西安宵の明星

  西安宵の明星旅



西安宵の明星旅 その3


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【その3】 狂短歌


☆ 兵馬俑(へいばよう) 突如目覚めし騎馬軍団 いまだ土中に眠れるもあり   




 ようやく春めいてきました。桜の便りも聞かれ始めたこの頃です(^o^)。

 先日友人と組んでいるバンドで介護老人ホームを慰問しました。
 入所者のお年寄り三十人ほどが聴衆ですが、認知症の方が多い施設です。
 さすがに最近の曲(と言っても二十数年前の准懐メロ(^_^;)は聞くだけですが、さらに昔の懐メロになると結構合唱が起こります。

 終わり頃「♪わッか〜くあかるい歌声に〜」の『青い山脈』を歌い終わったとき、一人の看護士さんが涙ぐんでいました。
 けげんな顔を示すと「失語症で今まで全く喋らなかった人が初めて歌ってくれた。それが嬉しくて」と言います。
 また、終始ぶすっとして不機嫌な顔つきの方が歌い終わって笑顔を見せることもありました。
 歌うってほんとにいいことなんですね(^_^)。

 さて「西安宵の明星旅」連載3回目です(^_^)。

 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 兵馬俑(へいばよう) 突如目覚めし騎馬軍団 いまだ土中に眠れるもあり

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 (^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)

 3【 兵馬俑の偉容 】[画像 9枚]

 西安初日の朝、六時半頃M氏が起きだしてごそごそし始めた。
 当初の予定では八時出発だが、前夜遅かったこともあってガイドのホーさんは出発を一時間遅らせてくれた。
 私は七時過ぎまで寝ていたかったが、その前に起こされてしまった(^_-)。
 まーM氏は朝が早いので、いつものことである。

 私はまだ起きたくなかったけれど、M氏は「雨が降ってるぞ」と言う。
 さらに「遺跡がある」とも言う。「いせきぃ〜?」
 遺跡が見えると聞けば、起き出さずにおれないのが私である(^.^)。

 ベッドを出て寝ぼけ眼で外を見ると、確かに窓の外――直線距離にして一キロくらいのところに、土色の塔が立っている。七重か八重くらいの古ぼけた塔だ。

 私はその形からすぐに《小雁塔(しょうがんとう)》だろうと思った。小雁塔がホテルの西側にあることを地図で確認していたからだ。
 しかし、これほどはっきり見えるとは思いもしなかった。
 と言うことは、我らの部屋が西に開けていることを示している。
 と言うことは、宵の明星が見える可能性が高まった。これはいい徴候だと思った(^_^)。

 前夜は私もM氏もずいぶん蚊に悩まされた。この日の朝も刺されたし、見つけて二匹殺した。
 さすがに殺虫剤は持参していない。フロントに頼みたいけれど、中国語はもちろん英語でもなんと言ったらいいのかわからない。「モスキット・キラーだろうか」などと馬鹿な会話を交わしつつ、結局ホーさんに話すことにした。

 外は曇天で弱い雨が降っている。M氏は折り畳みの傘を持ってきたという。
 私は持って来なかったが、まーどこかで買えるだろうと思った。

 七時半頃一階のレストランでバイキングの朝食。まずまずの味だった。
 日本人らしき人たちがたくさん見られた。欧米系の外人さんも多い。小学生くらいの子どもを連れた家族や十代の少年少女もいた。七月だから外国ではもう夏期休暇が始まっているのだろう。

 九時前ロビーに降りた。ここでまず最初のアンラッキーがあった。
 ツアー同行者の男性が二、三名同じ傘を持っているので、聞けばホテルの貸し傘だという。
 それはいいと受付へ行き「アンブレラー、アンブレラー」と言った。
 だが、全く通じない。ホーさんを呼んで通訳をお願いした。
 すると傘はすでに貸し出し終了だった。仕方ないとあきらめた(-_-;)。

