『続狂短歌人生論』37 変えることに失敗


○ 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥


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ゆうさんごちゃまぜHP「続狂短歌人生論」   2024年01月04日(木)第37号


 『続狂短歌人生論』37 変えることに失敗

 2024年明けましておめでとうございます。
 年末で終える予定が年越しして新年の挨拶からスタートする羽目になりました。

 世界の情勢を見ると、とても「おめでとう」と言う気になれません。が、前号後記に書いたように、戦争が終焉し、各地の敵対関係を解消して人類共通の敵である地球温暖化、貧富の解消に向けて歩き始める――祈念の年として「明けましておめでとう」と声かけ合うもいいかな、と思うことにします(^_^;)。

 さて、「変えることに成功」して「エネルギーを与え合うことの大切さ」を語った前2号に対して今号は「変えることに失敗」した例です。ただし、ドラマ仕立てにはしていません。変えること、エネルギーを与えることに失敗したいきさつ[経緯]を書いています。

 注意していただきたいのは以下のように、新しく次号の見出しと狂短歌を掲載していること。
 年末書いたように、山頂前の難所、二か所の絶望です。今週絶壁のような絶望感にとらわれ、次週変えることの困難を思ってさらなる絶望に浸ってください(^_^;)。[本文は「である」体]


12月20日 変えることに成功――エネルギーを与え合う
 〇 エネルギー 与え合うことなきドラマ 変えてうれしい花いちもんめ(^_^;)

12月27日 前著結論「エネルギーを与え合う」
 〇 お互いがエネルギーを与え合う その生き方に いま進むべき

01月04日 変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望 ―――――本号
 〇 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥

01月10日 山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望
 〇 美しき伝統 それは上と下 これぞ我らが日本の誇り(?)



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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』37 変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望 】

 脅迫者は脅迫のドラマをやめ、批判者は批判のドラマをやめる。
 すなわち、脅迫者は怒りを見せて人を支配することをやめ、批判者は批判することで言うことを聞かせることをやめる。
 かたや傍観者は傍観のドラマをやめ、受容者は被害・受容のドラマをやめる。
 すなわち、傍観者は無関心をやめ、受容者は弱者を演じ、泣き言を吐くことをやめよう――と主張した。

 もしもこの段階で、この結論を実践された方がいらっしゃるとすれば、あなたはその後どう変わり、どう思っただろうか
 例えば、怒りを抑え、批判(悪口)を抑えた。かたや傍観をやめ、弱々しい泣き言を言わなくなり、自己を主張し始めた。さらに、他者を誉める生き方まで実践したとしよう。それはうまくいっただろうか?

 私はその試みがほとんど「失敗に終わったであろう」ことを予測できる。
 理由? 簡単です。私自身がやってみて、うまくいかなかったからです。
 そして、今はその訳も説明できる。

 詳しく語る前に基本的なことを述べておきたい。私のこの本を読み、この説に賛同して自らの原性格に気づき、四タイプのドラマをやめようと決意する。そして、他者に愛エネルギーを与える生き方に進み始めるのは、一体どのタイプだろうか。

 例えば、あなたは前著『狂短歌人生論』を身近の人(親、夫、妻、子ども、先生、生徒)に、「いい本だから読んでごらん」と薦めるかも知れない。そういうことをやろうとするのは四タイプのうちどのタイプだろうか。

 私が推測するに、第一は傍観者タイプの方々。次いで受容者タイプ――そして……この二タイプだけで終わり、と推理する。

 なおかつ居直っていない傍観者・受容者タイプだと思う。傍観者や受容者タイプで、自分の性格に悩み、他者の傍若無人ぶりに苦しめられ、どうにかしたいと思っている方々だけである。

 その方々に声を大にして言いたい。あなたは身近の誰かに『狂短歌人生論』を薦めるかもしれない。
 だが……、
 脅迫者タイプは絶対に本書を読まない!
 強烈な批判者タイプ、完璧主義者もまず読まない!
 普通の批判者タイプは人付き合いや子育てで悩みがあれば、読むかも知れない。悩みがなければまず読まない。
 居直った傍観者と居直った受容者タイプもたぶん読まない。彼らは「傍観して何が悪い」と反論し、「変えようたって変えられないんだ」と怒るだろう。

 そして、脅迫者タイプの子ども(所謂札付き連中や、家庭内暴力児童)も本書を読まない。愛されていない(と思いこんだ)「傷ついた野良犬のような目をした子ども」も読んでくれない。

 つまり、あなたが本書の中身を理解し納得して、自分を変え、他者を変える道を歩き始めようとするなら、あなたはこの本をあてにすることなく、一人でその道をスタートするしかない――ということだ。それはとてもしんどい道である。

