【その10】 狂短歌
「西安宵の明星旅」連載10回目です(^_^)。
○ へとへとに歩き回って生き返る アイスと母子と漢文会話
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(^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)
南門を降りてから城外の道を西へ進んだ。
十分ほどで朱雀門に着くと、交差点を左折して南へ向かう。このまま歩けば小雁塔の西側へ出るはずだ。
☆ 朱雀門交差点
大きな交差点を二つ越え、ふと左を見ると小雁塔が見える。北口から入るか、南口を目指すか。
結局、引き返して最初の交差点を右折した。すぐに小雁塔の北口に着いた。入場料は五十元である。
ずいぶん高いなと思ったが入ることにした(後でわかったことだが、同じ敷地内にある西安博物館の入館料も兼ねていた。ところが、この日は月曜で中国でも月曜は休館日だった。「そりゃないよ(^_-)」と叫んだものだ)。
☆ 小雁塔北門
入ってみると観光客は少なく、がらがらである。大雁塔とはえらい違いだ。
小雁塔は十二、三重のレンガ積みの塔である。大雁塔ほどではないが、充分迫力がある。
階段は五、六段から七、八段で合計十四ヶもある。幅が狭く、人とすれ違うのはかなり難しい。
だが、数人と出会っただけでどんどん登っていった。途中で息が切れるほど、相当しんどい階段だった。しかも屋上はとても狭い。これではせいぜい七、八人しかおれないだろう。
私が屋上に登ったときは誰もいなかったので、一人で東西南北を眺めた。いい景色だった(^o^)。
大雁塔が望めるかと思ったが、ビル群の陰に隠れて見えなかった。空海がいた時代なら、見通せたかもしれない。
その後降りて近くのトイレに寄った。中に入って大便所を見て驚いた。仕切や戸が半分の高さしかない。つまり、上から人のうんち姿がのぞけるのである(^.^)。
これがうわさに聞いた中国風モロ見えトイレかと思った。大便スペースは合計三台ある。
これは珍しいと、一番手前のをぱちりとやった。フラッシュがたかれた。
すると向こうから「うーん」といきむ声が聞こえる。人が正にその最中だったのだ。
やばいと思って逃げ出した(^_^;)。
それから南口を出た。振り返れば小雁塔の高さが際だって見える。
地図によると、この南に長安で有名な大寺だった大興善寺がある。そこへ行こうと、さらに南下した。
次の大通りを左へ曲がれば、大興善寺の北側に出ると思われた。しかし、大興善寺に出ないままどんどん東へ進む。そのうちどこにいるのか全くわからなくなってしまった。
道を尋ねようにも中国語はわからない。喉も渇き道ばたの果物屋に並ぶスイカや桃、ブドウなどがうらやましい。
一度アイスキャンデー売り場に立ち寄ったが、他の客がのんびり選んでいるのであきらめた。
仕方なくいろいろな建物の写真を撮りまくった。病院に大学、解放軍の学校、それに日本料理店もあった。
☆ 道に迷って人民病院
昼食なしのまま既に午後三時近かった。さすがに疲れ果て、もうホテルへ戻ろうと決めた。
しかし、小さな路地は入れないので、とにかく大通りを進むしかない。ホテルから見て小雁塔は西にあった。だから、小雁塔の南を東へ進めば、ホテル前の大通りへ出るはずだと思った。
ところが歩いていると、いつの間にか高架式道路に着いてしまった。
地図を見ると、完全にホテルを行き過ぎている(--;)。そこでまた西へ引き返した。
日は照りつけ、喉が渇く。唇がべたべたして気持ち悪い。つばも出ない。まるで砂漠を歩いているような気分である。
さらに歩き続けたら、突然小雁塔の南入り口に出た。違う道を西へ向かっていると思っていただけに意外だった(^_^)。
☆ 南門から小雁塔を見る
しかし、その先の通りは朱雀通りである。これならホテルにたどりつける。