 だが、結局この後小雨になり、午後はからりと晴れ上がったので傘は必要なかった。
 置き忘れる怖れがなくなくったので、私にとってはラッキーに変わったからおかしい。

 さて、今日のメインは玄宗皇帝と楊貴妃の離宮《華清池(かせいち)》、そして兵馬俑(へいばよう)大雁塔(だいがんとう)参拝である。
 兵馬俑は西安観光の目玉と言っていいだろう(^_^)。
☆ 兵馬俑1号館全景
兵馬俑1号館全景

 九時過ぎ二十三人が乗り込んでバスはホテルを出発した。市内を東へ向かう。
 この日は日曜日だからか人の往来が少ない。しかし、車はやけに多く、片側三車線の道路をひっきりなしに行き交っている。バスやタクシーが特に目立った。

 市内は驚くほど信号が少ない。それだけでなく信号のある交差点が赤信号でも、人々は平気で交差点を横切る
 さりげなく歩き出し、車の間を縫うようにして渡りきる。もちろん信号が青になるのを待つ人もいる。「赤信号みんなで渡れば」と言うくらいだから、数人で固まれば怖くなさそうだが、一人でもお構いなく歩き出す。車も承知しているのか全くクラクションを鳴らさない。

 みながあきれていると、ホーさんが
「事故はほとんどありません。でも渡るには勇気がいります」と言った。
 そりゃーそうだ(^.^)。

 約一時間後《華清池》に到着した。移動中は雨が降っていたが、この頃になるとほとんど上がって時折ぱらつく程度だった。
 《華清宮》と大書された門をくぐると、すぐきれいな池がある。池は浅く大理石のような底面で、色が塗ってあるのか水面は美しい緑色をしている。その背後には借景のようにこんもりとした小山がある。いい景色である。夜にはライトアップされるという。
 想像以上に観光客が多い。ホーさんが「ここには欧米の人は来ません。来るのは中国人と韓国人、日本人ですね」と言った。玄宗皇帝と楊貴妃のロマンをよく知っているからだという。
☆ 華清池
華清池

 樹木のそばを通って温泉遺跡へ向かう。ザクロの木に実がなっている。青いリンゴも実っていた。太さ二十センチほどの柿の木は接ぎ木の跡がはっきり見えるので珍しいと思った。

 華清池とは玄宗と楊貴妃の温泉療養地だったところだ。楊貴妃専用の風呂に、お二人専用の風呂もある。また、露天風呂もあり、足裏マッサージのように湯が噴き出す仕組みもあった。

☆ 華清池浴場
華清池浴場

 ここで私はトイレの内部を撮影した(^.^)。これから名所旧跡を訪れたら、トイレを撮影しようと決めたからだ。

☆ 華清池のトイレ(御浄軒?)
華清池のトイレ  日本を発つ前西安を紹介するホームページをいろいろ眺めた。どれもこれも似たり寄ったりで、兵馬俑(へいばよう)のオンパレードだった。
 しかし、中国と来ればトイレが顰蹙(ひんしゅく)ものとして有名である。個室専用のドアがなく、さらし者のような格好で用を済まさなければならないと聞いたことがある。
 いまはどうなのか。そう思ってトイレを撮っていこうと決めたのだ。
 ホームページで自分らしさを出したいと思ったからだが、それを公開すればもっと顰蹙ものかもしれない(^_^;)。
 さすがに王の遺跡だからか、ここのトイレはきれいだった。個室もしっかりドアがあった。

 華清池には一時間ほど滞在した。それからバスに戻り秦の始皇帝陵へ向かう。これは車窓からの見学となる。
 始皇帝陵はいかにも古墳らしいゆるやかに盛り上がった小山で、石段があって人が登っていくのが見えた。
 日本のホームページでは「単なる丘だ」とかで評判はかんばしくない。
 しかし、私は古代の気を感じる――などと思う方だから、本当は山頂まで行ってみたかったところだ。
☆ 始皇帝陵
始皇帝陵

