「三浦春馬さんの絶望」


○ 現在と過去に未来に絶望し 誰もわかってくれないときに……


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ゆうさんごちゃまぜHP「狂歌教育人生論」        2020年 11月 5 日(木)第 179号


 ちょっと感じるところがあって2年ぶりに「狂短歌ジンセー論」を一編配信いたします。
 表題は「三浦春馬さんの絶望」ですが、多くの人に通じるであろう「自死を選ぶ理由」について書きました。
 なお、文中かなり後ろ向きの言葉が出てきます。免疫がないと落ち込むかもしれません。
 しかし、途中でやめず、後記を含めて最後まで読み通してください。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 現在と過去に未来に絶望し 誰もわかってくれないときに……

 (^_^) ゆとりある人のための10分エッセー (^_^)

 【 三浦春馬さんの絶望 】

 それでなくとも、日本という国は飛びぬけて自殺が多いのに、新型コロナの大流行です。市井の一般人だけでなく、著名俳優も、突然の――自死らしい逝去が報道されて我々を驚かせます。三浦春馬さん、芦名星さん、竹内結子さん……。コロナによる閉じこもり生活とか問題がなければ、その道を選ばなかったのでは、と感じます。
 自死を選んだ理由は個人的事情もあるだろうし、部外者にはわかりようもありません。軽々に発言できないと思って何か語ることを控えてきました。

 しかし、最近三浦春馬さんへのある追悼文を読み、彼の歌手第二弾となるミュージックビデオ(MV)を見てかつての自分を思い出しました。私は過去二回「死にたい・死のう」と思ったことがあるからです。
 その気持ちに通じるものを感じたので、「なぜ自殺するのか、理由がわからない」とつぶやく人のために、本稿を書こうと思いました。

 三浦春馬さんへの追悼文とは今年7月28日に公開されていた『三浦春馬さんの“ある言葉”に感じた生への危うさと脆さ』(岡村美奈)と題した文章です。岡村氏は臨床心理士・経営心理コンサルタントだそうです。
 私はごく最近インターネットでそれを読みました。

 その中で岡村氏は「なぜ三浦さんはこんな結末を選んでしまったのか、自ら命を絶ってしまうほど何に追い詰められ悩んでいたのかは分からない」としつつ、彼が今年4月5日の誕生日インタビューに応じて何気なく答えていた「皆さまのおかげで無事に30才を迎えました」との言葉が「引っ掛かった」と書いていました。「『無事に』という三浦さんの言葉は、『誕生日まで生き延びられた』という生への危うさや脆さを、心のどこかで感じていたのではないか、そんな印象を感じた」と。

 私は人の文章をいつも一読法で読んでいます。岡村氏の文章を読んだときも「おやっ」とつぶやいて(厳密には「へーっ」と感嘆の声を上げて)立ち止まったところがあります。
 それはここではなく、三浦春馬さんのセカンドシングル『Night Diver』のMVを見たときの感想を記した部分です。以下、そのまま引用します。

 大量の雨を降らせたセットの中、ライトの明かりを背に受けながら、白いシャツに黒いズボンというシンプルな衣装で画面に現れた三浦さん。裸足の足先や指先にまで神経を行き届かせ、繊細に丁寧に、それでいてダイナミックにキレのあるダンスを披露した。揺れるシャツの裾、足先から上がる水しぶきや顔を伝っていく水滴さえ、彼の感情を表すように操られていく。その表情は切なくも美しく、見事なまでのパフォーマンスに心を掴まれ、突然の訃報がさらに悲しいものになっていった。――とありました。

 秀逸な描写だと感嘆する一方、どんなダンスで、どんな歌なんだろうと興味がわき、すぐにユーチューブの映像を見ました(《三浦春馬「Night Diver」》で検索すればヒットします)。
 それは岡村氏が書いていたとおりの素晴らしい映像でした。正に「見事なまでのパフォーマンス」に私も惹きつけられました。
 一方、ものすごい異和感を覚えたのは歌です。画面に彼の歌声は流れていた。ところが、私には何を歌っているのか、さっぱり聞き取れなかったのです。

