御影祐のおヤジとキタぞー東北道中膝栗毛 その4

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||1 東北名所… ||2 縄文遺跡… ||3 宿と温泉… ||4 偶然の出会いと出来事 ||

おヤジとキタぞー東北道中膝栗毛4


 目次 事伝体項目

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4 偶然の出会いと出来事−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−《本頁
 三内丸山、同姓同名の最優秀写真作品・自衛隊との遭遇

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4 偶然の出会いと出来事


 三内丸山、同姓同名の最優秀写真作品・自衛隊との遭遇

 今回の東北一周旅行は、執筆中のSF『時空を超えて(仮題)』の取材が目的だった。私は青森から秋田の縄文遺跡やストーンサークルを訪ね、福島千貫森山へ登る計画を立てた。
 私の作品はどうしても主人公イコール作者という一元的視点になりがちだった。SFは架空のお話だから基本的に客観小説である。しかし、私は私小説のように、主人公の視点でないと書きづらいところがあった。
 小説では未来からやって来たタイムトラベラーが記憶(魂)喪失状態に陥り、その魂をよみがえらせるために、日本のレイラインである東経140度線上にあるストーンサークルや縄文遺跡を旅すると構想した。
 これまでストーンサークルに関連した箇所は、ホームページの資料を見ながら書き進めていた。作家によってはそうした資料だけで書けるかも知れない。しかし私の場合は、たとえば主人公が道を歩いていったとき、右側に何が見えるのか、左側に何が見えるのか。言わば主人公が歩くように書くことで、やっと実感の持てる表現ができる。つまり、主人公の視点で周囲がどう見えるかを書かねばならない。そのため数々の縄文遺跡はどうしてもその場に行って自分の目で確認したかった。それに遺跡現場に漂っているある種の「気」は、体験しなければなかなか書けない。それもあって今回の東北一周を思い立ったのである。

 最近は国内の旅でそれほど偶然を期待していない。不幸中の幸いとか、偶然からなんらかの答えが見いだせる――と思っていながら、今回東北の旅は父と一緒だし、東北が全く初めての父のことを考え、既に自分は行ったことのある名所旧跡をいくつも選定した。だから、全く初めてのストーンサークル以外では、偶然の出会いや出来事をあまり期待していなかった。
 ところが、旅を終えて振り返ってみると、意外にも驚くほどの偶然が起こっていた。今の自分が創作上で抱えていたいくつかの悩みも、その偶然の出会いと出来事で解決できたから、ホントに不思議だ。

 創作上の悩みとは二つあった。一つは実体験によってその気配とか実感を描きたいと思っていながら、私にはどうしても体験できないことがあった。それは主人公ケンジと未来タイムトラベラーの二人が、自衛隊とかかわる場面だ。
 私は自衛隊科学班が秘密裏に空間移動装置を研究していると構想した。主人公と未来タイムトラベラーは自衛隊秘密組織に拉致(らち)され、最後は修羅場まで引き起こす。主人公と自衛隊が関わるそのような場面は、私にとって当然実体験不可能である。特にこの作品で隊員らはとても微妙な立場にいる。それは公式でもなく私的でもない中途半端な自衛隊である。
 私も知り合いに数人の自衛隊員がいる。しかし、作品で描こうとする自衛隊員は私的部分ではない。また、どこかの基地が公開されるとき、そこを訪ねれば隊員と言葉を交わすことができるだろう。しかし、それはあくまで公式の自衛官。描きたいのは上部組織に内密で行動している自衛隊の集団である。そんな自衛隊員との交流を体験するなんてまず不可能である。だから、想像で描くしかない――私はそう思って諦めていた。
 もう一つはこのSF作品をスピリチュアル―精神的―なものにしている。個人と人類が体験した「三つの目覚め」とか、今後広がるであろう第四の目覚め。そして、人はどうやって心を成長させるのか、そんな魂の知恵を書いている。
 特に未来からやって来たタイムトラベラーが見せる善き未来世界は楽観的で噴飯(ふんぱん)ものかもしれない。私が描いたのは個人が集団の上位にいる社会だ。個人が集団やリーダーの決定に対し、自信を持ってノーと言える社会と言ってもいい。
 例えば、それは軍隊で言うなら、戦争を開始するという国のリーダーの決定に対して兵士個人が自分の判断で出兵したり、しなかったりする社会ということになる。
 おそらく読者の誰もがその突飛な考え方に「あり得ない、絵空事だ」と嘲笑するだろう。
 その他自分が描こうとしているスピリチュアルな部分に自信を持ちながら、単なるSFにすべきではないのか、こんなしちめんどくさいものを描いてバカにされるより、もっと単純化してメッセージは控えめにすべきではないか――私はそのような創作上の悩みにとらわれていた。
 今回、東北一周の旅で起こったある偶然の出会いから、私はこの二つの悩みを解決できた。それはほんとに面白い偶然だった……