 始皇帝陵から五分ほどで兵馬俑(へいばよう)の巨大駐車場に到着した。

 降りる前ホーさんは物売りについて注意した。かなりしつこく土産物をすすめるが「無視してほしい」と言う。
 また、だましのようなテクニックについても語った。
 たとえば、兵馬のミニチュアセット六体入りの箱を見せ「千円、千円」と言って押しつける。
 一箱千円なら安いと思って買うと、中の一ヶだけを取り出して渡すそうだ(-_-;)。
 ホーさんもその手にやられたことがあるという。「だから気を付けてほしい」と言った。

 兵馬俑には十一時過ぎに着いた。まだ雨がぱらぱら降ったりやんだりする。
 しかし、傘はなくてもなんとかなる。我々は長い小道を歩いて1号館へ向かった。
 その後2号館、3号館と見学した。

 まずはガイドブックなどで有名な1号館。巨大な体育館の中、むき出しの遺跡という雰囲気だ。
 ずらりと並んだ等身大の兵士はさすがに壮観である。最前列だけでも百体以上はありそうだ。
 また、後方にはこれから並べられる予定の兵士達がずらりと立っている。馬も四頭あった。
☆ 兵馬俑1号館(最前列の兵士を横から)
兵馬俑1号館(最前列の兵士を横から眺めて)

 ここで意外な一面も発見した。遺跡の中央部は未発掘で、兵士や馬がぐちゃぐちゃに埋もれているのだ。
 ホーさんによると「兵士一体一体も土器や陶器のように発見当時は壊れており、それを組み立て直した」とのこと。
 私は兵士がそのままの姿で発掘されたと思っていただけに意外だった。
☆ 兵馬俑1号館後方(出陣を待つ兵士のよう)
兵馬俑1号館後方

 その後目下発掘中の2号館を見学した。2号館も巨大体育館だが、中は照明が少なくかなり暗い。
 まだ発掘途中で、兵馬などに色が付いている可能性があるので、暗くしているという。
 また、3号館は掘り出した馬と馬車がメインの展示場だった。
☆ 兵馬俑2号館(発掘中)
兵馬俑2号館(発掘中)

 全体を約一時間ほどかけて見学した。ぞろぞろと駐車場へ戻る途中、一人の同行者は別行動を取っていることがわかった。その男性は中国語がわかる人で、勉強のため中国人ガイドを雇って各館を回っているらしい。
 我々は入口のところで、その人が戻るのを待った。ホーさんは携帯電話で呼び出していたが、ほどなくガイドと語りながら現れた。空港で現地係員と中国語で話していた男性だった。

 その後瑪瑙(めのう)土産物店へ行く。瑪瑙や翡翠(ひすい)のアクセサリー製造現場を見学した。そしてお定まりのアクセサリー売り場に連れて行かれる(-.-)。

 女性陣は結構熱心に眺めていたけれど、私やM氏はアクセサリーに興味がない。仕方なく壁際に置かれた大仰な彫刻物を見て回った。高さ一メートル前後で樹木・山水や虎、龍などが精緻に造形されている。  「すごいね」などと感嘆の声を上げていると、男性店員が寄ってきて日本語でいろいろ解説してくれた。それら高額商品の値段を円に換算してみると数千万円もする。買わないとわかっているだろうが、仕事だから付いて回るのだろう。
 私は「ぽんと一つ買いますと言えるような身分になりたいもんですね」と言った(^.^)。
 店員も笑っていた。

 瑪瑙(めのう)店を出ると、レストランで昼食。西安市内初の中華料理である。まずまずのおいしさだった。
 予想通り皿がどんどん出てくる。最初はうまいうまいと食べているけれど、そのうち満腹状態となる。それでも皿が出るのが中国レストランだ。これに付き合っていると大変なことになる。
 私は北京で食べ過ぎて下痢を起こした体験があるので、その後は腹八分目に抑えることにしていた。
 ここでもトイレの中を撮影した。レストランだからさすがにきれいなトイレだった(^_^;)。

