カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第55号

提言編U「新しい教育システムの構築」

 9「日本的カーストの消滅目指して」




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 55号

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           原則月1 配信 2021年9月17日(金)



 二ヶ月ぶりのご無沙汰、御影祐です。m(_ _)m
 夏を無事生き延びたでしょうか。
 それにしても、今年はなんと話題豊富な夏休みだったことでしょう。

 おそらく三度目はないであろう、酷暑の東京オリンピック・パラリンピック。しかも、新型コロナという世界的パンデミックの渦中。開催の是非はともかく大きな事件事故なく終えられたことは幸いでした。
 いつものようにアスリートたちは多くの感動をもたらしてくれたけれど、喉元にとげが刺さったまま観戦したような気持ちでした。

 また、8月半ばには戻り梅雨のような記録的豪雨に襲われ、私の住む町も昨年に続いて被害を受けました。世界的にも洪水、高温、森林火災など異常気候で、もはや百年に一度とか十年に一度の異変が毎年どこかで起こるようになりました。地球温暖化はいよいよ待ったなしの段階に達した感じです。
 そして9月になったら、某総理大臣突然の退陣表明。今後衆議院総選挙が予定されています。内閣の支持率低下は野党の支持拡大につながっておらず、政権交替は秋の夜の夢でしょうか。

 一方、新型コロナの方は首都圏の感染急増がまたも燎原の火となって全国に拡大しました。病床の逼迫、救急車のたらい回し、あげく自宅療養者の孤立死など悲惨な状況となり、これは9月になっても続いています。ワクチン接種は高齢者の9割、全体の5割に達したけれど、感染者増を防ぐことはできませんでした。

 それにしても、昨年来何度も起こっているのに、どうしてこの事態を想定して準備しないのか。感染拡大はこれで五度目です。
 感染者急増、自宅放置で診療、入院できない……それを想定しておけば、「直ちに野戦病院を建設する。どこそこの施設を代用する」と宣言できる。医療従事者の不足に対してはいざというとき招集できるよう名簿を作成しておく。そうすれば「看護士、医師など直ちに活動してもらいます」と言えるでしょうに。

 ときどき総理、各大臣、官房長官が記者の質問に対して「仮定の質問には答えない」と返答することがあります。それは「考えているが内容は明かさない」という意味だと思っていました。ほんとに考えていなかったのですね。火事になってから消火器を買いに走っても家は燃えるばかり。さすがに「変異株の急拡大は想定外だった」とは言わないようです。

 ここで、賢明なる本稿読者は私の言いたいことを予想していると思います(^_^;)。
 そうです。この事態は小中高の国語教育のなれの果てです。先を読めない(仮定できない)のは日本人が三読法の通読しか学んでこなかったからです。精読にあたる検証作業は全て終わるまで始まりません。感染第一波で検証し(→未来予想)、第二波で検証し(→未来予想)……これは一読法のやり方です。
 一読法を学んでください。途中で立ち止まり、未来を読める、未来を予想して準備できるようになります。
 再読のお勧め→「一読法解説」 第1号

 さて、あと二つか三つでしょうか、本稿もようやく閉会のときが近づいています。今号は「日本的カーストの消滅目指して」と題して語りますが、以前のおさらいを兼ねて「高校入試廃止」も感傷的に訴えます。
 いつものように長くなったので、[3]以降は次号に回します。

 [以下今号
 「新しい教育システムの構築」9『日本的カーストの消滅目指して』
1 ]高校入試廃止を感傷的に訴える――中学生に高校選択の自由はない
2 ]高校・大学のランクを解消するチョー簡単な方法

 [次 号]
 10『日本的カーストの消滅目指して』(続き)
 [ 3 ] 成績をつけるのはカーストを維持するため
 [ 4 ] ピラミッドから横長・縦長長方形システムの構築を


 本号の難読漢字

・燎原(りょうげん)の火・逼迫(ひっぱく)・顧(かえり)みる・標榜(ひょうぼう)・天邪鬼(あまのじゃく)・痛痒(つうよう)・
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』提言編U  55

 新しい教育システムの構築 9

 日本的カーストの消滅目指して


 [1] 高校入試廃止を感傷的に訴える――中学生に高校選択の自由はない

 まずは一読法からこの表題を読み解くと、高校入試廃止を訴えるのに、「なぜ《感傷的》とつけているのか・どこが感傷的なのか」との疑問がわきます。作者からすると、そこに期待感を持ってほしくて《感傷》の語を付け加えています。
 また、感傷に対してセンチメンタルの語も思い浮かびます。本節を読み終えたとき、読者から「ちょっと感傷的ですね。センチメンタルですね」との感想が出るであろう。それを見越しているとも言えます。