 あるいは、百歩譲って(?)、脅迫者や批判者もこの本を読んだと仮定してみよう。
 彼らは途中、猛烈に怒ったり、腹を立てたり、批判したりしながら、とにかく最後まで読んだ。そして、脅迫者や批判者タイプの末路がどうか、「友も家族も見捨てる独りぼっちの地獄だよ」(第2号「四タイプの老後」)とまで脅したので、彼らだってもしかしたら「私も変わらなければいけないかなあ」と思ったかもしれない。
 その人たちが、脅迫と批判のドラマをやめ、「他者を誉め、エネルギーを与える」生き方を始めた――と仮定してみる。先にこっちから行こう。

 変わろうと思った脅迫者・批判者

 まずあなたは脅迫者か批判者タイプである。あなたは脅迫と批判のドラマをやめ、人に愛エネルギーを与えるドラマを始めてみる。

 それは最初うまく行く。あなたの周囲の人や子どもはあなたが怒らなくなったこと、腹を立て批判や悪口を言わなくなったことに驚く。
 さらにあなたは機会を見つけては「誉めてくれる」。そんなあなたを身近の人は「優しくなった」と思うだろう。相手は笑顔を見せ、あなたも笑顔で応える。
 あなたは相手が何かしら今までと変わったと感じる。もしかしたらこのやり方は「いけてる」かもしれない、あなたはかすかな期待を抱く……。

 ところが、何日か経って、相手がミスを犯したり、だらしなかったり、悪いことをやったりすると、あなたの心中の怒りと腹立ちの虫がもぞもぞ頭をもたげる
 それでもあなたは我慢する。怒ってはいけない、批判をしてはいけないと思う。だから、相変わらずの笑顔と誉め言葉で、周囲の人や子どもといい関係を保とうとする。
 だが、相手は変わってくれない。いくらあなたが誉めたり笑顔を見せても、相変わらず小さなミスを犯し、だらしなかったり、悪いことをやったりする。誉める事柄もだんだんなくなっていくではないか。

 そしてある日、とうとうあなたは堪忍袋の緒を切らす。小さな事件をきっかけに、猛烈に怒り出し、猛烈に批判を始める。

 あなたは思う、「相手を誉めるなんてことはちゃらちゃらしたおべんちゃらであり、お世辞でしかない。悪い奴ら、だらしない連中は笑顔を見せていたら、何でも許されたと思ってつけ上がるばかりじゃないか。相手にエネルギーを与えるなんてとんでもない。こんなやり方は人を変えない。むしろ人をダメにするだけだ!」と。
 あなたは、怒りまくり、腹立ちまくってェ……元の閻魔顔・般若顔としかめっ面に戻る。[うーん、何てこったぁ]

 さて、お次は「変わる」必要性を最も感じている、本命の傍観者・受容者たち。
 その「自分を変え、他者を変える」ドラマの、始まり始まり〜。

 変わろうと思った傍観者・受容者

 あなたは誠実な傍観者か受容者タイプである。あなたは傍観のドラマをやめ、弱者のドラマをやめ、他者と積極的に関わり、誉める形の《エネルギー付与》を実践し始める。

 こちらも最初はうまく行く。あなたの周囲の人々はあなたが傍観しなくなったこと、泣き言や愚痴を吐かず、積極的に発言するようになったことに驚く。
 さらにあなたは機会を見つけては「誉めてくれる」。そんなあなたを、身近の人や子どもは「一層優しくなった、積極的になった」と思うだろう。
 相手は笑顔を見せ、あなたも笑顔で応える。あなたは何かしら周囲の人が今までと変わったと感じ始める。もしかしたら、このやり方は「いけてる」かもしれない、あなたはかすかな期待を抱く……。

 ところが、あなたの相手の中には名にし負う脅迫者・批判者がいる
 とある場所、何かの会議で、あなたが良かれと思ったことを、笑顔で主張したとしよう。すると、この二タイプは(それが彼らの思想・信条、考え方・感じ方に外れている場合)怒鳴り声と強烈な理屈で反論してくるだろう。

 その攻撃はたぶん情け容赦ない。弱々しかった頃のあなたは彼らにとって守るべき味方でこそあれ、敵ではなかった。
 だが、いつのまにかあなたは強くなった。自分自身をしっかり主張し、その意見は彼らの意向(信念!)に背くものである。今やあなたは彼らにとって手強い《敵》になったのである。脅迫者・批判者はあなたに勝つために何でもやるだろう。テーブルをばんと叩いて「あんたは甘い」と怒鳴る。重箱の隅をほじくるような批判を繰り返す。

