カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 10号

「実践編 一 前置き(2)」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 10号

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           原則月3回 配信 2019年 6月 8日(土)


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 実践編 目 次
 実践編前置き(1)
      前置き(2)――本 号
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 挫折に終わった一読法授業
 四 実践編の「まとめ」

 理論編・実践編の後書き

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 理論編 目 次
 前置き
 一 国語(現代文)の授業は三読法
 二 人の話を三読法で聞けるのか
 三 結末に早く到達したいと考える悪癖
 四 結論が大切か途中が大切か
 五 一読法の読み方
 (1)題名読みと作者読み
 (2)つぶやきと立ち止まり読み
 (3)予想・修正・確認
 (4)共感・賛同・反発
  読み終えたら……
 (5)記号をたどって作品を振り返る
 (6)短い感想を書く
 六 まとめ(その1)・(その2)


 本号の難読漢字
・留(とど)める・覆(おお)う・一端(いったん)・顛末(てんまつ)・勧善懲悪(かんぜんちょうあく)・極悪(ごくあく)・征伐(せいばつ)・敢(あ)えて・興味津々(きょうみしんしん)・推奨(すいしょう)
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 10

 一 実践編、前置き(2)

 前号は「実践編、前置き」と書きつつ、すでに実践が始まっていた。
「ぼーっと歩いてると道路工事の穴に落ちる」具体例です(最近の比喩では「ながらスマホで歩いていると」でしょうか)。

 さて、「前置き」では語っていたのに、理論編本文で触れられなかったこととは何か。以下の部分です。
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 この読み方(注・三読法)に基づく講義型の授業は面白くない。講義型の授業とは先生が内容を解説し、先生が発問し、児童生徒はそれに答える。児童生徒が自ら疑問を持って教科書を読んだり、探究することがない。
 講義型授業は知的好奇心を刺激しません。だから、面白くないし、自ら考える力もなかなか身につきません。
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 私は理論編本文で「講義型授業」について一言も触れていない。国語授業の三読法は問題だとたくさん書いたけれど、他教科の読みや授業に関してはほとんど語っていません。
 この直前には「こうした問題の根本原因を、私は学校の国語授業にあると考えています。さらに国語に基づく他教科の授業も被害を拡大している」と書いています。「他教科の授業も被害を拡大している」と言うなら、具体的にどういうことか、説明されねばなりません。しかし、理論編では全く論及していません。

 また、前置きには以下の文言もありました。
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 あなたが児童、生徒、学生なら、
 ・授業が面白くないので集中できない。いやいややっている。
 ・どの科目も基礎問題はできるけれど応用問題が苦手だ。
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 この件に関しても「理論編では全く書かれていなかったな」と感じるはずです。

 もちろん話題にすることは可能でした。しかし、「理論編はあくまで一読法紹介に留めよう」と思い、「学校全体を覆っている講義型授業の問題点」は含めなかったのです。
 そもそも「前置き」とは本文全体について前もって内容の一端をお知らせするものです。これを逆に言うと、前置きで触れているのに、本文で何も語られないとしたら、「おいおい」と文句の一つも言ってしかるべき事態です。もっと言うなら、読者はその不手際というか、作者のいいかげんさに気付かねばなりません。
 私は「不手際でもいいかげんでもありません。これから実践編でその件について解説しますよ」との思いから、後記に一言書き添えたわけです。

 よって、「後記」に書いた「実践編では理論編[一]〜[六]で触れなかったことについて解説する」の文意は次のようになります。
 《これから一読法についてもっと詳しく(他教科を例として)解説する。同時に理論編で触れなかった「講義型授業」に関して大いに問題として語る》という意味です。

 この部分、実は一読法の《題名読み》が身についていれば、理論編を読んでいる途中、さらに読み終えたとき、次のような感想や疑問が生まれていいところでした。
「この小論は文章の読み方、話の聞き方についてはよく解説されている。三読法国語授業の問題点もたくさん書かれている。だが、《学校全体の授業》については特に書かれていないのではないか」と。