 青森三内丸山遺跡で自衛隊の一団と一緒になる

 東北の旅に出て3日目の朝、私と父は8時半頃大鰐(おおわに)温泉を出発した。
 この日の天候も依然として曇天小雨模様だった。すぐ東北自動車道に乗って一路青森を目指した。がら空きの東北道を軽快に飛ばして9時20分頃三内丸山遺跡に到着した。
 私にとってこの日はかなり重要な見学地ばかりだ。しかも、八甲田・十和田見学をカットしたので、各遺跡をじっくり見学できる。
 広い駐車場に車を停め、降りると外は相変わらずの寒さ。駐車場の向こうにバラック建ての土産物兼待合室のような建物があり、入り口に「ボランティアガイド受付」の貼り紙があった。
 父と相談して時間もたっぷりあることだし、ガイドを頼むことにした。中に入って申し込むと、代表らしき男性が「もうすぐ団体さんが来るのでその中に入ってほしい」と言う。
 私たちに異存はなく、待っている間壁に掲げられた三内丸山遺跡を写した写真コンクールの作品を眺めた。パネルには春夏秋冬それぞれの三内丸山の景色が映し出されていた。みな素晴らしい写真ばかりで見応えがある。そして、一番左端に「縄文の静寂」と題された最優秀作品があった。
 私はそれを見たとき一瞬不思議な感覚に襲われた。それは夜の三内丸山の景色だった。背後から照らされたライトを受け、暗闇の中に六本の巨大木柱と、ロングハウスと呼ばれる長い小屋が浮かび上がっている。それだけなら、単なるライトアップされた縄文遺跡の写真でしかない。ところが、その写真は不思議なことに、六本木柱とロングハウスがまるで逆さ富士のように地面に映っているのである。
 三内丸山遺跡の敷地内に池が作られたなんて話は聞いたことがない。よく見ると小屋の屋根に雪が降り積もっている。地面にも雪が積もっているようだ。
 信じられない話だが、どう考えても地面の逆さ風景は雪が水面のようになって景色を反射しているとしか思えなかった。あるいは、地面の雪は凍り付いているのかもしれない。いずれにせよ、めったに見られない景色だと思った。
 そして、もっと驚いたのはその作者の名だった。カタカナで6文字、それは私と全く同姓同名だったのだ。
 父がすぐに気づいて「ほう同姓同名じゃな」と言った。
 私も面白い偶然だと思った。そして、すぐにこの偶然の意味を考え始めた。これにはきっと何か意味がある。私はそう思った。しかし、簡単にその意味がわかるわけではない。私はしばらく「縄文の静寂」なるパネル写真を眺めた。

 それから、私と父はどうやってそんな不思議な写真を撮ることができたのか議論を始めた。
 あれこれ推測を述べていると、先ほどの男性が近づいてきて彼が知る撮影秘話を語ってくれた。彼は作者の写真家と面識はないそうだが、伝え聞きしたと言う。
 それによると三内丸山遺跡では正月前後に遺跡をライトアップする。写真家は雪が降った深夜にやって来てその景色を撮影したらしい。しかも露出を長時間開きっぱなしにして撮ったようだ。地面に映った映像のきれいさからすると、誰もそこに足跡を付けていないだろう。
 私がしきりに感心していると、父が「実はこれの名と同じで」と明かす。
 今度は向こうの人がその偶然に驚いていた。
「あなたが作者じゃないでしょうね」と言うので、「私が作者だったら、この撮影の秘密をお話しできますよ」と答えた。
 近くを通ったガイドのおばちゃんが、私たちの会話を聞いて驚きながら笑っていた。

