アテネオリンピック 最終回


○ いぶし銀の活躍見せたその裏に挫折と生徒の励ましがあり



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ゆうさんごちゃ混ぜHP「狂歌教育人生論」        2004年 9月25日 第31号

 (^_^)今週の狂短歌(^_^)

31 いぶし銀の活躍見せたその裏に挫折と生徒の励ましがあり 

(^O^)ゆとりある人のための5分エッセー(^O^)  

アテネオリンピック 最終回


 ☆ 中年の星?

 日本の中年男性に希望を与えた(^.^)、アーチェリー(洋弓)男子個人銀メダルの山本博選手。彼は41歳で、埼玉の高校教員である。
 このアーチェリー競技がすごい。70メートル離れた直径120センチの的に当てるのだが、9点10点の中心円は直径12センチほどである。
 競技は1対1のトーナメントで闘い、上位の戦いはほとんどこの9点以上の的中合戦である。弓は重さ三キロ、引っ張るときの力は二十キロは必要らしい。彼らはその中心に見事にあてていく。なにより集中力が必要。もちろん身体を静止させることが大切だという。
 裏話によると、山本選手は弓を引き絞って打つ瞬間、心臓が停止(!)しているらしい。普通呼吸は止められても、心臓を止めることなぞできない。しかし、山本選手の心臓は計器によると確かに止まっていた(・o・)。
 科学的計測でそれが明らかになったとき、彼自身もびっくりしたという。
 長年の練習で自然にそうなったとしか思えないと語っていた。

 彼は20年前、21歳の時オリンピックで銅メダルを獲った。その後2大会連続でオリンピックに出場した。
 しかし、成績は振るわず、とうとう前回シドニーオリンピックでは出場できなかった。そのとき彼はかなり落ち込んだらしい。もう弓を握る気さえ起きなかったという。
 だが、彼は高校の先生。アーチェリー部の顧問でもある。教員というのは自分が落ち込んでいても、生徒の前ではそれを見せない。いつでも生徒が落ち込み役で先生は彼らを励ます役だからだ。
 だが、そのときはさすがにアーチェリー部員も山本先生の落ち込みに気づいたようだ。そして、そのとき生徒が言った一言が彼を目覚めさせたという。
 生徒は「先生、もう一度アーチェリーを楽しみましょうよ」と言ったのだ。それを聞いて先生は自分が連続出場やメダルのためにアーチェリーをやっていたことに気づいた。生徒は試合に負けても翌日すぐに練習を始める。彼らはアーチェリーが好きでやっている。山本先生はそのひたむきな姿勢を見てアーチェリーを楽しむ大切さを再認識したそうだ。

 そして彼は再び日本代表となり、アテネへ向かった。今回彼が試合で実行したことで興味深い点が二つある。
 アーチェリーは1対1の戦いである。今まで山本選手は試合で対戦相手を見、的中の点数を見ながら、相手をうち負かそうとして競技をやっていた。しかし、今回は相手との戦いよりも、ただ自分の最高点を出すことを心がけたそうだ。そして、的を見るためのスコープに、幼い息子の写真と愛犬の写真を貼り付け、競技中相手が射つ間の待ち時間、その写真を眺めていた。
 そのうちそこに我が子がいるような気になり、子どもの前で恥ずかしいことはできないと、「より一層競技に集中できた」と語っていた。

 この話も面白かった。つまり、集中力を持続させるため、逆に競技中にその力をふっと抜いたということだ。
 そしてその愛犬の写真が素晴らしいと思った。それは顔のみのアップ写真だったが、どう見てもとぼけた面(つら)だった。あの顔を見れば確かに一瞬気持ちがなごむと思った。愛息だけでなく愛犬の写真と、二枚貼ったところが素晴らしいと思った。

 山本選手はコーチもなく、マネジャーもなく、専属ドクターもいない、独りぼっちの戦いだった。それでやり遂げた精神力はさすがだと思う。
 日本では中年の渋く光る活躍を「いぶし銀」という。であれば、山本選手のメダルの色はすでに銀で決まっていたのかもしれない(^_^;)。


