カンボジア・アンコールワット遠景

 一読法を学べ 第 54号

  小説『一九七二・五・一五』




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『 御影祐の小論 、一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第 54号

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           原則月刊 配信 2021年6月22日(火)



 今号は高専三年の夏に書いた小説を紹介します。『一九七二・五・一五』と題した20枚ほどの短編です。
 ちなみに、来年は「沖縄返還50周年」にあたります。今年五月十五日に関連ニュースがちょっと報道されていました。つまり、本作は四十九年前、沖縄返還日における一高専生の些細な日常が描かれているといったところです。「てにおは」とかこなれていない表現は修正したものの、粗削りなところは残しました。習作ながら「小説らしい小説を書けたかも」と手応えを感じた作品です。
 なお、先日公開した『高専一年生の秋』の読後感と比べて「何か違う」と感じられた方は相当の読書家です。後記でその件を解説します。

 [前々号] 52  小説『高専一年生の秋』

 [前 号] 53  8 牛後だった私の高校(高専)時代

 [今 号] 54 小説『一九七二・五・一五』

 [次 号] 55 9「日本的カーストの消滅目指して」


 本号の難読漢字
・傲慢不遜(ごうまんふそん)・横柄(おうへい)・逸(そ)らす・漠然(ばくぜん)・慌(あわ)ただしい・罵(ののし)る・踵(きびす)を返す
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************************ 小論「一読法を学べ」*********************************

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』提言編U 54 別稿小説

 一九七二・五・一五


「見ろ!」
 向坂の鋭い声に促されて、ぼくはバスの窓から対向車線の歩道を見た。
 ざっ、ざっという音とともに、あの、独特な服装の機動隊が人や車の陰を見え隠れしながら、二列縦隊で続々と現れるのが見えた。

 機動隊はO市中心街に向かうぼくたちのバスと反対方向に進んで行く。
 藍色の上着とズボン。ヘルメットと腰の警棒。テレビで見慣れているはずの何の変哲もない機動隊である。しかし、それらが眼前に迫って来ると、訳のわからない不安と緊張を感じ、胸が締め付けられるような気がした。

 ぼくは一つ深呼吸して「何人ぐらいじゃろう……」と聞くともなく呟いた。
「さあ、百人ぐらいはおるんじゃねェんか」
 前の席から向坂が答えた。
 ぼくは小さくうなずいた。向坂の声は普段と変わらなかった。ぼくは黙った。
 その間にも、機動隊は車の陰から次々に現れ、隊列は相当の長さになっていた。「なぜあんなにたくさん出ているんだろう」ぼくはうかつにもそんなことを考えていた。

 一九七二年五月一五日――沖縄返還当日。平日だが国をあげての記念日ということで、授業は午前中で終わった。午後、ぼく(斉藤)は向坂、Kと一緒に市内中心街に向かうバスに乗った。共にO高専(O工業高等専門学校)の三年生である。ぼくは機械科、向坂とKは電気科だった。O高専はO市郊外にあり、ぼくたちは寮生だった。

 二年前ぼくは郡部の中学校からO高専に入学した。世の中は七〇年安保、大学紛争などで騒然としていた。そんな世相の中、ぼくの頭の中にはずっと一つのことが渦巻いていた。
 ベトナム戦争の悲惨さを見聞きし、映画「沖縄」を見たとき。公害で闘っている人々のことを知ったとき。ぼくは何かしなければいけないと思った。彼らのために闘うんだと思った。

 しかし、一人だという無力感と「行動したところで何も変わりはしない、自己満足に過ぎない」そんな声がぼくをためらわせた。ぼくは苦しんでいる人達に同情し、闘っている人々に共感を覚えながら、何も行動できなかった。

 そして、自ら新左翼と名乗る土木科の友人Yとの討論で、ぼくが「デモに出ても何も変わらない」と言ったとき、「お前はデモに参加したこともないのに、デモを否定している。それなのに行動できないと言って悩んでいる。お前の悩みは観念的でプチ・ブル的だ」と批判された。