 ややあって団体客が来たとの声がした。私と父は外へ出た。
 大型バスからその団体さんがぞろぞろ降りてくる。私は一目見てびっくりした。すぐにそれとわかる自衛隊の集団だったからだ。彼らは濃いグリーンの戦闘服(と言うか作業着のような上着)とズボン姿だった。それは迷彩服ではないが、よく見かける公式の制服でもない。そして、ほとんどの人が同じ緑色の帽子を被っていた。さらに、編上靴と言うのか固そうな靴をはいている。
 彼らは続々とバスから降りてきた。その数30名から40名ほど。年は若い人もいれば中年から白髪頭が目立つ年輩の人もいる。
 私はこの偶然にまたもびっくりした。私たちと一緒に回る団体さんとは自衛隊の一団だったのだ。
 私は彼らを見てすぐに、創作の悩みに対する答えがやってきた(!)と思った。

 ボランティアガイドは五十代半ばで優しそうな感じの女性だった。私と父は彼女の前に立った。背後には自衛隊員が集合した。
 彼女はマイクを手にして「それでは時間もないようですから、そろそろ出発しましょう」と言って歩き出す。そのあとを奇妙な集団が移動する。全員同じ服装の自衛隊員の中に、二人の民間人(?)が紛れ込んでいるのだ。
 私はよれよれで薄手の紺色ジャンパーを着ていた。父はトレパンをはき黒のジャンパー。どう見ても不調和極まりない妙な集団だ。彼らが紛れ込んだ私たち2名をどう思ったか知る由もない。
 説明看板前でガイドおばさんが説明を始めたとき、二人の自衛官がぱちりぱちりと写真を撮り始めた。所謂(いわゆる)写真係なのかもしれない。集団研修なんかでよく見かける光景だ。私はその中に紛れ込んで、すみませんとでも言いたい気分になった。しかし、いいものを見たと思った。
 そこで私も彼らをまねて父の姿を撮影し始めた。もちろん背景には自衛隊員が写っている。
 私はついでにそうやって彼らの様子を観察し始めた。この千載一遇のチャンスに、何とかして現職自衛官の雰囲気を感じ取りたいと思ったからだ。
 ガイドの説明が終わると、私たちはなだらかな坂を登っていった。数分後有名な六本木柱が見え始めた。そして、その向こうにはロングハウスがある。左側にはドーム型の建築物が二棟あった。おそらく何かの遺跡を展示しているのだろう。
 六本木柱が近づいて来るにつれ、私は何か感ずるものがあるだろうと期待した。ところが、それは想像していたものよりかなり小さく感じた。高さ十数メートルはあるはずなのに、その高さを感じ取れない。言わば迫ってくるものがなく、古代の気を何も感じなかった。直径1メートルという柱の迫力も感じられなかった。
 それでも六本木柱の真下に行ってやっとその迫力が少しだけ身に迫ってきた。見上げると確かに高い。上部は床がしつらえられ、最上部には屋根がある。
 直径1メートルの栗の巨木は現代の日本にはないそうだ。ガイドおばさんが「この大木はソ連から持ち運んだものです」と説明した。そのでかさも何となく実感できた。それでも私が感じた第一印象の小ささは払拭(ふっしょく)できなかった。
 ガイドさんが言うには、この巨大建築物は何に使われていたかわからない。小学生を案内したとき、何に使われたんでしょうと尋ねると、小学生は突飛な返事をしてくれる。
「中には洗濯物の物干し台に使われたんだと言う子供さんもいました」と彼女は言った。
 すると(私も笑ったけれど)、自衛官らから笑い声が上がった。だが、それは一部だったしすぐにやんだ。
 私には何となく「ここは笑うべき時だから善意で笑ってあげよう」と言うような笑いに思えた。
 私の妙な違和感は相変わらず続いていた。

