太龍寺寺山門

  四国明星の旅


 明星の旅3 「太龍寺(たいりゅうじ)


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【第3回】   狂短歌


☆ 空海の座像を見つけふと思う修行の場所は聖地なのかも



 明星の旅3 「太龍寺(たいりゅうじ)


 太 龍 寺 [画像11枚]

 鶴林寺をあとにして、私はナビの案内に従って山中の道を下った。坂道をくねくね下っていると、鶴林寺のある山がかなり高いことがよくわかる。
 その途中道のそばの林の中にコンクリ製の鳥居を見つけた。鳥居わきの石柱に「神光本宮山之宮(磐座)」と書かれている。「磐座」にはわざわざ「いわくら」とふりがなが振ってある。磐座(いわくら)とは、修験道の聖地によくある巨大な岩の固まりのことだ。大きいものは高さ数十メートルもある。

☆ 「磐座(いわくら)を示す鳥居」
鳥居(磐座)

 神光本宮(じんこうほんぐう?)とは初耳だった。私はなんとなく気になって車を降りた。
 鳥居をくぐってちょっと歩く。道らしき道もなく小さな瀬があった。その上流に神社があるのかもしれない。しかし、道は整備されていないし、わざわざ磐座と断っているから、単にむき出しの大岩があるだけなのかもしれない。行ってみたい気もしたが、どれくらい時間がかかるかわからない。私は小川で手を洗っただけで車に戻った。

 その後19号に出た。ちょっと道に迷って太龍(たいりゅう)が嶽麓の川近くをうろちょろした(^_^;)。しかし、なんとか太龍が嶽ロープウェーとは反対側の麓まで到着した。
 寺へは一本道なので、宿泊予定の民宿R荘もすぐに確認できた。
 宿周辺は山々が連なっている。太龍が嶽は標高六百メートルほどの山である。しかし、付近の山々はどれもみな似たような高さの山ばかり。車が進む方角に太龍が嶽があるはずなのに、どの山なのか見当も付かない。
 空海はどうしてこの数ある山の中で真言百万遍の修行地として太龍が嶽を選んだのか。それは司馬氏も『空海の風景』の中で書きとめていた疑問である。ここで見る限り、確かにそれはどの山でもいいように思える。

 歩き遍路はR荘前の道路を歩いて太龍寺まで登る。私は寺の駐車場が山腹にあることを知っていたので、車でそこまで行くことにした。走り初めてその道も一車線の一本道であり、がたがた道であることがわかった。私は対向車に出会いたくないなと思いながら進む。一度だけやや広いところで対向車と遭遇した(ラッキー(^o^)。
 10分ほど走ると駐車場に着いた。辺りは杉林の山中である。車を止めて見ると、「ここから太龍寺まで1キロ」の標識がある。私は山道を登り始めた。車一台充分通れる舗装道路だが、傾斜が結構ある。大粒の汗がすぐ噴き出した。同じ頃駐車場に着いた軽トラの運ちゃんと、歩きながらちょっと話した。彼は散歩だと言う。私は早足で歩き彼を置き去りにした。

 この道の山側には数メートル間隔で小さな石組があり、それらがまるで仏像のように固まって置かれている。大は30センチから小は10センチほど。赤い布が巻かれて石仏に見えるものもある。うすく顔が掘られた石塊もあった。その前にはナイロン製のかごが置かれ、1円玉が何個か入っている。5円玉もあった。
 それが数メートルの間隔でずっと続いている。賽(さい)の河原の石組みのようでもある。近くの人のなしたことか、参拝者が行ったのか。いずれにしても歩き遍路の思いがこめられているような気がした。
 残り1キロの標識が、残り800、600となり、400、200となって、20分ほど歩いて仁王門(扁額には舎心(しゃしん)門とあった)に着いた。門の前にはアジサイの花が咲き誇り、近くには鶴林寺からの遍路道(これは土の山道)も発見した。

 私は仁王門を入り、さらに登って六角経蔵、本堂、大師堂、求聞持(ぐもんじ)堂へと進んだ。
 太龍寺のいわれを説明する案内板には「神武天皇東征のときこの地で通夜して云々」とあり、なぜか気になった。それから本堂、大師堂を参拝して「ギャーテー、ギャーテーハラギャーテー……」の真言をとなえ、デジカメを撮った。

☆ 「太龍寺本堂」
太龍寺本堂

☆ 「太龍寺大師像」
太龍寺大師像

 本堂を少し下ったところにはロープウェー乗り場がある。白装束の団体さんがそちらへ向かっている。ロープウェーはさらに山の上へと登っていた。
 太龍寺のある場所はまだ頂上ではない。空海が求聞持法を修行した場所は舎心が嶽山頂である。そして、そこの断崖上に空海の座像が置かれている。私はそのことをガイドブックやホームページで確認していた。

