太龍山、空海修行の聖地

「新型コロナ感染」 その2

「新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く」




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『 新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く 御影祐の小論別稿 』 第 2号

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            不定期配信 2020年3月17日(火)



 メルマガ「御影祐の小論」として3月6日に「新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く」を発行しました。それから10日ほど経って感じたこと、考えたこと、言いたいことが喉元でうずいております(^_^;)。
 そこでその都度思ったことをさらなる別稿としてメルマガ配信することにしました。よって、こちらHPでも独立させます。発行は不定期ということで。

 [今  号
 第二回 コロナ感染その後10日(3月16日)
 [ 5 ] コロナ感染その後10日

 第一回 『 新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く 』(3月06日)
 [1] 最初に立ち止まったのはチャーター便の帰国とホテル隔離
 [2] 一人一人を優先するクルーズ船乗客乗員への対応(私案)
 [3] 事件は現場で起こっている……が
 [4] まとめと今後の予想


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 第2回 コロナ感染その後10日(3月16日)


 本号の難読漢字
・操(あやつ)る・目論見(もくろみ)・桟敷(さじき)・指弾(しだん)・潔(いさぎよ)い
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く 』

第2回「新型コロナウイルス騒動を一読法から読み解く」

[5] コロナ感染その後10日(3月16日)

○ 覚悟と楽観的未来

 全国的、いや世界的に新型コロナ感染者が多発しています。
 最初に、もしも読者各位において感染入院などの事態になられたなら、心よりお見舞い申し上げます。m(_ _)m

 私の身近の人たちからまだ「感染発症」の報告はありません。が、いつ来ても、そしていつ自分に起こっても不思議ない状況です。
 こういうことは「いつ来るのだろう」と疑心や不安にとらわれるのではなく、「いつか来るだろう、来ても不思議はない」と覚悟することが肝要かと思います。
 なにしろ日本は世界有数の災害国。豪雨に台風だけでなく、いつ地震が起こっても、大津波が発生しても、火山が噴火して住む町が灰まみれになっても、全くおかしくない国です。
 私はガンにしても、死にしても「いつ来てもいい」ように覚悟しています。
 そのときが来ても「なぜ私のところにこんなことが起こったのだ」と言いたくはないと思っています。
 もっとも、ほんとに起こったら、たぶん「なぜだ?」と叫ぶでしょうが(^_^;)。
 まー禅寺のお坊さんではない所詮小心者の小市民。それもまた良いではありませんか。

 前号でも書いたように、コロナウイルス感染はまだまだ途中です。よって、本来なら何かまとまったことを書ける材料に乏しく、正確性にも欠けます。しかし、一読法なら、そのような状態でも「ここまでの事実をまとめて何をどう解釈するか」が可能であり、「未来を予想する」ことができます。それを書きつないでいこうと思います。

 私は1月から2月にかけて悲観的未来を予想しました。それは政府大本営から国会議員の方々、国民まで「大したことないだろう」との空気が漂っていたからです。
 あの中国武漢という激烈な先例がありながら、「我が国もそうなるかもしれない」という思いになぜならないのか。あるいは、9年前大地震と大津波がやって来て多くの人が殺されながら、なぜ最悪を想定しないのか。私にはむしろ「大したことない」と考えることの方が不思議でした。

 私もあの日3月11日東京郊外にいて5分近い揺れを体験しました。それは一度おさまったら、また揺れ始める。それが終わったかと思ったら、またがたがたと揺れる。断続的に計4回くらい揺れたでしょうか。恐怖は感じなかったけれど、あんなに長い地震は生まれて始めてでした。アパートの部屋はテレビが台から落ちたり、食器棚や本棚が倒れることはなかったから、震度3から4くらいだったと思います。
 そのとき専門家である(はずの)気象庁が、東北各地に最初に出した津波予想は《高さ3メートル》だったそうです。
 それを聞いて「大したことないな」と思った人と、「あんな揺れがあったのだから、その程度で終わるはずがない」と感じた人に分かれた。前者はその場にとどまったり、「まさかここまで来ないだろう」と思って動かなかった。そして、後者はすぐ高台に走った。その差が命の明暗を分けたようです。