 表題には『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』とあります。

 ここで題名読みを実行すると、
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・一読法って何だ? 普段私は小説でも何でも一度しか読んでいないが、それ専用の読み方なんてあるのか?
・学校では国語の力がつかない、なんてずいぶん過激な言葉だなあ。どうしてそんなことが言えるんだ?
・学校で国語の力がつかないなら、塾に行けということか?
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 こうした疑問を書き込んでいれば、そして前置きを読んだとき、「なるほど私が国語で学んだのは三読法か」とつぶやいたり、「講義型授業の問題点がちょっと書かれているな」と思ってそれらに傍線を引いていれば、本論の読みはずいぶん変わるはずです。
 頭の片隅で「理論編では国語授業の三読法とか一読法が語られるだろう。学校全体の講義型授業についても語られるはず」と予想して本文を読み進めることができます。

 題名読みによって「塾に行けということか」とつぶやいた人は、理論編を読み終えたとき「塾や予備校は意識せず一読法を使っているとあったが、だから学校をあてにせず塾に行けとは書かれていなかった」ことに気付いたはずだし、「学校と塾の関係についてもっと知りたかった」との感想を持たれたかもしれません。
 この件は(これまで特に触れませんでしたが)実践編でさらに語られることになります。私は学校で全教科にわたって一読法が実行されるなら、塾に行く必要はないと考えています。

 このように一読法の《題名読み》を実践していれば、理論編を最後まで読み終えたとき、「おやー講義型授業の件は一つも出ていなかったな」とか「学校と塾や予備校との関係はイマイチ語られていなかったな」と気付いたはずです。

 しかし、三読法通読の癖で題名はさっと見ただけ、「前置き」もぼーっと読んだだけ。これでは何も頭に残っていない、引っかかりがありません。そして、疑問も予想も抱くことなく、本文もさあっと読み進める。
 結果、「前置きでは語られていたけれど、理論編本文では語られていないことがありますが?」と質問されても答えることができない――という顛末になります。私はこの状態を「理解度三〇」と呼んでいるのです。

 ここで執筆の裏話を打ち明けると、当初下書きでは国語三読法授業、そして社会や・理科など講義型授業をやっている教科の問題点など同時に書き込んでいました。しかし、ある程度書いたとき「ごちゃごちゃしてわかりづらい。前半と後半に分けよう」と思いました。そこで前半は《国語授業における三読法の問題点と一読法の紹介》に絞って書き、後半で《他教科の一読法実践例、さらに講義型授業のデメリット》を書こうと決めました。

 要するに、理論編を読み終えたとき、「一読法や三読法についてはよく説明されていた。だが、他教科の講義型授業に関しては一切説明されていなかった」ことに気付いてほしかったのです。
 そして、今後実践編を読むに当たって《学校全体を覆っている講義型授業》について「何が問題なのか、ではどうあるべきか、それと一読法・三読法との関連は?」などの問題意識を持って読み進めてほしい。そのような思いから、理論編ラストの後記に「実践編では理論編[一]〜[六]で触れられなかったことについて解説する」との一文を入れました。

 ここで読者各位から不平不満のつぶやきが聞こえてきます。
「オレたちゃ(私は)そんなに文章を一言一句注意して読んでいない。また、そんな必要もないだろうに」と。

 それに対して私はこう答えます。「そのとおりです。単に楽しむための勧善懲悪小説なら、さあっと読めばいいでしょう」と。
 映画でも正義のヒーロー・ヒロインが極悪非道の悪人をこらしめる作品はぼーっと眺めて痛快で楽しければそれでいい。「悪人だって殴られたら痛いだろうな」とか「ヒーローに征伐された悪人にも親や子がいるかもしれない」などと考えることはしない。

 しかし、文学作品とか社会問題を扱った映画など、人生や家族、友人、恋愛など「考えさせられる」お話が展開される場合はどうでしょう。同じ読み・同じ見方をするでしょうか。作品の理解度三〇で満足できるでしょうか。理解度六〇、八〇に達するためには一言一句注意して読まねばならないのです。
「だから私はそんな小説は読まない、そんな映画は見ない」と言う人も多いでしょう。考えさせられる作品は疲れます。

 ところが、実生活では職場の人間関係でトラブルに陥ったり、親子、夫婦間で深刻な問題が起こったりします。否応なく考えねばならない事態が発生する。そのときあたふたしたり、どうしたらいいか思いもつかない……。
 日本や外国の文学作品、深刻な戦争映画、ハッピーに終わるとは言えない映画など《考えさせられる》作品に触れる意味はそこにあると思います。いざというときあわてないためには、普段から考えておく必要があるのです。