 最初は英語の歌詞だろうと思いました。事実英語が混じっていました。
 だが、明らかに日本語とわかる言葉も部分的に聞こえる。歌によくあるリフレーンの言葉も出ているようだ。結局、最後まで聞き終えて何を歌っていたのか、全くわかりませんでした。言い換えると、私に、彼の思いは届かなかったのです。

 どうやら1小節を「タタタ・タタタ・タタタ・タタタ」と12に刻んで歌う――と言うより早口でつぶやく、ラップらしき歌だったことも、年食った私が聞き取れなかった理由かもしれません。
 また、私が見たMVは「歌詞なし」でした。他に「歌詞付きMV」もあったので、最初にそれを見ていたら、印象は違ったでしょう。

 こんなことは初めてのことだったので、すぐに(公開されている)「歌詞」を検索して読みました。作詞作曲は本人ではなく「辻有記(ゆうき)」さんとありました。
 全文引用したいところですが、なぜかコピーできなかったので、ぜひ検索して読んでみてください(あるいは、歌詞付きMVを見るか)。
 まるで彼の心中を告白したかのような内容なのです。歌詞に描かれていたのは「絶望」でした(と私は解釈しました)。

 たとえば、「胸に突き刺さる棘の行方/知らんふりして見ないようにして/気づいたら戻れないような気がした」、「昨日も同じ事考えて/結局こんな夜過ごして/それでも嫌な感じじゃなくて/きっと誰も知らない言葉が/今僕の中で/渦を巻いてずっと/Loop Loop Loop Loopして/吐き出そうと声を出してみても/うまくいかない」

 Loopとは輪っかであり、円のこと。つまり、ぐるぐる回っているということでしょう。同じ言葉が頭の中で堂々巡りしている。だが、それは誰も知らない、誰かに伝えようと思ってもうまくいかない。わかってもらえない。

 あるいは、「あの頃に戻れるなら/僕に何が出来るだろう」、「多分何も変わらなくて/きっと今の僕には変えられない」、「ずっとこのままで/良いわけなんてあるはずもない/弱音吐いた夜を/Loop Loop Loop Loopして/情けないこの心に/生きる理由を与えて」

 何も変わらない、変えられない。弱音を吐く自分、情けないこの心に、生きる理由を与えてほしい……。
 私にはこれらの言葉が(本人とは違う人が書いた詩なのに)まるで彼の内心を吐露したかのように思われました。そして、「Loop Loop Loop Loop」を読んだとき、自分が二十歳のころ「もう死にたい」と感じていたことを思い出しました。

 当時日記に書き留めた、詩らしき記述があります。とても恥ずかしいし、チョー後ろ向きの文章なので、全文公表は控えます。
 そこに書かれていたのは自分の孤独と絶望であり、八方ふさがりの迷路を歩き回っているような閉塞感でした。
 何より目立っていたのは「同じ」という言葉です。朝起きて昨日と同じ飯を食い、同じ大学に行って同じ講義を受け、同じ学食で同じ昼飯を食べ、同じ午後の演習に参加し、夕方同じ下宿に帰って同じ晩飯を食べ、時間をつぶして同じ床につく。今日は昨日と同じ生活であり、明日もまた《同じ生活》が続くだろう。
 最後に「同じ同じ同じ同じ……」と、この言葉を100ヶほど繰り返して文章は終わります。

 昨日と大差ない生活を送る現在への絶望。過去も同じであり、未来もまた同じであろうという絶望感。一体生きる理由って、生きる意味って何なんだ。こんな人生に何の意味があるんだ……。
 当時の私はそう感じ、たどりついたのは「意味がない。生きる理由が見つからない。だから、もう死にたい」との答えでした。
 人は現在に絶望し、過去に絶望し、未来に絶望したとき、自死を考える――私はそう思います。

 そして、この絶望感にはもう一つの側面があります。それは自分への絶望、周囲への絶望、まとめれば人間への絶望です。

 自分に対する絶望とは――、
 後ろ向きなこの発想、この考え、この生き方をどうにかしたい、自力で解決したい。前向きに生きたい。だが、できない。無力感とむなしさが心の奥からにじみ出てどうすることもできない。そんな自分への嫌悪と絶望。