 また、私がいたところは東北からかなり離れた東京、さらにその郊外です。その日の夕方都心のスーパーで食料品を買いあさる人々の姿がテレビに映し出されました。
 翌日「まさかここではそんなことないだろう」と思って近くのスーパーに行ったら、中は人で埋まってレジの列は一時間待ちでした。私はその日の買い物をあきらめ、翌々日行ったら、食料品が棚からごっそり消えていました。
 もっとも、ずいぶん前から食料品は備蓄2週間を心がけていました(と言えば聞こえはいいけれど、実のところ一人暮らしだし、めんどくさくて2週間分をまとめて買っていただけ)。なので、あわてることもなく食料品の復活を待ちました。
 そのような体験があっただけに、最悪武漢のようになったらと思って友人たちに「マスクがなくなるよ、食料品の備蓄もやっていないんだったら、ひそかに始めておいた方がいいよ」とメールしました。

 2月末どばたで決められた「イベント中止」と「小中高一斉休校」の要請。それによってようやく全国的に危機感が高まったようです。おそらく北海道で感染者が急増し始めたことで、総理は「それが全国に広がる危機的未来」を思い描いたのでしょう。専門家の意見を聞くことなく、あるいは、文科省大臣の反対を封じて断行したところに、総理自身のパニックが見て取れます。

 それから約2週間。各種イベントの中止・延期はもちろん、大規模施設の休館。そして小学校を休校にしながら、学童保育には多くの児童が集まり、かえって感染の恐れが増すなど、行き当たりばったりの方針は国民をさらに不安に駆り立てたようです。そもそも「外出を控えるように」と言いながら、満員の電車で仕事に行くしかない現実にどう対処するのか。その指針は全く示されないままでした。
 やがて野球や大相撲の無観客試合、映画演劇の中止、繁華街から人が消え……といった状況の中、今日本では「先が見えない不安」が渦巻いているように思えます。つまり、多くの人は悲観的未来を予想している。

 こういうときこそ、私は逆に楽観的未来を予想します。いずれコロナウイルス騒動は収束する。「終息」ではなくとも、風邪かインフルエンザ同様になるであろうと。
 つまり、多くの人に免疫が備わり、ワクチンが開発される。インフルエンザ同様の特効薬ができるかもしれません。そして、冬になると「コロナウイルス感染者」情報が「インフルエンザ感染者」情報同様に出されるのではないか。そのとき学級閉鎖や一部の学校が休校となっても、「各都道府県を封鎖しろ」とはならないでしょう。早ければ来年、遅くとも再来年にはそうなるだろうと思います。

 ただし、問題はそのときまで生き延びているかどうか。これはもう「運」としか言いようがありません。はっきりしていることは人と会わなければ感染しないことです。私なんぞ「ほとぼり冷めるまで出歩くのをやめるか」と考えています。ただ、一日一度の散歩だけは欠かさないようにしています。


○ とうとうパンデミック

 さて、日本では2月末の「全国的にイベント中止要請」、続く3月2日より全国小中高校、特別支援学校の一斉休校が始まって2週間。様相が一変したのは日本よりむしろ世界です。
 中国武漢の感染が収束に向かい始めたのと反比例してヨーロッパ、アメリカで一気に感染者が急増し、WHO(世界保険機構)は3月12日「パンデミック」を宣言しました。
 ヨーロッパではイタリアが特にひどく、北部の封鎖にとどまらずイタリア全土が基本的に外出禁止となったし、ドイツ、フランスなどEU諸国も国境封鎖の措置が取られています。学校の休校、施設の閉館、外出禁止措置も広まっています。もはや全世界的に鎖国状態となりました。

 ここで一つ押さえておきたいことはコロナウイルスの特性です。すなわちウイルスを未知なる敵と見なし、意志を持つ生命体と考えるなら、彼らが取った戦術について。
 コロナウイルス対策は日本だけでなく、世界各国で感染者対策が遅れたように感じます。どの国も最初は「大したことない」との認識だった。せいぜい数人の感染者がしばらく続く程度だったからでしよう。
 ところが、ある日を境として突如指数関数的に感染者が増え始める。指数関数とは放物線で有名なワイ=エックス二乗のことです。最初の増加は数人、次に十数人、数十人となって、一週間後には日々数百人が感染者数として顕在化する。正に昔よく見た数学の放物線でした。