 さらに、追加するなら「一言一句注意する読みができないのは、学校でそのような読み方を学んでいないからだ」と断言します。学んでいないからやろうとしないのだし、学んでいないからできないのだと私は思います。

 みなさん方は泳げますか。逆上がりができますか。自転車に乗れますか。みな学ばなければできないし、実地に訓練を積んで溺れそうになったり、何度やってもうまくできなかったり、何度も倒れて転んで……そして、やっとできるようになった。
 学校とは水泳や逆上がりができるよう何度も何度も反復練習します。それと同じように、国語だって「文章の読み方」を実地訓練しています。
 そして、子ども時代に泳げなかったら、逆上がりができなかったら、自転車に乗れなかったら、大人になってもできないでしょう。国語だって同じこと。学校で一言一句注意する読みや話の聞き方を反復練習していなければ、大人になってもできないままです。

 五歳の子どもは大人が語る言葉を、途中でさえぎって「それは何? どういうこと?」と尋ねます。それは子どもが大人の言葉を一言一句注意して聞いていることを表しています。ところが、十年後の子どもはもうそれができません。さらに二十年経ち、三十年、数十年経ってできるはずもなく、逆に「一言一句注意して読んだり、聞いたりする必要があるのか」とつぶやくことになります。

 五歳児にできたことがなぜ十年後二十年後できなくなったのか。戦犯は学校であり、主犯は国語の授業です。学校で「一言一句注意する話の聞き方を学ばなかった」からであり、「文章は最初から一言一句注意して読むんですよ」と教えなかったからです。学んでいない、反復練習していないからできないのです。

 恐縮ながら何度も同じことを書きます。我々が学んだ国語読書法の実地訓練は小学校から中学校、高校現代文まで一貫して三読法です。
 三読法には最低の絶対条件があります。それは《文章を二度読むこと》です。二度読めば、ほとんどの文章は(よっぽど難解でない限り)よく理解できます。これが三読法最大の効能です。

 先の質問「理論編で触れられなかったこととは何でしょう」に関しても、前置きから理論編をもう一度読めば、すぐ答えに気付きます。本稿を最初から再読すれば、前置きで「学校の講義型授業」について少々触れていることがわかる。もうこの段階で「確か理論編では学校の講義型授業について何も書かれていなかったな」と気付く。
 その時点でわからなかったとしても、理論編をもう一度読めば「おやー講義型授業については何も書かれていないじゃないか」とわかります。二度目が精読でなくとも、とにかく二度読めばかなり内容が頭に入る。これが三読法です。

 しかし、ここに三読法最大の欠陥があります。それは一度目をさあっと読むこと――すなわち、初めて接する文章に対して《一言一句注意する読み方をしない》ことです。だから、一読後では内容に関する質問をされても答えることができません。もう一度読むことでようやく答えることができます。

 もちろん国語授業でも一言一句注意する読み方訓練はされています。しかし、それは二度目の読みです。二度目に読むとき、漢字の読みとか意味とか、ある部分を何度も読んだり、前に戻ったりして「精読」します。国語三読授業では小学校から高校まで「二度目に読むとき一言一句注意する読み方」を反復練習しているのです。

 これが学校を離れ、大人になってどう実践されるか、おわかりでしょう。
 新聞記事であろうが、雑誌・単行本であろうが、人は目にする文章をさあっと一度読んで終わりです。実践しているのは一言一句注意しない初読の読み方だけ。ほんとうは再読しなければならないのに、二度読むことはない。

 そして、これが話の聞き方でもしっかり実践されます。人が語る言葉を一言一句注意して聞かない。「もう一度同じことを喋ってください」と要求することはないから、さあっと一度聞いただけで終わる。
 敢えて書きます。人の話の理解度三〇にとどまるから、詐欺にかかりやすい、おいしい儲け話に乗っかって大切な虎の子を失うのではないかと。

 このように書くと、読者各位は「責められ、批判されている」ように感じるかもしれません。私にそのような気持ちは毛頭ありません。
 大人になっても泳げない人、逆上がりができない人、自転車に乗れない人を責めることができましょうか。学んで練習したからと言ってできないことはたくさんあります。しかし、もしも子ども時代に学ぶことなく、全く練習していなければ、大人になって突然できるはずもありません。

