「尖閣諸島問題について」


○ 尖閣をめぐり日中緊迫化 きな臭い中一つのメール



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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2010年 10月 22日(金)第126号


 本日は妙な雰囲気になりつつある日中尖閣問題を取り上げてみました。
 お固いテーマながら、私のことですから固いようで固くなりません。
 あくまで私的にこの件をとらえ、たまたま起こった自分の出来事と絡ませてみました(^_^)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 尖閣をめぐり日中緊迫化 きな臭い中一つのメール


 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)


 【 尖閣諸島問題 】

 9月の初め、日中両国が「我が領土」と主張し合う尖閣諸島(中国語名釣魚島)付近で、自衛隊の巡視船と中国漁船が衝突する事件がありました。
 沖縄県警は船長が故意にぶつかったとして彼を逮捕拘留。中国政府が釈放を求め、両国は一気に不穏な関係になりました。中国では反日デモが行われ、政府も要人やイベントの交流停止、レアメタルの輸出停止などに踏み切りました。

 一般大衆が過熱するのはわからなくもありませんが、中国政府は領土問題を有利に解決しようとする意図からか、日本に強硬な態度で迫り、まるで国交断絶、戦争さえ辞さないかのような口ぶりでした。

 そのせいか、このニュースは当初から不安をかき立てられるというか、とても不愉快な感じでした。
 日本政府は冷静に対応しようとしているのに、衝突の事実や経過を一切問うことなく、ただ「釣魚島は中国領土だから、船長を釈放しろ」と言い張る中国政府の言動は、恫喝(どうかつ)か脅迫のように見えました。

 私はときには不快感からテレビを消したし、買い物に行って安い干し椎茸を買おうとしてひょいと原産地を見たら中国だったので、やめにした――なんてこともありました(^.^)。
 中国に対して私は明らかに日本人として反感をいだき始めたようです。

 そんな折9月末のある日のことでした。御影祐のホームページ宛に一通のメールが届きました。送信者は I さんという男性で、以下のように書かれていました。
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 初めまして、こんばんは。
 御影様のホームページを拝見させて頂いたのですが、とある記事について。
 以前、臨時的に遠山先生に関わる仕事をしていたことがある者です。
 その時こちらの「砂漠に木を植えた話」のページに辿り着いたのですが、遠山先生の名前読みが間違っているようなので「大きなお世話」的なメールを送りたいと思いました。
 正しくは「せいえい」です(氏の教え子・直弟子とも呼べる方にお聞きしたので、ほぼ間違いありません。その方は遺族の方ともお話になっていらっしゃるので)。
 また「砂漠」は「沙漠」の方の字を好んで使われていました。これは草木も育たない土地の意を嫌ったとか。
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 なんと「狂歌今日行くジンセー論」メルマガのふりがなミスを指摘するメールだったのです。おやまー、と思いました(^_^;)。

 狂短歌エッセー「砂漠に木を植えた話」は2004年5月に発行された第17号で、テーマは第二、第三の人生を歩む年輩者を紹介することでした。
 その号ではゴビ沙漠にポプラ三百万本を植えた「遠山正瑛」氏のことを書きましたが、ほとんどNHKで放映された内容の紹介でした。
 今からだと6年前だから「正瑛」の名に「せいじょう」とふりがなをふったことなど、全く忘れていました。

 そこでホームページを開いて確認したところ、確かに「正瑛(せいじょう)」と書かれています。指摘されたせいもありますが、正瑛に「せいじょう」とは妙なふりがなです。普通訓読みなら「まさひで」、音読みなら「せいえい」でしょう。

 自分で考えて「せいじょう」とつけたとはとても思えません。テレビでそのように呼ばれていたのではないかと思います。
 しかし、天下のNHKがそのようなミスを犯すとは思えません。おそらく「せいえい」と呼んでいたのに、私が「せいじょう」と聞き間違えたことが原因だと思います(^_^;)。

 そうとわかれば単純なミスなので、原盤を取り出して「正瑛(せいえい)」と修正し、指摘してくれた I 氏にはお礼のメールを返そうと思いました。
 その後原盤をインターネットにアップしようとしてふと考えたのです。

 このとき私は久しぶりに「砂漠に木を植えた話」を再読しました。
 そして遠山氏がポプラ三百万本を植えたゴビ沙漠とは中国であることを思い出したのです。

 あれっと思いました。日本と中国が尖閣をめぐってきな臭い関係になろうとするとき、まるで「このエッセーを読み返しなさい」とでも言われているかのような展開だったからです。
 私は自分の文章を二度、三度と読み直しました。そのうち自分の不安やむかつきが徐々におさまっていくのを感じました。

 そして、これは「せいじょう」を「せいえい」と訂正するだけでは(妙な言い方ですが)、もったいないような気がしました。これには意味がある、と思ったのです。

 それは領土をめぐって戦争さえ辞さないかのような日中両国にとって大切な意味であり、さらにその気分にあおられ、飲みこまれ、不安や不快を覚えている自分(や日本人)にとっても、重要なメッセージがこめられているように感じたのです。

 そこで、私は原文を「正瑛(せいじょう)――正しくは(せいえい)」と書き直し、この訂正の経緯を「追記」として書き残すことにしました。

 その「追記」が以下の文章です。
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 追記(2010年9月26日)
 私はこれまで遠山正瑛氏の名前を「せいじょう」とふりがなをふっていました。
 しかし、エッセー公表後6年経った最近、I さんという方からメールをいただき、このエッセーを読んだこと、そして「遠山」氏の名前は「正瑛(せいじょう)」ではなく「正瑛(せいえい)」であるとの指摘をいただきました。I 氏は遠山氏の関係者とも親しいとのことで、まず間違いないと思われます。
 遠山氏は2004年2月27日、97歳で逝去されています。天国の同氏にお詫びするとともに、本文を訂正いたします。