 どうもこれが「新型ウイルスの戦略」だったようです。ウイルス――いや、全ての生命体の目的はすべからく子孫を残すことでしょう。人間は「自分はどこから来てどこへ行くのか。なぜ生まれ、なぜ生きるのか」という疑問を持ちますが、他の生き物はみな生きる理由とか目的に思い悩むことはない(ようです)。生まれたらとにかく生き続け、子孫を残す生殖活動に励み、子どもを生んだら朽ちるか、育てて親離れさせる――その活動で一致しています。微少生命体が自己分裂して増加するのも生殖活動の一つと見なされます。

 これまでのコロナウイルスとかインフルエンザ・ウイルスは潜伏期間が短く、すぐ発症する。しかも、ワクチンによって免疫を付けられているので、なかなか大増殖できない。そこで大量感染を増やすため、彼らが取った戦術が潜伏期間の長期化であり、「無症状保菌者をたくさん増やす」ことだったようです。
 結果、人類は見事にだまされました。感染者数人の状態がヒト月続き、その間に無症状感染者がウイルスをばらまく。そして、ある日から爆発的に増加増殖を始め一気に感染者が表面化したのです。こういう言い方は語弊があるけれど、敵ながらあっぱれな戦術です。

 しかし、ここでも私には不思議でなりません。これが各国ヨーイドンで始まったコロナウイルス感染なら、手探りで進むしかない。対策が後手後手になるもわからないではありません。
 しかし、すでに中国武漢というお手本があったのです。ある専門家は1月末に「武漢における人から人への感染はすでに12月初めに発生していたかもしれない」と語っていました。その後1月半ばまで武漢の感染者は一人にとどまっていた(実のところ春節を前にして隠蔽され、もっといたのではないかと言われています)。
 だが、その後は爆発的に感染者、死亡者が増え、隔離専用の建物がわずか10日で建てられるとか、医療崩壊の状況は日々刻々知らされていました。
 にも関わらず、各国指導者は、専門家でさえ「我が国はあんなことにはならない」と高をくくっていたのです。そして、敢えて言うなら、そのような指導者を産みだしたのは我々国民一人一人であること……それも間違いないと思います。リーダーが高をくくるような人なら、それは国民の性質でもある、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 閑話休題。ウイルスが取ったこの戦術は彼らに大勝利をもたらしました。しかし、もしかしたら、この大勝利はある意味予想以上であり、それが今後の敗北につながりそうです。
 ある専門家が「ウイルスは宿主を死なせては意味がない」と言っていました。確かにそうでしょう。自身と同じウイルスを人間に寄生して人から人へと増殖させることが目的なんだから、宿主は「生かさず殺さず」でなければなりません。宿主が死んだとき、ウイルスも死ぬ。だから、ウイルスはフグ毒のような、トリカブトのような毒性は持っていない。

 それよりむしろ忘れてならないのは感染の症状である、鼻水、咳やくしゃみ、高熱などはウイルスが持つ毒性ではありません。みな人間の免疫反応です。
 鼻水や咳、くしゃみは喉や鼻に入り込んだウイルスを、体外に吐き出そうとすることだし、体温を上昇させるのは肺などに入り込んだウイルスを焼き殺そうとする生体反応です。
 そのとき身体がだるくて動けないのは高熱にすることによって、心臓や内臓に負担がかかるから、身体が「動くな。静かにしていろ」と命令しているのです。

 それを無理矢理解熱して出歩けば、ますます自然治癒が長引く。同時に出かけることで人にうつし、ウイルスをまき散らすという敵の思惑に沿った行動を取っていることになります。ウイルスは「しめしめ。子孫を増やしてくれおるぞ」とほくそえんでいることでしょう。
 日本人はちょっとやそっとの風邪や熱の症状では休まない、休ませない風潮が蔓延してきました。これを機にこうした発想と生き方、働き方を考え直すことがイコール「働き方改革」につながるのではないでしょうか。