 Yから何度観念的、プチ・ブル的と言われたことか。特にプチ・ブルと言われることは嫌だった。だが、頭の中で思い悩むばかりで行動に移せないのは事実だった。ぼくはそんな自分を嫌悪した。どこかで踏ん切らねばと思った。だが、ぼくは動けなかった。何もできなかった。

 O高専の寮は学校のすぐ前にある。三年になって、ぼくは電気科の向坂と同室になった。
 向坂はどことなく傲慢不遜なところがあった。口をとがらすような喋り方。横柄で人を小馬鹿にしたような口ぶりに、ぼくはしばしば圧倒された。感覚的に好きになれないタイプの人間だったが、向坂もぼく同様、社会的な問題にかなり関心を持っていた。

 彼は歴史の教官に対して戦争責任を追及したり、ぼくに向かって「日本軍国主義の復活を阻止しなければいけない」などと語った。だが、向坂もぼく同様何の行動も起こしていなかった。もちろん彼もそのことを知っていた。
 ぼくと向坂は何度も議論を重ね、「今必要なことはもはや話すことではない、行動することだ」という結論に達した。

 そして五月十四日、沖縄返還前日。ぼくと向坂はデモに出ることを決意した。
 時間は深夜の一時を過ぎていた。ぼくは自分の決意を日記に書き留めた。向坂は先程までの討論の余韻を味わうかのように、ベッドに寝て空を見つめている。
 そこへドアをノックして松下が入って来た。彼も向坂と同じ電気科だが、ぼくと同郷なので仲が良かった。
「何しよるんか」
 松下は日記をのぞきこむようにして言った。

 ぼくは万年筆を置くと、「おい、明日デモに出るぞ」と言った。
「デモにィ? どうして?」
 松下は奇妙な声を出した。そして、向坂の椅子に座った。
 消灯後のため、ぼくのスタンドしか点けていなかったので、部屋全体が薄暗かった。
 ぼくは何となく重苦しい空気を感じた。一方、遠足前夜のような浮き浮きした気持ちも感じていた。
「自分の存在を確かめるためや」
 ぼくは自力で思いついたその答えに満足していた。

「存在を確かめる?」
「うん。自分の社会的な存在を確認するため、俺はデモに出るんや。と言うのはな、一人の人間として生まれて来た以上、生きたいという願望があるやろ。ない奴もおるかもしれんけど、誰でもその欲求があるはずや。ところが、自分の存在を危うくするものがある。それは学問の弾圧から、最終的には俺たちの存在が簡単に抹殺されてしまう戦争や。その戦争に巻き込まれる危険性が現在あるやろ。ベトナム戦争や。だから、俺たちはそれに反対の意思表示をしなきゃいかんはずだ」
 松下はうなずきながら聞いている。向坂は相変わらず空を見つめたままで、何を考えているのかわからなかった。

 ぼくは構わず喋り続けた。
「それに沖縄返還にしたって、沖縄県民があれだけ祖国復帰を叫んでいながら、条約が締結されたら急に反対だって言い出しただろう。あれは結局、政府の結んだ条約が沖縄県民の気持ちに沿っていないからだと思う。それで、あれほどまでに反対を叫ぶんやろ。俺はそれについても同じ気持ちを持つ。それを主張するために、いや、この思いを意思表示するために、俺はデモに出るんや」
 ぼくは話しながら、次第に言葉に重みがなくなるような気がした。しかし、熱意を込めて語り続けた。
「ふうん、そうか……」
 松下は呟いた。

 ぼくは黙って次の言葉を待った。
「俺にはよゥわからんきのォ。向坂、お前はどうするんか」
 そう言うと、松下は向坂の方に視線を逸らした。「よくわからない」それは彼の口癖だった。
 ぼくは松下に失望した。しかし、彼を誘うつもりはなかったので、それ以上何も言わなかった。

 向坂は大きくのびをした。
「ま、斉藤君の後をついて行きますわ」
 どこか投げやりな口調だった。本気なのか冗談なのか区別がつかない。しかし、ぼくは向坂に対しても、それ以上語るつもりはなかった。既に納得している。ぼくはそう確信していた。