 ☆ 戦争の影

 今からちょうど40年前、東京オリンピックの時私は10歳だった。当時私はオリンピックの開会式をテレビで見た。ちょうどカラーが始まった頃で、どうしてうちのテレビは色がつかないのと言った記憶がある(^.^)。

 その中でなんの種目だったか忘れたが、陸上競技でメダルを獲ったアメリカの黒人選手がいた。彼は表彰式でアメリカ国歌が流され、国旗が掲げられているとき、下を向いてこぶしを高く差し上げた。当時の私にはその意味がわからなかったが、強く印象に残っている。
 その後アメリカ公民権運動のことを知り、アメリカの黒人がいかに差別され、迫害されているかを知った。黒人選手のその行動は抗議の意思表示だったと後に知った。

 その後もオリンピックは時の国際情勢と無縁ではすまなかった。
 1980年のモスクワオリンピックでは、アメリカがソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してボイコット。日本も追従した。次のロサンゼルスオリンピックでは、ロシアと東欧各国が報復でボイコットした。

 今回のオリンピックにおいても紛争の影がかいま見られた。
 男子柔道では金メダル最有力候補と言われたイランの選手が試合相手を見て棄権した。彼はアラブ人で、対戦相手はイスラエルの選手だった。イスラエルとパレスチナの泥沼紛争状態に対して、抗議の意思表示として棄権したという。

 近代オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれる。2800年前古代ギリシアでオリンピックが始まったとき、オリンピックは「聖なる停戦」と呼ばれたとのこと。つまり、その間は全ての戦争を停止させようというわけだ。108年前ギリシアで近代オリンピックが開催されたときも、その間は各地の紛争を一旦停止しようと言う合意がなされたらしい。だから、平和の祭典とは休戦の祭典でもあったという。
 今回もアフリカ、イラク、イスラエルなどの紛争を停止しようという決議がなされるはずだった。しかし、アメリカなどの反対で実現しなかったという。
 まだまだ人類にとって108の煩悩は続くようだ(-_-)。

 折しもオリンピック終了直後ロシアで悲惨な事件が起きた。
 9月1日チェチェンの隣国北オセチア共和国のベスランで、テロリスト30数名が始業式の学校に押し入った。そして、人質1000人超を取って立て籠もったのである。50時間後銃撃戦となり、300名以上が死亡、行方不明者もあって500名もの市民と子供達が殺害された。
 不思議なことだと思う。誰も平和であることを望み、誰も(武器商人以外)戦争やテロを望んでいないだろう。だが、戦争は起こりテロは続く。私たちはただ祈ることしかできないのだろうか。

 しかし、40年前アメリカで黒人が差別されているとき、40年後の現在黒人がスポーツ、政財界において幅広く進出し、差別的待遇が減少すると誰が予想しただろう。公民権運動は一時期過激な方向へ進んだこともある。だが、時の経過とともに、白人と黒人の平等が進んでいった。政府中枢に黒人が入り、大統領に黒人が立候補できるまでにもなった。
 イラクの混乱、チェチェン問題、パレスチナ問題なども、時間の経過とともに解決するのではないだろうか。報復合戦と憎しみの応酬は犠牲を生み出すだけだが、人類にとって必要な痛みなのかもしれない(-_-)。


 ○ 哀しみの報復テロの応酬に祈りの言葉届けと祈る


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:最後に、オリンピックからちと離れてしまいました。これをもちましてアテネオリンピック特集終了です。感動を与えてくれた選手団とコーチ、その家族の方々に心から感謝申し上げます(^o^)。  なお、次週29日は休刊させていただきます。次回は10月第1週となります。(御影)



☆ 次は「四国明星の旅 その1〜12(32号から44号)」の連載となります。
 この連載は「旅に学ぶ―四国明星の旅 トップページ 」へどうぞ。
(画像付きですので、つなぎ放題推奨です)

 また、それ以外の「狂歌今日行くジンセー論」は
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