 もう一つ、副題の「中学生に高校選択の自由はない」も注目すべきです。「ない!」と断言するのはかなり強い言葉。それを見て「はて、高校選択の自由がないだろうか。高校はどこでも自由に選べるはずだが」と思う人がいれば、自分や我が子を顧みて「確かに中学時代どの高校でも自由に選べるわけじゃなかった。学校の指導に従った」とか、「そもそも自分や我が子の成績では行きたい高校に合格しないから、別の高校にせざるを得なかった」とつぶやかれた方もいらっしゃるかと思います。
 このようなことをメモして(心に抱きつつ)読み始めるのが一読法です。

 さて、もしも高校入試を廃止したらどうなるか。こういう提言をすると、みなさん誰もが「難しい問題だ・現状を変えるなんて不可能だ」とおっしゃいます。
 いやいや、難しいことは何もありません。「3年後高校入試を廃止する」と決めればいいだけの話です。私立も従ってほしいけれど、取り合えず公立校において入試を廃止する。

 するとどうなるか。小学校から公立中学校に進学する際、入試がないのと同じになる。それだけのことです。私の提言はさらに中学校の教科書を中高6年間で学ぶこと。それは午前の授業で、午後はひたすら自分の好きなこと、やりたいことをやる。

 小学校は歩いていける範囲内、中学校は自転車で通える範囲内、高校は電車やバスで30分程度……なら、希望すれば、どこに行ってもいい。定員を超える場合はクジ引きとするが、徒歩通学の生徒が優先される。

 何を言いたいか。たとえば、ある中学生は偏差値トップ高のすぐそばに生まれ、住んでいる。小学校、中学校は近くの公立学校に通った。ところが、彼もしくは彼女は勉強が嫌いで成績が悪いという理由だけで、歩いて行ける名門進学校に入学できない
 しかし、中卒では将来真っ暗、中学浪人なんぞとんでもない。だから、最寄り駅まで10分歩き、満員電車に乗って10分先の駅で降り、そこから(渋滞時バスで1時間かかる)郊外の学区最底辺の高校に進学する。

 制服を着ているのでどこの高校か一目でわかる。毎朝学区トップ校に向かう成績優良者と、トップ校近くから駅に向かう成績不良者がすれ違う。その情景は(退学がなければ)3年間1095日続く。
 この生徒が3年間心にため込む不快と「社会は私を愛していない」と感じる疎外感は一体どうやって埋められるのでしょう。郊外の高校に一時間以上かけて通学する彼もしくは彼女は、高校に入学したときからすさんだ冷たい目をしています。

 このような高校生に対して国のリーダーとなった政治家が「日本ほどお前を愛している国はない。だから、愛国心を持ち、男なら国家のために命をなげうつのは当然だ。女なら日本のために子どもをたくさん産め」とよくまー言えるものだと思いませんか。

 これでおわかりですね。中学生で高校選択の自由があるのは学区トップ校に合格できるごく一部の生徒だけです。
 彼らだけがどの高校でも行ける(けれど、トップ校しか行かないし、行けない)。残り8割から9割の生徒に学校を選ぶ自由はありません。

 ところが、これには逆転現象も起こります。今( )の中に「行けない」と書きました。その意味わかりますか。
 たとえば、郊外の底辺校近くに住む成績優良者にこの自由はありません。なぜなら、その生徒が歩いて行ける高校に進学したいと思っても、中学校の担任は(バスと電車で一時間以上かかる)中心部のトップ校に「行け」と説得するからです。「地元の高校では大学に合格しないぞ」と言って。
 成績優良者は楽勝で地元の高校に合格します。ということは誰か一人がこの高校を不合格になる。つまり、成績優良者の自由を許したら、底辺校に合格するはずの一人が不合格になります。成績優良者にだって高校選択の自由はないのです。
 まとめて言えば、中学生に高校選択の自由はほぼない。高校のランクに合わせて行ける高校ががちがちに決められる。それが実態です。

 学区トップ校に行けない成績中等者、底辺校に行くしかない成績不良者に対して大人は何と言うか。「それはお前が勉強しなかったからだ。成績が悪いのだからしょうがないではないか。自業自得だ。お前はその程度の人間なのだ」とはさすがに言わないでしょう。しかし、生徒はそう感じざるを得ません。
 ランクに忠実な高校入試は中学校の懇切丁寧な指導によって多くの生徒が合格します。十五の春を泣かずに済みます。だが、彼らに不如意と不満、あきらめ、かすかな絶望感を与えます。それは将来自分が属するであろう階層を十五にして否応なく思い知らされる感情でしょう。

