【その11】 狂短歌
「西安宵の明星旅」連載11回目です(^_^)。
○ 青龍寺かつての伽藍(がらん)いまはなく 壁画の中に空海恵果
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)
七月十日火曜日、今日で西安観光は実質最終日である。明日は早朝六時にホテルを出て空港に移動、午前八時には上海行きの飛行機に乗って帰国の途に着く。
私にとって本日のメインは空海青龍寺(せいりゅうじ)である。ロビーで会ったホーさんも「あなたにとって大切な日ですね」と言った。私は笑顔でうなずいた(^_^)。
彼は昨日の単独行について「一筆書くからサインしてもらう」と言っていたが、書類を持ってこない。おそらく何も起きなかったので、そのままにするつもりだろう。私もあえて言わないことにした。
まずは西門見学である。バスに乗って二十分ほどで到着。私はまた城壁上に立つ。
一行から城壁の壮大さに感嘆の声があがる。M氏も「すごい」と感激している。
ホーさんの説明であらたにわかったこともある。
門のあるところだけ城壁は二重になって全く同じ門が外に張り出すようにしてつくられている。
その間は縦横数十メートルの広場だ。昨日来たとき、妙な二重門だなと思った。
☆ 外門と内門の間の広場
ホーさんによると、門は木でできているからそのうち打ち破られる。だが、敵兵が二重門の外から突入すると、この広場で立ち往生することになる。そこで城壁の上から矢で射かけて皆殺しにするのだという。確か日本では「虎口(ここう)」と呼んだはずだ。
ここで初めて十分のフリータイムがあった。
しかし、十分足らずでは遠くまで行けない。もっとも、みな歩きたい感じではなかった。
M氏は「のんびり一時間くらい座っていたいな」と残念そうだった。
西門を後にすると「陝西省美術博物館」を見学した。現代美術だという。
☆ 美術博物館入り口
この部屋の解説時間が最も長かった。なおかつその後「おみやげにぜひ」といつもの押し売りである。
興味を引かれた人もいるようで、ここで三十分は消費された。私はそこを出て他の絵画類を眺めた。
一人ヒスイのつぼを買ったようで、箱を大切そうに抱えていた。
ヒスイ展示室の前には白菜をかたどったでっかい作品がある。
M氏によると、台北の博物館にも同じ物があったという。また、ヒスイには本ヒスイと軟ヒスイの違いがあるという(帰国後ヒスイ関連のホームページを調べてその違いがわかった。彫刻しやすい軟ヒスイは中国産で、本ヒスイは中国では全く産出されないとあった)。
美術博物館には一時間ほど滞在した。その後「陝西歴史博物館」に移動する。
ここで笑い話がある。
移動中のバスの中でガイドのホーさんが「それでは次は陝西歴史博物館です。これは本物です」と言ったのだ。
私は苦笑した(^.^)。
ホーさんの近くに座っていた人もおかしな説明と思ったようだ。「それじゃあさっきのはニセ物かい」と聞いた。
ホーさんは「いえ、そんなことはありません。あれも本物です」と答えていた。
それから二十分ほどで陝西歴史博物館に着いた。ここはホーさんが館内を案内してくれた。
☆ 歴史博物館内の城壁模型
部屋は全部で四室あった。ホーさんは第一の石器時代からのんびり解説し始めた。しかし、私の関心は隋・唐時代にある。空海が西安を訪れたのは八〇二年、盛唐時代だ。
ホーさんの説明を聞いていたのではとても回りきれないだろうと思った。そこで一足先に隋唐の時代が展示されている部屋に行った。そこには長安全体を示した絵図があってちょっと興奮した。しかし、それ以外特に目に止まるものはなかった。
その後レストランで昼食。これは塩味が利いて結構おいしかった。
ところが(ほぼ同じものを食べている)ホーさんは食後「あまりおいしくなかったですね」と言ったからおかしい。
我々にとってはぼわーんとした味付けの西安中華料理だが、彼にはそれが最高の味付けのようだ。
今回ほど自分が塩味の濃い料理を食べている日本人だと自覚したことはなかった(^_^;)。
昼食後青龍寺に移動。ここもその地のガイドが案内する。
ここは基本的に青龍寺跡地である。だから、当時のものはほとんど残されていない。「空海と恵果の来歴壁画」や「記念塔」があった。空海がこの地を歩き、寺の中で修行した様を思い描こうと試みた。だが、無理だった(-.-)。
いつものように土産物関係で時間が取られる。私は一足先に外へ出た。
ホーさんが日陰でのんびりたたずんでいる。気温は四十度近くあるという。さすがに太陽がじりじり照りつけて暑い。
私はここで空海について、ホーさんにある疑問を投げかけてみた。
空海は真言密教継承者として青龍寺の座主(ざす)恵果和尚にみこまれ、金剛・退蔵両界の灌腸(かんじょう)を受けた。つまり、恵果の後継者となったわけだ。その披露宴には千人近い僧侶や関係者が招待されたという。費用は基本的に空海が出さなければならない。
彼は一体その金をどうやって工面したのか、いまだに謎である。空海は遠来の一僧侶に過ぎないから、青龍寺や恵果がいくらか出した可能性はある。だが、空海も0円とはいくまい。持参した金子ではとても足りたとは思えない。