 そして、周囲の人、人間への絶望――、
 誰か自分のこの気持ちを理解してほしい。だが、後ろ向きの気持ちを聞いてくれる人はいない。いや、聞いてくれる人はいる。だが、私のことを本当に理解してくれるわけではない。会話の最後は前向きの言葉を吐いて相手を安心させるだけ。話したってムダだ。

 そして、彼我が変われば私も同じ。相手の悩みを聞いたとしても、私はその人のことを完全に理解できるわけではない。当たり障りのない慰めと激励の言葉しか言えない。わかり合えないのが人間じゃないか。
 あのころの私には自分への、周囲への、人間への絶望もありました。

 よく「自分の悩みを打ち明けなさい、相談しなさい」と言われます。それはこのような絶望感を克服するため、正しい方法だと思います(今から振り返れば)。しかし、当時の私は「人に話しても解決しない」と思っていました。正に袋小路、「Loop Loop Loop Loopして/情けないこの心に/生きる理由を与えて」という生き方でした。

 このように振り返ってみると、三浦春馬さんが今年30歳の誕生日で言った「皆さまのおかげで無事に30才を迎えました」との言葉はちょっと違ったニュアンスが感じられます。
 もしかしたら、彼も二十歳のころ自死を意識し、30歳までは生きてみようと思い、そして10年経った今「無事に30才を迎えた」とつぶやいたのかもしれません。

 彼の履歴をウィキペディアで検索すると、幼少期から俳優として活躍し、映画・演劇、テレビドラマなどで主役を重ね、さまざまな賞を獲得したことが列挙されています。順風満帆と言う以上に、成功の連続であり、前途洋々たる未来が開けている。傍目(はため)にはそれを軽々とこなしているように見えます。あの「Night Diver」のダンスのように。

 私が履歴解説で立ち止まったのは「人柄」の項目です。以下のように書かれていました。

 関係者の三浦に対する印象は一致しており、「真面目、クレバー(知的)、好青年、周囲に気を遣える。責任感が強く、作品作りに誰よりも一生懸命に取り組み、仕事で他人に迷惑をかけることを一番に嫌う」「謙虚、いつもまったく偉ぶることなく、気持ちよく仕事をさせてもらった。とても思慮深い」「誠実。嘘のない方」と評され、芸能界でも人望が厚く、共演者や後輩からも慕われていた。――と。

 非の打ちどころのない称賛の言葉。しかし、この生き方を10年続けたら、手かせ足かせとならないか。もはや失敗は許されないと思えば、プレッシャーとなってのしかからないか。猛烈な疲労感に襲われることはないのか。

 今年3月彼は人生初かもしれない挫折を味わっています。予定されていたミュージカル(もちろん主役)が新型コロナの影響で、初日が2週間遅れ、千秋楽も繰り上げとなって計53公演中42公演が中止に追い込まれました。
 それは彼の失敗でもなんでもない。だが、一際強い責任感は(妙な言葉ながら)自分に責任転嫁したかもしれません。
 彼は「君のせいじゃないよ」という慰めを受け入れただろうか。

 私には三浦さんに対する好印象が芥川龍之介『鼻』の禅智内供のように、実は内心とかけ離れた外見だったかもしれない、と感じます。
 もしかしたら、彼は好青年を演じることに、もういっぱいいっぱいであり、「本当の自分はそうではない!」と叫びたかったかもしれない。だが、誰にも内心を打ち明けられない。打ち明けてもわかってもらえない。
 閉じこもった部屋の中で、もしもそのような堂々巡りの考えにとらわれたとすれば……。

 現在に絶望し、過去に未来に絶望し、自分に絶望し、人間に絶望すると、人は自死を考え始める……私にはそう思えます。


 ○ 現在と過去に未来に絶望し 自分と人に絶望すると……


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 後記:本稿を一読法によって読んだか。確認問題です。
 本文を表題や狂短歌から読み始めたとき、どこで立ち止まり、何をつぶやきましたか。読了後「ふーん」で終わりですか。

 最初の方に「私は過去二回『死にたい・死のう』と思ったことがある」とあります。
 これはかなり重い言葉です。目の前にいる人がそう打ち明ければ、「えっ」と驚き、「いつ、どうして?」と問うかもしれません。
 本稿は文章なので、つぶやくなら「そうか、筆者は過去2回自死を思ったことがあるんだ。いつ頃だろう? どんな理由なんだ?」でしょうか。