 それからすぐ近くのドームへ移動する。私はガイドさんと並んで歩いた。
 するとガイドさんは小さな声で、「自衛隊の人は30分ほどしかいることができません。あなたがた二人はその後また案内します」と言った。
 私は「そうですか。私たちはヒマなのでよろしくお願いします」と答えた。どうりで、ガイドの初めから「時間がないようで」などと妙な言い方をしていたわけだ。
 そのときふとこの人達はなぜここに来たのだろうと思った。三内丸山遺跡はゆっくり見学すれば1時間はかかるだろう。なのに、彼らは30分でガイドしてくれと頼んだようだ。
 ドームにはまずガイドさんが入り、私と父が続いた。中に入った途端私はがーんと来る衝撃に襲われた。地面に巨大な六つの穴が穿(うが)たれていたのだ。
 手前四穴には木柱跡が見え、奥の二穴は水に埋もれている。水を抜き取るためだろう、ホースが一つの穴に差し込まれていた。これは一目で《本物の》六本木柱跡だとわかった。
 この木柱跡は何より巨大だった。思い描いていた穴よりもっともっと大きかった。背筋がぞくっと震えた。外の寒さに比べれば、ドームの中はかなり暖かいはずである。だが、ここにはひやりと来る空気があった。なにより私には遠い太古のもろもろ――それを立てた縄文人の息づかいや何やらが、聞こえるような気がした。
 ガイドさんが手前の四穴に見える樹木はレプリカだと解説した。奥の二穴は掘り出したときのままで、この地下一帯には水脈が流れているので、あのように水没するのだと言う。見えている柱の跡がレプリカだと言われても私の印象はちっとも崩れなかった。私は古代の巨大な穴に大感激していた。

 そこを出るとき、私は集団の最後尾になった。
 すぐ隣には二十代半ばくらいで、四角張った顔の若い隊員がいた。
 私は「失礼ですが、どちらからいらしたんですか」と聞いてみた。
 彼はちょっと躊躇(ちゅうちょ)した後「自分らは仙台の部隊です」と答えた。
 私はなお一言二言言葉を交わしたかった。だが、彼はそれを拒否するかのように早足で進んだ。
 そのとき私たち二人の前には数人の隊員が歩いていた。私は彼らの背中から、なぜか彼らが緊張して聞き耳を立てているように思われた。
 私はそれ以上質問することができなかった。そして、私の(それ以上の)質問を拒否するような彼の態度は、「上官の許しなくしては答えられない」軍隊の雰囲気を感じさせた。
 私はこのとき自作のSFで描いていた主人公と自衛隊兵士との交流を書き直そうと思った。

 次に案内されたのは縄文人の子どもの墓跡だった。やや小型ドームの中にやはり現物があった。これは私にはさほど感じるものがなかった。先に外へ出ると、隊員が一人つまらなさそうに待っていた。彼は幹事役なのか、あるいは既にここへ来たことがあるのかも知れない。
 その後私たちは縄文人のゴミ捨て場だった所へ行き、そこの説明を受けた。それから三棟の高床式掘立小屋のそばを通ってロングハウスへ向かった。隊員が小さな入り口から次々に吸い込まれ、私は最後になった。
 ここでも入った途端に私の背筋をぞくっと走るものがあった。外から見るより内部はずっと広かった。至る所に柱があり、茅葺きが露出した天井は相当高く感じられた。地面は踏み固められ、こちんこちんになってひび割れている。この場所は本物だとすぐに感じ取った。
 ガイドさんもこの地面の下にロングハウス跡があり、この家屋は柱から何までその真上に立てられていると説明してくれた。そして彼女は遺跡全般についていろいろ語り始めた。解説は5分近くかかっただろうか。やがて彼女は「もう時間もないそうですから、これで三内丸山遺跡の説明は終了致します」と言った。
 隊員の何人かが拍手し「ありがとうございます」と言って頭を下げた。そして、入ったときとは別の小さな入り口から、さっと消えていった。
 さすが軍隊だ、撤退が早い――などと私はバカなことを思った……。

