『続狂短歌人生論』36 『前著』結論


○ お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2023年12月27日(水)第36号


 『続狂短歌人生論』36 前著結論「エネルギーを与え合う」

 今号は「変えることに成功した」ドラマを受けて前著の結論とした部分を再掲載いたします。狂短歌は前と同じです。
 次号は一転して「変えることに失敗した」ドラマについて語ります。
 以前も書いたように次節は『続編』の冒頭に入れる予定だった下書きです。

 本年2月に開始した『続狂短歌人生論』は「2023年中の終了」を目指していました。が、道草多く年越しする羽目になりました(^_^;)。
 読者各位に「もやもや感を抱いたまま新年を迎えるのか」と思わせてしまい、恐縮至極です。

 何しろ一年間いろいろなことを保留して解決策・克服法を提示しないままでした。ちと大げさながら99パーセントの絶望感に浸ったままでは、とても新年を寿ぐ気持ちになれないだろう。なので、年末までにエンドマークを打ちたかったのです。[「寿ぐ」を読めない人は検索を]

 しかも、来年1月は読者をなお絶望の淵に突き落とし(^_^;)、その後ようやく「自分をいかに変えるか、身近の人にいかに変わってもらうか」について語る予定です。
 それはどんでん返しとでも言うべき克服法であり、1パーセントの希望となるはず。2月には完結できると思います。


12月20日 変えることに成功
 〇 エネルギー 与え合うことなきドラマ 変えてうれしい花いちもんめ(^_^;)

12月27日 前著結論「エネルギーを与え合う」――――――――――本号
 〇 お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき

01月10日 変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望
 〇 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥


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 本年最後の一読法です(^_^)。
 何もヒントを出さずにこの2号を終えました。
 一読法関連のクイズを「出したいなあ」と思いつつ我慢した。
 読者自身が疑問をつぶやき、独力で答えを考えてほしかったからです。
 しかし、我慢しきれず、妙なヒントを出している。気づきましたか?

 一つは前号狂短歌の末尾に置いた「花いちもんめ(^_^;)」の顔文字。
 もう一つは前号後記の《後記:「………」(筆者無言(^.^)》のところ。
 どちらも「何じゃこりゃ?!」とつぶやいてほしかった。
 そして、狂短歌の方は「変えてうれしい花いちもんめ…なんてどういう意味だあ」とつぶやいたか。また、「後記」では「ははあ一読法のクイズにしたかったんだな」とつぶやけたかどうか(^.^)。

 ともに「狂短歌の意味がわかったか」自ら問い、答えを出してほしかったところです。
 読み終えて疑問の答えを出せた方は結構。
 しかし、得られなかったなら、「結局、狂短歌の意味はわからないままだ」とつぶやくべきです。これら全てをスルーした方は一読法で読んでいません。

 で、疑問をつぶやいたけど、読み終えても意味不明だった方のために。

 まずは「花いちもんめ」をネット検索して意味を確認(再確認)する作業が必要です。
 この遊戯は子どもたちが二手に分かれ、前に進んだり下がったりして「あげーてうれしい花いちもんめ……〇〇ちゃんがほしい」などと歌う。そして、じゃんけんで勝った方が来てほしい人を得るお遊びです。
 だいたい途中で終わることが多いけれど、どちらかがいなくなったときが遊戯の終わり。
 ということは? キーワードは「やりとり」であり「交換する」こと。

 よって、この答えも難しくありません。本文を読まなくとも、答えがわかる。
 もう一度前置きの日付から小見出し・狂短歌を再掲すると、
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12月20日 変えることに成功
 〇 エネルギー 与え合うことなきドラマ 変えてうれしい花いちもんめ(^_^;)

12月27日 前著結論「エネルギーを与え合う」(以下省略)
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 わずか数行の中に「エネルギーを与え合う」が二ヶ所出てきます。まず「与え合うことなきドラマ」とあってこれは反対語(ちょっと難しい言葉では「二項対立の反対概念」)。よって、下の句は「エネルギーを与え合う」と対応していることがわかります。