 一度読んだだけで理解度六〇に達するためには、最初から一言一句注意して読む必要があります。国語授業においてその読書法を学んでいたら、それができないのは個人の問題でしょう。だが、我々はその読み方を学んでいません。教わらなければ、そしてその訓練を積まなければ、大人になってできないのは当たり前のことです。
 責められるべきは個人ではなく学校であり、国語授業です。三読法さえ教えていれば、読みの力も聞く力も話す力も養えると考え、それで「こと足れり」とした教育関係者・文部科学省の方々です。

 ほんとにくどくて恐縮ながら、何度も同じことを書きます。
 読みに関しては三読法が使えます。だが、人の話を聞くことに関しては三読法が使えません。聞き方の実地訓練をしないまま、三読法の読み方だけ学んでいるとどうなるか。それは大多数の人が泳げない、逆上がりができない、自転車に乗れないのと同じ状態です。人の話を満足に聞けない、誤解しやすい。疑問も抱くことなく、たださあっと聞いている、ぼーっと聞き流している――つまり、人の話の理解度三〇でしかない人の大量生産です。
 文章を読むことに関してはまだ三読法が使えます。文章は二度読める。しかし、人の話を聞くときには三読法が使えない。ゆえに、人の話を聞くときは最初から一言一句注意して聞く、一読法の訓練をしておく必要があるのです。

 いま題名読みの大切さを語りましたが、題名の後すぐ本文が始まるのは短い文章です。単行本とか長い論文だと通常「目次」があります。一言一句注意する一読法は当然この「目次」でも実践されます。言わば《目次読み》です。

 私は理論編のメルマガ冒頭に毎回「目次」を付けていました。前号「実践編前置き」でも「実践編」の「目次」を付けました。その内容覚えていらっしゃいますか。思い出してください。









10(これは10秒・10行、思い出すための数字です)

 振り返って何も思い出せない人は「実践編の目次を読まなかった」か「目を通したけれど、全く頭に残っていない」方々です。今号の冒頭にも掲載しています。上に戻って読み直してください。何とつぶやかれるでしょうか。









10(再び10秒・10行、読み直すための数字です)

 そこには以下のように書かれています。
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 実践編前置き(1)
      前置き(2)
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 挫折に終わった一読法授業
 四 実践編の「まとめ」
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 これを「さあっと目を通すだけ」で頭に残らないのが三読法の通読。
 思い出せなかった人は(誠に失礼ながら)一読法のやり方を学んだけれど、それを実践できなかった、実践しなかったと言わざるを得ません。つまり、一言一句注意する読み方をしていないということです。

 一読法なら(初めて目にする前号で)目次を見て以下のようにつぶやきます
「おや、実践編の目次か。今までなかったな。なるほど実践編は国語の具体例じゃなく、社会なんだ。何っ(三)に《挫折に終わった一読法授業》とある。この人の一読法授業はうまくいかなかったんだ。どうして? どんなことが語られるんだろう?」と。

 この目次で最も関心を惹く、興味津々の言葉は「挫折」です。目次を見たとき「実践編で一読法の具体例は社会か。作者の一読法授業は挫折だったのか」とつぶやいていれば、それは頭に残ります。その疑問や感想を持って実践編を読み進める――これが一読法です。
 一読法なら「実践編の目次になんと書かれていましたか。読んでどんなことを感じましたか」と聞かれても答えることができます。

 以前五歳児は一読法で読み始め、聞き始めると書きました。それは児童生徒であろうが、大人であろうが一対一の対話なら、普通一読法で言葉が交わされています。
 簡単に言うと、講演のようにどちらかが三十分とか一時間しゃべり続けることはない(上司か先生の説教くらいでしょう)。特に対等の関係なら、どちらかがちょっと長く喋ったとしても、相手から質問があったり、感想が語られたりします。

 たとえば、私と読者の一人が居酒屋で意気投合して「国語授業の問題とか一読法、三読法について」語り合うとします。元教員の私がいろいろ説明する。あなたは質問しつつ、感想を述べつつ、私の話を聞く。これが一時間かかったとするなら、その間ずっと私が話し続けることはない。あなたも聞きっぱなしではなく、「私は一読法なんて学んだことがありません」などと語ったりする。面白いとか反論があるかもしれません