☆ 舎心が嶽までの案内標識
舎心が嶽、遍路道の案内標識

 ロープウェーの先に[舎心ヶ嶽――弘法大師御修行地――六八〇米]の案内標識があった。ロープウェーはそちらの方向に登っているから、一般遍路はロープウェーで行くのだろう。
 ロープウェーの時間を確認してみると、午後六時が最終だった。私は深夜ここまで来て、その道を歩かねばならない。だから、当然のように歩くことに決めた。それにしても、この山の中で空海が修行した場所をどうやって確定したのだろう(^_-)。山頂なら一つしかないから、わからなくはないが。

 少し進むと未舗装の山道となった。左は山腹でなだらかな崖となっている。しかし、道がそこそこ広いので、安心して歩ける。そして、ここでは道の右側に立派な石仏が数メートル間隔で置かれていた。
 こちらは高さ1メートルの台座に座り、石仏の高さは数十センチ。最近の寄進らしく新しいのが多い。仏像の種類としては、最も多いのが薬師如来で、大日如来や阿弥陀如来、不動明王などもあった(石仏の形を見てただちにその名がわかるほど私は仏教に詳しくない。みな名が書かれていたのである(^_^;)。
 この登りは結構きつかった。十数分歩くと道が左右に分かれた。右側には軽トラが1台止まっている。人はいなかったが、何か作業をしているようだ。その先には道がなさそうである。ロープウェーは頭上をさらに登っていく。その案内放送がもれ聞こえてくる。まだまだ頂上は上のようだ。
 私は左側の道を進んだ。すると、すぐに祠がいくつかある場所へ出た。その先には緑の苔むした岩がむき出しになっている。それはおやと思うほど美しかった。意外にきれいな岩場じゃないか、と思って左を見れば、目の前が開けて遠く山々の稜線がくっきりと見える。そして、目の前数メートルの所に断崖ふうの岩場がある。

☆ 「舎心が嶽岩場」
舎心が嶽

 これは絶景じゃあないかと思って眺めた。すると絶壁の先端に座っている人の姿が見えた。坊主頭とその背中が見える。あれっと思ったら、なんとそれが空海座像だった。いわれを説明する石碑もあり、立ち入り禁止のロープもある。なんとここが正しく空海修行の場所、南の舎心が嶽(と見なされている場所)なのであった。私はまだ頂上ではないのに、妙だなと思った。

☆ 「舎心が嶽解説石碑」
舎心が嶽解説石碑

 空海座像は遠く徳島の連山を眺めるように座っている。「求聞持法(ぐもんじほう)真言百万遍」の修行は、東の明けの明星を見ながら行われる。おそらく空海座像は東を向いているのだろう。
 説明の石碑には求聞持法の真言[のうぼう、あきゃしゃ、きゃらまや、おんありきゃ、まりぼりそわか]も書かれていた。この真言を百万遍となえることで、記憶力が増し、お経をいともたやすく暗唱できるという。
 私は今までこの真言を覚えようと何度か試みたことがある。ところが、情けない事に、何度やってもこの真言自体を覚えられなかった(^_^;)。

 このとき私には奇妙な驚きがあった。ロープウェーはまだ山の上に向かっている。だから、空海修行の場はもっと先、もっと上だろうと思っていた。そのせいか断崖上に座像を発見したときはちょっとどきっとした。ドラマ風に言うなら、その断崖絶壁に本当に空海が座っているかのような錯覚にとらわれた――とでもなるだろうか。
 その岩場は東と南に開け、空をしっかり見渡せる場所だった。断崖絶壁だから、普通の人は恐ろしいと思うかもしれない。しかし、私にはそこが美しい場所に見えた。この山中でここはちょっとした聖地ではないかと思った。

 この間参拝者も観光客も誰もやって来ない。断崖の突端までは岩場が十メートルほど続いている。ロープが張ってあり「立ち入り禁止」の札がかけられている。しかし、岩場の先端まで伝って行けるよう、補助の太いロープがかけられている。
 以前あるホームページで、空海坐像の所まで行って写真を撮ったとあるのを見たことがある。そこで誰も来ないし、私も崖の先端まで行ってみることにした(^.^)。
 足場はしっかりしているが、さすがに岩場に登って震えが来た。なんとかロープを伝ってその座像までたどり着いた。前から撮影する勇気はなく、かろうじて横と後ろから撮った。

☆ 「空海座像」
空海座像

☆ 「空海座像」より望遠する山々
空海座像より望遠する山々

 だが、ここまで来て私は確信した。空海はきっとこの断崖絶壁の場所で、真言百万遍の修行をしたに違いないと。この岩場はとても美しい場所であり、東に開けているし、真言百万遍修行の場所として最適だと思った。

☆ 「大師像のある岩場」
大師像のある岩場

 それからまたロープを伝って先ほどの道まで戻った。ここはまだ頂上ではない。さらに少し登ったところが最も高いようだ。登ってみると、そこには小さな祠があり、標識に「天照皇大神」とある。
 このとき私はこれを読めず、「てんしょうこうたいしんって誰だっけ?」とつぶやいていた(^_^;)。