 余談ながら、人間は霊長類として全ての生命体の頂点に立つかのように考えています。そして、何らかの行動は自分の意志や考えであると思っています。だが、実は何億年と続く人の体内にいる微小生物に「操られているのではないか」というSF的見方があります。
 つまり、人は熱があっても、咳や鼻水が出ても、ちょっとくらいだるくても、仕事のために出かけると考えている。寝ていた方が良いけれど、出かけるのは自分の強い意志であると。
 ところが、あなたがそう思うのはウイルスが脳に侵入して「オマエは外に出かけろ。そしてヒトにウイルスをまき散らせ」と命令されている、というわけです。
 ぞっとするような話ですが、作り事と言い切れない不気味さがあります。

 また、ちょっと本論から離れました。とにかく、ウイルスにとっては宿主を殺しては意味がありません。しかし、免疫力の弱い高齢者や持病のある人は亡くなってしまいます。その間感染したけれど、免疫力が強く発症しない人が徐々に増えていきます。それは家族で風邪にかかった子どもが一人いても、大人にうつらないのと似ています。

 やがて六割以上の人が感染する集団免疫状態になったとき、ウイルスは敗戦を迎える。と言うか、未感染の人間だと思って侵入したら、すでに仲間がいたので「おや、こりゃ失礼」てな感じでしょうか。これも1年から2年かけてその状態に行き着くのではないかと考えられているようです。

 どうやら日本の政府大本営・専門家グループが目指したのは、この「集団免疫」状態のようです。最近イギリス首相が「我が国は集団免疫を目指す」とはっきり宣言したことで「なぜ日本でPCR検査が増えないのか。なぜすぐ病院に行かせないのか。理由はそれだったか」とわかりました。

 もちろん病院に人がたくさん集まれば、感染の恐れが高いし、院内感染が発生すれば、医療が崩壊する。それはわかる。だが、その防御策としては「トリアージ」を採用すればいい。現に大坂は重症者から軽症者、感染しているけれど未発症者まで分けて入院加療、施設隔離、自宅待機などと分ける方針を出しました。また、地域の医院、クリニックも発熱外来と一般に区分けするなどすれば、院内感染を防ぐ事ができるでしょう。
 ところが、政府は「いい方法です。国全体としてもその方針でいきましょう」と言いません。どうも「裏に何かありそうだ」と感じさせる対応を続けてきました。

 日本のPCR検査数は保険適用となり、一日4000件可能になった今でも、一日千数百件にとどまっているそうです。結果、症状が続いているのに、相変わらず医師から保健所、保健所から医師とたらい回しにされたり、医師が「怪しいからPCR検査をしてください」と言っても、断られている。2月末に「なぜ検査が増えないのか調査中」と語っていた厚労相は3月半ばになっても「理由はわからない」と言い続けています

 日本のPCR検査基準は「37.5度の高熱4日以上」が継続されています。保健所・相談センターは忠実にそれを守っているようです。そして、イギリスでは「風邪の症状は7日間自宅待機」です。「病院に来るな、検査はしない」理由は医療崩壊を招かないためというより、自宅待機1週間で自然治癒すれば、免疫保持者一人が完成する。そもそも約八割の感染者はかかっても軽症で終わります。
 結果集団免疫が増えて国民の多数を占めれば、自然と新型コロナも普通の風邪となって終息する……そういう目論見のようです。
 もちろんその間に免疫力の弱い人たちが一体何人犠牲になることか。ゆえに、イギリス首相は「みなさん方の大切な人が多数なくなるかもしれません」と言いました。

 このイギリスのやり方はすでに多くの反対意見が出ています。ただ、イギリスはこの方針をはっきり国民に説明しました。しかし、日本は説明することなく、ひそかにその状態にもっていこうとしているようです。やはり隠蔽体質の大本営だと言わざるを得ません。

 もちろんこの見方は邪推かもしれません。私は日本のコロナウイルス対応をこう解釈しました。これが正しいかどうかは何とも言えません。政府は言うかどうか、専門家はどうか。半年か一年後わかるかどうか……。モリカケ、桜問題を見る限り、真意は明かされないかもしれません。やれやれ。


