鶴林寺山門

  四国明星の旅


明星の旅2 「鶴林寺(かくりんじ)


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【第2回】   狂短歌


☆ 空海の神秘体験明星の秘密を探る疑似(ぎじ)遍路旅



 明星の旅2 「鶴林寺」


 鶴林寺(かくりんじ) [画像8枚]


 7月13日(火曜)、今私は四国徳島にいる。太龍(たいりゅう)が嶽の麓にある民宿R荘から、宵闇迫る四国の山々を眺めている。
 午前11時前羽田を離陸、1時間後には徳島空港に降り立った。そして、レンタカーに乗って20番札所鶴林(かくりん)寺、21番札所太龍(たいりゅう)寺を訪ね、夕方宿に入った。
 空梅雨の東京は暑かった。しかし、一足早く梅雨明けした四国はもっと暑かった。車の移動だったが、結構歩いた。汗をかいたからか、風呂上りのビールはとてもうまかった(^o^)。

 今日のルートをたどっておこう。正午過ぎ徳島空港でレンタカーを借りると、すぐに市内を走り出した。私は一人だし、ナビを使っての走行は初めてである。やや不安だったが、大通りはどこも片道3車線で悠々と運転できた。今日は一気に太龍(たいりゅう)寺まで行ってしまおうと考えていた。
 今回の行程を八十八カ所札所(ふだしょ)巡りとして考えるなら、21番太龍(たいりゅう)寺の手前には20番鶴林(かくりん)寺がある。だから、流れから言うとまず鶴林寺を参拝すべきだろう。
 しかし、この旅の目的は明けの明星を見ることである。だから、札所めぐりは時間があれば、という程度にしか考えていなかった。それに私は寺社めぐりで必携(ひっけい)の朱印帳(しゅいんちょう)を忘れてしまった。このことも札所巡りを真面目にやる気を失わせていた。だから、札所めぐりはほどほどでいいと思った。

☆ 鶴林寺境内より徳島の山々を望む
鶴林寺境内より望遠

 鶴林(かくりん)寺と太龍(たいりゅう)寺はともに山の頂(いただき)にあり、阿波三大難所の一つと言われている。歩き遍路にとっては急勾配(こうばい)の山道を登って鶴林寺へ至り、山を下って6キロほど歩いた後、また太龍が嶽を登って太龍寺に着く。まさに難行苦行の遍路道である。
 そして、太龍寺山頂には弘法大師空海が「求聞持法(ぐもんじほう)百万遍修行」を行った地――南の舎心が嶽(しゃしんがだけ)がある。
 そこから明けの明星はどのように見えるのか。今晩から明日未明にかけて私の最大目標がそれである。

 6月8日に金星の日面通過現象が起こって以来、金星は明けの明星となって東の空に浮かんでいるはずである。私は何度か夜明け前に起き出し、東の空に明けの明星を探した。しかし、今日まで一度も発見できなかった。
 関西は数日前梅雨明けして天気は良さそうだ。だが、雨はもちろんちょっと曇っただけでも、明星を見ることはできない。果たして明日の未明、明星を見ることができるのか。しかも、最大の問題は深夜空海が修行したその場所へ、一人で無事行くことができるかどうかである。
 ペンライトは用意してきた。しかし、道がどのようになっているのか、全くわからない。だから、私は一度明るいうちに南の舎心が嶽まで歩いて行き、問題ないかどうか確認するつもりだった。
 そこで、今日は他の札所参りは一切やめ、太龍寺だけを目的地としてナビを設定した。私の考えでは55号線のバイパスを小松島まで行き、そこで右折して19号線をまっすぐ太龍寺に向かうつもりだった。ナビもそのルートを取るだろうと(勝手に)決めつけていた。

 55号のバイパスは渋滞もなく軽快に走った。ところが、40分ほど走ったあと、ナビは江田交差点を右に曲がれと指示した。私はナビ付き車を運転するのが初めてなので、なんの疑いもなくナビの指示に従った。車は川(勝浦川?)沿いの道を南下し始めた。
 今どの辺を走っているのかわからない。全体の地図の出し方を知らないので、ナビのままに走るしかなかった。
 その頃午後一時を過ぎていた。私はどこかで昼飯を食べたいと思った。先ほどの55号バイパスにはレストランがあったが、川沿いの道は人家も少なく、食堂はありそうになかった。
 仕方なく私はとあるコンビニでパンと飲み物を買い、車の中で食べた。そのときコンビニのレジで、女性二人連れの一人が20円のおつりに対して、「全部1円玉で下さい」と言っているのが聞こえた。
 私はおやと思った。彼女らは普通の格好だったが、車遍路だろうなと見当を付けた。