 機動隊の出動――。五月十五日の今日、それは当然予想されたことだ。
 だが、ぼくの頭の中にそれは全く浮かんでいなかった。デモがどこから出発してどこを歩き回るのか、ぼくらはそんなことさえ知らなかった。ただ、中心街に行けば、どこかでデモ行進に出会うだろうと、漠然と考えてやって来たのである。今機動隊を前にして、デモに参加することを簡単に考えていた自分たちが、とても幼く思えてきた。

「デモに出るんやったら、速く走れるよう運動靴を履いて行けよ。ぱくられたら、東京の救援センターという所に電話かけェよ」そう言って、Yはぼくに救援センターの電話番号を教えてくれた。
 そして、Y自らは「投げ納めだ!」と言って隣県のK市に行った。
 同じ日に火炎ビン規制法案が施行されるという。Yの真剣な顔がよみがえる。冗談半分に聞いていたその言葉が、急に実感を持ってぼくに迫って来た。

 バスは車で混み合う道路をゆっくりと進んだ。こちら側の車線が車で詰まっているのに、対向車線は一台の車も走って来ない。
 ぼくたちのバスは交差点のずっと手前で停止した。しばらくして交差点の信号が赤から青に変わった。だが、車の列は動き出す気配がない。

 いつの間にか反対車線の中央に、黒長靴を履いた数人の男が集まっていた。紺色の作業服を着て帽子をかぶった男たちが交差点の先を見やっている。
 一人の男は長いアンテナを伸ばしたハンディ・トーキーを手に、交差点を見ながら盛んに何か話している。別の一人は先程機動隊が去った方へ走って行った。
 近くの歩道には機動隊員が三人固まっている。彼らは談笑していた。笑っている顔は制服がなければ、普通の人と大差ないように見える。「なぜ機動隊に入ったのだろう」ぼくはぼんやりそんなことを考えた。

 バスは少し動いて再び停止した。
 道路にいる数人の動きが急に慌ただしくなった。ハンディ・トーキーの男は顔をこちらに向け、目だけ交差点を見て早口で喋っている。その隣の男は傍らの男の耳に口を寄せ真剣な顔付きに変わった。歩道の機動隊員もぴたりと話をやめた。

 彼らの様子を眺めた後、ぼくは急いで交差点に目を向けた。そして、ワゴンタイプの車が一台ゆっくりと進んで来るのを認めた。
 車の屋根の赤い囲みに《ベトナム戦争反対》とある。側面の横断幕には《米帝国主義打倒・日本軍国主義復活阻止》と書かれている。

 その車に続いて、マイクロバスのような大型の車がやはりゆっくりと現れた。
 車の屋根には大きなスピーカーが据え付けられ、手摺りで囲まれた中にハチマキを締めた男性が一人乗っていた。
 彼はマイクを手にしてしきりに何かを訴えている。だが、言葉は聞き取れない。切れ切れの断片から判断すると、「沖縄返還反対」とか「米帝国主義の打倒」などと叫んでいたようだ。

 その直後ぼくはワゴン車の後ろを歩いて来る人波に気づいた。そして、その中の最前列の青年に目を奪われた。彼はハチマキをして緊張した顔付きをしている。
 ぼくはその顔をじっと見つめた。その一瞬は非常に長く感じられた。
 そして、彼がスクラムを組んでいるとわかったとき、左右に揺れながら進んで来るデモ隊の全貌が、ぼくの脳裏にはっきり刻み込まれた。

 異様な雰囲気――。デモ隊との突然の遭遇は機動隊の時と同じように、ぼくにとってはどこかしら異様に感じられた。自分の気持ちとしっくりかみ合わなかった。ただ、デモ行進をこれほど近くで見るのは初めてだから、そう感じたのかもしれない。
 乱立する数本の赤旗。ハチマキを締めた人は先頭の数十人だけだった。後はごく普通の服装の人達。《沖縄返還反対》のプラカードを掲げ持つ人も何人かいた。
 ごく普通のデモであり、こんなデモならテレビで何度も見たことがある。だが、テレビの中のデモと、今目の前を行進するデモ隊は明らかに違っていた。ぼくには歩いている彼らの息遣いさえ感じることができた。