 ほぼ高校全入の時代なのに自由に高校を選べない。成績による差別・選別が横行している。これはおかしくないですか?
 憲法には様々な自由が保証されています。もしも(どこかの大国のように)言論の自由が1割しかなければ――政府を批判することができなければ――そこに言論の自由はありません。日本の中学生に高校を自由に選ぶ権利は《ない》のです。
 それでも、この事態を「仕方ないではないか」と言い張るなら、次のような場合はどうでしょう。

あなたは肌の色が黒いから、黄色だから、住んでいるすぐ近くの高校には行けません。そこは肌の色が白い子どもが行くところです」と。
 これはさすがに日本ではなかったけれど、自由と民主主義を標榜する某大国でかつて行われていたことです。

 あるいは、家庭の年収によって行ける高校が分けられていたら……
「あなたの家庭は年収800万以上だから学区最上位校、あなたは500万以上だから中位校、300万以上のあなたは中位校か底辺校。あなたの家庭は年収300万に達しないので、最底辺校の進学です」と言われる。
 さすがにこんなことを決めたら暴動が起きるでしょう。だが、現実の高校・大学進学はほぼこれに近いことになっていると指摘されています(近年ようやく高校の授業料無償化が実現しました)。

 ただ、ここで元高校教員として言っておきたいことがあります。
 それは学区最底辺レベルの高校にいる先生方ほど子どもを愛し、子どものために活動している人はいないということです。入学時すさんだ目をして大人に反抗的な子、あるいは、どう努力したって浮き上がる事はないと絶望している子どもに、大人は信頼できる、自信をもって生きようと体当たりで指導している。一年時「こんな高校来たくなかった」と言っていた生徒が「ここに来て良かった」とつぶやいて卒業するか。

 中学校の成績が上位・中位・下位であるかによって行ける高校が決まる――つまり高校をランク付けしている。それは肌の色によって高校を分けることと「同じである」と、どうして思えないのでしょうか。

 あるいは、その子が丸暗記するだけの勉強に疑問を感じ、好きな教科を一所懸命勉強している。もしくはサッカーや野球、水泳、陸上など日本トップクラスの力を持っている。だが、英語や数学はからっきしできない。だから、住居すぐそばの高校も、自転車で行ける高校もあきらめ、やはりバスで渋滞時1時間かかる高校に行くしかないとしたら……。
 その後彼もしくは彼女は高校を卒業し、努力してオリンピックに出て「メダル候補」と呼ばれるまでになった。テレビの取材を受けて最後に局アナが「全国民が応援しています。がんばってください」と言う。
 私なら心の底で「ふざけんな。おめーらのためにやってるんじゃねえ」と毒づくでしょう。

 ここらで読者のつぶやきが聞こえます。「なるほど確かに感傷的・センチメンタルな表現だな」と。そして「しかし……」と反論の言葉を思い浮かべているでしょう。
 高校入試を廃止し、近所を優先して好きな高校に行けるようにしたら、と言うと必ず返ってくる言葉があります。それは「勉強をしたくない子が勉強をしたい子の邪魔をする」であり、もう一つは「成績の悪い子が授業についていけない」との反論です。

 これは現在のシステムでは大いに起こる事態です。私は二十数年の公立高校在職中四校赴任しました。全て普通高校で、偏差値下位校では授業開始に際して廊下にたむろする生徒を教室に入れるのにまず時間がかかる。次いで授業中は私語、居眠り、教科書は開かず、授業に参加しない生徒に振り回されたものです。

 そのような学校でも真面目に勉強しようという生徒が通っている。「せめて授業の邪魔だけはしないでほしい」と思いつつ、なだめすかし脅して授業に引き込みます。「授業の邪魔をするな」と言ったとしても、彼らは聞く耳持たないし、何よりもその言葉は「お前は邪魔な人間だから学校に来るな」と言うに等しい。私は禁句だと思って言いませんでした。

 しかし、私が提言する入試のない高校と再入学のシステムなら、この問題は起こりません
 高校は「勉強したい子どもが行くところ」となり、(座学の勉強を)したくなかったら、行かずに今自分がやりたいこと――スポーツ・音楽美術・バイト活動などに進むからです。そして、その道に挫折したり、「違う道に進もう、もっと勉強が必要だ」と思ったら、高校に再入学する。二十代、三十代であっても、リタイア後の高齢者であっても構わない。だから、高校は「勉強をしたい子どもと大人が集まる」でしょう。
 また、中学校・高校の六年間で現在の中学校の教科書を学ぶシステムなら、「成績の悪い子が授業についていけない」ことも激減すると思います。