 この間30分ほど。依然として観光客やお遍路さんは一人も現れない。私は妙だなあと思いつつ、山道を引き返すことにした。今度は石仏を左に見てずっと道を下る。山門やその他の道が閉じられなければ、深夜この道を通ることはそれほど難しくないと思った。

 下りは早く、10分もかからずにロープウェー乗り場に着いた。この間も全く人と出会わない。ロープウェーの受付ねえさんに聞いてようやく謎が解けた。
 ロープウェーはここから上へ昇っているが、その頂点からさらに下って麓へ降りているという。つまり、あの上にさらに乗り場があるわけではなかったのだ。だから、空海修行の場に行くにはここから歩くしかなかった。道理で人が来なかったわけだと納得(なっとく)した。
 その後私は帰り道を(深夜歩いてつまずくことはないか(^_^;)しっかり確認しながら下っていった。歩きながらこれなら深夜でも一人でやって来られると思った。天気も良さそうだし、いよいよ明日未明、明けの明星を見に来ようと決めた。
 今年明けの明星が最大光輝となるのは7月15日である。明日未明はその前夜となる。果たして明けの明星はどう見えるのか。私はわくわくするような気持ちだった。

 真言百万遍修行とは、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の真言――「ノウボウ、アキャシャ、キャラマヤ、オンアリキャ、マリボリソワカ」を百万遍となえる修行である。1日1万回なら100日、2万回でも50日かかる。修行者は一人っきりでその真言をとなえる。室内の場合は東か南に穴を開け、月や明けの明星を見ながらとなえるらしい。明けの明星は虚空蔵菩薩の化身とされている。
 今回四国へ来る前、私には一つの疑問があった。それはなぜ空海が四国東岸に数ある山の中で、この舎心が嶽を選んだかである。司馬遼太郎氏も室戸岬とあわせてその理由がわからぬと嘆いていた。
 空海が修行のため四国最大の山である石鎚(いしずち)山に登ったことは記されている。しかし、太龍が嶽は標高六百メートル弱の低い山。それほどの山はこの近辺にいくらもある。もちろん求聞持法(ぐもんじほう)百万遍の修行のためであることは間違いない。だが、他の山ではなく、なぜ舎心が嶽だったのか。それは私にとっても大きな疑問だった。

 だが、ここへ来て私にはその謎が解けたと思った(^O^)。
 それは真言百万遍の修行をするには、ここが最適の聖地であることだ。あの舎心が嶽山頂の東南方向に開けた岩場。その断崖絶壁は険しく厳しい。しかし、私はある意味美しいと思った。そこからは当然明けの明星が見えるだろう。そして、空海は他の修験者(しゅげんじゃ)からこの山のことを聞いたのではないか。

☆ 「大師像のある磐座(いわくら)―別角度で―」
大師像のある磐座

 修験道の聖地を表す言葉として「磐座(いわくら)」というのがある。高さ数十メートルの巨大な岩場がむき出しになっている所である。修験者はそこで修行に励む。太龍寺のいわれを説明した文には、神武天皇東征の折云々とあった。修験者にとって舎心が嶽山頂のあの場所は、ある種「聖地」として知られていたのではないだろうか。
 真言百万遍の修行は最低でも2ヵ月から3ヵ月かかる。だから、石鎚(いしずち)山のように高すぎる山はふさわしくないだろう。しかも、その場所は明けの明星を見るため、東か南に開けていなければならない。私にはこの付近の山々にその条件にあてはまる所があるかどうかわからない。しかし、太龍が嶽のあの場所は真言百万遍の修行をするには、最適の場所だったのだ。

 その後帰り道の途中「北の舎心が嶽」とある看板を見つけた。私はそこまで行ってみた。数分で着いたが、ここも裸岩の断崖絶壁で、かなり見晴らしがいい。小さな祠があり、案内板には「八大童子」と書かれていた。「北の」とあるくらいだから、見渡せるのは北方向であろう。空海はここでは真言百万遍修行はしないだろうなと思った。

☆ 「北の舎心が嶽」(ここも断崖絶壁の磐座)
北の舎心が嶽

 駐車場まで戻ると、またくねくね道を下って宿に着いた。R荘の泊まり客は私一人だけだった。
 おかみさんが二階の部屋に案内してくれる。廊下は熱がこもってむっとする暑さだ。民宿だからエアコンがないのではと案じていた。だが、部屋はエアコンが効いており、ほっとした。
 私はすぐおかみさんに「明日の朝、日の出を見に行きたいが」と申し出た。
 おかみさんは驚きながらも、「ドアは自動で電源は切るが、カギはかけないので手で開けられますよ」と答えた。
 ラッキーと思った。さすがに明けの明星を見に行くとは言いづらかった(^.^)。

 それにしても登ってみて思った。舎心が嶽は小山じゃなかったなあ……。(続)



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