○ マスク転売禁止法成立

 3月15日ようやく「マスク転売禁止」法案が成立施行されました。違反者は罰金100万円か懲役1年以下とかなり重い。しかし、みなさんはこの法律の成立、どう思われたでしょうか。
 私はかなり遅いと思いました。できたら1月後半。遅くとも2月初めから半ばにかけて立法成立させるべきではなかったか。
 日本のワイドショーがマスクについて最初に騒ぎ始めたのは1月半ばのことです。中国人観光客とバイヤーがマスクを爆買いする姿でした。どうやらその中には日本人の個人か組織の買い占めも入っていたようです。気づいたときには市中からマスクが消え失せ、代わってネット・オークションでマスクが高額転売されるようになりました。
 やがて病院の医師看護士、介護関係など深刻なマスク不足が訴えられるようになっても、まだ政府大本営、国会議員は法制化に動かない……。そのうち元に戻ります、と言い続けてひと月。元に戻ることがないまま「マスク転売禁止」です。なんという遅さでしょうか。

 そして、このていたらくのおかげで、たぶん次回選挙で落選するであろう県会議員さんが炎上しました。そう、マスク売買によって高利益を得た某県議員さんです。
 彼はある意味被害者かもしれません。国が2月初めに「マスクの転売禁止」法案を作っていれば、手持ちのマスクをネットで売りに出すことなぞなかったでしょうから。
 この議員さん、約一ヶ月半に渡るネット売買によって原価数百万のマスクを一千万近い高値で売り抜けました。彼は「自分は転売ではない。仕入れていたマスクを売っただけだ」とまことに素朴な釈明をして、しかし、経営している会社の「社長はやめる。議員は続ける」と言いました。
 テレビ桟敷のコメンテーターは「彼は社長をやめる必要はない。議員をやめるんだ」と語っていました。まことに同感。
 彼は社長としてとても優秀です。機を見るに敏な商人として、江戸時代災害が起こったとき、安く仕入れた米を値がつり上がるまで市場に出さない米商人にも似て、まことに商売上手。その手腕を会社経営に活かすべきです。「悪徳米商人だ」と指弾されても、「金儲けに走って何が悪い」と開き直って構わないと思います。

 しかし、議員とは自分のために生きる人ではない。みんなのために生きる存在です。何よりも弱者のために活動すべき人でしょう。ゆえに、彼には議員の資質はない。どうせ次回選挙で落ちるのだから、潔く辞任すべきでした。
 彼はむしろあこぎな米商人に「弱い人、困っている人のために米を隠匿するな。安く売り出せ」と追及すべきでした。それに成功すれば、庶民は「素晴らしい人だ」と拍手喝采したでしょう。
 もちろんこの場合の正しい選択は「私が以前仕入れていたマスクを無償で県内医療機関と介護施設に提供します」と申し出ることです。そうすれば、彼の議席は死ぬまで安泰だったと思います。

 私がこの話を聞いたとき、悲しく思ったことは「彼は愛されることのない、かわいそうな人だ」という感想です。五十代の彼には奥様、子どもがいるでしょう。ご両親も健在かもしれません。また、学校時代の友人知人、取引先の方々など多数いらっしゃると思います(そうでなければ議員に当選しません)。
 しかし、誰一人「ネットでマスクを高額販売するなんてやめた方がいいよ」と忠告してくれなかったわけです。約ひと月半に渡って。知らなければ仕方ないけれど、知っていても言うことがなかった。家族も言わなかった。あるいは、奥さんかお子さんがそれをほのめかしたとしても「余計な事言うな。問題ないんだ」と一蹴したかもしれません。

 敢えて言います。これが一部優等生の姿です。そして、一読法を学んでいない人が陥る姿です。2月初め、大量に持っているマスクを「しめしめネット販売すれば、むちゃくちゃ儲かるぞ」と思ったとき、「立ち止まって考えてみる」ことがなかった。それを誰かに 相談することなく決めた。もしかしたら、誰かが「それってあこぎじゃない? 議員としてどうかなあ」と疑問を提起していたかもしれません。
 だが、彼が立ち止まることはなかった。彼はお金を得たかもしれない。だが、もっと大切な何かを失った。少なくとも欲しかった議員の身分は金と引き替えに失った……と思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:まだまだ書きたいことがありますが、このへんで。
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