 それに、そもそも論として子どもはなぜ勉強が嫌いになったのか
 改めて考えてみてください。それは本人の問題ですか。

 私は違うと思います。勉強嫌いの子どもをつくったのは日本の学校です。入試最優先のシステムと日々の学習活動が《勉強嫌いの子ども》を生み出しているのです。
 みんな薄々思っていることではありませんか。そろそろはっきり言ってはどうでしょう。

 以前子どもの勉強を大人の労働と対比して論じました。大人は働くことで賃金を得る。子どもに成績をつけるのは大人における賃金のようなものだ。だから、成績を付けて評価しなければ、子どもは勉強しないと考えていると。
 私は「そんなことはない。勉強を遊びや趣味のように楽しいものにすれば、あるいは、この勉強が必要だと思えれば、成績を付けなくても子どもは勉強する」と反論しました。

 それと同じことがここでも言えます。子どもが勉強嫌いになるのは勉強がつまらないからであり、なのにテストのため、良い成績を取るために帰宅後も勉強しなければならないからであり、宿題や課題をいやいややっているからであると。
 もしも読者各位が現に働いているなら、仕事の課題や宿題を「家に持ち帰ってやりなさい」と言われたらどうでしょう。労働の一部なのに賃金は払われない。解雇されたくないから仕方なくやるけれど、帰宅後自由な時間が持てないことに「ふざけんな!」とののしりたくなるはずです。

 勉強が子どもの仕事だと言うなら、なぜ学校の勉強を家に持ち帰らねばならないのでしょう。大人がうんざりするように、子どもだってうんざりしています。大人の仕事が職場だけで終えるなら、子どもだって学校の勉強は学校だけで終え、帰宅後は自由に何をやってもいいはずです。

 ところが、現実は家で宿題、予習復習をやらないと先生に叱られ、親に叱られ、テストの点は悪く、高校・大学などの入試に対応できない。「そんなことじゃあなたの将来真っ暗よ」と脅され、いやいや勉強するしかない。

 このように、入試とテストのための勉強、成績を付けられるが故の勉強。それを強要される学校と教育システムこそ、勉強嫌いの子どもを生み出している元凶ではありませんか。
 結果、「勉強とは中学・高校時代の一時期だけやるものであり、大人になったらやらなくていい」と感じる大人たちの大量生産です。

 暴言かもと思いつつ、敢えて言わせてもらえば、政治、経済、国内や世界の情勢に興味も関心もない。香港の弾圧? ミャンマーのクーデター? 大国小国の独裁者の横暴? 北極の氷が夏になくなる? そんなの知らない、どうでもいい。ニュースは見ない、選挙は行かない……そのような大人とは勉強嫌いの子どものなれの果てではないか、と私は思うのであります。


 [2] 高校・大学のランクを解消するチョー簡単な方法

 さて、高校入試廃止を訴えると、社会の上半分にいる方々は「とんでもない」と猛反対されるでしょう。それは「進学実績の高い公立名門校が消滅する」ことを怖れる(?)からではないかと推察します。

「優秀な生徒が入って来ないと、我が母校、公立名門進学校が普通レベルに落ちてしまう」なんて、それこそセンチメンタルな感情ではありませんか。それを隠して「社会の格差・分断は良くない」など、よくまあ言えるもんだと思います。

 日本の学校は東大を頂点として旧帝大から私立有名大学などピラミッドを形成してランク付けされています。高校も公立・私立の進学実績の高い名門校を頂点として都市部から地方、ランク上位から最下位まできっちりランク付けされている。私はこの格差、分断こそ日本的カーストの源であると考えています。

 残念ながら日本には「大学・高校のランクを廃止しよう」という政治家も有識者もいません。何しろみなさん偏差値の高い高校や大学の出身者であり、その恩恵を存分に受けている。そして、それを我が子、我が孫につなごうと考えているから、大学や高校のランクをなくそうなどと思いもしないのです。

 ……と言い切ってもしも「そんなことはない。失礼な」とつぶやかれたなら、ご容赦ください。何しろ私は田舎の中学から高専に行き中退し、地方国立大学に進学して首都圏高校の一教員として働いた、社会の下半分にいる者。ひがみ根性丸出しの天邪鬼人間ですから。