 その後ナビはある交差点を左へ曲がるよう指示した。すると道が車一台分の狭い道になってしまった。なおかつふと道路標識を見ると[鶴林寺まで五キロ]とある。なんとナビは鶴林寺を通る道をルートとして選定していたのだ(^.^)。
 ということは太龍寺へ行くには、この狭い道を通って山を一つ越えなければならない。私はちょっとがっかりした。しかし、ここまで来て引き返すのも間が抜けている。それに鶴林寺の向こうには目的地の太龍寺がある。だから、まあこれもいいかと、私は細い道をそのまま走り続けた。
 その後車はくねくね道を登り始めた。道が狭いので、途中対向車に出会ったらいやだなと思った。しかも、かなりの急勾配(こうばい)である。遍路泣かせの難所と言われるだけあって、車でもきついカーブと坂の登りだった(^_^;)。歩き遍路はこの道を歩いて登るのだろうか。
 私はくねくね道をローで走りながら、ここを歩くのは大変だろうと思った。しかし、歩き遍路には一人も出会わなかった(あとで鶴林寺までの遍路道は、別に歩き専用の山道があることを知った)。
 しばらく走った後、[左太龍寺、右鶴林寺]の分かれ道へ出た。鶴林寺までは2キロとある。
 ちょっと迷った。しかし、せっかくここまで来たのだからと、まず鶴林寺を訪ねることにした。

 その後もくねくね道を登り、途中徒歩専用の遍路道も発見して、約10分後鶴林寺に到着した。午後2時近かった。駐車場には数台の車しかなく、蝉が数匹鳴いている程度で、辺りはしんとしていた。杉の大木の間から、遠く近く徳島の山々が見えた。

☆ 鶴林寺山門
鶴林寺山門

☆ 鶴林寺境内
鶴林寺境内

 私は境内へ入り、本堂、隣の三重の塔を拝観した。本堂の前にはなぜか鶴の像があった。弘法大師像もぱちりと撮った。本堂隣の三重の塔は欄干(らんかん)の木彫りがとてもよく見えたので、ここもデジカメで撮りまくった。

☆ 鶴林寺本堂前の鶴
鶴林寺本堂前の鶴像

☆ 鶴林寺弘法大師像
鶴林寺弘法大師像

☆ 三重の塔木彫り
三重の塔木彫り

 三重の塔から本堂へ戻ったとき、ちょうど若い女性が二人――白装束の完全遍路姿でやって来た。案内役なのか、男性も一人いる(あとでここで知り合っただけで、別の組だとわかった)。
 女性二人は本堂の前に立ち、お参りすると般若心経(はんにゃしんきょう)を声を出して読み始めた。

「ハンニャー、ハーラーミーター……シキソクゼークー、クーソクゼーシキ……」

 読経はぴたりと声が揃って、かなり早い詠み方である。そして、まるで鈴が鳴っているかのように、なめらかで美しい声だった。私は思わず聞き入ってしまった。
 私も般若心経をとなえようかと思った。しかし、朱印帳は忘れたし、納め札など何も用意していない。最近空海関連の本を読んでいて、真言(しんごん)は「阿(あ)」と「吽(うん)」だけでも、密教の真理全てが詰まっていると知った。それなら般若心経全部をとなえなくとも、その最後の真言だけでいいかもしれない(^_^;)。
 そこで「ギャーテー、ギャーテー、ハラギャーテー、ハラソーギャーテー、ボージーソワカ」ととなえてお参りした。
 女性二人連れは姉妹だろうか。姿形が似ていないので、友人だろうと見当をつけた。それから私と彼女らは相前後して大師堂にお参りした。二人は大師堂でも般若心経をとなえた。
 私はこれにも聞き入り、思わず背後からデジカメでぱちりと撮った(^.^)。

☆ 鶴林寺大師堂の参拝者
鶴林寺大師堂の参拝者

 おかしかったのはその直後のことだ。石段の所で、私はこれも完全装束の熟年夫婦二人連れとすれ違った。そして「こんにちは」と挨拶を交わした。彼らも本堂で般若心経をとなえ始めた。それが石段から遠ざかる私のところまで聞こえてくる。それはだみ声でとてもでっかい読経だった。かなり遠くまで聞こえてきたからおかしかった。なんだか(仏に対して?)これ見よがしの読経だなと思った。

☆ 太龍寺までの案内標識
鶴林寺遍路道の案内標識

 その他の参拝者数人ともすれ違った。お互いすぐに「こんにちは」の声が出る。知らんぷりの参拝ではなく、なんとなく親しみがもてる。同じ志をもつ八十八カ所巡りとわかるからだろうか。境内の端に次の太龍寺まで進む遍路道の入り口も見つけた。(続)



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