そこでそのまま進んで右に曲がった。これで後はどんなに遠回りをしても、間違いなくホテルに着ける。
安心したらまた喉が渇いた。曲がって数分の所にアイスボックスのある小さな店があった。
店の前で十歳ほどの男の子と母親らしき女性が小さなイスに座っている。
立ち寄ってアイスキャンデーを取り出した。母親がすぐ立ち上がって寄ってきた。
いくらかわからないので、取りあえず五元を出した。
つりをたくさんくれたので、これも一元しないようだ。
歩きながら食べようと思ったが、もうへとへとである。小さなイスが四つあったので、指さして「ここで食べていいか」と身振りで聞いた。母親がにこりとうなずいた。
そこで小イスに座ってアイスキャンデーを食べ始めた。
ミルク味のキャンデーでとてもうまい。渇いた喉にしみ通るような気がした(^o^)。
すると私の右隣のイスに男の子が座り、目の前のイスに母親が座った。
息子は真っ黒に日焼けしていた。母親は四十歳くらいだろうか、やさしそうなお母さんという雰囲気だった。
キャンディーを食べながら日本語で「うまい!」と言った。
母親はにこりとして何事か中国語で話し始めた。もちろん何を言っているかさっぱりわからない。
私は日本語で「日本人だ」と言ったり、「アイ・アム・ア・ジャパニーズ」と答えた。
だが、全く通じない。母子の間で語る言葉も全てちんぷんかんぷんである(-.-)。
すると息子が店に入って菓子箱の底のような厚紙とサインペンを持ってきた。それを私に差し出す。
どうやら漢字で会話できると踏んだようだ。
私はそこに自分の名を書き、「我日本人」と書いた。
母親が「あーヤーパン」と言った。私は「そうそう」とうなずいた(^_^)。
それから片言漢文会話が始まった。
私の年齢を書いて息子にサインペンを渡した。
すると彼は「12〜」と書いた。歳は簡体字だった。
そこで「小学校?」と書くと、息子は店の隣の路地の上を指さした。
そこには横に長い看板があり「小雁塔小学校」と書かれていた。
なるほど小雁塔小学校の生徒だ。
私はさきほど小雁塔に登ったので、「我登小雁塔」と書いた。
母親がへーという感じでうなずき、何か言った。
この頃私はもう一ヶアイスキャンデーを買った。
今度は彼女が七文字ほどの文を書いた。見ると「我〜子孫〜一人」とある。どうやらこの子は彼女の一人息子らしい。そして「あなたは?」というような視線を投げかける。
私は「我無子孫」と書き「我一独身」とも書いた。
どうやら通じたようで、母親は驚いたような顔を見せた。
その後彼女はまた何か書いた。
それは全て簡体字で全く意味がわからない。だが、何となく「知り合いか親戚にいい女性がいるが、どうだ?」と書いているように思えた。
なんとも返事のしようがなく、私は曖昧に笑って日本語で「わからない」と言った。
意味のわからないまま、そこで切り上げることにした。
楽しかったので、釣り銭の二元半をお礼に渡そうと思った。「我楽。礼」と書いたけれど通じない。
私は頭を下げ、お札を持った手を差し出してお礼の意を伝えようとした。それでやっと通じたようだが、彼女は手を横に振って受け取らない。
結局、彼女はアイスボックスからもう一本キャンデーを取り出して私に差し出した。
そして、釣り銭のつもりなのか五角をくれた。そこで別れた。
他愛ない漢文会話だ。しかし、現地の人と片言漢文ながら言葉を交わせたことはとても嬉しかった。
旅の醍醐味ここにありだな、と思った(^_^)。
しばらく歩いた後で「しまった」と思った。二人の写真を撮れば良かったし、漢文会話を記した紙をもらえば良かった。
ホーさんに読んでもらえば意味もわかっただろう。私は彼女の言葉をあのように解釈したが、ほんとは「独身とは気の毒に」とでも書いていたのかも知れない(^.^)。
立ち止まって引き返そうと思った。だが、やめにした。これもまた一度限りの出会いだろう。
