の税金版ではないか。
 今どんぐりは3ヶから4ヶに増やされた。だが、後の4ヶは3ヶに減らされている。すなわち「朝四暮三」。
 いや、むしろこう言うべきだ。「朝ドングリを7ヶもらった。だが、夕方までにドングリを8ヶ拾って飼い主に差し出さねばならない」と。児童手当は消費税によって常に減額されているようなものだ。

 物価高対策として低所得者に年間10万円支給などと言われる。ありがたーいお上の政策だ。
 このお金はだいたい食料や生活必需品に回される。すると、物の価格には消費税8〜10パーセントが含まれるから、国にとっては税金として還元(?)される。つまり、給付金も全額自由に使えるわけではない。常に9割分しか使えないのだ。

 年金やパート収入が年100万なら所得税・住民税はない。では「無税か?」と言えばそんなことはない。全額生活費として使い切ってしまえば、10万は納税している勘定になる。

 サラ金の仕組みをご存じだろうか。10万借金すると、最初からひと月分の利息(10パーセントなら)1万が引かれて9万渡される。それと同じ……と言ってはさすがに言い過ぎか?
 消費税導入前これはなかった。給付金も各種手当も納税に関係なく満額自由に使えたのだ。

 若い夫婦に余分なお金をあげても、赤ん坊を一人、二人と産んでくれれば消費税で取り戻せる。子どもが大人になって子ども(孫)を産めば、二世の親、プラス三世からも消費税を搾り取れる。
 今までは二世三世が働くまで納税はなく(国にとっては)出て行くばかりだった。だが、消費税によって赤ん坊からも、小中高校生からも税金を取れるようになった。

 なんと素晴らしい制度だろう。生きる限り逃れようのない、節税もできない、(国にとっては)取りっぱぐれのない制度だ。

 一方、富裕層と呼ばれる方々は手持ちの大金を《運用》して配当という不労所得を得る。世界が不安定になると、金塊を買ってため込む。金の値段が上がるのをにたにたして眺めている。
 なのに、ほんのちょっとしか納税しない。増やそうというと、猛反対が起きていつも尻すぼみになる。
 富裕層から反対がある以上に、議員さんが「そんなことしたら富裕層が我が国を逃げ出す」からだと言う。

 逃げてもらったらどうだろう。愛国心なき人なんだから。この国を本当に愛する方々なら、逃げ出しはしないと思う。この国よりお金を愛する富裕層が逃げ出すのだ。
 あるいは、大きな会社はできるだけ赤字に見せるよう会計操作して法人税の節税を心がける。もちろん全部(全員)とは言わない。一部でしょう、あくまで一部(数の多い?)。

 消費税をつくった人は言うだろう。「そのような金持ちや企業からもきちんと納税させることができる。それが消費税ですよ」と。鼻高々だ。
 だが、そのおかげで収入のない赤ん坊、子どもからも税金を取る。「これ以上公平な、素晴らしい納税策はない」と考えた学者・官僚・政治家は立派な方々だが、どこか抜けていると言わざるを得ない。
 いや、彼らがこんな理屈を知らないはずがない。ただ、難しいことは放棄して簡単なことをやろうとする方々なんだろう。

 むろん税金を否定する気はない。公共サービス、行政、警察、司法、教育など全体から少しずつ集めて大きな仕事、全体に必要な仕事をなしとげる。そのためにぜひ必要な金集め(?)だ。

 それに「クロヨン」とか「トーゴーサン(ピン)」の言葉もあるように、自己申告の納税はごまかしたり節約できる。企業は赤字だと法人税0円である。消費税は自営業者・会社が赤字であろうと何だろうと売り買いする限り、必ず税金納付がある。よって、ごまかしようがない。
 [語句の意味不明の方はこの場で即ネット検索を。年末某政党のパーティー券収入の裏金づくりによって政治家のピンぶりがまた明らかになりました。]

 だが、問題は赤ん坊から小学校、中学、高校と収入のない子どもたちに税金を課し、それを親に肩代わりさせること。そのうち消費税は10パーセントから20パーセントにされる。出産子育ての納税も倍増する。手当や給付金は(生活費に使われる限り)常に2割減額されているようなもの。あれっ、やっぱりサラ金と同じじゃないか。

 この国をリードする政治家は声高に言う。
「日本を愛しなさい。国を守るため、戦争が起こったら兵士として戦場に行きなさい。子どもをたくさん産みなさい」と。
 だが、収入のない子どもにまで税金を課すような国を、我々はどうして愛することができようか。

 では、出産・子育てをどうとらえるのか。
 出産子育てが労働でないのなら、それは何か

 その前に次のような人は子どもを産むべきではない(と私は思う)。

 それはまず生きることに喜びを見出せない人
 自分の人生を苦役と感じている人がどうして赤ん坊を産み、育てることができようか。
 生きることはつらい、苦しいと感じているなら、(おそらく子どもを産もうと思わないだろうが)間違って産んでしまうことはある。間違いが起きないよう気を付けないといけない。