 つまり、「変えてうれしい花いちもんめ」とは「エネルギーを与え合ってお互い元気になる、うれしい結果になる」という意味です。その例として「花いちもんめ」の言葉を使ったわけです。

 実はもう一ヶ所、つぶやいてほしかったところがあります。
 前号の前置きで書き、今号も書いた以下の部分。
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 次号は一転して「変えることに失敗した」ドラマについて語ります。
 以前も書いたように次節は『続編』の冒頭に入れる予定だった下書きです。
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 これを読んだとき、「確か続編はそろそろ9合目と書かれていた。終わりに近づいているのに、どうしてこんなところに入れたのだろうか」と。これは「作者なぜ」に該当するつぶやきです。
 もしもこうつぶやいて前号を読み、何らかの答えを得られたなら、相当の読書力があると感嘆いたします。出藍の誉れであり、私を超えています。

 というのは、私にはこの答えがわからないからです(^_^;)。
 だから、一読法クイズにもしない。「おいおい」てか?

 22年に前著『狂短歌人生論』をメルマガ公開して本年初めに『続編』を書きつなごうと決めました。続編の構想はすでにあり、下書きもたくさんあった。その冒頭には「変えることに失敗したドラマ」を置く予定でした。そして、続編ではなぜ変えられないか、そのわけを追究することになる。それが本来の構想でした。

 ところが、何となく「続編の先頭に失敗したドラマを置きたくない」と感じた。かくして続編でも四タイプの問題点(第2号「四タイプの老後」)からスタートし、愛の獲得競争や子捨て、原感情について深掘りし、変えることの難しさを書いてきました。終わりが見えたとき、ようやく「本来予定していた続編の冒頭」を取り上げる気持ちになった……という次第です。

 というわけで、もしも読者からこの件を質問されたら、「わかりません。何となくです」と答えるしかない。
 まー人生、何でもかんでも答えがあると考えちゃいけませんて(^_^;)。

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 長〜い前置き恐縮です。その分本文は短いです。 [以下「である」体]



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』36 前著結論「エネルギーを与え合う」 】

 いかがだろうか。エネルギーを与え合う三つのドラマを描いてみた。
 読者はこれらのドラマを「ほのぼのドラマ」「非現実的偽善ドラマ」として軽蔑するだろうか。いろいろなほめ言葉を「軽々しいお世辞」としてバカにするだろうか。
 だが、自分のタイプを知り、批判や傍観をやめることで、このドラマは現実となる

 傍観者タイプは積極的に人と交わり、批判者タイプは自分の批判を抑える。それによってまず自分が変わり始める。同時に相手も少しずつ変化を見せるようになる。
 このドラマは決して作り事ではない。自分のタイプに気づき、その原性格を変え、相手にエネルギーを与えるつき合い方をすることで、徐々にいい人間関係を築いていけるのである。

 要するに、脅迫者は脅迫のドラマをやめ、批判者は批判のドラマをやめる。傍観者は傍観のドラマをやめ、受容者は受容・被害のドラマをやめる。
 それを一言でまとめるなら、脅迫者は怒りのドラマをやめ、批判者は批判(悪口)のドラマをやめる。傍観者は事態をただ眺めるだけのドラマをやめ、受容者は弱者のドラマをやめることである。

 四タイプのドラマをやめることによって、相手からエネルギーを奪うことがなくなる。エネルギーが奪われなければ、人は不快感やむかつき、苛立ちを感じなくて済む。

 そうして、次に自分の持つエネルギーを人に与える生き方に進むべきだ。
 私たちが人と接して明るくなり、元気とやる気が出るなら、それは相手からエネルギーを得たことを意味している。つまり、その人が自分にエネルギーを与えてくれたのである。
 では、どんなときに私たちはいい気分になり、エネルギーが湧いて元気になるだろうか

 それは人から認められたときであり、ほめられたときである。励まされ、ねぎらいを受けたときである。「よくやった」と言われることはうれしい。人に何か良いことをしたとき「ありがとう」と感謝されることは特にうれしい。

 電車でおばあちゃんに席を譲ったら、にこにこしながら「ありがとうございます」と言われた。それだけでささくれだった暗い気持ちがいっぺんに吹き飛ぶ。正にエネルギーが与えられたことを意味している。