 その夜宿で、この日一日のことを振り返った。特に三内丸山遺跡で自衛隊の一団と出会ったことは何という嬉しい偶然だろうと思った。これによって今自分が執筆中のSFに必要な雰囲気を体験することができたからだ。
 
私の構想はこうだった。主人公の少年と未来タイムトラベラーの少女が、自衛隊科学班に拉致される。彼らは内密に最終兵器となるべき空間移動装置を研究開発している――こんな設定は現実の日本では絶対に体験できないだろう。もちろん私は公の隊員に会うことができるし、どこかの基地だって見学できる。また私服となった自衛隊員にも会えるだろう。だが、小説での設定は上司に無断で秘密の任務に就いた自衛隊員である。だから、このような構想は絶対に体験不可能だと思っていた。

 ところが、今回の旅で思いがけず自衛隊の一団と出会った。その偶然が既に驚きなのに、その内容たるやまた驚異の出会いだった。
 私は彼らが三内丸山遺跡を見学に来た理由を考えてみた。私が父に「自衛隊の一連隊……」と言うと、軍隊の経験もある父は「30名ほどじゃから一班じゃな」と言った。
 彼らは仙台基地の所属らしい。確かにそこの連隊全員ではなく、バス1台分の一班が三内丸山遺跡を見学にやって来たのだ。三内丸山遺跡のすぐそばには青森の自衛隊駐屯(ちゅうとん)地がある。彼らは全員濃いグリーンの作業服を着ていた。私服ではないから、慰安旅行の類ではないだろう。何らかの公的任務(たぶん訓練か何か)のため、一班だけ仙台から青森基地まで来たのではないか。
 そして、この日の朝他の場所へ移動するか、仙台基地へ帰る予定だったと思われる。
 そこで誰かが言いだした。せっかく青森に来たんだから、すぐ隣の有名な三内丸山遺跡をちょっとのぞいて帰らないかと。だから、せいぜい30分という短い時間で、走るように見学したのではないか。30分程度だったら大した遅れにはならない。高速で取り戻せもする。私はそのように推理した。

 もしこの推理が当たっているなら、それは正に私が設定した、公でも私でもない中途半端な状態の自衛隊ということになる。たった30分だが、上層部には内緒の行動だったかもしれない。
 だから、私が一隊員に質問したとき、彼は一瞬戸惑った表情を見せ、それ以上の会話を拒んだのではないか。私はあの後ぬけぬけと「慰安ですか、何かの任務ですか」と聞こうと思っていたからだ。たぶん彼はその質問に対して返事に困っただろう。
 なんと面白い偶然が私に起こったのだろうか。私が作品を書く上で悩んでいたことに対して、一つの最適な答えがやって来たのだ。そして、彼ら自衛隊の一団と出会うには、これまたピンポイントの時間と諸々の条件が作用していなければならなかった。
 父と一緒だったこと。だから、父の体調を考えながら見学地や宿を決めた。この日青森秋田を見学した後、盛岡で泊まる宿は昨夜予約した。旅行前の予定では3日目は青森の遺跡を見学し、八甲田・十和田湖の秋景色を眺めて盛岡まで行き、その近くの宿に泊まろうと考えていた。
 だが、それだとかなりの強行軍になる。だから、昨夜は青森をのんびり見た後八甲田へ登り、十和田湖周辺で宿泊しようと考えていた。ところが、酸ヶ湯(すがゆ)温泉の旅館に電話して聞いてみると、八甲田は雪でチェーンかスノータイヤがないと危険だと言う。私は珍しくチェーンを持参していた。それに八甲田の冠雪と紅葉を同時に見られるのはかなり魅力的だった。しかし、私はそちらへ行きたいとあまり思わなかった。