それからさらに進むと小雁塔の北口に出た。そして、南門へ通ずる見慣れた大通りの交差点に出た。これでやっと小雁塔とホテルの位置関係がはっきりした。
☆ 小雁塔頂上から北西方向を望む
ホテルから見れば、小雁塔は北西方向にあったのだ。私もM氏も小雁塔はホテルから南西方向にあるとばかり思っていた。
考えてみれば、昨夜宵の明星は西の空に出ていた。ライトアップされた小雁塔がその北にあったのだから、気づいても良かったのだ。
ホテルにたどり着いたのは午後四時頃。月並みだが、足は棒のようになり、くたくただった。結局、朝から約七時間歩き通したことになる。
しかし、心は満たされていた。充実した単独行だと思った(^o^)。
またも生きる意味――目的を決め、それを実行する心のありようを教えられた。
確率四分の一の賭けに負けたと思って落胆したけれど、その方が自分の目的を貫徹する生き方だと気づいた。
さらに、思いがけず現地の母子と片言漢文会話を交わすこともできた。
私は満ち足りた気分でベッドに倒れ込んだ。そして、心地よい疲れに身を任せた。
一時間後M氏らツアー一行が帰ってきた。今夜はホテルで夕食。午後六時に一室へ集合した。
私は今日の出来事を同行者に語った。みな感嘆の言葉を発していた。M氏は「古墳巡りはつまらなかった」とぼやいていた。
夕食を終えて部屋に戻るとき、私は二人のご婦人に宵の明星のことを教えた。二人は「見てみます」と答えた。
この夜も部屋の窓から西の空を眺めた。薄いオレンジ色の夕陽、飛龍のような形をした薄い雲が上空に浮かぶ。太陽は八時頃沈み、徐々に薄暮を迎える。
そして、八時半頃雲の上に宵の明星が浮かんだ。だが、すぐに雲間に隠れ、それ以後は光ったり雲に隠れたり……だった。
ところで、この日M氏にも小さな冒険があった。
M氏は私が小雁塔に登った話を聞くと、自分も小雁塔を見学に行き、ついでにビールを買ってくると言って一人で出かけたのだ。私は道順を教えた。
ところが、彼はなかなか戻らず、一時間くらいしてようやく帰ってきた。
聞くと小雁塔までは迷わず行けた。そこからホテルへ戻るとき、小雁塔の南側から小さな路地に入り込んでみたというのである。
すると食堂の親父に「飲んでいけ」と言われたり、母と娘らしきあやしい二人連れにも声を掛けられたという。しかも、行き止まりにぶつかって別の路地に進んだとも言う。
私は全く路地に踏み込まなかっただけに、M氏の勇気ある行動に、感心すると言うよりあきれた。
彼はちょっと興奮気味に「こわかったけど、面白かった」と言った。
私は「M氏の小さな冒険ですね」とまとめた(^_^)。
彼は格安ビールも買ってきた。昨日の売店ではなく、近くのスーパーまで行き、1本二・三元(約五十円)で買ったらしい。ビールの大ビンが五十円なら格安である。
彼は「安い、安い」と喜色満面で飲んでいた(^.^)。
この日明星は雲間に見え隠れする程度で、昨夜のようにくっきりと見えることはなかった。せっかく教えたのに、残念だと思った。
おそらくこれが曇天の多い西安の普通の状態なんだろう。私は昨日くっきりと明星が見えた僥倖(ぎょうこう)によけい感謝した。
私とM氏はこの夜も殺虫剤を頼み損ねた。おかげで何度も蚊に刺された。(続)
○ へとへとに歩き回って生き返る アイスと母子と漢文会話
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:今号はいつもにも増して長文で申し訳ありません。「短くしようと思ってあきらめた」のがわかってもらえると思います(^_^;)。『西安宵の明星旅』はそろそろ終わりが見えてきましたが、目下執筆中の『空海マオの青春伝』は遅々として進まず、いつものように生みの苦しみを味わっております。来年までかかりそうな雲行きですが、きっと完成させると信じています(^_^)。(御影祐)
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