☆ 大雁塔(だいがんとう)
大雁塔  その後市内へ戻り、大雁塔を見学した。大雁塔は大慈恩(だいじおん)寺の境内に建っている。
 このころになると雨は完全に上がり、じりじりと太陽が照りつける。ものすごく暑くなった。
 しかし、日本のように真っ青な空ではない。雲は全くないのに、薄い水色の空である。太陽もぼんやりかすんでいる。それでいて日の光だけは強烈である。

 まずは大雁塔をバックに全体の集合写真。その後寺専属の女性ガイドが案内した。彼女も日本語がうまい。
 私は大雁塔に登りたかったので、ホーさんに聞くと「余裕がない」という。
 ところが、ガイドは境内を案内した後ある部屋へ連れて行き、そこで「掛け軸を買ってほしい」といつもの押し売りである。
 その説明やら何やらで三十分も時間を取られた。中国格安ツアーの宿命みたいなもんだが、正直うんざりである(-.-)。

 それでも、我々は真面目に押し売りに付き合った(^_^;)。
 部屋には壁全面に掛け軸が掲げられていた。ガイドが勧める掛け軸は先代の管長である普慈(ふじ)法師の揮毫(きごう)である。法師はすでに亡くなっており、遺筆と言うべきか。「仏」「和」の一文字や「一期一會・日々是好日」などがあった。確かに達筆ですばらしい毛書である。

 ガイドは「先日日本人が大量に買っていった」という。そのときの値段は一本十数万円だが「今日は一つ六万で提供したい」と一気に下げた。寺院改修費のお布施も兼ねているので「ぜひ」という。
 みんなちょっと顔を見合わせる。まけたと言っても、六万となればかなり高額である。

 以前父と北京に行った時、あるお土産屋で父が掛け軸を三本買ったことがある。
 それが最初は一本1万円で父はどうしようかと迷っていた。店員はそれを見て「二本で1万」と言った。父が「うーん」とうなると、店員は「それなら三本で1万」まで下げた。さすがに父は買ってしまった。
 土産店では定価などあってなきがごとしである。お寺でも同じことをやるのだから参る。これもまー中国式販売法ではある。私は早めに抜け出して外で待った。

 しかし、興味を引かれた人もいるようで、一人年輩の女性が買ってくれた。
 彼女は掛け軸入りの箱を大事そうに抱えてバスに戻ってきた。聞けばさらに五万にまけてくれたと言う。
 ツアー同行者の我々にとっても、ありがたいお客さんである。私は買わないけれど、誰か一人でも買ってくれるとほっとする。なんとなくその後のサービスが違うような気がするからだ(^_^;)。

 その後五時頃ホテルへ戻った。ホーさんによると六時からホテルで夕食、その後南門近くにある屋台へ行くという。(続)


 ○ 兵馬俑 突如目覚めし騎馬軍団 いまだ土中に眠れるもあり


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:昨日(3月24日)はWBC、侍ジャパンの優勝――やりましたね(^_^)。
 最後は涙が出そうになるほど感動しました。ちまたでは「日本のピッチャーはいいけれど、豪快野球のアメリカ、キューバ、韓国その他に対して日本はちまちま野球。今回の優勝は無理では」と言われていた(私もそう思いました)だけに、予想をくつがえしての優勝は素晴らしいと思いました。
 今回のキーワードは「粘りと我慢」でしょうか(^_^)。
 剛速球ピッチャーに対してしつこくファールで粘る、フォアボールで塁に出る、単打でこつこつつなぐ。そして原監督は不振のイチローを我慢して使い続ける……(^.^)。
 結果、最後の最後でそのイチローが勝ち越しヒットを打って優勝しました。
 あれってヤクザ映画とか空手チョップの力道山(古い?)に似て我ら日本人が最も好きな流れですね。前半はひたすら耐えに耐え、最後に爆発して勝つってやつです(^.^)。
 我らに勇気と粘りと我慢と爆発を教えてくれた侍ジャパンに感謝です。
 ありがとう。そして優勝おめでとうございます(^o^)。(御影祐)



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