 最終的に父の「無理するな」の言葉もあって八甲田・十和田ルートは諦め、青森と大湯環状列石を見るだけで、当初予定通り盛岡まで行くことに決めた。これはさほど強行軍ではないが、かと言ってのんびり見て回るルートでもない。ほどほどのペースで見学することを意味していた。
 もし強行軍にしていれば、朝早めに宿を出るから三内丸山にはもっと早く着いただろう。逆に宿でのんびりして三内丸山に着くのがあと十分遅れていたら、彼ら自衛隊の一団と一緒になることはなかった。さらに、もしあのとき一般の観光客がもっといたら、私と父はその人達の中に入れられただろう。
 ところが、私と父はあの時間に着き、他に一般客がいなかったので待つように言われ、奇妙な自衛隊の一団と行動を共にすることになったのである。
 もちろん人はそれを単なる偶然と言うだろう。だが、事態は私にとっていいように流れていた。私はただ何となく感ずるままに流れに乗って行動していた。そしてその結果、必要な答えがやって来た。今回の旅にこのような出会いや出来事は全く期待していなかっただけに、私はものすごく嬉しくなった。

 それからもう一つの偶然についてもその意味を考えた。三内丸山遺跡の待合室で発見した写真のことである。
 たまたま見かけた三内丸山遺跡の風景写真。それは「縄文の静寂」と名づけられ、コンクールの最優秀賞を獲得していた。撮影したのは私と同姓同名の男性だった。この偶然には一体どんな意味があるのだろうか。

 すぐに思いついた共通点があった。それは私の作品(の構想)もその写真も、「あり得ない、信じがたい」状況を描いているということだ。
 写真家は六本木柱とロングハウスがライトアップされ、雪の地面に逆さ富士のように映る夜景を撮影した。もしそれを写真でなく言葉で聞かされたとしたら、一体何人の人が信じるだろう。
 冬の夜雪景色の地面が水面のようになって、そこにライトアップされた建物が反射して映っていた――と。私は写真で見せられてさえまだ信じがたかった。作られた映像でなく、現実にそのような事態があり得るだろうかと思った。
 しかし、その写真は間違いなく信じがたい景色を映し出していた(この旅の初日、酒田市で土門拳記念館に立ち寄り、写真に注意深くなっていたことも関連していて面白い)。
 一方、私は自分の作品の中で、人類の第一から第四の目覚めについて記し、近い将来個人が集団生命体から独立する(できる)姿を描いた。
 特に家族・友人・学校・会社・団体・国家・民族・宗教等々の集団や組織の中で、個人が全体やリーダーの決定(命令)ではなく、自己の決断を優先する未来社会を描いた。それはたとえば、軍隊でさえ出兵の決断を個人が下す社会だ。
 おそらく私の作品を読んだ百人中九十九人の読者が「そんなことはあり得ない、馬鹿げた空想だ」と言うだろう。その反応が想像されるだけに私の筆は滞りがちだった。

 だが、地上の建物が雪景色の地面に鮮やかに映し出されるという「絶対にあり得ない」写真が撮られていた。だったら、私のあり得ない馬鹿げた想像だって実現するかもしれない。
 私はあの写真を見て自分の空想に自信が湧くような気がした。
 自分と同姓同名の写真家による不思議な風景を映し出した写真。私はたまたまそれを見出した意味をそのように解釈した。

 この日は盛岡近郊の繋(つなぎ)温泉に泊まった。翌朝爽やかな目覚めとともに、私は宿の露天風呂に入った。
 ふと北の方を見やれば、はっと驚く冠雪の山がそびえている。ほぼ全山白雪に埋め尽くされ、山は日の光を受けて白く美しく輝いていた。右側のなだらかな稜線は富士山に似ている。
 私は近くの人に山の名を尋ねた。岩手山だという。昨夜は真っ暗な中で露天風呂に入った。だから、そのような風景が目の前に広がっているとは思いもしなかった。
 既に目的であった青森秋田の古代遺跡はほぼ訪ね終えた。その翌朝ここでどっしり落ち着いた冠雪の山を見た。真っ暗で何も見えなかった所には白銀の山がその勇姿を隠していた。私にはこれもまた何らかの意味があるように思えた。露天の温泉と朝の冷たい空気がここちよい。
 私が書こうとしていることは正しい――私にはそんな自信が芽生えていた。
 帰ったらもりもり書いてSFを完成させるぞォ!
 私は岩手山を見つめながら、心にわき起こる熱いものを感じた。

―了―

2002年11月



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