【その9】 狂短歌
「西安宵の明星旅」連載9回目です(^_^)。今回は前号の記憶が薄れないうちに発行いたします。
東西南北四つの門の城壁上でレンタサイクルは三ヵ所で営業されていること。レンタサイクルのない唯一の門が西門であること――それを調べて行かなかったのは私のミスですが、一体なぜと思って中国当局や業者を責めたい気持ちになりました。また、確率四分の三の賭けに負けたことになり、自分の不運を呪いたい気持ちにもなりました。
しかし、城壁上を歩きながら、私はあることに気づいて一気に気持ちが明るくなったのです(^.^)。
今号はその心理の流れを書きました。前号と今回が西安旅のメインです。
(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 西安の目的それは歩くこと 貫徹せよと天が教えた
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(^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)
城壁上を南に歩き始めて十分……二十分、石畳の上をてくてく歩いた。
薄曇りで日差しは少ないのに、日本のかんかん照りのように暑い。甘い緑茶も次第にぬるんでくる(-.-)。
☆ 歩きつつ西門楼閣を振り返る
時折自転車に乗る観光客が遠くから近づき、私とすれ違う。あるいは背後から私を追い抜き、軽快に南へ走って行く。正直うらやましい。
若い二人連れの男女は喋る言葉から中国人とわかる。新婚旅行だろうかこぎれいな格好だ。
白人系は家族連れが多い。子どもと親が自転車の前後に乗って二人でこいでいる。
すれ違うとき、後ろの子がちらりと私を見た。ハローと言う気はしない。向こうも声をかけることはない。
なにしろ見渡す限り歩いているのは私だけだ。
なんとなく好奇の視線を感じて自分が間抜けに思えてくる(--;)。
しかし、しばらく歩いて私はふとあることを思い出した。
自分は今日一日、空海の心情を体感するため市内を歩くと決めたのではなかったか。
私はガイドのホーさんに言った。「とにかく小雁塔から大雁塔のあたりを歩き回ります。それが今日の目的なんです」と。
ところが、城壁の上を自転車で走れるとわかったとたんに、私は自転車に乗ろうとしたのだ。
考えてみれば天は――自然は、私に城壁上を歩かせる方を選択させているではないか(^.^)。
私は朝ホテルを出てからの流れを振り返った。
まず北へ進み、南門を通って清真大寺を目指した。途中鐘楼と鼓楼に登り、思いがけず伝統技芸を楽しんだ。
それから西へ向かい、清真大寺を行き過ぎて西門まで来た。そこまでは当初の目的通りひたすら歩き続けたのだ。
ところが、西門を上がり、レンタサイクルがあると知ったとたんに、その目的を忘れてしまった。自転車に乗って楽に城壁上を移動したいと思ったのだ。
そして、間の悪いことに西門ではレンタサイクルが営業されていなかった。結果、私は歩かざるを得なかった。
だが、歩くことは今日の目的そのものである。つまり天は――あるいは自然は、あたかも「自分の目的を達成しなさい、当初の計画通り進みなさい」と言わんばかりだ。今日一日歩くと決めたのは他ならぬ私自身だったからだ。
しかも、私は水分を得た。それも甘みを含んだエネルギー源だ。これもまたラッキーな恵みと言えるかもしれない。
西門上には売店も自動販売機もなかった。だから、このペットボトルを持っていなければ、おそらく歩こうと思わなかっただろう。人力車を頼って南門へ行き、自転車に乗って城壁を一周したに違いない。あるいは、西門を降りて別のルートを考えたり、昼食にしたかもしれない。
だが、私はペットボトルの水分を得た。だからこそ、城壁上を歩こうと思えたのだ。
このとき空海のことも、今日一日歩こうと決めたことも私の脳裏になかった。ただ、自転車に乗って城壁上を一周したいと思い、そのためには南門まで歩くしかないとあきらめたのだ。
考えてみれば、市内を歩き回ると決めたのは私自身であり、この苦しみは自分で選んだものだ。
そして、天や自然はその通り私を追い込んだのだ。私は確率四分の三の賭けに負けたと思ったけれど、歩くという目的を貫徹するには、この確率四分の一の道は、むしろ喜ぶべき《負け》だったと言えるかもしれない(^.^)。