 デモの進行につれて、道路上の警察側数人も移動する。歩道の機動隊員がいつの間にか三十人程に増えていた。その付近一帯にひそひそと話しながらデモを見ている店員や買い物客の姿があった。
 歩道に固まった機動隊に向かってデモの先頭数人が拳を突き出した。
 そして、「機動隊帰れ! 沖縄返還反対!」と叫び始めた。
 その声はすぐに広がり、シュプレヒコールとなって復唱された。

 ぼくはデモの中の人々を丹念に目で追った。紺のブレザーを着た若者。ぼくの父と同年齢ぐらいの、髪の毛の少ない中年の男性。白いワイシャツ姿がたくさんいる。黒ジャンパーの青年。長髪の若者。主婦らしい女性。ミニスカートの若い女の人。種々雑多な人波がゆっくり動いていた。

 最初スクラムを組んでいると見たのは錯覚だったかと思うほど、デモ隊の中央部はのんびりしていた。二百人か三百人。いや、四、五百人はいるかもしれない。労働組合のデモなのか、ぼくには何もわからなかった。
 デモ隊の最後尾になったとき、若い人や買い物かごを持った中年の女性が次々にデモに加わって歩き始める姿が見えた。何の躊躇もなく――それはぼくにとって大きな驚きだった。

 そして、デモ隊や機動隊は行ってしまった。その直後交差点一帯に奇妙な静寂が広がった。しかし、信号が変わりクラクションが鳴り響いてその静けさは破れた。車は再び騒々しく動き始めた。ぼくの乗ったバスも交差点を過ぎ、O駅近くの終点に到着した。

 ぼく、向坂、K(彼はぼくと向坂が中心街に行くというので一緒に来ていた)の三人はバスを降りた。
 ぼくは二人に何か話しかけようと思った。だが、言葉が浮かばない。Kも向坂も黙っている。
 ぼくは何かしら緊張していた。同時に自分は冷静だとも思った。Kが小さく笑って向坂に何か言った。向坂が皮肉な笑みを浮かべた。ぼくには二人の声が聞き取れなかった。

 ぼくはKのことが気になった。Kは向坂と仲がいいが、ぼくとはそれほどでもない。Kもデモに出るつもりなのかどうか、向坂から何も聞いていない。
 しかし、Kもよく討論をする間柄であり、彼の様子もただ単に中心街に遊びに来ただけとは思えない。
 ぼくはKの真意を確かめようかと思った。だが、どういう答えが返って来るか不安で、聞くことができなかった。
 どこへ行こうとも言わず、ぼくたちはとにかく今バスで来た道を引き返した。デモ隊とすれ違った先程の交差点を渡るとき、ぼくは「Kのことなんかどうでもいい。要は自分だ」と心の中でつぶやいた。

 デモ隊はどこまで進んだのか中々追いつけない。歩道を歩きながら、ぼくはすれ違う人々の顔が特に変わっていないことに変な苛立ちを覚えた。
 下腹に力を入れようとしても、すきっ腹のように力が入らない。ぼくは一つ深呼吸すると、歩きながらベルトを締め直した。そして、靴の紐がほどけていないか確かめた。

 五、六分は歩いただろうか。歩道橋に囲まれた大きな交差点でようやくデモ隊に追いついた。
 デモの先導車は交差点に入ろうとしていた。先導車の前方十数メートルの所に、百人程の機動隊が行く手をふさぐかのように固まって立っている。デモ隊の後ろには警察の装甲車が停止していた。

 ずんぐりした灰色の装甲車の上から、マイクを手にした隊長らしき男が固い口調で「このデモは違法です。O市警察署署長からデモ隊解散命令が出ています。すみやかに解散してください」と言っている。
 その声は巨大スピーカーを出て、交差点上の空気を震わせながら響き渡っていた。そして、何も言わないときにはスピーカーから大きな音の音楽を流している。音楽はデモ隊のシュプレヒコールなどかき消していた。最初その場に余りに不似合いなメロディがどこから流れて来るのかわからなかったほどだ。
 装甲車の上には他に二、三人の男がいて、デモ隊の方を眺めたり、後方に待機している百人程の機動隊員に指示を出していた。
 クラクションの音。人の罵る声や怒声。喧噪が交差点一帯に広がっていた。