 このようにつぶやいて本文を読み進めれば、それが「二十歳のころであり、現在や過去、未来への絶望、自分と人間への絶望」だったことがわかります。

 ところが、本文はそれで終わっています。ならば、全て読み終えたとき、「あれっ」とつぶやいて「もう1回はいつのことなんだ。書かれていないじゃないか。それに今生きているなら、自死の思いを克服したのだろう。どうやって乗り越えたのか。それも書かれていない」と思っていいところです(一読法で読んでいるなら)。

 もしもあなたの目の前に私がいれば、おそらくほとんどの人が「二度目っていつなんですか」とか「絶望をどうやって克服したんですか」と聞くと思います。
 ところが、文章においてはさあっと通読していると、この質問が出てきません。(失礼ながら)もしも読者にこのつぶやきや質問が浮かばなかったなら、それは一読法で読んでいない、ぼーっと通読している証しです。

 そこでこれからこの疑問に答えるべく、本文の「続き」を書きます。

 二度目に自死の思いにとらわれたのは(恥ずかしながら)還暦直前のことでした。
 詳細は省かせてください。いつか語ります。一度目が生きる理由、目的が見出せない空虚な絶望感なら、二度目は生活に行き詰って「死のう」と思いました。

 そして、一度目に自死を決行しなかったのは大学4年時教育実習に行ったことが最大の転機でした。教員になりたかったわけではないけれど、惰性のように教職課程の単位を取っていました。最後が教育実習でした。
 ところが、授業や生徒との交流はとても楽しく、「教員になりたい」との目的が見つかったのです。絶望感は続いていたけれど、しばらく死は保留として「生きる道に進んでみよう」と思いました。

 そして、二度目は不甲斐なく情けなく、自業自得の苦境に陥り、自死を選ぶか、誰か(具体的には兄や友人に)助けを求めて生き抜くか――その二択でした。
 実はこのときの自分に《絶望》はありませんでした。過去は肯定できたし、現在も肯定できる。そして、誰かに「助けて」と言い、苦境を乗り越えた先の未来も肯定できる。

 だから、私にとっては二択を立ち上げたとき、「近くの人に助けてと言おう」との答えがすぐに出ていました。しかし、それは不甲斐ない、情けない自分を、周囲の人に知られることでした。

 この二択は自分の状況を周囲の人に知られないまま突然死するか、打ち明けて知られて「不甲斐ない、情けない、何をやってたんだ」という軽蔑や批判の視線を浴びて生き続けるか―その二択でもありました。つまり、二十歳のころは絶望感に浸っていたけれど、二度目の時には自分への絶望も周囲の人への絶望もありませんでした。

 私は全てを受け入れて生き続ける方を選びました。そして、打ち明けた結果、兄も友人も「しようがねえなあ」と言いつつ(思いつつ?)支援してくれました。
 助けてと言って断られた旧友もいました。彼は少年時代の親友で――だからでしょう、「助けるのはお前のためにならない」と言いました。もちろん私に責める資格はなく、それを絶交の言葉として受け入れました。

 そして、数年間の苦境を乗り越えて今があります。私は兄や友人のおかげで二度目の危機を生き延びました。このとき自死の思いを乗り越えることができたのは「全肯定」を学んだからだと思います。
 また、いつも書いているように、道は一つではないということです。悲観的未来、楽観的未来、どちらとも言えない未来。最低限三つを思い浮かべれば、閉じこもった部屋での堂々巡りを防げるような気がします。


 ○ 絶望と自分の全てを肯定すれば 違う未来が見えてくる


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:ここからが本当の後記です。本稿は文中の「後記」を含めた文章です。一読法訓練のためにこういう体裁としました。
 なお、全肯定の詳細は《御影祐の『般若心経』講話》を読んでみてください。「二十歳のころこれを読みたかった」との思いで執筆しました。

 さて、論文は続きますが、こちら狂短歌ジンセー論はまたお休みに入ります(^_^;)。
 ご了承お願いいたします。m(_ _)m


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