 そして、一時間後私が「今夜はここまでにして明日再会して続きを話しましょうか。明日は社会の教科書を一読法で読む読み方を説明します。それから私が行った一読法授業が挫折に終わったことも話します」と言ったらどうでしょう。

 おそらくあなたは「えっ、一読法授業が挫折に終わった? 失敗したのですか。どうして? なぜうまくいかなかったのですか」と驚きと疑問の言葉を矢継ぎ早に発するでしょう。
 それに対して私は「そうなんです。うまくいきませんでした。詳しくは明日お話しします。あなたもなぜうまくいかなかったのか、考えてみてください。私が実践したのは今から三十年ほど前のことです」と答えます。

 この対話の流れなら、あなたの頭の中には翌日の話に対するワクワク感とか、「明日は挫折に終わった話を集中して聞こう」との気持ちが芽生えるのではないでしょうか。
 このように話を聞くときに使われている(意識せざる)一読法、それを文章を読むときにも使いましょう、というのが一読法の勧めです。

 一読法とは一言一句注意する文章の読み方であり、話の聞き方です。それは文章なら題名から、目次から始まっている。本文の最初から始まっています。そして、人の話を聞くときも(単なる雑談でなければ)「今日はこの件について語りたい」とまず《題名》が告げられる。そこから一言一句注意する聞き方がスタートするのです。

 以上。これで実践編「前置き(1)(2)」を終えます。
 改めて私がここで言いたかったことをまとめておきます。次の二点です。

・読者各位は「一読法理論編」を読み終えた。だが、理論編を読んでも、理解度三〇の通読でしかなかった(であろう)こと、実践できる態勢にないこと、それを証明したかった。
・文章は一言一句注意して読むこと、ある長さを持つ文章なら、題名がある、目次がある、前置きもあったりする。それを素通りするのではなく、しっかり読んで「おやー妙な題名だな」とか「これはどういう意味だ、どういうことだ」と疑問を持つこと、その疑問を頭に留めて本文を読み進めること――その大切さを実感してほしかった。

 このように「前置き」と書きつつ、一読法の実践を始めていました。
 今後読者各位はさまざまな文章を読まれると思います。もしも理解度六〇に達したいと思われるなら、選択肢は二つです。「一言一句注意して疑問や感想をつぶやきながら一度読む」か、「一度目はさあっと読んで、もう一度考えつつ再読する」か。

 ここでも読者のつぶやきが聞こえます。
「一読法ってかなりめんどうだな。そんなことなら二度読んだ方がいい」と。

 これだけ一読法を推奨しながら、読者が「二度読んだ方が楽だ」と感じ、今後(これは大切だと感じる)文章を二度、三度読んでくれるなら、それこそ私の思うつぼであり、大いに望むところです。何しろ私は三読法の称賛者なのですから。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:先日引きこもりに関連した痛ましい事件が二つ起こりました。この場を借りて一言書かせてください。
 一つは無差別殺人のように小学校児童と大人が殺傷され犯人が自殺した事件、もう一つは父親が家庭内暴力と「子どもをぶっ殺す」とつぶやいた息子を刺し殺した事件です。
 前者に関してテレビやネットの「死ぬなら一人で死ね」といった言葉の是非が議論を呼んでいます。著名な落語家・ワイドショーのMC・大衆演劇界の重鎮が「当然だ」というのを聞いて私は「なんと貧弱な想像力だろう」と思いました。
 彼らは自分が道を歩いているとき突然刺し殺されるのはたまらない、幼い子どもや孫が自殺の道連れにされることは許せないと思って「死にたきゃ一人で死ね」と言うのでしょう。
 しかし、別の想像も可能です。もしもあなたのお子さん、お孫さん、あなたの伴侶や親友が人生に絶望して「もう死にたい。だが、自分をこんな風にした世の中に復讐してから死ぬ」と告白したら、「死にたきゃ一人で死ね」と言うでしょうか。
 私は思います。社会の多数派がこのような人たちだから、引きこもりを抱えたお父さんは誰にも相談せず、息子を殺したのではないかと。「死にたきゃ一人で死ね」というのは想像力も優しさのかけらもない言葉だと思います。
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「一読法を学べ」  第 11 へ (6月18日発行)

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