 要するに、エネルギーを人に与える基本とは笑顔と感謝、好意と援助である。相手をあるがままに認め、許すことである。譲ることであり、賞賛とほめ言葉である。それが人にエネルギーを与える基本である。
 そのような交流を果たしたとき、私たちは「明日もやるぞー」と元気もりもり、活発なエネルギーを生み出せるのである。

 このように自分の原性格を理解し、その問題点を改めることは自分を変える第一歩となる。
 そして、私たちはいずれ身近の人を変える道にも進むだろう。そのときエネルギーを与えるつき合い方は大いに役立つはずだ。

 周囲の人々も四タイプのいずれかであり、その悪しき性格を垂れ流している。私たちはより良い関係を築くために、彼らにも変わってもらいたいと思うだろう。
 だが、脅迫や批判によって相手を変えることはできない。傍観もダメだし、相手を全て受け入れる受容でも変わってもらうことは難しい。感謝と笑顔で相手にエネルギーを与えていれば、きっとその人を変えられるはずである。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:年の瀬も近いとあってチョー短い本論にした――と言うより、この結論部は前号に入れるつもりでした。前号が長くなったので独立させただけです。
 その分『続編』これまでのまとめも含めてちょっと長い後記にお付き合いください(^_^;)。

 前著『狂短歌人生論』の結論(主張)は「自分を変え、相手を変えるためにエネルギーを与える」生き方に進もうということでした。
 対して続編の通奏低音とも言うべきテーマは「変わること、変えることの難しさ」であり、これについて大いに語りました。

 脅迫・批判、傍観・受容の生き方は幼いころから身についた癖である。
 それによって人を支配する生き方が脅迫・批判であり、支配される生き方が全て受け入れ服従すること(受容)であり、支配されないため、傷つかないために傍観する生き方(傍観)であると語りました。
 それは「認められたい、尊敬されたい、愛されたい」生き方でもあり、自分の生き方は正しいと思えば、変えることなど考えもしない――これを縷々語ってきました。

 ではどうするのか。どう生きるのか。いよいよ最後の難所を迎えます。山頂は向こうに見えており、後は上り詰めて下山するだけ。何度も書いているように99パーセントの絶望の後に希望の御来光があります。ご期待ください(^_^)。

 最後に、今年も1年間メルマガをお読みいただきありがとうございました。
 これにて2023年も終わり。

 しかし、昨年始まったウクライナ戦争に終わりは見えず、年末にはイスラエルとガザ・ハマスの紛争も始まりました。
 また、日本と世界各地で発生している異常気象。原因はやはり地球温暖化にありそうです。

 日本では春と秋が短くなり、夏は異様に暑く豪雨・巨大台風が襲来し、北国の冬はドカ雪が降る。世界でもモンスーンや河川氾濫、大規模火災が頻発している。「戦争なんかやっている場合じゃない。敵対関係もやめよう。仲良くしなくていいから、お互い攻撃だけはしないと決め、地球温暖化という共通の敵に立ち向かおうじゃないか」と言いたくなります。日本も世界も防衛費増に振り回されている感じです。

 我々は世界の情勢に対して基本傍観者でいることしかできない。以前『一読法を学べ』の中で遠くの傍観者と近くの傍観者について語りました。近くの傍観者として生きるとは気づくことであり、祈ることではないか。「祈ったって何も変わらない」とつぶやきたくなるけれど、みんなが心から祈り、理屈と感情が一致すれば、祈りは実現するような気がします。

 世界で戦争や飢餓で亡くなる子どもがいれば、足元の日本では2022年小中高生の自殺者が514人で過去最多となりました。世界に引けを取らない(?)悲惨な現実です。
 2022年度の不登校生(小中)の数は検索してください。「そんなに多いのか」とあきれるはずです。日本の学校・教育の敗北と言わざるを得ません。

 世界と人類と地球上の生命体が無事であり、平和に暮らせ、生まれて死ぬまでの生を全うできることを祈りたいと思います。 御影祐 m(_ _)m


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