これは自分の生き方とも関係している。
私は安定した教員生活をやめ、確率四分の一以下の小説を書く道――それもなかなか理解されにくい新しい考え方を書く物書きの道へ進むと決めた。
それが自分で選んだ道なら、苦しいのは当たり前で、だからと言って安易な道へ進むことは自分の本意ではない――私はそう思って生きてきた。ならば、この目的を貫徹すべく歩き続けるのは当然のことではないか。
この思いに至ったとき、私はようやく元気を取り戻した(^_^)。
不思議なことに、ここで確率四分の一を選択したことに感謝したいような気にさえなった。
それからはのんびりと、そして気楽に歩くことができるようになった。
時折すれ違う自転車組の「なーに歩いてんだか」の視線も全く気にならなかった。
石畳を振り返って写真を撮ったり、城壁の端まで行って城外の景色や外堀を撮ったりした。
暑いけれど飲み物はある。私は甘い緑茶をちびちび飲みながら景色を楽しんだ(^_^)。
☆ 西南の角より南門を望む(楼閣上部が小さく見える)
そして、歩きながら古(いにしえ)の気を感じ取ろうと思った。
この城壁は明代のものだから、空海が訪れた唐時代の城壁そのものではない。だが、これとほとんど同じ規模の城壁をはさんで何度も何度も戦争があったのだ。この高さと幅を持つ城壁を突破するなんてほんとにすごいことだと思う。おそらく数十万人対数十万人の闘いだろう。項羽と劉邦、モンゴル、チンギスハーンの侵攻と制圧。想像を絶する壮大なスケールだったと思う。
やがて、西南の角までやって来た。そこは端が少しはみ出すようになっている。
一休みして東を見通す。南門の楼閣は全く見えない。さらに数キロはありそうだ。
☆ 城壁上空を舞うタコ
またてくてく歩き出す。このあたりはほんとに静かだ。まるで都市の中の空中散歩と言った趣である。
ちょうど真ん中くらいにやって来たとき、上空に揺らめく凧を見出した。男性が一人城外の歩道から揚げていた。これもぱちりと撮った(^_^)。
☆ やっと南門の楼閣が見えてきた
さらに二十分ほど歩いてようやく南門へ到着した。
もう自転車に乗って城壁上を一周しようという気持ちは消え失せていた。
今日は一日歩くと決めた。それを午後も実行しようと思った。
☆ 南門のレンタサイクル
○ 西安の目的それは歩くこと 貫徹せよと天が教えた
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:アメリカの話題を一つ。日本では総選挙と覚醒剤のニュース一色であまり報道されていませんが、今アメリカではオバマ大統領がある法案成立に苦しんでいます。それは医療保険の国民皆保険化法案です。
日本では当たり前のように実施されている医療皆保険ですが、アメリカでは違います。中流階級以上は企業や保険会社の医療保険に加入しているから、国民皆保険を必要としているのは約四分の一の貧困層です。中流層は実質増税となる法案に反対で、野党共和党が「これは自由を失う。社会主義政策だ」とあおっています。それを聞いて「そうか日本の医療保険制度って社会主義だったんだ」と改めて実感しました。
反対感情の根底に「なんで俺たちがあいつらのめんどうをみなきゃならないんだ」があるのは明らかでしょう。大統領や民主党は「みんなで支えよう」と言いますが、法案成立が危ぶまれています。
このでんでいくと、今回民主党がマニフェストで示した甘い公約は、子育て教育支援・高速道路無料化・年金一元化などみな社会主義的政策ですね。かつてなら社会・共産両党くらいしか掲げなかった政策でもあります。つまり、子育て・教育・高速道路などをその該当者だけでなく「みんなで支えよう」という発想です。
アメリカではその考え方に対して露骨な反対感情がわき起こったわけです。しかし、日本ではそうでもありませんでした。「税金の無駄遣いを正すことで増税はしない」という公約が効いたからでしょう。つくづく思うに「みんなで支える」発想は心が成熟していないと納得できないから、反動が心配されますね。(御影祐)
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