 見物人が次第に増えていく。歩道にいるぼくの周囲は人垣で埋まり始めた。歩道橋の上も通行人で一杯になる。
 歩道橋の上がり口付近はちょうどデモ隊の最後尾だった。そこからデモの中に入る数人の女性の姿がぼくの目に留まった。
 何の躊躇もなくデモに参加している――ここでもぼくにはそう見えた。ぼくは急に胸が高鳴るのを感じた。
 Kは既に歩道橋を上り、ぼくの側には向坂がいた。

 ぼくは思い切って向坂に呼びかけた。
「向坂……行こう」
 ぼくの声が聞こえなかったのか、向坂は機動隊とデモ隊の方を見続けている。目を細め、やや唇を歪めた向坂の顔は何となくひきつっているように見えた。
「向坂!」
 ぼくは小さな声で怒鳴った。ほとんど歩き出そうとしていた。

「ま、やめときましょうや……」
 向坂は言った。
 その言葉を聞いて、ぼくの足は歩道に縛り付けられたかのように動けなくなった。そして、全身から力が抜けた。その声は冷ややかで落ち着いていた。何の感情もなかった。

「そうか……」
 一瞬の躊躇の後、ぼくはアスファルトの道路を見つめたまま立ちつくした。何かが吹き飛んだ。身体の中心がなくなってしまったような気がした。
 向坂も機動隊の方を見たままじっと動かない。何も言わなかった

 後方の機動隊がじりじり動いて、デモ隊に近づきつつあった。
 どういう指令が出たのか、機動隊は突然交差点に向かって一斉に走り出した。そして、デモ隊の横に完全に密着した。最後尾には遅れた四、五人の隊員がヘルメットを押さえながら懸命に走っている。その姿は何だか滑稽に見えた。
 向坂は歩道橋の階段を上って行った。ぼくもぐったりと重くなった身体を持ち上げるようにして後を追った。

 デモ隊は交差点を出た所で停止している。人数が先程より増えていた。デモ隊の横に機動隊が二列になってぴったりくっついている。がんがんに鳴る音楽。怒号。見物人のざわめき。
 その中でぼくは歩道橋の上から彼らを見下ろしている。ぼくには自分がデモの中にいないことが痛烈に意識された。

「むちゃくちゃじゃのゥ」とそばにいた向坂が言った。
 交差点の中で停止したデモ隊に対して、道交法違反だから直ちに移動せよと言う警察側。機動隊が離れればすぐにも動くと言うデモ隊。
 警察側はただ一方的に動けと言い、デモの先導車の男が「機動隊どきなさい」と言うときには例のメロディを流している。

 デモ隊のリーダーは興奮する参加者を抑え、「市民の皆さん、不当なデモ規制に抗議しましょう」と訴えている。だが、それに応える者はいない。歩道橋の上の人々はほとんど無表情に交差点の対立を見下ろしている。
 ぼくの隣の背の低い背広姿の男性や、その向こうのポロシャツの青年も、まるでテレビドラマでも見るかのような顔付きである。デモの中にいる人々と、歩道橋の上の自分たち。ほんのちょっとの違いが、ぼくには埋めようのない差のように思えた。

 ぼくはかすかに笑っていた。デモ隊と機動隊との衝突が茶番に見え始めたからだ。しかし、それは苦い笑いだった。ぼくは深く沈んでもいた。機動隊の無法に対する怒り。デモ隊のリーダーの気の長さに対する驚き。そして、やじ馬と自分に対する嫌悪。
 結局、デモに参加することができなかった。心の中で何を思い、何を感じていようと、自分は歩道橋の上のやじ馬でしかない。そうつぶやく声がぼくの頭の中を駆け回っていた。

 長い時間のように感じられたが、デモ隊と機動隊の膠着状態は五分程度だったろうか。デモ隊のリーダーが警察側と話し合った結果、機動隊はデモ隊の横を離れ、道路の中央まで退いた。デモ隊から大きな拍手が湧き起こった。