 ただ、思うところあって単純に書き換えるのではなく「(せいじょう→正しくはせいえい)」として訂正したことがわかるようにしました。同時に今日以後本文を読む人のために、この件を「追記」として残すことにしました。

 遠山正瑛――は確かに音読みならば「せいえい」、訓読みならば「まさひで」と読むべきところ。なぜ「せいじょう」などとふりがなをふったのか、わけがわかりません。
 あるいは、番組内で「遠山せいじょう」と呼んでいたのかもしれません。しかし、天下のNHKがそのような単純ミスを犯すとは思えず、私が「せいえい」を「せいじょう」と聞き間違えたのが原因だと思います。

 また、I さんによると遠山氏は「砂漠」という漢字ではなく、さんずいの「沙漠」を好んで使われたとの由。確かに水のある《沙漠》の方が木を植えるには適していると思われます。
 ただ、こちらの方は「砂漠」のままで残したいと思います。将来またなんらかの偶然や出会いが起こって「沙漠」にすべきだと感じるときがくるまで……。
 えっ「めんどくさいからだろ」って?
 いえいえ、決してそんなことはございません(^_^;)。

 それにしても、この指摘がエッセーのアップ後6年も経って、しかも2010年9月末の《今》やって来たことに、なんとも不思議なたまたまを感じています。

 というのは、現在ちょうど尖閣諸島をめぐって日本と中国が、ややきな臭い、不穏な空気をかもし出しているからです。

 先日尖閣諸島で自衛隊の巡視船と中国の漁船が衝突して漁船の船長が逮捕されました。中国政府は船長を無条件に釈放しろと強硬な態度で迫り、日本はその強圧に屈したかのように彼を釈放しました。船長はVサインを見せ、チャーター機に乗って誇らしげに帰国しました。ことは尖閣諸島の領土問題が絡んでいます。

 中国側の恫喝(どうかつ)か脅迫のような言動に不愉快を感じた日本人も多いようで、私もむかつきをおさえられなかった一人です(^_^;)。
 ところがこのようなとき、私は I さんのメールによって、この「砂漠に木を植えた日本人」を読み返したのです。

 ほんとに面白いたまたまです。私は自分が書いた文章を読んで、何が大切なことか思い出したからです。遠山氏が300万本の木を植えたのは、正に中国のゴビ沙漠です。
 小さな領土(と資源)を取り合って戦争を起こすのか、不毛の沙漠に木を植えるのか――どちらを選択するのが正しいか。答えは明らかでしょう。
 私のむかつきはちょっとおさまったような気がしました(^_^)。
 I さん貴重な御指摘ほんとうにありがとうございました。  m(_ _)m
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 領土問題は話し合いではなかなか解決しません。どちらも「あれは自分のものだ」と主張するからです。国民も感情的になりやすく、紛争・戦争になる可能性はかなり高いと思います。

 私は著書『時空ストレイシープ』で、韓国と日本の竹島(独島)問題を取り上げたことがあります。主人公ケンジに、竹島をめぐって(石油資源があるとわかって領土問題が先鋭化したとの設定で)二つの未来を見せました。そのころ韓国と北朝鮮は統一され、大朝鮮国となっています。

 A時空の未来は大朝鮮国と日本間で、竹島の領有権をめぐって武力衝突が発生する。竹島を実効支配していた大朝鮮軍に対して、未来の秘密兵器を手に入れた自衛隊があっという間に竹島を奪還。両国軍隊が日本海で激突、その余波で福岡と朝鮮南部がミサイル攻撃を受け、多数の死者が出るという未来。

 B時空の未来は竹島が日本と大朝鮮国で共同統治され、資源を両国で分け合い、さらに利益の半分を世界の貧しい国に配分するという未来。それを強く主張するのは未来の子どもたち。子どもの一人は「どうして竹島の資源が自分のものと主張するの? 地球の資源だから、みんなのものでしょ」と言います。
 ケンジはどちらの未来に進むのか――といった感じで物語は展開します。

 このように領土・資源問題をめぐる紛争を回避するには、共同統治しかないと私は考えています。そのためには、まず「自分のもの、自国のもの」という発想を根本から考え直さねばなりません。

 全部みんなのものと言い切るのは難しいでしょう。しかし、半分は自分のもの、半分は地球みんなのものと言うことは、さほど難しいことではないと思います。私有原則を問い直すことで、共同で資源を利用する平和な未来が開けると思うのです。

 たとえば、竹島と尖閣諸島は共同統治、北方四島は日本側の二島を日本に返還(これはかつてのソ連が認めていること)、残り二島は共同統治というような具体案です。

 尖閣諸島の石油資源は日中両国で共同開発しようという合意が形成されました。しかし、両国が「自分のもの」という感情にこだわる限り、今回のような準紛争状態はいつでも発生するでしょう。
 子どもたちがB時空の未来に進むためには、今の大人が感情に振り回されないことだと思うのですが……。

 それにしても、過熱しそうな感情が自分が書いたものでおさえられるとは。
 たまたま届いた一通のメールから面白い展開になったと思ったことです(^_^)。


 ○ 戦争か 平和な未来に進むのか 鍵は《私有》を問い直すこと


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:2004年5月に発行された第17号「砂漠に木を植えた話」のアドレスは以下の通りです。よろしければご一読ください。 → 「砂漠に木を植えた話」

 その後も中国では反日デモが起こっています。しかし、中国では大学卒業生の四人に一人が就職できないと言われているし、相変わらず言論・報道の自由などなく、民主化要求が抑圧されるなど、中国独自の問題が噴出しているようでもあります。
 中国が真に民主的な国になるには、まだまだ時間がかかりそうです。(御影祐)



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