 それにその方々は「高校・大学のランクは意図してつくっているんじゃない、自然にできているんだ」とおっしゃるでしょう。
 学校には定員がある。定員をオーバーする希望者がいるから入学試験をせざるを得ない。結果成績上位から合格とする。偏差値の高い生徒が集まったのは偶然に過ぎないと。

 おやおや、このような人は日本の国会で女性議員の比率が低いこと(9.9パーセント、世界193ヶ国中166位)も、「たまたまであり、国民が男を選んでいるのだから仕方がない」とつぶやいて何の痛痒も感じないのでしょう。

 のうのうと議員職に居座って変えようとも思わない国会議員の9割は男です。彼らにアフガニスタンで復権したタリバンが「女性を登用しないのはけしからん」などと言う資格があるのか。
 もちろん日本では「女性に教育は必要ない」と言う人はいないから、同罪とは申しません。が、「女性が多いと会議が長引く」とつぶやいた元総理がいたほどだから、どっこいどっこいでしょう。

 それはさておき、ほんとうに日本の格差と分断をどうにかしたいと思うなら、私は高校と大学のランク付けと言う格差を真っ先に廃絶すべきだと思います。
 高校・大学のランクを廃絶するにはとても簡単な方法が一つあります。

 それは履歴書から学校の固有名詞をなくすことです。

 就職で会社の人事担当者がかたや「おお、あの名門高校卒か、東大生か」と感嘆し、かたや「あの新設底辺校か、大学は聞いたことない名だな」とがっかりする。履歴書に学校名がなければ、そのような思いは生まれようがありません。虎の威を借る狐ではないけれど、学校名で優遇されるのではなく、あくまで本人の実力によって評価されれば良いのです。

 実は教員社会は出身大学による格差などほぼありません。校長は知っているでしょうが、平教員には他の先生がどこの大学卒か(本人が打ち明けない限り)知りようがありません。教員採用試験や面接を受け、教師となって活動する。その際どこの大学であったかなど全く関係ないのです。

 私の提言を再度繰り返します。

 高校入試は廃止すべきである。小学校が近くの公立中学を自由に選べるように、公立高等学校も生徒が自由に選び、無試験で入学できるようにする。今座学の勉強をしたくなかったら、実技系の活動に進み、挫折したり、座学が必要だと思ったときにいつでも再入学できる制度をつくる。
 日本では基礎的教養は中学校の教科書で尽くされています。それを中高6年間でじっくりゆっくり学ぶ。もちろん宿題も課題もない。帰宅後は自由にやりたいことをやっていい。

そのような中学、高校を想像してみてください。ストレスもプレッシャーもない。のんびり楽しく学校生活を送れる。教室に大人や高齢者が混じれば、いじめは激減すると思います。
 入試がないから成績付けはない。テストはあっていいけれど、成績には直結しない。中学を終えたら、今やりたいことを求めて外に出てみる。無理だったら、また高校に戻る。
 たとえば、二十歳で高校をやり直し、3年後(無試験か中卒レベルの学力検定試験で)大学に進学して4年後卒業。27歳で社会に出ても80歳まで53年あります。

 このシステムにおける最大のメリットは「十代の数年間、自分が最もやりたいことをやった」という充実感です。それは「自分がやりたいことをやるのは楽しい、生きることは楽しい」との思いにつながるでしょう。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:コロナとオリ・パラについていくつか書かせてください。
 ワクチン接種が国民の5割に達したのに、感染者増に対して相変わらず「人流を減らせ」のかけ声ばかり。今出歩いている人の半数はワクチン接種を終えている。半数はワクチン未接種でも、働くため外出せねばならない。「人流が減るわけないだろう」と思います。ワクチンを終え、元気で小金持ちの高齢者にはどんどん旅行してもらっては、と思います。

 また、オリンピック・パラリンピックはもう「国の代表」なんかやめて世界のランキング上位者(チーム)がメダルを争う大会にしてはどうでしょう。闘うのは国のためではない、自分のためである。そうすれば「メダルが獲れなくてすみません」と謝ることもなくなるのではないでしょうか。

 もう一つ、3位が明確にわかる場合はいいけれど、トーナメント戦はベスト4に達したら、「銅メダル確定」として3位決定戦をやめてはどうか。
 世界のベスト4ですよ、ベスト4。それを目指して勝ち続けたのに、最後に2度負ける不甲斐なさ情けなさ。それがトーナメントの4位です。喜びも何もないなんて悲しすぎます。
 えっ、センチメンタルですか(^_^;)?

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「一読法を学べ」  第56 へ (12月15日発行)

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