 デモ隊は再び行進を始めた。五十メートル程先にある警察署に向かうようだ。今日のデモで二名逮捕されたことを、不当逮捕として抗議に行くと訴えている。
 警察側はそれを予定にない行進だとして、阻止しようとしたのだろう。一体どういう衝突があって逮捕に至ったのか、ぼくにはわかりようもない。
 ぼくと向坂、Kも歩道を伝ってデモ隊の後を追った。数十名のやじ馬もぞろぞろと続く。

 デモ隊は警察署の前で横に広がって機動隊と対峙した。そして、シュプレヒコールが始まった。
 「警察の不当なデモ規制に抗議するゥ!」
 「〇〇君がんばれェ!」
 デモ隊は拳を突き上げ、声を張り上げていた。

 ぼくたちは道路を隔てた歩道からその様子を眺めた。ぼくの心の中はデモに参加できなかったくやしさで一杯だった。今でもまだあの中に入ることはできる。だが、間を隔てた道路はどうしようもなく広く遠かった。

 シュプレヒコールは歌に変わった。
「がーんばーろうー
 突き上げる 空に
 くろがねの男の こぶしがある
 もえあがる女の こぶしがある
 闘いはここから 闘いは今から」
  (「がんばろう」作詞 森田ヤエ子・作曲 荒木 栄)

 力強い歌声がぼくの身体を貫いた。それは映画「ドレイ工場」で、また「沖縄」の中で歌われていた歌だ。ぼくはこの場にいることがたまらなくなって来た。

「帰ろう……」
 ぼくはぽつりと言った。
 向坂もKも聞こえなかったのか、警察署の方を見ている。
 「帰るぞ」
 ぼくは踵を返して歩き始めた。二人ともぼくに従った。ぼくたちは黙って歩いた。
 先程まで歩いて来た道を引き返しながら、ぼくは唇をかみしめた。
「お前は出なかった。参加できなかった」その声がぼくの耳にこびりついて離れなかった。

 デモ隊と機動隊が衝突しかけた交差点まで戻ると、もはやシュプレヒコールも歌声も聞こえなかった。
 ぼくは歩道橋から道路を見下ろした。車は何事もなかったかのように流れていた。(了)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:私は高校で文芸部の顧問だったことがあります。高校三年生でこれくらい書ければ、(文学賞入選はなくとも)「表現力があるよ」と言ったことでしょう。
 この作品はほんとに高専三年の夏に書いたものです。デモに出ようとして出られなかったいきさつが描かれています。一年時の自分への関心が社会への関心に移り、また別の悩みを抱えたことがおわかりいただけると思います。

 一方、『高専一年生の秋』は数年前(当時の日記を見ながら)書きました。
 どちらも私小説ですが、違いを感じ取れたでしょうか。『高専一年生の秋』にはかなり客観的な《説明》があります。高専について、自分について。かたや『一九七二・五・一五』にはそれがほとんどありません。すなわち《描写》中心の私小説です。

 どちらも自分の思いや感情が主として描かれています。だが、前者はどこか他人事のような、よそよそしさを感じます。当時の自分を客観視しているとも言えるし、過去回想タイプの小説によくある特徴です。実はそれが不満でした。
 かたや後者にはそれがない。ほぼリアルタイムに書かれた作品だし、読者に理解してもらおうなどと考えていないからです。これがほんとの私小説(^_^)。

 読者にしてみれば、いろいろ解説があった方が全体状況も心理もわかりやすい。しかし、作者にしてみると、もっと直に自分の思いや感情を伝えたい。そんなわけでこちらも紹介しようと思いました。

 さて、申し訳ないと思いつつ、本稿はまだ終わりません(^_^;)。
 あと数回なので、今年中にはエンドマークを打てると思います。
 例年どおり7、8月はメルマガお休みとします。次号は9月発行です。

 ワクチンが始まったとは言え、コロナ禍に猛暑、おそらく今年も豪雨と水害が発生するでしょう。
 私が住む町は昨年7月に発生したがけ崩れや堤防の破損が何か所も手つかずのまま。一度に全部できないとは言え、今年の豪雨や台風でさらにひどくならねばいいが、と思います。ともに生き延びて秋を迎えることを祈念してしばしのお別れです。
 御影祐
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「一読法を学べ」  第 55 へ (9月17日発行)

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