 そして哀しいかな、あなたはそのような怒鳴り声や批判に弱いタイプである。
 あなたは一生懸命に反論を試みる。だが、もちろん怒鳴ることはない。理路整然と理屈を述べることだってあまり得意ではない。
 だから、あなたの声はだんだん弱々しくなり、しどろもどろになる。おどおどして蚊の鳴くような声になったあげく、最後は議論に負けて黙りこくる。

 あなたの敗北感。切り裂かれた心の傷はいかばかりだろう。せっかく事態をよくしようと思って積極的に発言したのに、結果は自分にとってさんざんなものになった。

 やっぱり発言したってダメだ。それに彼らに対して笑顔やエネルギーを与えても、彼らは全くありがたみを感じてくれない。こっちにはちっとも笑顔やエネルギーが返ってこない。「やっぱり黙っていた方がいいんだ」と寂しく呟く。そして、この《エネルギー付与》というやり方に失望する……。[何てこったァ!]

 また、あなたの周囲の(同タイプの)傍観者や受容者に対しても、あなたは笑顔と愛エネルギー付与を心がけて対応してきた。
 するとこの二タイプはあなたが笑顔でじっくり話を聞いてくれるので大感激、自分のことをたくさん話してくる。

 あなたは全て聞いて上げる。ねぎらいを言い、大変だねと慰め激励する。もちろん誉めることも忘れない。毎日、毎日それが続く。

 相手はあなたを見つけては話したがる。だが、相手はちっとも変わってくれない。相変わらず傍観者であり、相変わらずの受容者タイプである。
 自分が脅迫者・批判者と口論しているとき、彼らは助けてくれるか、援助の声をあげてくれるか。いやいや傍観して眺め、黙っているだけだ。

 あなたは次第に疲れてくる。あなたは自分のエネルギーが相手に吸い取られるばかりだと感じるだろう。
 こんなことを続けていては自分がつぶれるじゃないか。エネルギーを与える生き方をしたって相手はちっとも変わってくれない。こんなことはやるだけ損だ。

 あなたはそう思って、最後に《愛エネルギー付与》の生き方をやめてしまう。
 あなたは元の傍観者か受容者に戻って黙りこくる……。
 せっかく開いた貝の口を固く固く閉ざしてしまう。[何てこったぁぁぁ]

 「自分を変え、身近の他者を変える」道を歩み始めたあなたは思う。
 人間という生き物は人から愛エネルギーを奪うばかりで、エネルギーを与える生き方なんてできないんだ。不可能なんだと。

 ああ、もう人間に絶望するしかないんだろうか?


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:この「変えることに失敗する」ドラマは下書きでは後半の先頭に置かれていました。繰り返しになりますが、前著の結論は「脅迫・批判・傍観・受容」の生き方をやめ、人に愛エネルギーを与える生き方に進もう――ということでした。ラストにはそれに成功するドラマまで書きました。

 だが、それがうまくいかないことはわかっていました。もしも実践したなら、上記のような経緯をもって「自分の生き方を変えること、身近の人に変わってもらう」ことはこの上なく難しいと感じたことでしょう。

 結局のところ述べたことは理屈に過ぎない。「戦争は良くない、平和が大切だ」が理屈に過ぎないように、理屈によって世界は、個人は変わりません。理屈と《感情》が一致する必要があるのです。

 そこで続編が始まりました。四タイプの生き方の根源にある感情を探ったわけです。幼いころの親との関係、兄弟姉妹が陥る愛の獲得競争、子ども時代の大人との関係。何より「愛されたい、認められたい、誉められたい」と思って生きている……のに、認めてくれない、誉めてくれない、愛してくれないと感じる。

 さまざまなキーワードを提示して「自分が変わることの難しさ、人を変えることの難しさ」を書きつづった。それが『続編』です。

 そして、続編ほぼ最後に上記「変えようと思って歩み始めたが 変えられなくて元の木阿弥」のドラマを置きました。「何てこったぁ」と絶望感に浸りましたか(^.^)?

 次号、さらなる絶望の深淵に落とされるでしょう。「一体なんなんだ?」と戦々恐々の思いでお待ちください。マッターホルン北壁にも似た断崖絶壁です。

―― 追 記 ――

 2024年初っ端から悲惨な災害と航空機事故が起こりました。
 1日震度7の能登半島地震と2日羽田空港での航空機事故。日本航空の飛行機が着陸直後、滑走路上に進入した海上保安庁の貨物機と衝突炎上しました。
 貨物機は地震の被災地に支援物資を届けるための飛行機だったから、地震がなければその衝突もなかった。そう思えば二次災害と言えましょう。
 機体が燃え盛る中、日航機の乗客乗員が全員無事脱出したことは奇跡的であり、不幸中の幸いでした。
 地震で亡くなった方、海保航空機で犠牲となった方の冥福を祈ります。
 被災者の方々にも心よりお見舞い申し上げます。


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