☆ 壁画の空海と恵果和尚
私はある中国の説話から、もしかしたら空海が日本人にとってはなんでもないもので、しかし中国人にとっては相当価値あるものを持っていたのではないかと推理している。
中国の説話というのはこうだ――昔ある貧乏寺の僧が隣家の主人のために法要をした。するとお礼として立派な箱に入った物をもらった。さぞかしいいものだろうと期待してフタを開けたところ、中には釘が錆びて曲がったようなものが入っているだけ。僧侶は「なんだこれは」とがっかりした。しかし、ものはためしと西域の商人にそれを見せたところ、莫大な金額で引き取られたという話である。
そこでホーさんに聞いた。
「日本でも中国でも最も価値があるのは金でしょう。しかし、中国人にとって金以上に価値のある物は何かありませんか」と。
すると彼は即座に「それならヒスイでしょう」と答えた。さらに「中国には金は価値があるが、ヒスイは価値がないということわざがあります」と言う。
私は一瞬意味がわからなかった。「ヒスイには価値がない……?」
すると近くにいた同行男性が、
「ヒスイは金とは別の価値がある。つまり値段が付けられないという意味でしょう」と教えてくれた。
ホーさんは「そうです、そうです」と大きくうなずいた。
これはちょっと驚きの言葉だった。空海が入唐(にっとう)に際してヒスイを持っていったなどということは聞いたことがない。しかし、もしもヒスイを持っていたなら、密教継承の宴会費用だけでなく、帰国の際、大量の仏典仏具、法具に曼陀羅図などを購入する費用としてまかなえたかもしれない。
これは帰国後ヒスイについて調べてみるべきだと思った(^_^)。
その後「興慶宮公園」に行き、阿倍仲麻呂の碑を見学した。遣唐使として入唐し、唐朝の官僚に取り立てられながら、結局帰国を果たすことができなかった貴族だ。
《天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも》の歌が有名だ。
興慶宮公園を後にして書道の宝庫「碑林博物館」を訪ねた。
ホーさんは「書に興味のある人にとっては天国、興味のない人にとっては地獄ですね」と面白いことを言う。私にとってはどちらかと言うと地獄だった(^_^;)。
それから歩いて近くのマーケットへ行った。土産物屋がずらりと並んでいる。
ここでは二十分ほどフリータイムがあった。もうおみやげなどは全て終わったからフリータイムとしたのだろうか。M氏は栞(しおり)のお土産を値切って買ったので感心した。
そしてホテルへ戻る。夕食は別のレストランで餃子づくしだった。蒸し餃子に水餃子、最後にあん入り焼き餃子などが出た。一人一個だが全部で二十数個。さすがに腹一杯になる量だった。ただ、中の具はあまりおいしくなかった。
午後八時半からオプションで舞踊見学。日本のテレビで紹介されたこともある千手観音の踊りが見られる。この希望者は当初私を入れて九人だった。M氏は行かないと言っていた。だが、十人になれば団体割引で一人五百円安くなる。
ホーさんが「誰かもう一人行きませんか」と言うと、M氏が手を挙げた。
同行者から拍手が起こった(^_^)。
舞踏はホテルの会場で行われた。テーブルがずらりと並べられ、オペラハウスのように張り出しの席もあって高級感がある。食事もできる。私は記念にとマンゴーアイスクリームを注文した。
取り立てて言うことのない普通のアイスクリームだった。食器はステンレス製だが、スプーンはプラスチックで、何度も突き刺していたら折れてしまった。がっかりの高級感である(-.-)。
舞台は八時半過ぎに始まった。最初は華やかな宮廷風踊り子たちの羽衣の舞い。そして兵士の舞踊、回転する駒を巧みに操るアクロバットのような芸が続く。そして最後に千手観音の舞踊があった。
これはさすがに感動的だった。ただ、できうべくんば真っ正面から見たかった。私たちの席からは斜め方向にしか見えなかったからだ。
☆ 千手観音舞踊
十時前全ての演目を終え、ホテルに帰った。これで予定の行程は全て終了。明日は五時起床。六時過ぎには空港へ行き、帰国する。(続)
○ 青龍寺かつての伽藍(がらん)いまはなく 壁画の中に空海恵果
=================================
最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:新型インフルエンザが流行っているようです。お気をつけください。それにしても「新型インフルエンザ」などと呼ばず、ちゃんと名前を付けるべきだと思うのは、私だけでしょうか。というのは、この次さらに新型のインフルエンザウィルスが登場したら、どうするんでしょう。「新新インフルエンザ」と呼ぶのでしょうか。
もっとも、日本語には同じことをやった実例があります。みそ汁を丁寧に言う「おみおつけ」がそうです。漢字で書けますか? 答えは次回(^.^)。(御影祐)
Copyright(C) 2009 MIKAGEYUU.All rights reserved.