 次に赤ん坊や子どもを見て「かわいい」と思えない人。こちらも子どもを産んではいけないと思う。しかし、結婚したりパートナーができると、気が進まないながら、産んでしまうことは大いにあるだろう。
 特にこのような女性が「子どもを欲しい」と思う男性と結婚したときは、夫としっかり話し合うべきだ。むしろなぜかわいいと思えないのか。親との関係を振り返り、自分の心の中を探求する必要があると思う。

 三番目。以前も書いたように「何かを得たら何かを失う」。この理屈を納得できない人も子どもを産んではいけない。
 赤ん坊が生まれたら、当初はお母さん、お父さんに24時間自由はない。映画、観劇、好きな歌手のライブ、全て行けない。父となった夫は釣りの誘いも接待ゴルフも断るべきだ。
 赤ん坊のミルク、おむつ、衣類を買わねばならないから、自分のおしゃれも我慢する。赤ん坊を得たら、それらの自由が失われる。夜泣き出せば安眠さえ妨害される。それがいやなら子どもは産まない方がいい。

 四番目。三番目の逆、子どものために自分の全てを犠牲にしても構わない、と思う人も子どもを産まない方がいい。この気持ちは子育ての難しさに直面したり、子どもと良好な関係を築けないとき、「自分の全てを犠牲にして尽くしているのに報われない」と感じやすい。そのとき悲劇が起きるからだ。

 ――とまー、このように書くと、これから赤ん坊を産もうと考えている人はうんざりされるかもしれない。
 だが、反論は可能。これらは所詮理屈、感情は別である。

 赤ん坊を産んで自分の子を育てたいと思う――なら、そう思うことは自由だし、おそらくこの感情は生き物全てに与えられた本能のようなものではなかろうか。

 以前私たち一人が生まれるためには30代5億人の父母が必要だと書いた。それは鳥類・哺乳類など多くの生き物についても同じ。オス、メス5億のつがい[番]が必要だ。独り立ちするまで親が育てるのも同じ。親鳥はエサをせっせと巣に運ぶ。野生動物も獲物を仔に与える。

 進化の初めから考えると、宇宙クラスの無量大数が連綿とつながっている。多くの生き物は(たぶん何も考えることなく)この本能に従って仔を生み育てる。ひとり人間のみ「ああだこうだ」と考え思い悩む(^_^;)。

 これに関連して私は中学校時代理科の先生だった一人の女性を思い出す。
 彼女はとてもきつい性格の人で、一言で言うと怖い先生だった。さすがに殴ったりはなかったけれど、授業はいつもぴりぴりしていた。笑顔を見せることなく、生徒に注意する言葉も情け容赦ない感じだった。当時私は「大人になったらこんな人とは結婚したくない」と思ったものだ(^.^)。

 ところが、その先生が結婚した(よくまー)。そして、赤ん坊を産んで1年後復帰した。私は先生からまた授業を受けてびっくりした。がらりと変わっていたからだ。
 生徒に対するぎすぎすした言葉遣いがなくなり、笑顔さえ見せるようになった。一言で言うと優しく穏やかになった。私は「きっと赤ん坊が生まれたからだ」と思った……。

 出産子育ては「労働ではない」と書いた。
 だが、多くの親御さんは「そんなことはわかっている」とつぶやいたのではないだろうか

 出産も子育ても労働ではない、苦役ではない。お母さんは苦役だと思わないから、10ケ月我慢して骨折以上の痛みに耐えて赤ん坊を産む。お父さんは我が子のため、家族のために働く。子どもの危機には走っていく。

 さて、労働ではない、苦役でないなら何か。
 私に考えはあるけれど、ここでは書かない(ヒントはすでに出ています)。
 答えは読者各位が見つけ出すものではないだろうか。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:普段パソコン活動をしているときはクラシックやジャズ、歌謡曲などBGМを流しています。で、クリスマスが近づくと、それがクリスマス・ソングになる。
 最近聞いたことのない曲がその中にありました。英語なので歌詞はわからないけれど、とても美しいメロディー。調べてみたら「O Holy Night」。
「清しこの夜」の「聖夜」とは違うようで、ネット検索するうちに以下のサイトを見つけました。
 表題『世界の民謡・童謡』「O Holy Night さやかに星はきらめき

 三つの動画が載っています。ケルティック・ウーマンとマライア・キャリーと少年合唱団リベラ。これが素晴らしくて紹介したいと思いました。マライアキャリーなど「一体何オクターブ出しとんねん」とあきれるほど(^_^)。

 また、サイトの下の方に「人気のクリスマスソング」もあってその中にジョンレノンの「Happy Xmas (War Is Over)」もあり、久々に聞きました。これも名曲。
 歌詞の最後4行は以下の通り。本人の動画に飛べます。

 Let's stop all the fight
 War is over!
 If you want it
 War is over! Now!

 今の時代に最もふさわしい祈りの言葉だと思います。


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